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2003年の汽車旅5-3(東海道新幹線100系フォーエヴァー②前編) [汽車旅2003]
オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。
新大阪からJR東海の東海道新幹線に乗り換える。
各駅停車なのに、特急料金を払わないと乗れない列車があるのを御存知だろうか?
それはいくつかあり、その代表的なのが東海道・山陽新幹線を走る〈こだま〉で、各駅停車で特急料金を払うことに異議を唱えた人は誰もいないだろう。
私は何度か〈こだま〉に乗ったことがあるけど、東海道新幹線全区間を乗車するのは初めてで、不安がある。
1番の不安は〈のぞみ〉の東京-新大阪間は最速2時間30分で走破するが、〈こだま〉は4時間以上もかかる。気が短いほうの私はイラつかないかどうかである。かつて、修学旅行で〈こだま〉に乗せられたことがあり、物事に対する考えのズレから、話相手の少なかった私にとって、長時間の乗車は退屈きわまりないものだった。“なんで〈ひかり〉にしてくれないの?(当時、〈のぞみ〉は走っていなかった)”と思ったりもした。
あれから十数年の時が流れ、2003年7月27日(日曜日)、再び、長時間〈こだま〉を利用することになった。しかも、自分から好んでである。
この日の大阪は暑かった。関東地方はまだ梅雨明けする様子もなく、大阪の暑さは異様に思えた(2003年、関東地方が梅雨明けしたのは8月2日である)。
暑いのはお天気だけでなく、街も熱い。大阪の街はどこもかしこも“阪神タイガース優勝確信セール”だらけで、巨人ファンの私は唖然呆然と絶句するほどだ。コンビニの弁当でも阪神タイガースだらけなのだから、圧倒されてしまう。
街を歩いていると、東京と違い、大阪は殺伐とした雰囲気はなく、人間の気質の違いを感じるのであった。
新大阪は JR西日本、JR東海、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)の3社が集結している駅である。
JR西日本は在来線の列車がボンボン通り、一部の寝台特急以外はすべて停車するが、ホームはなぜか11番のりばからとなっている。これには理由があり、東海道新幹線開業当初、ホームナンバーはひとケタ台だったが、ホーム増設により、20番線台に変更となったからである。東海道新幹線新大阪駅の最新ホームは20番線で、「0番線」ではカッコ悪いとみたようだ(これにより、1・2番線は大阪市交通局と重複することがなくなり、わかりやすくなった)。
先ほども紹介したが、在来線ホームの上にあるのが東海道新幹線で、JR東海が管理している。ここはJR西日本管轄の山陽新幹線の起点でもある。なお、開業当初はいずれも国鉄だったが、昭和62年(1987年)4月1日(水曜日)の分割民営化により、現在に至っている。
少々離れたところに大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線のホームがあり、“簡易都市高速道路(東京だと首都高速、大阪だと阪神高速)”と言ってもよさそうな新御堂筋にはさまっているが、新大阪の開業日が当時の国鉄より、ひと足早いことは意外と知られていないようだ。ちなみに新大阪は昭和39年(1964年)9月24日(木曜日)に開業し、1週間後の10月1日(木曜日)には国鉄の駅も開業している。
新大阪はすべて自動改札にチェンジしていた。時代の流れであるが、JR西日本は自動改札(「Jスルー」という)のICカード、ICOCAの対応工事が進められている(2003年11月1日からICOCAの使用を開始。のちにJR東日本のSuica、モバイルSuicaでもイオカード機能限定で利用できるようになる)。
JR東海もずいぶん長い自動改札(「エクスプレス改札機」という)を設置しているが、2枚重ねて投入できるため、1枚入れるだけでも時間がかかる難点も持つ。
大阪市交通局は関西私鉄の流儀で、通れる自動改札は○、そうでないものは×と単純明快な案内。JR西日本のJスルーは通れるものは矢印で表示するが、通れないものはほとんど使ったことがないので、わからない。JR東海のエクスプレス改札機はJR東日本と同様、入れないものは進入禁止の標識で案内し、通れるものは矢印で案内している。思想は大きく異なるが、戸惑うお客を見たことはほとんどない。
エスカレーターで東海道新幹線23・24番線へ登ると、ホームは静寂でクールな雰囲気だ。街と違って、活気は感じないが、これから帰京する私にとって、胸の鼓動が高ぶる。
久しぶりに東海道新幹線のホームに立つが、転落防止用のサクが建てられ、すっかり変わってしまった。新大阪は通過する新幹線は1本もないのにだ。これでは東海道新幹線は気難しいものに思えてしまう。新幹線の安全性の高さ(絶対に安全だとは限らないが)は定評があり、ここまで大事故は起こっていないが、“なにもそこまで…”と思うのは私だけだろうか? せっかくのワクワク感をダイナシにしてしまいそうでならない。
サクのおかげで、レールファンの撮影場所が縮小されてしまったようだ。身を乗り出しては事故につながってしまうからだ。隣りのホームで新幹線が停まっていなかったり、入線しなければ、今まで通りの撮影ができる。しかし、迫力のある写真を撮るには中腰になったり、しゃがんで撮ったほうがいいので、やはり撮影場所は縮小されているように思う。
16時49分、新神戸方から〈こだま428号〉東京行き(9号車1階カフェテリア、2階グリーン車149-101:2階グリーン車に乗車)が入線した。
〈こだま428号〉に乗るのは通算7回目になるが、これほど、この列車の入線を心待ちにしたのは初めてだろう。“早く乗りたい!!”という気持ちが強くなってゆき、ホームではパラパラとレールファンが〈こだま428号〉東京行きにシャッターを向けている。サッカーに例えるなら、“ベッカム様の御登場”といった感じであろう。
これから乗車する〈こだま428号〉東京行きは“2階建て新幹線”こと、100系である。この便も2003年8月1日(金曜日)でお役御免となり、300系にバトンタッチする。そして、2003年8月以降、東海道新幹線での100系運行が激減し、9月16日(火曜日)の臨時〈ひかり309号〉新大阪行きをもって、フォーエヴァー。
改めて、100系を眺めてみる。シンボルの2階建てはいつみても新鮮だ。ボディーが少し痛んでいる部分があるのが気になるところだが、ワイドな窓は近年の東海道・山陽新幹線では珍しい存在となった(300系以降は窓が小さくなっている)。そして、窓まわりをブルーで囲っている部分を見ると、“古い車両になったんだなぁー”と時代の流れを感じる。
先頭16号車の先端まで歩く。鋭くとがった先頭車はカッコイイ。0系より洗練された先頭車はドコモの絵文字にも使われており、メール作成する時に何度も使ったが、2004年以降も700系に変わることなく、嬉しいところだ。
隣りの25番線では〈のぞみ22号〉東京行きが発車した。車両は500系と言う“「怪物」という名の異端児”で、100系そっちのけでカメラやビデオ撮影したりする人の姿を見ると、ヒーローの座を奪われてしまったような心境だ。500系は1度乗ったが、300㎞/hのスピードが味わえるのは快感である。ちなみに新大阪はJR東海と大阪市交通局はホームの案内を「番線」、JR西日本は「のりば」としている。
〈こだま428号〉東京行きの発車時刻が近づいてきた。乗り遅れないよう、急ごう。

定刻通り、17時00分に発車。東京に向けて、4時間06分の長い道のりがスタートする。普段は青春18きっぷで旅をしているから、ここでは「短い道のり」と言うのが正しいのかもしれない。
発車前に指定席をホームから覗いているが、なかなかの入りで、自由席はガラガラだ。
それもそのはずで、16両編成のうち、自由席は10両、指定席は3両、グリーン車は3両なのだから、当然といえよう。また、指定席で煙草が吸える車両は16号車しかないせいか、意外と多い。
昔は禁煙車が珍しい時代だったが、現在は逆。また、受動喫煙を防止する目的で、健康増進法が制定されたが、そんな法案を作るぐらいなら、煙草の売買を禁止したほうが手っ取り早い。健康を害することは誰もが知っているのだから。
現代は禁煙車が多くなるにつれ、喫煙車両の煙草のニオイとスモークがひどくなってきており、もはや、身近な「公害」といえる。近年は空気清浄機を取りつける車両もあるが、普及はしていないだろう。
近年は客室を禁煙にして、デッキに喫煙コーナーを設ける車両が増えてきているが(「これでは禁煙車の意味がない」と日頃から声を大にしている)、300系以降の新幹線車両は食堂車などを切り捨てて、定員を重視している傾向にあるため、そういうスペースを設けることはないだろう。
車両番号のチェックを終え、9号車2階グリーン車に戻る。2階建ての禁煙車で快適だ。ちなみに2階建てのグリーン車はすべて禁煙車になっており、“特権”のようなものだろう。平屋グリーン車はの10号車は喫煙車両になっており、格差をつけていると思う。
喫煙車両でずいぶん熱く語ってしまったが、〈こだま428号〉東京行きは鳥飼(Torikai)の車両基地を通過した。いつもながら、軽快に走ってゆく。
東海道新幹線ではあっという間だが、その上を走る大阪高速鉄道大阪モノレール線ならば、ゆっくりと“空中散歩”が楽しめる。まれに黄色い新幹線(『ドクターイエロー』と呼ばれている)も止まっており、目立つことは間違いなしで、山陽新幹線限定運用のインテリジェントサルーン“ひかりRail Star”も休息している時もある。
京都府が近づくと、阪急電鉄京都本線と並走。これは淀川沿いで脆弱な地盤のため、東海道新幹線の建設と京都本線大山崎-上牧間の高架化工事を同時に施工。そのため、昭和38年(1963年)4~12月は先に完成していた東海道新幹線の高架を阪急電鉄の車両が借用して走っていた。当時の国鉄も“他人の土俵で相撲をとる”ことをよく認めたと思う(東海道新幹線の線路を走る阪急電鉄の写真があれば見たい)。しかも、すべての新幹線は交流電化なのに対し、阪急電鉄は直流電化なのだから、架線に「直流専用」や「交流専用」はないようだ。
JR西日本東海道本線の各駅停車201系をあっさり抜いて、貫禄を魅せつけ、京都に到着。〈こだま〉用の外側ホームに到着し、ここで大いに乗り込んだ。ガラガラのグリーン車も東京寄りから順に埋まってゆく。
京都を発車すると、すぐさまトンネルに入る。トンネルが多いのはどこの新幹線も共通していることで、距離を在来線より縮め、時間短縮をはかる策としている。
グリーン車座席中央のひじかけにオーディオ装置があり、手持ちのイヤホンでBEGINと夏川りみを聴く。適当にチャンネルボタンを押したら、これがイイと思ったからで、人によっては異なるが、私は歌謡曲が好きである。最近(と言っても2003年だが)は『ちゅらさん』の影響で、琉球音楽に興味があり候。

京都-米原間は直線が多いので、よくスピード試験で使われる。進行方向左側には離れているが、東海道本線野洲の留置線があり、このあたりに東海道新幹線の駅設置を予定している。駅名は「南びわ湖」と「びわ湖栗東(Biwako-Rittoh)」のどちらかを予定しており、“東海道新幹線、最後の新駅”にするかまえである。関西方面の通勤輸送に着手したことにより、新快速で勝算の自信を持つJR西日本を脅かす存在になれるかどうか?
高架から地平に下り、進行方向右側には『300X』、『STAR21』、『WIN350(JR西日本500系試作車)』の各先頭車を静態保存している。これは新幹線のスピードアップに貢献した高速試験車両で、『300X』はJR東海700系、『STAR21』はJR東日本E2系、『WIN350』はJR西日本500系量産車に発展し、わずか5年以内で役目を終えた。老朽化もしていないのに廃車され、ほとんど解体はもったいないが、イベント用として活用できたのではないかと思う。
今や米原で翼を休めた3両を見て、私はちょっと怒りを感じる。歴代の新幹線電車では1番最高の100系の活躍を縮め、ゆとりを捨てて定員重視の姿勢を示した“犯罪者”と言ってもいい存在なのだから。
米原に到着し、後続の〈ひかり230号〉東京行きに抜かれる。初代〈のぞみ〉の300系で、平成4年(1992年)3月14日(土曜日)に華々しくデビューしたものの、全盛期は意外と短く、700系シリーズの入団で、〈のぞみ〉の定期運用から姿を消し、今や〈こだま〉の主力となっている。
米原を発車し、再び高架に戻ると、車内検札が始まった。ベージュのスーツにスラックスで、高級感を醸し出すような制服の車掌である。JR東海にとって、東海道新幹線は“「ドル箱路線」という名の横綱”だから、王者の風格にふさわしい衣装を身にまとっているようで、在来線とは差が激しい。
グリーン車利用客の大半は、『ぷらっとこだまグリーン車エコノミープラン』というきっぷを持っていた。もちろん、私もこれを持っており、人気はけっこうあるようだ。
『ぷらっとこだま』はJR東海ツアーズが販売しているツアー商品で、指定席利用のエコノミープラン、グリーン車利用のグリーン車エコノミープランがあるものの、添乗員はつかない。
最大の魅力は料金の安さで、新大阪-東京間の場合、普通に自由席新幹線特急料金込みで乗ると13,240円なのに対し、『ぷらっとこだまエコノミープラン』で乗ると10,000円!! また、『ぷらっとこだまグリーン車エコノミープラン』だと14,000円で、〈のぞみ〉の指定席利用学に匹敵するのだから、おトク!!(いずれも通常期) 時間はかかるが、ゆっくり移動したい時なら 『ぷらっとこだまグリーン車エコノミープラン』がおススメ。また、〈ひかり〉〈のぞみ〉の指定席やグリーン車がすべて満席になった時の“最終兵器”にもなる(当日申し込みの場合、残席はグリーン車のみが多い)。但し、利用区間と利用できる〈こだま〉は限定され、発券に時間がかかるのが難点だ。これはJR東海ツアーズの商品なので、マルス(きっぷを発見する機械)で勝手に発券できないらしく、JR東海のみどりの窓口なのだろうか、電話による問い合わせをしなければならないからだ。
欠点は乗車駅から東海道新幹線の駅までと、東海道新幹線の駅から下車駅までのJR線は別に乗車券を購入しなければならないこと。例えば、大阪から乗車し、次の新大阪で『ぷらっとこだま』を使用する場合は大阪-新大阪間の乗車券を購入しなければならない。また、終点東京で“中央線”に乗り換えて、新宿へ向かう場合も東京-新宿間の乗車券を買わなければならない。ちなみに途中下車はいっさい認められず、乗り遅れた場合は乗車変更も効かないため、きっぷも買い直すハメとなる。
さて、車内検札を受けるが、どこか物足りないことに気づいた。それは〈ひかり〉〈のぞみ〉のグリーン車を利用した時にもらったアレがないのだ。
なんだろうと思ったら、おしぼりである。みんなもらっていないところを見ると、どうやら、〈こだま〉にはそのようなサービスはないらしい。残念ではあるが、各駅に停まるのだから、出入りが激しく、いくつ用意すればいいのか、見当がつかないという見解を持っているのだろう。ちなみに山陽新幹線を受け持つJR西日本の〈こだま〉のほとんどはグリーン車はない。なぜならば、普段は4・6両編成でしか走らず、16両編成はめったに運行しないからだ。
〈こだま428号〉東京行きは快走を続け、進行方向右側にはJR東海の東海道本線が遠目にあり、エル特急〈(ワイドビュー)ひだ34号〉大阪行きとすれ違う。東海道新幹線の圧倒的な速さに在来線特急は遅く見えてしまう。スローモーションに映っている錯覚に陥ってしまいそうである。そして、名神高速を走る数々のクルマをこっぱみじんに抜き、広大な水田と畑を駆け抜ける。
こういうところをスイスイ走るのは宅地が少なく、新幹線の騒音による苦情が出にくいからであろう(私の推測だが)。
〈こだま428号〉東京行きは岐阜羽島に到着した。
岐阜羽島は大野伴睦(Banboku Ohno)という政治家がムリヤリ作らせたというウワサのある駅で、名古屋鉄道羽島線[新羽島駅]が隣接しているが、この駅が誕生したのは東海道新幹線が開業してから18年後の昭和57年(1982年)12月11日(土曜日)である。どうやら、不便きわまりない岐阜羽島をどうにかしようと手を差し伸べたような感じがする。
これに乗れば名鉄岐阜(以前は「新岐阜」と名乗っていた)へアプローチできるが、羽島線は竹鼻線(Takehana Line)江吉良(Egira)からの分岐路線である。つまり、江吉良を発車すると、竹鼻線は東海道新幹線をくぐっていた。しかし、2001年9月30日(日曜日)で江吉良-大須間はフォーエヴァーとなり、そのシーンも過去のモノとなってしまった。
岐阜羽島はヘンな駅で、〈こだま428号〉が〈ひかり〉〈のぞみ〉に抜かれる駅の大半は内側が通過線、外側にホームがあるものの、1つしか番線はない(つまり、1つのホームに電車は1つしか入れない)。
ところが、岐阜羽島は内側に通過線があるのはセオリー通りだが、外側はなんと1つのホームに2つ電車が入るようになっているようになっており、ビックリ仰天!! フイルムのコマ数が少なかったのと、ホームに降りた時にドアが閉まったりでもしたら、帰京できないので、撮影しなかったが、将来は〈ひかり〉〈こだま〉を並べさせ、〈のぞみ〉がダブル抜きをやってのけるシーンがあるのか? ちなみに下りは2・3番線、上りは0・1番線で、通常は1・2番線しか使っていないだろう。岐阜羽島発着の〈こだま〉はないから(なんで0番線から始まるのかが理解できない。普通は1番線から名乗るモンでしょ?)。
もし、岐阜羽島がなかったら、東海道新幹線が通る都府県で唯一、“駅のない県(岐阜県)”になるところだったから、“不名誉な記録”を作らずに済んだ?!
余談だが、すべての新幹線が通る都府県で、駅が設置されていないのは茨城県。意外と思うかもしれないが、JR東日本の東北新幹線は“ちょっとだけ、おじゃまします”という程度に敷設しており、スイスイ駆け抜けている。仮に駅を設けても、乗ってくれる期待はなさそうだ。
岐阜羽島を発車し、わずか11分で名古屋に着いた。ここでは同じ100系の〈こだま425号〉新大阪行きとすれ違ったが、少々遅れていた。ちなみに〈こだま425号〉新大阪行きは東海道新幹線100系最後の定期便で、2003年8月31日(日曜日)で役目を終えた。2003年9月に東京-新大阪間の臨時〈ひかり〉数本が残っているせいか、東京駅に集結したレールファンは意外と少なく、また、東海道新幹線0系フォーエヴァーのように特性ヘッドマークは装着されておらず、静かな幕引きだった。
名古屋で多く乗り込み、活気づいたが、後方は空席が多い。なんせ、グリーン車が3両もあるのだから、〈こだま〉のグリーン車が満席になることはめったになさそうだ。
三河安城は岐阜羽島ほどでもないが、不思議な駅で、東海道本線乗り換え駅となっているものの、普通電車以外はすべて通過という不便なところである。東海道本線の混雑緩和を目的に作ったのかどうかは定かではないが、昭和63年(1988年)3月13日(日曜日)に同時開業しているのだから、せめて快速系(快速、区間快速、新快速、特別快速)も停めて、利便性を向上させるべきだろう。もっとも、日中4両の運転を6~8両にしてくれなければ困る。これは平成10年(1998年)から声を大にしていることだが、2006年10月1日(日曜日)のダイヤ改正で、313系5000番台を投入し、快速系の混雑は緩和された模様である。
三河安城を発車すると、私は席をたった。坐ってばかりいてはルポにならないからで、ちょっと探検である。16両という長い編成なので、2階建て車両にとどめておく、と言うより、そこしか目がなかった。
私の坐る2階建てグリーン車の隣りの8号車1階はカフェテリアで、昭和63年(1988年)から3年間、投入されたもの。当時は好景気で、グリーン車が満席になる状態が続き、JR東海はグリーン車3両化に踏み切った。
その犠牲になったのは食堂車。2階からの眺望を武器に好評を得ていたが、時間帯によって利用人数にバラつきがあることなどから、食堂車を切り捨て、テイクアウト(お持ち帰り)方式のカフェテリアにチェンジし、2階建てグリーン車2両体制にしたのである。
しかし、カフェテリアは好評というワケでもなかったようで、〈こだま〉では営業しておらず、タダの空間。カウンターにはひっそりとデジタル速度計があり、100系の最高速度である「220㎞/h」を誇らしげに表示している。大きな揺れもなく、1階からの景色を楽しもうか。もう、こういう視点から車窓を楽しむことはないのだから。


8号車グリーン車に移動すると、1階のグリーン個室はすべて埋まった。1室以外はすべてカーテンがかかっている。普段は周囲の目を気にして、ドンチャン騒ぎができないから、個室は気兼ねなく過ごせる利点がある。おそらく、“東海道新幹線100系フォーエヴァー”でグリーン個室を利用しているお客もいるだろう。ちなみに残念ながら、私はグリーン個室を1度も利用することはなかった。恋人や仲むつまじきグループやサークルを結成していたら、「乗ろうよ」と持ちかけていただろう。



100系は昭和60年(1985年)に入団。0系の後継車両だったが、東海道・山陽新幹線で初めて違うツラをした電車がやって来たので、話題性は大きく、特に2階建て車両が2両も連結していることに日本国民の関心が集中した。
デビューはその年の10月1日(火曜日)、東京-博多間の〈ひかり3・28号〉で、当時は試作車1本しかなく、故障はもってのほか。点検もずいぶん神経をすり減らすほどだったらしいが、故障は1度もなく、昭和61年(1986年)に量産車が登場するまで、頑張った(量産車は当初、2階建てと平屋車抜きの12両編成で、〈こだま〉で足ならし)。
2階建て車両は8・9号車にあり、前者は食堂車(2階客席、1階厨房)。後者の1階はグリーン個室、2階はグリーン車座席。平屋の10号車はグリーン車で、一部個室構造。グリーン車座席は足のせに代わり、レッグレストという、“太もものせ”とした。また、自由席・指定席はリクライニングシートで、背面に大型のテーブルがつき、なおかつ、3人掛け座席は回転ができるようになり、0系の簡易リクライニングシートでは不評だった向き固定が解消。更に各車両に電光掲示板を設けた。
余談だが、100系が採用した背面テーブルつきリクライニングシートと電光掲示板は、その後の新幹線電車や在来線特急車両に大きな影響を与えた。特に電光掲示板はタイプを問わず、現代の鉄道車両に欠かせない存在となっており、100系は新時代の基礎を作り上げ、高い功績を残した。
こうして、華々しいデビューを飾り、注目を集めた100系だが、財政難に苦しむ国鉄の威信と総力を結集した車両である。また、100系が入団しても、0系の増備を続けていた。
昭和61年(1986年)に量産車が登場。窓は個室以外、小型から大型になり、車窓もワイドに楽しめるようになった(食堂車は試作車から大型)。また、グリーン個室は9号車1階に集約し、10号車はすべてグリーン車座席に。また、グリーン車座席はレッグレストが不評だったため、従来の足のせに戻すと同時に背面テーブルもつけた。ちなみに0系は増備を打ち切った。
先ほども述べたが、昭和63年(1988年)3月13日(日曜日)から、食堂車に代わり、カフェテリアを投入して、グリーン車を3両化。また、1人用個室を減らし、4人用個室を新設した(既存の編成も改造)。
平成元年(1989年)3月11日(土曜日)から、JR西日本も100系3000番台を投入。『グランドひかり』の名がついたが、2002年11月23日(土曜日・勤労感謝の日)に運行を終え、4・6両編成化して、〈こだま〉に転用した。
100系シリーズは平成3年(1991年)で増備が打ち切られた。0系は22年も増備していたというのに、100系シリーズはわずか6年である。新幹線次世代車両の全盛期は意外と短いという兆候がこの時から表れ、まさか100系の寿命を縮めることになるとは思ってもみなかった。
平成2年(1990年)、300系が入団し、2年後に量産(1998年まで)。更に平成9年(1997年)、700系も入団し、こちらも2年後に量産(2005年まで)。これにより、平成11年(1999年)9月18日(土曜日)に0系が〈こだま473号〉名古屋行きをもって、東海道新幹線からフォーエヴァー。それから、わずか4年後の2003年9月16日(火曜日)、序盤でも述べたが、臨時〈ひかり309号〉新大阪行きをもって、100系は東海道新幹線から姿を消す。0系は35年も働き続けたのに対し、100系はわずか18年である。くしくも、活躍を開始した昭和60年(1985年)と終了する2003年は阪神タイガースが優勝している。また、東海道新幹線が開業した昭和39年(1964年)も阪神タイガースが優勝しており、これはなにかの運命なのだろうか?
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大晦日、東京から帰ってくる際、三つの選択肢があった。 ・夜行列車ないし夜行バスで帰る。 ・青春18きっぷを使って普通・快速列車を乗り継いで帰る。 ・素直に新幹線で帰る。 一つ目は流石に新年を車中で迎える気にはなれなかったのでパス。 二つ目も東京発が夕方になることを考えると無理がありすぎ…[続く]
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岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてー ごっこ









東海道新幹線2Fグリーン車。私は残念ながら乗車体験がありません。おかげ様で、いま、グリーン車の旅を楽しませて頂いています。新幹線車両では100系が最高。2F食堂でカレーライス、食後は珈琲に新聞。ちらりと窓の外を見ると、青空に真っ白な富士とくれば言うことはありません。何回か、そんな体験もあり感動したものです。
100系の次は500系が良いですね。他のは、どうにも好きになれないのです。でも、乗らないわけには行かず、辛いところです(笑)。
by む〜さん (2006-10-28 21:52)
引き続きのコメント、ありがとうございます。
100系は歴代の新幹線電車ではぜーったいに№1であることは言うまでもないでしょう。
500系の300㎞/hは衝撃的でした。2007年夏で東海道新幹線から撤退。“300㎞/h<ひかり>”転用計画があるとかないとかのウワサがありますけど、指定席をサルーンシートに改造しただけの16両編成でいて欲しいと思います。
by 岸田法眼 (2006-10-28 23:12)