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観客動員数70萬人突破記念、JR東日本横浜線100周年 [汽車旅2008番外編]

◆絹の道を鉄道に託して100年

2008年9月23日(火曜日・勤労感謝の日)、JR東日本東神奈川へ。ここは東海道本線と横浜線の駅で、2面8線という構造だ。  

ホームの1・4番線は東海道本線であるが、一般的かつ案内上、「京浜東北線」と呼ばれるもので、2・3番線は横浜線である(1番線で発車することもある)。2番線は横浜方面へ直通することがあれば、折り返し運転を行なうこともあり、“クセ”のあるホームである。  

3・4番線の西側は通過線で、内側は東海道本線にあたり、ここを走る普通電車、〈湘南ライナー〉、通勤快速、快速〈アクティー〉〈ムーンライトながら〉、特急〈踊り子〉〈スーパービュー踊り子〉、寝台特急〈はやぶさ・富士〉〈サンライズ瀬戸・サンライズ出雲〉は一般的に「東海道線」と呼ばれる。外側は東海道本線支線で、一般的に「横須賀線」や「湘南新宿ライン」の電車、特急〈成田エクスプレス〉や〈おはようライナー新宿〉〈ホームライナー小田原〉が通ってゆく。  

東神奈川は横浜線の起点で、神奈川という駅は京浜急行電鉄本線に存在する。ちなみに神奈川県に「神奈川」という名のついた駅は先述のほか、京浜急行電鉄本線の神奈川新町がある。個人的なことだが、横浜市は神奈川県であることにピンとこず、“横浜都”というような雰囲気があるように思う。実際、“横浜都民(横浜市に在住しているが、勤務先は東京都という人のこと)”が多いのだから。

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11時29分、2番線に横浜線100周年のヘッドマークをつけた各駅停車橋本行きが入線。そして、臨時快速〈横濱線100周年号〉八王子行きは2番線から発車する放送が流れる。

1・2番線へ移動すると、2番線の新横浜寄り先端にロープを張った。のちに3番線の新横浜寄り先端にもロープを張っているが、スペースに余裕があり、撮影スペースがあるのだ(1番線はちょっときつい)。


 

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11時40分に各駅停車橋本行きが発車したあと、11時42分、臨時快速〈横濱線100周年号〉八王子行きが入線。ジョイフルトレイン、『やまなみ』で、485系を改造したお座敷電車である。通常、横浜線は八王子方面を8号車、横浜方面を1号車となっているが、今回の臨時快速〈横濱線100周年号〉は逆となっている(4両編成のため、八王子行きは1号車、東神奈川行きは4号車となる)。  

横浜線は東神奈川-八王子間を結ぶ路線で、明治41年(1908年)9月23日(水曜日)、横濱鉄道により、開幕。しかも、最初から全通という珍しい路線である。当時、横浜港は上州(現在の群馬県)、信州(現在の長野県)などで作られた生糸の輸出が盛んで、多くは八王子で生糸商人に中継され、馬の背に乗せて運んでいた。  

明治5年(1872年)10月14日、新橋-横浜(現在の「桜木町」)間に日本初の鉄道が開幕。歴史に新たな1ページを刻むわけだが、横浜と八王子の生糸貿易商たちは“馬による生糸の輸送を鉄道に変えたら、どんなにいいだろう”と大きな関心を持つようになる。

日本に鉄道が誕生した直後、歴史的な大混乱を招く。

それはその年の11月9日、明治天皇は突如、政府の財政逼迫(Hippaku)を背景に太陽暦からグレゴリオ暦に切り替えることを発表したのである。太陽暦の11月9日はグレゴリオ暦の12月9日になるため、明治5年(1872年)12月はわずか2日目で大晦日となり、翌日から明治6年(1973年)へと変わったのである。もし、太陽暦で明治6年(1973年)を迎えた場合、この年は閏月となり、12月の13月が存在することになる。グレゴリオ暦の急な変更は官吏(Kanri)への月給を1年12か月分にするためだったのである。  

生糸商人の横浜側は原善三郎、八王子側は風車の弥七じゃなかった、谷合弥七ら13人が発起人となり、明治19年(1886年)、八王子-川崎間による武蔵鉄道を鉄道院に申請するものの、却下されてしまう。八王子側は早々に断念する。  

しかし、横浜側は鉄道敷設の情熱が強く、明治27年(1894年)、今度は横濱鉄道として、八王子-横浜間(この横浜は現在の「桜木町」のことで、駅名の改称は1915年8月15日に行なわれた)を鉄道院に申請するものの、またも却下。その後も申請を根強く続け、八王子、相模原、町田などの有力者を味方につけたが、明治32年(1899年)に原善三郎はこの世を去った。

原善三郎の熱い思いは身内の原富太郎が受け継ぎ、明治35年(1902年)に鉄道敷設は5度目の挑戦で認可。明治38年(1905年)に国から認可されたことによって、工事が始まり、単線非電化、蒸気機関車による運行で、明治41年(1908年)9月23日(水曜日)に開幕した。当時の途中駅は小机、中山、原町田(現在の「町田」)、淵野辺、橋本、相原のみである。

明治43年(1910年)4月1日(金曜日)、鉄道院が横濱鉄道を借り入れ、「八浜線(Happin Line)」と名づけられ、明治44年(1911年)12月10日(日曜日)、東神奈川-海神奈川間に横浜線貨物支線が誕生。大正6年(1917年)5月23日(水曜日)には原町田-橋本間で、標準軌での列車運転試験が行なわれたが、結局は狭軌の道を選ぶことになる。

大正6年(1917年)10月1日(月曜日)、国鉄が買収し、「横浜線」に改称。横濱鉄道が認可されたのは国鉄路線になった場合、すみやかに受け入れるという条件があったからだ。 大正14年(1925年)4月4日(土曜日)、東神奈川-原町田間で電化。しかし、これは東海道本線で電車運転を実現するための試運転設備に過ぎなかった。

昭和5年(1930年)4月1日(火曜日)、横浜線の貨物支線は東海道本線の所属に変更され、昭和34年(1959年)3月31日(火曜日)で役目を終えた。

昭和7年(1932年)10月1日(土曜日)、東神奈川-原町田間で電車運転を開始。昭和16年(1941年)4月5日(土曜日)には全線が電化されているが、戦後になると利用客が増加することを象徴するように新駅が次々と誕生。更に昭和39年(1964年)10月1日(木曜日)の東海道新幹線開幕もあり、昭和43年(1968年)2月4日(日曜日)、まず新横浜-小机間を複線化。同じ年の3月12日(火曜日)に大口-菊名間、3月19日(火曜日)に東神奈川-大口間を複線化している。

その後、昭和53年(1978年)10月2日(月曜日)に小机-中山間、昭和54年(1979年)はまず4月1日(日曜日)に中山-長津田間、7月15日(日曜日)に長津田-原町田間、9月14日(金曜日)には淵野辺-相原間が複線化された。

昭和55年(1980年)4月1日(火曜日)、原町田は400メートルほど八王子方へ移転し、「町田」に改称。これにより、小田急電鉄小田原線との乗り換えの利便性を大幅に向上させ、その年の9月27日(土曜日)、町田-淵野辺間を複線化した。

昭和62年(1987年)4月1日(水曜日)、国鉄からJR東日本へ。昭和63年(1988年)3月6日(日曜日)には完全複線化を完了させた。

その後、平成8年(1996年)4月27日(土曜日)、臨時特急〈はまかいじ号〉が誕生し、横浜-八王子間は途中、新横浜、町田、橋本に停車する。一時は189系も参入し、1日2往復の運行もあったが、現在は元の1日1往復に戻している。

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さて、『やまなみ』を使用した臨時快速〈横濱線100周年号〉八王子行きは満席とのこと。東神奈川-八王子間は42.6キロで、運賃は690円、グリーン車はE231系近郊形タイプのような自由席制度ではなく、指定席制度となっているため、750円かかる(首都圏近郊形電車のグリーン車の事前料金と同額だが、休日ダイヤは550円と若干安い)。特急のグリーン料金だと1000円以上するため、おトク感はある。

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「♪ポーニョ、ポーニョ、ポニョ、ヨコハマの子ぉー♪」  

『やまなみ』の“国旗”を見て、ふと思いついたが、11時52分、そう言いたげに発車。途中、新横浜、小机、中山、町田、橋本の順に停まってゆき、12時47分に終点八王子へ到着する。停車駅は通常の快速より少ないものの、所要時間は9分長い55分かかるが、全車グリーン車なのだから、時間をかけたほうがよりくつろげるだろう。ちなみに復路は58分かかる。

◆小机で100周年記念イベント  

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2番線に100周年記念ヘッドマークをかかげた各駅停車八王子行き(8号車クハ205-80)が到着し、11時57分に発車。横浜線最初の停車駅、大口は昭和22年(1947年)12月20日(土曜日)に誕生。両サイドには郵便局がある。

各駅停車八王子行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
小机8クハ205-80なし
 7モハ205-219なし
 6モハ204-219なし
 5サハ205-140弱冷房車
 4モハ205-220なし
 3モハ204-220なし
 2サハ204-1206ドア車
東神奈川1クハ204-80なし


私は平成11年(1999年)3月31日(水曜日)に大口に1度下車おり、まずは横浜大口郵便局へ入ったものの、貯金の窓口は十数人待ちだったが、そのスキに『旅と鉄道』で情報を入手した大口駅前郵便局へ行った。地元の知名度が低いのか、情報通りのガラガラで、待ち時間なしでゆうちょ。横浜大口郵便局へ戻ると、私の出番まで、まだ時間があった。こうして、効率のイイゆうちょをした思い出がある(関東在住のため、この場合は旅行にならず、「旅行貯金」ではなく、「ゆうちょ」と表現している)。

横浜大口郵便局



大口駅前郵便局

東京急行電鉄東横線乗り換え駅の菊名は大正15年(1926年)9月1日(水曜日)に誕生。横浜線初となる途中区間における新駅となった(東京急行電鉄の菊名は1926年2月14日に誕生)。

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12時06分、東海道新幹線と同時に開幕した新横浜に到着。昔は周囲が水田しかない状況だった新横浜も今や大都市に発展。乗降が多いからなのか、1分停車してから発車すると、進行方向に日産スタジアムが見え、12時08分、小机1番線に到着。隣りの2番線はジョイフルトレイン、『いろどり』を展示しており、かなりの人気である。

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485系1000・1500番台を改造した『いろどり』は強烈なフェイスで、まるで目つきの鋭い鷹のようだが、まずは自動改札機に向かって階段を登ると、記念のフラッグが目立つ。2種類あり、駅名で黄色くかこっているところは八王子以外、開幕時から設けられている駅で、白はあとから誕生した駅である。
 
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フラッグのデザインは横浜線沿線のJR東日本社員がデザインしたもので、改札内コンコースにはビニールシートをひいて、座布団、机、クレヨン、車両モデルの写真があり、なにかと思ったら、先着100名様の幼児を対象とした“お絵かきフラッグ”だった。白紙のフラッグで車両のイラストを描いてもらうもので、その場で掲示。なかなかの力作である。  

改札内コンコースはほかにパネルの展示が行なわれており、興味深いのは『横浜線の謎』で、これは「へぇー」を連発すること間違いなしのないようだが、一部は文字が欠落しており、本文の結末が謎になっているものがある。  

いよいよ、2・3番線へ下り、目玉といえる『いろどり』を展示している2番線へ行こう。

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近年、JR東日本のジョイフルトレインは老朽化した客車を置き換えていることが多く、フットワークを重視したのか、485系を改造したものに置き換えられているが、『いろどり』は原形を残している。強烈なフェイスにヘッドマークはLCDというイデタチ。国鉄特急形車両のヘッドマークは幕式が一般的だが、JR東日本651系とE257系シリーズ、JR西日本キハ187系はLEDを採用しており、今回の『いろどり』は日本初ではないかと思われるLCDである。これなら手作りの絵入りヘッドマークがカンタンに表示できるので、メリットは高そうだが、ちょっと見づらい。これだと幕にインプットされていない場合でよく使うシール貼りヘッドマークのほうがよさそうだ。  

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『いろどり』は6両編成で、横浜線の電車と同様、八王子方面を1号車、東神奈川方面を6号車としている。この日、臨時快速〈横濱ものがたり号〉として松本を6時52分に発車、終点東神奈川には10時39分に着いて、2時間しかたっていない。復路の東神奈川発は18時02分(終点松本22時14分着)なので、16時00分まで(最終入場15時45分まで)展示しているのだ。もちろん、これはタダの展示ではない。

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6号車は語り部公演、5号車は抽選会場のため、一般公開は1~4号車まで。乗ればグリーン料金を払うことになる『いろどり』だが、止まっていればタダ。そのため、人気は高く、入口の4号車に入るのだが、ステップが埋め込まれており、ノンステップになっていた。ホームからだと1段高いため、入りづらい。

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中に入ると、ラウンジカーになっており、天井はフラットになっており、網棚がないこともあいまって、広々とした空間だ。ラウンジカーのソファーは進行方向左側だけである。  

ほとんどは家族連れに占拠されており、飲食の場と化している。ジョイフルトレインではもっともな使い方である。また、東神奈川寄りには多目的室を設置。まるでロビーカーの個室版のような雰囲気である。

3号車に入ると、いきなりマッサージチェアに遭遇。マッサージチェアは高価な品物で、電気屋のお試しコーナーでしか利用する機会がないのだが、車窓を見ながら疲れをいやすにはもってこいだろう。  

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その先は4人用コンパートメントで、フラットスペースにすることも可能なくつろぎの空間で、あぐらをかくことができる。そのあと、デッキなしで洗面所とトイレへ。この構造には衝撃を受けた。さいわい、乗降用のドアはないが、このような構造は賛否両論が飛び交いそうだ。これは2号車の八王子寄りもデッキがない。
 
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1号車は座席で、1人掛けと2人掛けのゆったりしたリクライニングシートで、太もものせを装備。乗務員室寄りはミニサロンとなっており、モニターでは前面展望の生中継が行なわれている。

◆100周年なのだから八王子まで  

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『いろどり』を出て、1番線に戻り、13時09分発の各駅停車八王子行き(8号車クハ205-62)へ。途中の町田で快速八王子行き(8号車クハ205-76)の接続をとるため、次の鴨居で乗り換える。こういうことをするのは、まれに東京急行電鉄(通称、「東急」)田園都市線を利用するが、渋谷方面の場合、鷺沼で急行の待ち合わせをする案内が流れると、座席に坐ることができるよう、あざみ野で乗り換えることが多いからである。

各駅停車八王子行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
鴨居8クハ205-62なし
 7モハ205-183なし
 6モハ204-183なし
 5サハ205-122弱冷房車
 4モハ205-184なし
 3モハ204-184なし
 2サハ204-1026ドア車
小机1クハ204-62なし

早めに乗り換えても終点八王子まで坐ることはできなかったが、鴨居は昭和37年(1962年)12月25日(火曜日)に誕生した駅である。  

中山は2面3線の構造で、下りは1番線しかないが、上りは2・3番線があり、ここで快速と各駅停車の接続が行なわれている。また、横浜市交通局4号線(グリーンライン)の接続駅にもなり、1番線は東神奈川寄りにホームを延ばし、合わせて電車の停止位置も変更している。  

この日は横浜線100周年ということもあってか、ホームや沿線は撮影体の姿が多く、気合いのこもった撮影をしているが、快速八王子行きはタイフォンを勢いよく鳴らし、十日市場を通過。この駅は成瀬と共に昭和54年(1979年)4月1日(日曜日)に誕生した。
 

快速八王子行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
八王子8クハ205-76なし
 7モハ205-211なし
 6モハ204-211なし
 5サハ205-136弱冷房車
 4モハ205-212なし
 3モハ204-212なし
 2サハ204-1166ドア車
鴨居1クハ204-76なし

田園都市線に合流し、長津田へ。田園都市線、こどもの国線の乗り換え駅である(こどもの国線は東急の管轄だが、車両と施設は横浜高速鉄道が所有)。ここは東急の車両の搬入口にもなっており、甲種輸送が見られるところでもある。

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田園都市線のホームでは東急8500系の各駅停車中央林間行きが東京地下鉄8000系リニューアル車の急行中央林間行きに連絡。横浜線ホームの八王子寄りには100周年記念の横断幕が掲げられている。



 

発車すると、田園都市線と別れ、そのあと、進行方向右側に東急長津田検車区が現れ、それに沿って走る。田園都市線の車窓では長津田検車区を眺める余裕がなく、他社の横浜線で車両が休む姿を見ることができるが、この日は東武鉄道50050系が入庫していた。また、2代目6000系の屋根が深紅に輝いており、大井町線の急行形電車なだけに相当な意気込みを感じる車両といえるだろう。  

通過の成瀬から一旦、東京都に入り、町田4番線に到着。ここで各駅停車八王子行きとの接続が行なわれる。ホームは2面4線となっており、上下線とも待避が可能な駅となっているが、快速が走る路線にしてはそういった設備が少ないように思える。  

町田を発車すると、再び神奈川県に戻り、昭和63年(1988年)3月13日(日曜日)に誕生した古淵を通過。国鉄からJR東日本に変わった横浜線にとっては初の新駅となる。  

通過する矢部は昭和32年(1957年)10月1日(火曜日)に誕生。この駅の前身は昭和25年(1950年)9月1日(金曜日)、在日アメリカ陸軍の輸送を目的に「相模原仮乗降場」を作ったが、7年後に誰でも利用できる駅になった。  

相模原に到着し、ここから先は各駅に停まるが、停車駅が多すぎるように思う。 横浜線の快速は昭和63年(1988年)3月13日(日曜日)に登場。それまで定期運行は各駅停車だったが、前年の昭和62年(1987年)から平成元年(1989年)にかけて、臨時急行〈白馬山麓スキー号〉を逗子-南小谷間で走っており、快速を運行しても問題ないと判断したのではないかと思う。

快速は当初、根岸線の駅から東神奈川までは各駅に停車し、新横浜、鴨居、中山、町田、橋本から先は再び各駅に停まっていた。

車両は103系を使用し、山手線と同じウグイス色のボディーに「横浜線」のデカいヘッドマークを掲げて運行していたが、昭和63年(1988年)7月に205系の投入が決定。山手線用の205系4両編成を借りて、乗務員訓練を実施し、万全磐石の態勢で営業運転に備えるようにした。また、平成5年(1993年)には保安装置の改造により、車両数が不足するため、山手線用の205系をもう1度借りて、営業運転に就いている。山手線205系は種別幕がないため、快速運用時は乗務員室に快速のプレートを用意して、掲示していた。

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横浜線用の205系は昭和63年(1988年)9月22日(木曜日)から営業運転を開始。JR東日本で山手線以外では初めての投入となったが、205系はドア窓の寸法を拡大、種別幕の設置など、若干の変更が行なわれ、その後の増備車にも継承された。

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103系ではヘッドマークをつけての運行だったが、205系は下り便に関しては方向幕の上段に横浜線、下段に行先を表示することとなったが、のちに種別幕にも「横浜線」が表示されることになるものの、各駅停車しか表示できなかった。

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205系は当初、車体の帯を①レッド、②ウグイス色とブルーの組み合わせ、③ウグイス色とグリーンの組み合わせの3つを提示して、利用客にアンケートを行なったところ、③の投票数が多く、それに決定した。103系は沿線の人々に愛着があり、また、緑あふれる車窓もあることから、③のカラーが1番イイと利用客の多くはそう思ったのだろう。

205系の投入は急速に進み、平成元年(1989年)2月26日(日曜日)をもって、103系は横浜線から姿を消した。また、平成元年(1989年)7月には総武本線の各駅停車用に205系の投入が決定したため、横浜線用が貸し出され、乗務員訓練をして、導入に備えている。

平成6年(1994年)12月3日(土曜日)、利用客の増加にともない、サハ204形100番台を増結し、8両編成化。そして、快速は長津田を停車駅に加え、田園都市線、こどもの国線乗り換えの利便性向上をはかる。ちなみにサハ204形100番台は205系シリーズ、最後の増備となった車両である。

その後、快速の停車駅は増え、平成9年(1997年)4月1日(火曜日)、新設された八王子みなみ野、平成10年(1998年)3月14日(土曜日)には相模原にも拡大された。また、快速は駅の通過時に減速するという難点があったものの、平成11年(1999年)12月4日(金曜日)から信号システムの改善もあって、スピードアップされるようになる。

2006年3月18日(土曜日)には菊名にも停車。これで他社線乗り換え駅はすべて停まることになり、現在に至っている。

規模の大きい留置線を過ぎ、京王電鉄相模原線に合流すると橋本へ。向かいのホームには100周年ヘッドマークつきの始発の各駅停車桜木町行きが発車を待っているが、ここは相模線の乗り換え駅でもあり、朝夕ラッシュ時は橋本-八王子間を直通運転する。

再び東京都に入り、片倉へ。ここは昭和17年(1942年)11月14日(土曜日)、当時は単線のため、行き違いができる信号場として誕生し、昭和32年(1957年)12月28日(土曜日)、駅に昇格されている。

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片倉を発車すると、京王電鉄高尾線をくぐり、中央本線と八高線に合流すると、13時53分、終点八王子5番線に到着した。向かいの6番線には13時55分発の臨時快速〈横濱線100周年号〉東神奈川行きがまもなく発車を迎えようとしていた。



「パーオー、パーオー」  

と愉快な警笛を鳴らして、東神奈川に戻るのであった。

★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!



②フリー百科事典『Wikipedia「横浜線」』はこちらにクリック!!

※イベント会場のボードも見ており、照らし合わせながらの記述となっています。

③フリー百科事典『Wikipedia「桜木町駅」』は
こちらにクリック!!

④フリー百科事典『Wikipedia「天保暦」』は
こちらにクリック!!

⑤フリー百科事典『Wikipedia「グレゴリオ暦」』は
こちらにクリック!!

⑥フリー百科事典『Wikipedia「菊名駅」』は
こちらにクリック!!

⑦フリー百科事典『Wikipedia「ジョイフルトレイン」』はこちらにクリック!!

⑧フリー百科事典『Wikipedia「東急こどもの国線」』は
こちらにクリック!!

⑨勤労感謝の日は昭和23年(1948年)に制定しています。

⑩鉄道ニュース「横浜線100周年記念で『いろどり(彩)』走る」は
こちらにクリック!!

⑪鉄道ニュース「快速“横濱線100周年号”,『やまなみ』で運転」は
こちらにクリック!!

⑫レールファン音楽館スタッフの部屋「横浜線開通100周年でイベント列車2本運転!」はこちらにクリック!! 

⑬岸田法眼のRailway Blog.「元旦終夜運転2007」はこちらにクリック!!

⑭岸田法眼のRailway Blog.「横浜市交通局4号線-3」はこちらにクリック!! 

⑮岸田法眼のRailway Blog.「東京急行電鉄2代目6000系試乗」は
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コメント 4

あーちゃん&父

b(^o^)d w(^0^)w オッハー♪
あぁぁ、横浜線の100周年って23日だったんですかぁ…
うちからは60円切符の「大回り」でも横浜線沿線は行けたのに…
釣りなんかいってる場合じゃなかったですね(^_^;)
by あーちゃん&父 (2008-09-25 06:34) 

UZ

お疲れ様です。横浜線は新横浜ー東神奈川間、橋本ー八王子間しか乗車する事がなかったので、記事を拝見していい勉強になりました。


by UZ (2008-09-25 08:03) 

岸田法眼

あーちゃん&父さん、どうもありがとうございます。ずいぶんはじけてますねぇー。

釣りに行っておりましたか。私は芸能人球団のクラブチームの野球観戦に行こうかどうか迷いましたが、こちらを選びました。費用が安いことや雨天中止がないからでしょうか。
by 岸田法眼 (2008-09-25 22:58) 

岸田法眼

UZさん、どうもありがとうございます。

当初は“2時間以内に書き上げる記事になるだろう”と思って乗り込んだら、倍はかかっちゃいました。

帰宅してからも意外なことに気づき、夜遅かったこともあり、書き上げるのに2日間かかりましたが、多くの方々に見ていただいているので、ありがたいです。
by 岸田法眼 (2008-09-25 23:04) 

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