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2005年の汽車旅6-後編- [汽車旅2005]

2005年9月4日(日曜日)、広島駅前は曇天気味の生ぬるい風が吹き、「貨物ヤード跡地にドーム球場建設を」というノボリが鯉のぼりのように泳いでいた。実現すれば当然、広島東洋カープは本拠地移転ということになる。

「おはようございます」

と広島駅の駅員が見知らぬ私に声をかけるとは驚いたが、意外にも“広島シティネットワークエリア”と銘打っておきながら、自動改札はない。

◆広島シティネットワークエリア

①山陽本線白市-岩国間

②可部線全線

③芸備線狩留家(Karuga)-広島間

④呉線広-海田市間



普通電車白市行きは115系2000番台体質改善車8両編成だったので、次の普通電車岡山行きに期待したが、湘南カラーの4両編成にガッカリ。でも、転換クロスシートGET!!(乗車車両はモハ115-3505:元117系)。

 

前日に比べ、117系のテイストを充分残した車両だが、ドアの数が違うので、ややこしそう。

福山からお客が増えだし、倉敷で“.com”へ。ちなみに地元の人は新倉敷を「シンクラ」と略している。

庭瀬-岡山間の新駅は「西岡山」になる模様で、終点岡山に到着。

終点岡山は改良工事中で、15・16番のりばのあいだは舗装され、なにをつくっているのだろうか?

快速〈マリンライナー17号〉高松行きは5000系グリーン車の運転台にブルーリボン賞受賞のカードを飾っていたが、車内にプレートは見当たらない。また、5000系と223系5000番台はパンタグラフの増設が可能な構造になっており、JR東西線に乗り入れる日がくるかもしれない。あるいは新快速と快速〈マリンライナー〉が合体した“夢電車”があるかも。

「ねぇーよ!!」

爆笑問題の田中裕二なら、こうツッコむだろう。

山陽新幹線では自動改札を設置。女性駅員がはりついて、わからないお客に対応。ちなみに私は先日、定期券を取り違えるハプニングがあり、まいった(自動改札を出ようとしたら、男子高校生の定期券に化けていた?!)。

余談だが、この日は宇部線沿線で不発弾処理が行なわれている。あのまま山口県の路線制覇を志していたら、どうなっていたことか…

一旦、岡山で下車し、まずはひと息。今日は一歩間違えると、キツイ行程なのだ。



普通電車播州赤穂・和気行き(クモハ115-1515:転換クロスシートを装備していない体質改善車で、播州赤穂行きに乗車。東岡山からワンマン列車)へ。

東岡山で客扱い終了後、ドアを閉めて、切り離し作業を行ない、冷房がストップ!! ちなみに普通電車和気行きは引き続き、車掌乗務である。

終点播州赤穂で新快速京都方面野洲行き(4号車クモハ223-2076:大阪まで女性車掌乗務)に乗り換えるが、“8両だから楽勝”と思っていたのに、姫路まで4両。やむなく補助シートに坐るものの、相生で終点となる普通電車の乗り換え客で、たちまち“.com”。

姫路で8両増結するため、多くのお客は移動するが、電車の姿はなく、怒りの下車(と言いつつも、コンビニで昼食を購入しただけ)。



新快速米原方面長浜行き(7号車サハ223-1038:女性車掌乗務)へ。

300系第7編成の〈ひかり372号〉東京行きと同時発車するが、残念ながら、勝てなかった。

“221系の刺客”と言える223系1000番台は久々の乗車で、クッションパネル(一部は補助シートがない)の下部は白という新たな発見をした。ちなみに入団してから、ちょうど10年になる。

元町を通過すると、各駅停車JR東西線経由松井山手行きと神戸高速鉄道の特急梅田行き(阪急神戸本線直通)をダブル抜き!! 気分爽快!!

大阪で大幅に入れ替わり、発車すると、淀川では『干潟再生実験中』の大きなタテフダ。海ならわかるが、川の干潟は聞いたことがなく、うまくいくかどうか?

当初は京都で普通電車米原行きに乗り換えるつもりだったが、長岡京で抜いた車両が“天敵”だったため、乗車は米原まで続行(加古川で乗り換えるべきだった?!)。

近江八幡から雨が強くなり、米原に到着。700系の〈のぞみ19号〉博多行きは強く降る雨を怒濤の如く、蹴散らしていた。ちなみに雨は岐阜県に入ったところで、やんだ。

普通電車大垣行き(クモハ211-5039:ロングシート&女性車掌乗務)に乗り換え、終点で特別快速豊橋行き(クモハ313-10)へ。



車掌はJR西日本バリに自社の宣伝をたらふくしていた(本家はおそらく、2005年内は自粛であろう)。



終点豊橋で普通電車静岡行き(モハ112-2048:リニューアル車。浜松から女性車掌乗務)に乗り換え。

終点静岡で下車し、ゴールの東京まで、もうひと息!! 早朝からの乗り継ぎ帰京も残すはアレだけ!!



晩メシを購入し、静岡に戻り、“366M”こと、373系の普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-5:熱海まで女性車掌乗務)に乗って、無事に帰京した。


2005年の汽車旅6-中編- [汽車旅2005]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

寝過ごしで西広島まで乗ってしまい、快速〈シティライナー〉岡山行き(モハ114-322)に乗って、広島で下車。



遅い昼メシをチョイスしたあと、広島電鉄[広島駅電停]の2号線広電宮島口行き『GREEN MOVER』(5004B)に乗り換え、原爆ドーム前で下車。そしたら、「3番、ライト、高橋由伸」というウグイス嬢のアナウンスが…

広島は2002年以来、3年ぶりの来訪。戦後60年なので、気になっていた。

ひと通りまわり、若者や外国人観光客が多かったのは意外だったが、平和への思いを新たにした(慰霊碑にサイセン箱があるとは知らなかった)。



巨人戦は観戦せず、徒歩で広島高速交通広島新交通1号線“ASTRAM LINE”の本通駅へ向かい、広域公園前行き(6615:ワンマン)へ。

城北までは地下を走るという、新交通システムでは珍しく、運転士も乗務している。

広島電鉄同様、車内はケータイ電源OFFで、MAX58㎞/hで快走している。なんせ、ノッチは4速より上位の定速で運転しているから。

大町で“.com”となり、伴(Tomo)は甲子園優勝経験ありの広陵高校最寄り駅、長楽寺で運転士がChange!!

「コンビニの店員みたいやで」

彼氏と共に乗った広島弁サクレツの彼女が茶髪の運転士を見た印象だが、私ならこう言う。

「社員教育がなっていない」

だからといって、接客態度に問題がない限り、苦情は出さないだろう(2005年4月、名古屋市交通局に「ベテラン職員の客に対する態度が悪い」と苦情メールを出したら、2か月後に詫び状が届いた)。

その長楽寺は交通科学館最寄り駅で、車庫の上にある。山の高台にあり、絶景。

車内は盛況のまま、終点広域公園前に到着し、全線完乗達成!! そして、お客の大半は広島ビッグアーチへ直行し、サンフレッチェ広島VSジェフユナイテッド市原戦を観戦。山に囲まれているので、ファンの声援は“やまびこ”のようになるのだろう。

私は大のサッカー嫌いなので、当然、観戦するワケがなく、本通行き(6109:ワンマン)に乗って、大町でJR西日本可部線の普通電車広島行き(クモハ105-19:体質改善車)に乗り換え。



105系体質改善車は一部が固定窓となり、通り抜けドアも開けやすくなった。但し、塗装はそのまま…

横川(Yokogawa)で山陽本線の快速〈通勤ライナー〉岩国行き(モハ114-3512:元117系)に乗り換え。

乗車した車両は転換クロスシートはかなり撤去された印象がある。ちなみに先頭車は115系3000番台也。

宮島口で下車し、宮島連絡船宮島桟橋行き『みせん丸』へ。

2002年以来、3年ぶりの宮島は特に変わったことはないものの、厳島神社では『厳島神社社篭』という祭りを開催し、“踊る、歌う、狂う”と3拍子そろった宴で、これとはカンケイのなさそうな屋形船が厳島神社の大鳥居を何度もくぐっていた。

広島お好み焼きを食べ、宮島連絡船宮島口桟橋行き『みせん丸』へ。

宮島口から普通電車広島行き(モハ114-3007)に乗り、終点で下車し、インターネットカフェに泊まった。


2005年の汽車旅6-前編- [汽車旅2005]

2005年9月2日(金曜日)、東京から快速〈ムーンライトながら〉大垣行き(9号車指定席クモハ373-9:名古屋止まり)で旅立ち。

新橋で安全確認をするハプニングに見舞われ、定刻より、7分遅れで東京を発車(数分遅れの発車は日常茶飯事?!)。

“栄光の3番席”に坐るものの、1・2番席がセミコンパートメントのため、ドアのすぐ近くなので、ダブルで運が悪い…

小田原で自由席に変わり、ボガスカ乗車し、足の踏み入れる場がない状態。また、373系の一部車両はドアチャイムをつけたり、通り抜けのドアに『愛・地球博』のステッカーが貼ってあった。

名古屋で車両を移動(1号車自由席クハ372-12)。なんとかコンタクトレンズをつけることができた。



終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路方面網干行き(1号車クハ221-59:弱冷車)に乗り換え。アーバンネットワークのエースは相変わらず快適!! このまま新快速として、姫路へ直行してくれれば、なおさらいいのだが、かなわぬ願いだろうか?

米原に到着する頃、JR東海の車掌は何度も「琵琶湖線」を口にしていた。東海道新幹線の自動放送でも、こんな案内はしないのに珍しい。

余談だが、琵琶湖線は長浜-京都間の路線愛称で、当初は米原-大阪間を「JR京都線」にするつもりだったが、沿線住民が猛反対により、現在のようになった。2006年秋になると琵琶湖線は敦賀-長浜-京都間に規模を拡大するだろう(長浜-姫路間を「京阪神ホットライン」に改めたほうがいいと思うが)。

近江八幡まで乗りたいけど、米原で新快速(姫路から臨時普通電車)岡山行き(①米原-姫路間は1号車クハ222-2021:弱冷車②姫路-岡山間は10号車改め6号車サハ223-2074)に乗り換え。

滋賀県内は一部の水田は稲がなぎ倒されたり、収穫したりと様々。つくばエクスプレスに負けじと駆け抜ける。

京都では117系100・300番台の混結編成に遭遇し、山崎-新大阪間は“「電車男」という名の撮影隊”が“「エルメス」という名の列車”を待ち伏せていた。

大阪が近くなると、『ザ・梅田タワー』という30階はあろうかという超高層マンションに遭遇。すでに完売したという。高所恐怖症の私にはムリなことである。

大阪を発車すると、5〜12号車は臨時普通電車として、岡山まで延長運転することが発覚し、姫路で車両を移動するが、行先LEDや駅の案内は「姫路」のまま。とんだ“隠しダマ”にあった。

実は旅立つ直前、この電車の存在を知り、針路を岡山で決めることにしたが、今回の旅はツキがない(1号車に乗っているから)。

余談だが、223系2000番台はパンタグラフを増設できる構造になっており、JR東西線に乗り入れる新快速を夢見ている。

加古川を発車すると、1〜4号車だけ案内放送を流し、姫路に到着すると、一旦、種別幕を「回送」にして、まずは切り離し作業。



特急〈スーパーはくと3号〉倉吉行きが発車すると、1〜4号車は網干総合車両所へ回送され、5〜12号車は1〜8号車に改め、種別幕も回送から「急行」「ホリデー」「JR」「団体」を経て、「臨時」に。行先LEDも一旦は消滅したものの、「岡山」を点灯させ、10時22分に発車。

「この電車は、臨時、岡山行きです。」

一部のドア上についているLED情報案内装置は上記の文字がくりかえし流れるだけだった。



終点岡山で快速〈シティライナー〉下関行き(クハ115-2117:体質改善車)に乗り換え。2つ続けて、『JR時刻表』を1ページまるまる埋める電車及び、3連続転換クロスシートの乗り継ぎとなる。

岡山-庭瀬間で新駅工事現場があり、開業が近いようだ。

西阿知-金光(Konkoh)間で、山陽新幹線の高架と“伴走”するが、支柱が黒、“受け皿(アレ、なんて言うの?)”が白が一部区間であった。耐震強化のほかに、工事のさい、海砂を使用していたため、劣化を防いでいるのだろうが、痛々しい。

笠岡で快速〈サンライナー〉福山行きワンマンカーと待ち合わせ。“快速が快速に道を譲る”というヘンな光景だが、213系グリーン車を快速〈サンライナー〉〈シティライナー〉のどちらかに使って欲しかった気がする(あの改造先頭車は無残かつ、あわれな姿だと思う)。

東尾道-糸崎間は瀬戸内海オーシャンショーで、本州で1番綺麗な“ワイドアイランド広島”の海を満喫!! できれば、しまなみ街道を歩いてみたい(渡り切るのに何時間かかるんだ?)。

「♪人生楽ありゃ、苦もあるさ♪」

といった感じで、歩けばコワくないだろう。


2005年の汽車旅5-最終回 [汽車旅2005]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。



Suica対応の小牛田から普通電車仙台行き(クハ718-1:仙台から福島行き)に乗り、終点で常磐線の普通電車いわき行き(クハ455-316)に乗り換え。



仙台の455系などといった国鉄産車両は先頭の種別幕を行先LEDにして、長寿命化しているようである。

終点いわきで普通電車(取手から快速)上野行き(4号車クハ411-701:最後部11両目)に乗り換え、帰京。北海道の鉄道完全制覇の旅を無事に終えた。


2005年の汽車旅5-7 [汽車旅2005]

2005年8月17日(水曜日)、急行〈はまなす〉青森行きは函館に到着し、車掌に地震関連の最新交通情報をきくも、前日と変わらない状況で、5番ホームは789系を留置して、帰れないお客を救済する“列車ホテル”となっていた。また、特急〈つがる〉〈白鳥〉〈スーパー白鳥〉も大半は運休していたそうで、この日はわからないという。

もしもの場合は臨時快速〈きらきらうえつ〉新潟行きで遠回りし、上越新幹線で帰京することも考え、函館から先はよく眠れなかった。ちなみに青函トンネルに入ったのは4時06分で、出たのは4時47分。すでに夜は明けていた。

終点青森に到着すると、特急〈つがる2号〉八戸行き(E751系)が何気なくスタンバっている。

一部のお客は東北本線及び東北新幹線の運行状況を問い合わせており、情報は錯綜したものの、最終的には一部区間で徐行ながら、どちらも平常運行となり、ホッとしたぁー。ちなみに“ズッコケ3人組”の1人とまた会った。どうやら、函館で急行〈はまなす〉青森行きに乗っていたようである。



自由席大入り満員御礼の特急〈つがる2号〉八戸行きをあきらめ、普通列車八戸行き(キハ40 565:非冷房車)へ。

野辺地で特急〈つがる6号〉八戸行き(485系3000番台)の待ち合わせをするが、信じられない光景を目にした。

それはオバサン客が1号車指定席のドアが開かないので、ムリヤリ開けようとしたのである。それも乗務員室。

オバサン客はそれに気づいて、苦笑いを浮かべながら、後方の乗降用ドアにスタコラサッサと移動したが、運転士はあわてて運転席の窓を開け、すべての乗車客が乗り込むのを見届け、何事もなく、発車した。

終点八戸付近になると、東北新幹線の延伸工事が始まっており、高架が姿を現した(たんぼの下に東北新幹線が走るとは…)。

一旦下車し、みどりの窓口は長蛇の列!! 前日、乗れなかった人たちが多く、JR東日本は立席利用としたうえで、着駅で払い戻す対応をとっていた(新幹線特急料金のことだろう)。そのため、自動改札はストップさせ、混乱を防いでいた。



私は盛岡までの乗車券と特定特急券を購入し、遅れている東北新幹線〈はやて6号〉東京行きを避け、次の〈はやて8号〉東京行き(10号車指定席E224-1114:特定特急券利用)へ。

ある事情により、最後列の2人掛け座席に坐り、定刻通り、発車!!

〈はやて〉用のイメージメロディーがあるのかな?”と思ったが、いつも通り。なおかつ、レールファンで知られる堺正幸フジテレビアナウンサーのナレーション、いやいや、自動放送も変わらない。〈のぞみ〉のように別格というワケではないらしい。

「へぇ~」

余談だが、ほとんどの〈はやて〉は盛岡まで余席はあっても、そこから先は売り切れである。

“トンネルを抜けたら駅”というパターンが多く、更に前日の地震で乗れなかった人たちであふれていたせいか、車窓を楽しむどころではなく、いわて沼宮内で正規の指定席券を持った家族連れが乗ってきたため、明け渡した。そのあと、私は向かいの3人掛け座席(通路側)に坐った。

盛岡に到着し、東北新幹線全線完乗を達成!! これにより、すべての新幹線路線を完全制覇した(数年たてばリセット)。



盛岡で秋田新幹線〈こまち8号〉東京行きと合体!! 初めて見る光景だが、緊張感がただよう。ちなみに〈こまち8号〉東京行きはE3系第17編成也。

盛岡の有人改札で乗車券を記念にとってもらうよう、お願いしたら、無効印を事故印に押し間違えるハプニング!! これは地震後のきっぷの取り扱いの問い合わせなどで混乱しているからであろう。また、みどりの窓口やコンコースは人であふれていた。ちなみに自動改札は通常通り、稼働。

盛岡から東北本線の普通電車一ノ関行き(クハ700-1008:夢塗装車)へ。



“夢塗装車”は義経ブームに便乗したもので、10月から面積が拡大する一関市は力を注いでいるようだ。



終点一ノ関では485系1500番台の団体に遭遇し、下車。一関駅前郵便局、一関田村町郵便局、一関郵便局で旅行貯金。しかし、一関郵便局は待ち時間は長く、局員が窓口をしめて昼休みに入るなど、お客の身になって考えない行動に怒り心頭。ちなみに一ノ関某所で静態保存されているSLを見た。



ギリギリで普通電車仙台行き(クハ700-1518)へ。

本来は小牛田までワンマンカーだが、地震の影響か、車掌が乗務している。

2両の車内は混雑しており、30過ぎでも坐り込む者がいて困ったものだ。

油島-石越間、田尻-小牛田間は揺れが激しかったところなのか、徐行運転を行ない、一旦停止も行なうほど。それ意外の区間は何事もなく快走し、小牛田に到着。前4両増結し、乗り移るお客が圧倒的に多かったが、それでも全員着席にはならなかった。



私は小牛田で下車し、小牛田郵便局で旅行貯金した。


2005年の汽車旅5-6 [汽車旅2005]

それでは続きとまいりましょう。It's Show Time!!

南千歳で快速〈エアポート185号〉札幌経由小樽行き(4号車指定席サハ721-4204:uシート)に乗り換え。ちなみに2日連続で4号車3番D席也。



721系指定席uシートの新製車は初めての乗車で、難点は前回に記した通りだが、改造車に比べると、LED情報案内装置の充実している(改造車は文字ニュースしか流さない)。

東北地方の地震により、寝台特急〈北斗星〉は運休となっているが、実は運休のはずの臨時寝台特急〈北斗星82号〉とすれ違った。いったい、どこへ向かうのか?



札幌で下車し、晩メシは北海道ラーメン。食後はおみやげを買って、急行〈はまなす〉青森行き(9号車自由席オハ14 531)に乗り込み、明日は天下分け目の青森で私はどういう決断を下すかがカギを握る。

余談だが、札幌-手稲間に〈ホームライナー〉がキハ283系と785系で運行している。乗車整理券100円という安さのせいか、前者はグリーン車、後者はuシートに乗ってくるお客が多いようだ。また、721系uシート連結の普通電車もタダで乗れるせいか、人気は高い。なんだか、JR東海の〈セントラルライナー〉に乗っているのがバカバカしく感じる。


2005年の汽車旅5-5(北海道の鉄道完全制覇達成!!) [汽車旅2005]

2005年8月16日(火曜日)9時、北海道の鉄道完全制覇に王手がかかり、札幌時計台の鐘の音を聴くことができた。

この日の札幌は予想外に暑く、快速〈エアポート96号〉新千歳空港行き(1号車クハ721-5102)へ。先頭車以外は21世紀産の車両だが、座席と窓ワクの位置が合わないところが多いのが残念なところ。また、3号車のトイレは便座の位置が変わっている。



1・6号車は221系を彷彿させるシートモケットなので、ごきげん。ちなみに前日、坐った21世紀産車両の転換クロスシートはうしろがロングシートで、なおかつ、空間があったため、荷物を置かせていただいた。



どちらがいいかは皆様にお任せするが、たぶん「指定席uシート」と答えると思う。あれも2ドアにして格調の高さをアピールしてもよかったと思う(首都圏のグリーン車も指定席uシートにすればいいのに)。



千歳で普通列車新夕張行きワンマン列車(キハ40 1771:非冷房車)に乗り換え。

乗車車両は1992年に函館運転所、2005年に苗穂工場で改造を受けているが、天井の扇風機はなく、スイープファン(風を均等に回すヤツ)をつけたものの、効き目がなく、みんな窓あけ。

南千歳から石勝線に入ると、畑が大自然の雄大さを感じ、圧巻。そして、私はあることに気がついた(それはのちほど)。

南千歳-追分間にある西早来信号所で特急〈スーパーおおぞら2号〉札幌行きと行き違いをするも、冬では撮れないケータイ動画を撮りそこねたのは痛い。

追分で特急〈とかち3号〉帯広行き(ハイデッカーグリーン車つき)と待ち合わせ、川端で特急〈スーパーおおぞら4号〉札幌行きと行き違うなど、のんびりしている(そういえば、特急〈スーパーとかち〉の2階建て車両はいずこへ?)。

終点新夕張で始発の普通列車夕張行きワンマン列車(キハ40 715:非冷房車)に乗り換え。

そして、12時22分、終点夕張に到着し、石勝線全線完乗と同時に“北海道の鉄道完全制覇”を達成!!



1998年12月にJR北海道海峡線を全線完乗してから、6年8か月で“金字塔”を打ちたてた。これもすべて私のおかげ?!

これで札幌雪まつりか北海道新幹線が開業するまでは渡らなくてもいいことになるので、ちょっとさびしい。

夕張で下車し、夕張郵便局で旅行貯金するが、NHK総合テレビでは宮城県で震度6弱、津波注意報が発令されることを知り、ビックリ仰天!! 帰京できるかどうかが気になるところ。

普通列車追分行きワンマン列車(キハ40 1771:非冷房車)に乗り、新夕張で私以外のお客は特急〈とかち5号〉帯広行き(ハイデッカーグリーン車つき)に乗り換え。ホームには“しあわせの黄色いハンカチ”が“天日干し”となっていた。

川端で下車。向かったところは入口まで徒歩20分の社台ファーム千歳牧場で、ミスターシービーやダイナアクトレスなどの名馬はここで暮らしていたとか。

入口に入ると、馬が「ヒヒーン」とおたけびをあげ、馬小屋(「厩舎」が正しいのだろうか?)で窓から身を乗り出して、涼んでいた。ちなみに道路は公道、社台ファーム千歳牧場は私有地。また、見学はしていない。

馬が牧場で大暴れするのは午前中だけで、昼間は芝の手入れをしている。

公道の芝は行政が手入れしているそうで、私有地は自分でやらなければならず、大変なのだとか。

ここで育成した馬の大半は仙台でトレーニングを受け、プロデビューするそうだ。ちなみにこの牧場は1990年、ある事件の舞台になったところ。御存知でしたか?(テレビドラマだけど…)

この話は中年のワリには牧場入社3か月の男性から聞いた話だが、東京からやって来たことに驚き、1990年の事件も知らない。

今まで北海道の大自然は列車の中で楽しんできたが、歩いて楽しむのは初めて。車窓では味わえない草木や畑の肥料の香り、さわやかな風。すごく心地よかった。

川端駅に戻り、普通列車千歳行きワンマン列車(キハ40 715:非冷房車)へ。

追分では41分という長い停車時間にうんざりする母娘がいた。

私は下車して、快速〈エアポート185号〉札幌経由小樽行きの指定席uシートを購入。南千歳ではわずか5分の接続なので、ある意味ちょうどよかった。



追分41分停車の真相は貨物列車に道をゆずり、室蘭本線の普通列車岩見沢行きワンマン列車の待ち合わせ。更には普通列車夕張行きワンマン列車と特急〈スーパーおおぞら9号〉釧路行きの行き違いである。


2005年の汽車旅5-4 [汽車旅2005]

続きとまいりましょう。It's Show Time!!

苫小牧で普通電車の接続が悪いことが判明し、やむなく、特急〈北斗11号〉札幌行き(7号車自由席キハ183-3566)へ。



キハ183系500番台系列は1番お気に入りの気動車だが、自由席は大入り満員御礼で坐れない。また、デッキはディーゼルのニオイが鼻にくる。

南千歳で快速〈エアポート165号〉札幌経由小樽行き(4号車指定席サハ721-3022:uシート)に乗り換え。



初めてuシートの座席にあるチケットホルダーにきっぷをはさむが、車掌は“ひょい”と取り上げた。ちなみに隣席に男性が坐っており、全区間利用。



指定席uシートであるにもかかわらず、ケータイルールステッカーが貼っているのは困ったもので、格調の高さが失われるのが残念。

石狩湾オーシャンショーが始まると、みんなクギづけ。進行方向左側かつ相席のため、ケータイの動画が撮れなかったのは残念だが、いつかはリベンジしたい。

車内の文字ニュースでは小泉総理大臣が千鳥ケ淵で献花を捧げ、“代理人”が靖国神社を参拝したとか。中国や韓国はどうとらえるかが注目される(その後、突然、参拝して、やっぱりひんしゅくを買った)。

小樽運河へ直行し、時間的なこともあり、ガス灯に火がついた。

小樽運河は自画像屋だとか夜の記念撮影屋など、商売熱心。気温は21.4℃と過ごしやすい。



小樽に戻る途中、鐘を鳴らし、快速〈エアポート194号〉札幌経由新千歳空港行き(4号車サハ721-3022:セミクロスシート)へ。



デッキをなくした721系増結用中間車初乗車で、始発の小樽は半自動扱い。開閉すると、天井とドア横の空調がけたたましく作動。これは車内保温維持のためにやっていることだが、一部のお客は“殺菌処理”とカン違いしそう。

札幌で下車し、ホテルにチェックイン!!(札幌初宿泊) そのあと、ラーメン屋へ直行した。


2005年の汽車旅5-3 [汽車旅2005]

2005年8月15日(月曜日)0時17分、急行〈はまなす〉札幌行きは青函トンネルを抜け、蝦夷地に足を踏み入れた。

木古内で寝台特急〈北斗星4号〉上野行きと行き違い、苫小牧付近までぐっすり。

ところが、線路切り替え工事のため、12分遅れで苫小牧に到着。その後、遅れは南千歳で8分、終点札幌で4分に縮めた。余裕時分を持ったダイヤと急行〈はまなす〉では珍しいDD51重連のおかげだろう。



終点札幌で普通電車東室蘭行き(モハ711-114:非冷房車)に乗って、苫小牧へ折り返し。企画乗車券ならではの乗り継ぎである。



苫小牧で日高本線の普通列車様似行きワンマン列車(キハ40 356:非冷房車)に乗り換え。発車前には寝台特急〈カシオペア〉札幌行きが“不意打ち”を食らうかの如く、参上!! 相変わらずの満席。いっそのこと、JR東日本が所有するブルートレインをすべてE26系化していいのでは?



余談だが、乗車車両は平成3・10年(1991・1998年)に苗穂工場で改造を受けている。

勇払(Yufutsu)を発車すると、遠くから太平洋が見え、鵡川(Mukawa)は夏なのにトンボが飛び、ここから先は馬や肉用と乳製品用の牛が飼育されている牧場があったりするなど、北海道を感じさせる。

豊郷(Toyosato)あたりから、曇りがちとなり、霧が見え、太平洋オーシャンショーが本格的に満喫できるが、馬風いやいや、海風が強く、雨がシトシト。

新冠(Ni-i-Cup)はハイセイコーやナリタブライアンが育ったところで、ワンマンカーの放送テープも凝っている。

北海道は千代の富士、北の湖、大鵬、水谷豊、西村晃などといった“強い男”の出身地というイメージがあるが、馬もそうなんだろう。



太平洋オーシャンショーが終わり、24分停車の静内で下車。徒歩6分の静内郵便局で旅行貯金。意外と人が多く、あせったが、やはり主務者印は押していない。これでは郵政法案が否決されるのは当然のことだ(世界的ニュースとなったが、その後、2005年10月に可決された)。

普通列車様似行きワンマン列車に戻り、“♪おウマの親子は仲良しこよし♪”の光景は微笑ましく、東静内から勾配を登り、牧場や畑に草原が入り乱れる“大自然の大感動”。黄色い花や発育途中の稲などが北海道の夏を彩る。ちなみに私が8月に北海道へ渡ったのは初めて。

東町付近で太平洋オーシャンショーが再開され、再び霧も現われたが、鵜苫(Utoma)で終わった。



ラストコースは再び勾配を登り、右へカーブすると、終点様似に到着し、日高本線全線完乗達成!! そして、北海道の鉄道完全制覇に王手!!

下車し、徒歩3分ほどの様似郵便局で旅行貯金。



当初はジェイ・アール北海道バスに乗って、どこかへ足を延ばそうかと検討していたが、旅行貯金によるバス乗り遅れにより、折り返し、普通列車苫小牧行きワンマン列車へ。

正午、突然、けたたましいサイレンが鳴り響き、通りがかりの人はビックリ仰天!!(甲子園球場はその頃、サイレンで黙祷)

車中では私になついて欲しいのか、2~3歳ぐらいの女の子が何度も席にやって来た(さっきも様似のスーパーマーケットで別の女児が手を振っていたが、つい応えちまうんだよな、俺は)。

人んちの子供にはモテモテなようだが、結婚して子供を授かって、なついてくれなければ、悲しいよねぇー(長男はつらいよ)。

進行方向右側に坐り、静内までSleep Timeをしてしまい、大狩部(Ohkaribe)は平成9年(1997年)に泉ピン子や松村達雄らがドラマのロケをしていたとかで、記念のカンバンが建っていた。“渡る世間は狭い”のね…



鵡川で下車し、北央信用組合鵡川支店で千円札2枚を100円玉20枚に両替したまではよかったものの、肝心の郵便局が見つからず、始発の普通列車苫小牧行きワンマン列車(キハ40 353:非冷房車)に乗り、『JR時刻表』を見たら、誤算が発生!! そんで、終点苫小牧に到着した。


2005年の汽車旅5-2 [汽車旅2005]

それでは続きとまいりましょう。It's Show Time!!



青森で一旦下車し、空気を吸ったあと、津軽線の普通列車三厩行き(For Minmaya.キハ40 517:非冷房車)へ。

車内は蒸し暑く、扇風機をガンガンまわし、窓も開けて、坐ったら、シートが崩れて、ハメ直し、出発進行!!(カンタンに外れるとは…)

津軽線は瀬辺地付近までFOMAが使えるのは意外だったが、蟹田では特急〈白鳥15号〉函館行きに乗り換える“旅ガラス鈍行派”が多く見られた。

中小国から“未体験ZONE”へ。とっても新鮮な車窓だ。なんせ、ここを通るのは夜が主流で、昼間に乗ったとしても、進行方向右側だからだ。

大平(Ohdai)-津軽二股間は駅間距離が長く、森を越えてゆく感じだった。

津軽二股は津軽今別とは同一駅扱いではなく、運転計算がややこしくなりそうだが、このあたりに北海道新幹線奥津軽駅(仮称)を建設するそうだ。ちなみに北海道新幹線が開業すると、津軽線と江差線は第3セクター鉄道に転換されるらしい(江差線は木古内-江差間のバス転換が予想される)。私は断固反対だ。



津軽海峡オーシャンショーと「またの御利用をお待ちしています」という車掌の放送でしめくくり、終点三厩に到着し、津軽線全線完乗達成!!



movaもFOMAも圏外に驚いたが、津軽海峡沿いを少し歩き、三厩駅にある寄せ書きノートにあしあとを残し、スタンプを押して、普通列車蟹田行き最終列車(キハ40 525:非冷房車)へ(17時55分とは早い)。ちなみにデッキがあるため、そこだけはケータイ通話OK。



終点蟹田で下車し、待合室でしばしの休息をしたあと、普通電車青森行き終電(クハ700-6)へ。



秋田地区の701系は腰部の帯を濃いピンクに、シートモケットをグリーンに改め、フレッシュアップしていた。

終点青森に到着。あいにくの雨だったが、33℃の東京に比べ、24℃ほどだったので、青森は過ごしやすかった。

青森駅にゆらゆら流れる潮風が連絡船があった歴史を感じさせ、旅する人々は3両しかない急行〈はまなす〉札幌行きの自由席GET'Sに怒濤と躍起が重なっている。

「静まれーッ!! 静まれーッ!!」



と言うかの如く、臨時寝台特急〈トワイライトエクスプレス〉大阪行きが“いっときの清涼剤”として、運転停車し、電気機関車をEF81専用機にチェンジした。



ホームで並んでいた全員が急行〈はまなす〉札幌行き自由席に坐れ、私は9号車オハ14 511をGET!! なおかつ、隣りは誰も坐っていない。



蟹田で運転停車後、車内検札が行なわれ、意外にも正規の乗車券を持っているお客が多かった。

23時34分、“「青いカクテルライト」という名のサイン”で青函トンネルに入った。


2005年の汽車旅5-1 [汽車旅2005]

2005年8月13日(土曜日)、東京から臨時快速〈ムーンライト仙台〉仙台行き(2号車指定席モハネ582-106:ボックスシート)に乗り、“北海道の鉄道完全制覇”の遊が始まった。

583系の乗車は2004年4月の臨時快速〈お花見白虎〉仙台行き以来で、いまも3段式B寝台及びゴロンとシートの利用はなく、指定席はいつも逆向きという不運に泣かされている。ちなみに私が坐っているうしろは寝台にすると“おトク”なトコロである(なぜならば、上段B寝台がないから)。

ディズニーリゾート最寄り駅の舞浜はたっぷり遊んだヤング軍団が乗ってきた。停車時間も通常の快速より長め。

西船橋で30秒ほど運転停車。一部の座席は“即席ゴロンとシート”と化していた。

武蔵野線に入ると、ゆっくり走り、新松戸-南流山間で停止信号なのか、しばらくSTOP。

23時19分、南越谷を通過。東武鉄道の臨時急行〈尾瀬夜行23:55〉〈スノーパル23:55〉会津高原行きは乗り換え駅の新越谷に停車して武蔵野線からの利用客を配慮しているのに、「どうして?」と考えていたら、東武鉄道の快速は通過するからので、おあいこ?!

東浦和付近でみたび止まり、武蔵浦和を過ぎると、ワープ!! 長いトンネルを抜けると、与野を通過した。

大宮でドカンと乗って、ほぼ満席。私は“ズッコケ3人組”と相席になった。ちなみに全車禁煙で、東京-大宮間の利用客がいた。



2005年8月14日(日曜日)、終点仙台に到着し、“暴れん坊583系”の雄姿を見届けたあと、普通電車(小牛田から各駅停車)一ノ関行き(小牛田からワンマンカー)に乗り換え。早くも“悪魔”の御登場…



小牛田までサハ700-1001を利用。レールファン的に珍しい車番で、ドアチャイムは装備していない。ちなみに小牛田まで701系1000・1500番台、堂々の8両編成である。

一部のお客は空席をいいことに“D寝台”としていたが、臨時快速〈ムーンライト仙台〉を盛岡まで延ばしてくれればいいんだけどね。ちなみに“C寝台”はノビノビ座席、ゴロンとシート、ゆったりカーペットをさす。

小牛田でうしろ6両は普通電車仙台行きとなり、私はクモハ701-1518へ移動。坐れない。



終点一ノ関で各駅停車盛岡行き(クモハ701-1010)に乗り換え。半分以上、この電車に乗り換えたため、座席が埋まり、立客が現われるのは時間の問題だった。ちなみにこの日の東北地方は曇天で、雨が降ることもしばしば。

大河ドラマ『義経』ゆかりの地、平泉(FOMA圏外)で大量下車が発生し、それでも立客はおり、そこから先はSleep Time。

終点盛岡に到着。2005年7月29日(金曜日)から在来線も自動改札化されたが、Suica対応ではないため、違和感がある。ちなみに今回の旅は自動改札対応のきっぷを使っている。

下車して、NEW DAYSで昼メシを購入するも、Suicaでは買い物ができない。不便だ。

大下勇次なら、こう言うだろう。

「遅れとるやんけぇー!!」

余談だが、NEW DAYSのホームページアドレスは
http://www.ej-kiosk.jregroup.ne.jpである(パソコンでどうぞ)。

第3セクターIGRいわて銀河鉄道ホームで、こんな出来事があった。

「あっ、〈ムーンライト〉で御一緒でしたね」

と“ズッコケ3人組”の1人が声を掛けてきた。

“ズッコケ3人組”は木古内へ泊まり、翌日は函館へ乗り込むようで、レールファンではなさそうだ。

各駅停車八戸行きワンマンカー(二戸まで車掌乗務)が入線し、方向幕だったので、“まっ、まさか!!”と思ったら、本当にそうで、元JR東日本701系1000番台だった(乗車したのはIGR7001-1)。細かいところで気づくとはレールファンの“悲しい性”である。



これで仙台-青森間はスーパーロングレールならぬ、“スーパーロングシート”となってしまった(深く考えなければ、どぉーってことはないッ!!)。ちなみにケータイルールステッカーはJR東日本と同一。

発車すると、11時20分だと言うのに、“ズッコケ3人組”は駅弁で早めの昼食。

滝沢付近でFOMA圏外となり、さっさとセルフモード。こういう時、movaが役に立つ。



折り返し設備やポイントもない目時で第3セクター青い森鉄道へ入り、終点八戸でJR東日本東北本線に戻り、普通電車青森行き(クハ700-1001:中間車扱い)に乗り換え。



〈はやて9号〉から特急〈つがる9号〉弘前行き(E751系)に乗り換えるお客が多く、自由席に坐れなかった人のために臨時特急〈つがる73号〉青森行きを運行しているが、国鉄カラーの485系1000番台だった。

野辺地を過ぎると、慢性的な寝不足のせいか、またSleep Timeに入り、気がつけば青森市。雨が降るという、あいにくの空模様だが、終点“♪青森駅は雨の中♪”に到着した。


2005年の汽車旅4-最終回 [汽車旅2005]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

特別快速浜松行きは区間快速武豊行きがモタモタしていたせいで、3分遅れで終点に到着し、乗り換えた普通電車静岡行き(①浜松-天竜川間はモハ112-2002②天竜川-豊田町間はクハ111-2622:中間車扱い③豊田町からモハ112-2698:掛川からボックスシート)も遅れは回復しなかった。



終点静岡で下車し、『中華惣菜好運樓(Kohunroh)』で、お買い上げの弁当に炊きたてごはんを入れるサービスに気をよくしてホームに戻ると、「なんじゃこりゃー!!」と言いたくなるほどの出来事に直面した。

それはホームの案内表示に373系の普通電車東京行きがないのだ。

駅の放送でも流れてはいたが、聞き取りにくかったので、熟年駅員に問い合わせたところ、「車両がなくて、発車時間が大幅に遅れます」とのこと。なにそれ?

なぜかと言うと、沼津-片浜間で人身事故が発生し、特急〈(ワイドビュー)東海3号〉静岡行きが到着していないからで、2005年7月に大船から利用しているし、9月にリベンジできるので、やむなく普通電車熱海行き(①静岡-草薙間はクハ111-2075②草薙-清水間はモハ113-2100③清水からクハ111-201:中間車扱い。蒲原からボックスシート)を利用。ちなみに東静岡で特急〈(ワイドビュー)東海3号〉静岡行きとすれ違った。



終点熱海で普通電車東京行きに乗り換え(①熱海-湯河原間は2号車モハ210-2008:ロングシート坐れず②湯河原-真鶴間は6号車サハ211-2008:ロングシート坐れず③真鶴-平塚間は10号車クハ211-2007:ロングシートは早川でGET④平塚から11号車クハ210-2006:ロングシートの増結車)。ちなみに平塚で増結車両に移ったのは“淡い期待”と私の隣りに幼児(女の子)が坐っており、母親に席を譲ったから。

余談だが、グリーン車は2階席の人気が高いことや、ホームに券売機がなく、なおかつ373系の普通電車東京行きはリクライニングシートを特別料金なしで乗れるので、わざわざ払うのはバカバカしいなどから、よほどのことがない限りは乗らないだろう。

さて、JR東海に入ってから中学生旅行集団(新快速米原方面長浜行きを利用していたようだ)も私と同じ電車に乗って気になるが、このまま関東地方へ向かうようだ。ただ、乗車マナーが悪過ぎる。

電車は無事、終点東京に到着したが、通常より10分早いだけにとどまった。


2005年の汽車旅4-3 [汽車旅2005]

2005年8月7日(日曜日)、朝からセミの鳴き声が天高く響き、三ノ宮のホームは不発弾処理のため、9時以降、新快速は神戸、快速と各駅停車(現地では「普通電車」と案内しているが、違和感が…)は神戸か須磨で折り返しをくりかえし放送。また、一部の特急は区間運休する。

三ノ宮から複々線の外側を走る快速大阪行き(7号車サハ223-2176)に乗り、尼崎で初下車し、徒歩十数分で、2005年4月25日(月曜日)に発生した福知山線脱線事故現場へ。

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あの事故は誰もが忘れない出来事だが、道ゆく人々や電車の利用客はあの現場が気になるようである。

現場へ向かったのはレールファンとして、旅人として、何度も福知山線を利用した者として、自分の目で見たかったからだ。

9時18分、渦中の快速JR東西線経由同志社前行きがゆっくり通過すると、人々はあの現場にクギづけで、車掌は惨状を思い出したくないせいか、目をそむいていた。

通過後、私はマンションに向けて、無意識に合掌。

脱線事故現場の先にある踏切のサクは神社をほうふつさせる朱色に塗り直され、もともとあるのか、事故後に設置したのかはわからないが、小さなお地蔵さんがある。

その周囲には遺族が無念を書いたのだろうか? 5・7・5・7・7の短歌と折り鶴が雨風しのげるよう、かかげられているのが印象的だった。

付近に花屋はなく、花束も持参していないが、警備員が「なくても入れますよ」と言ったので、マンションの駐車場付近にある献花台へ行く。

警備員計5人、JR西日本社員1人(すべて男性)がかなり深々と一礼したのは本当に恐縮したが、献花台で私はお線香とお焼香をして、志なかばで亡くなられた107人の御冥福をお祈りした。謹んで、哀悼の意を表します。

塚口駅まで歩き、福知山線の各駅停車高槻行き(クハ207-104)を利用。最前部でクギづけとなり、名神高速をくぐった時にブレーキをかけ、あの現場を無事に通過するのを見届けた。そして、尼崎は各駅停車JR東西線経由松井山手行きとほぼ同時に到着した。

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“電車の宝庫”と言っていい尼崎は撮影隊がいて、不発弾処理に便乗し、行先表示の「神戸」「須磨」を撮るヒトもいた(沿線でもいた)。但し、223系シリーズはなぜか行先LEDに須磨はインプットされておらず、拍子抜け。また、各駅停車はJR東西線からの便は須磨行き、京都・高槻からの便は神戸行きとなっていた。

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ATS-P未装備のため、117系シリーズが福知山線の運用をはずれ、113系シリーズ(体質改善車中心)が快速で運行しているが、小浜線用も引っ張りだすなど、“総力戦”のようだ。

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また、特急〈タンゴエクスプローラ2号〉新大阪行きは“黄金ハイデッカー”ではないせいか、ドア横に「エクスプローラー号」というステッカーをつけていた。

尼崎で快速(高槻から普通電車)京都方面野洲行き(6号車クモハ221-31)に乗り換え。

岸辺を通過すると、阪急電鉄の正雀工場(Show-jaku Factory)に名鉄の路面電車がなぜか入っており、上屋をつけていることから、“新しいすみか”になるようだ(そのため、赤いボディーの上部と車番フォントしか見ていない)。

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京都で下車し、湯を浴びたあと、昼食をとり、京都みやげのつもりでもないだろうが、カミソリの試供品をもらい、京都駅ビルでお散歩。

改札に戻ると無事に不発弾処理が終了し、通常ダイヤに戻った。ちなみにJR西日本は「不発爆弾」と案内していた。

普通電車米原行き(10号車クモハ221-44)に乗るが、車内のLEDはいつも自社の案内を流すのに、福知山線脱線事故の影響か、流れるのは危険物持ち込み禁止だけで、自粛はまだまだ続いている。解禁はまだまだ先のようである。

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終点米原で211系5000番台の普通電車大垣行きには乗り換えず、特別快速浜松行き(クハ312-16)へ。

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4両しかないので、車内は満員御礼。ドア付近のスペースが広いワリには補助椅子はなく、地ベタに坐る未成年がいるのは万国共通のようだが、修学旅行の様相。それにしても、騒がしい。

「そして、中部国際空港行き高速バスはお乗り換えです」

名古屋に到着する頃、車掌は自信満々に案内していた。“JR東海、セントレアの方程式”なのだろう。


2005年の汽車旅4-2 [汽車旅2005]

それでは続きとまいりましょう。It's Show Time!!



佐用で各駅停車津山行きワンマン列車(キハ120 336:セミクロスシート車&トイレつき)に乗り換え。キハ120はトイレのない車両だが、改造でつけた(窓を1枚ふさいだが、鋼製車体みたいに“融通”がきかないため、見ていて痛々しい)。

たった1両のうえ、ボックスシートは少ないが、GETできた。

相変わらずの新緑車窓だが、ところどころでFOMA圏外となる。



終点津山で各駅停車新見行きワンマン列車(キハ120 354:セミクロスシート車&トイレなし)に乗り換えるが、千客万来で“立ちんボマスター”。ちなみにこちらも1両。

美作千代(Mimasaka-Sendai)で、ロングシートに坐り、昼食。

中国勝山-月田間は壮絶な土砂崩れのあとを慎重に走り、ここから先は“中国大陸”に挑む感じだ。



終点新見に到着し、姫新線全線完乗達成!!



余韻にひたるまもなく、伯備線の普通電車岡山行きワンマン列車(クモハ213-11:車掌乗務)に乗り換え。

213系は快速〈マリンライナー〉勇退後、初の乗車。ワンマン運転対応のため、前面展望席が撤去されたのは残念だが、転換クロスシートは心地いい。そのせいか、総社まで居眠り…

倉敷で初下車し、徒歩数分の水島臨海鉄道水島本線倉敷市駅へ。



三菱自工前行きは本数が少なく、水島行きワンマンカーを2本やり過ごして、しばらく待機。幼少の頃、よく飲んでいたキリンレモンでノドをうるおし、16時33分発の三菱自工前行きワンマンカー(MRT303:夢塗装車)が入線!! 意外にもセミクロスシート車だったが、ロングシートに坐る。

速くても50㎞/hほどの低速だが、ローカル私鉄では珍しいフリーストップ式カーテン、意外と高架区間が多い。



ラストコースはオーシャンショーとなり、全線完乗達成!! 但し、線路は果てしなく続くが、時間の都合ですぐさま折り返した。

チボリ公園が駅前にあるJR西日本倉敷に戻り、普通電車播州赤穂行き(クハ115-1088:体質改善車)に乗って、岡山で気分は怒濤の転換クロスシートGETーッ!!

岡山で70歳過ぎの男性と相席になるが、auのスライド式ケータイで通話(ツーカーSじゃなくても、「カンタンじゃねぇーか」ってこと?!)。



終点播州赤穂で、21世紀産の“天敵”初乗車となる新快速米原行き(8号車クモハ223-2044)に乗り換え。グリーンガラスと車椅子の通り抜けをしやすくしたのが特長で、車番チェックと転換クロスシートの向きチェンジ(東京や上野みたいに車内の整備等は省略)をしていたら、丘のようなモッコリ感に“なんじやこりゃ”と戸惑った。

神戸と淀川で花火大会が行なわれているため、補助椅子は使えず、大久保付近で突然失速し、乗務員室は無線の嵐。車内では着メロだわ、着うたの雨アラレ。

どうやら先行電車にアクシデントが発生したようで、7分遅れで西明石を発車。知っての通り、余裕時分無視のダイヤなので、当然、回復しない。ちなみに新快速スピードアップにより、臨時快速〈ムーンライト九州〉博多行きの大阪-姫路間のダイヤは3分の余裕時分が削られている。

私は神戸で下車。みなと神戸海上花火大会が目当てだったが、新快速7分遅れのせいで、20時30分に終了。おまけに雨が降りだしてしまった。

更に少数精鋭の撮影隊もおらず、臨時便も少なく、残念ながら、エースの新快速登板はなく、12月に持ち越し!!



今回は臨時各駅停車大阪行き(モハ201-265)で、スローライフを楽しむことにする。

もっとも、“ニセ成田エクスプレス”こと、321系にチェンジされる前に、スカイブルーの“お名残り乗車”をしたかったこともあるが…

終点大阪で下車し、吉野家(とうとう、うどんの販売に乗り出した)で遅い晩メシをとったあと、快速(明石から普通電車)姫路行き(1号車クハ222-2011:弱冷車)に乗り、三ノ宮で下車。ナイトパック8時間1,344円を理由にインターネットカフェへ。ちなみに神戸市内泊は初めてである。


2005年の汽車旅4-1 [汽車旅2005]

2005年8月5日(金曜日)、品川から臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(5号車指定席モハ189-38)へ。この電車の喫煙車に乗るのは初めてだ(空気が全然違う)。

なぜか寝台急行〈銀河〉大阪行きが遅れていたが、こちらは定刻通りの発車。

ところが、翌日(2005年8月6日)の小田原でアクシデントが発生!!

それは他線のダイヤ乱れにより、乗り遅れ客がいたため、211系(113系転用車つき)の普通電車小田原行き終電で追跡し、1時25分まで停車となったのだ。んまぁー、静岡県内の駅で停車時間をたっぷりとっているので、あわてる必要はない。

熱海では伊豆急行電鉄200系(元113系)が寝泊まり。東京急行電鉄8000系の移籍により、短命となるが、個人的にはJR東海の117系シリーズに白羽の矢をたてて欲しかった(ちなみにJR西日本の117系シリーズは福知山線の運用がなくなったという)。

余談だが、私の隣席は静岡県内の駅まで、誰も坐らなかった(気がついたら、オバサンが乗ってきた)。また、JR東海のイキなはからいか、一部区間は消灯していた。



終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(1号車クハ222-2033:弱冷車)に乗り換え。JR東海で“アーバンネットワークの天敵”に乗るのは初めてだ。会社が違うせいか、補助椅子は使えない。

運転士は3人乗務し、立ちんぼの2人も指差し確認をおこたらず、バラエティー番組で流したら、笑いをとるだろう(左から右へ流れるようにやっていたから)。

関ケ原-柏原間はカーブが多いものの、護輪軌乗を敷いているので、安心して電車に乗れる。

いつのまにか町から市に格上げし、半自動ドア扱いの米原で、新快速姫路方面播州赤穂行き(11号車サハ223-2011)に乗り換え。

2005年4月25日(月曜日)に発生した福知山線塚口-尼崎間の脱線衝突事故後、初めてJR西日本を利用するが、気のせいか、車掌(乗務していた車掌は20代前半)の客室出入り時に行なう一礼はいつもより、深々と頭を下げていた。

旅人として、JR西日本は欠かせない存在。信頼していることに変わりはないが、個人的に身が引き締まる思いがする。

“アーバンネットワークの天敵”には網棚(パイプだけど…)の上には広告があり、仲間由紀恵と竹内結子は健在也。ちなみに竹内結子は『あぶない刑事フォーエヴァーTVスペシャル'98』に出演していた(私は「この役者はイケる」と思ったら、大当たり。これは高島礼子、渡部篤郎以来、3人目)。

三ノ宮到着目前で遠目から新神戸駅を見つけた。意外と近そうな感じを受けるが、これならば“駅名を「新三ノ宮」にしてもよかったのでは?”と思った。定着している以上、改称はムリだろうが…

そのまま姫路へ向かいたいところたが、加古川で普通電車姫路行き(5号車モハ221-4)に乗り換え。“アーバンネットワークのエース”でなければ乗り換えない。

ひめじ別所という聞き慣れない駅名は貨物基地のそばに設けた新駅。スルスルーッと“怪物”500系の〈のぞみ1号〉博多行きが抜き去る。ちなみに〈のぞみ1号〉博多行きは前夜、東京に回送され、寝泊まりしたあとに運行している。



終点姫路に到着すると、先ほどまで乗っていた新快速播州赤穂行きが待っていた。但し、ここで下車。

余談だが、この汽車旅の翌日は西明石駅付近の川崎重工明石工場内の工事現場で発見された不発弾処理を行なうため、須磨-西明石間が9時30分から12時30分までの予定で、運転をとりやめ、振替輸送を実施する(青春18きっぷで振替輸送ができないのは疑問)。また、例の事故のお詫びも2005年8月1日(月曜日)に更新した。

“「江戸城」という名の姫路城”近辺を歩き、姫路駅前のローソンはファミリーマートに衣替えしていた。



姫新線の各駅停車佐用行きワンマン列車(キハ47 1053:体質改善車)に乗り、逆向きに坐っていた70歳前後の男性は播磨新宮からの車窓をオススメされる(私をカメラマンとカン違いされた)。

車中で70歳前後の男性は政治(小泉批判がメイン)とヒマラヤの話についていくのが大変だったが、千本で下車した。

終点佐用に到着。2003年8月に智頭急行を利用した時はFOMA圏外だった。


2005年の汽車旅3-後編- [汽車旅2005]

2005年4月10日(日曜日)、青春18きっぷ利用史上、初めて名古屋の日付印が押され、7時35分発の新快速豊橋行き(クモハ313-11)に乗り、岡崎で第3セクター愛知環状鉄道愛知環状鉄道線高蔵寺行き(107)に乗り換え。



「旧式ですいませんねぇー」

「いえいえ、乗れればなんでもいいですから」

と撮影が終わったあと、ベテラン駅員が言うも、私は謙遜(関西だと、つい車両にこだわるが…)し、第3セクターでは意外にも20分おきという“破格”の運行本数とワンマンカーをやっていないことに驚き、発車!! さっそく次の六名(Mutsuna)で新型車両2000系と行き違った。

面白いことに100系は「シルバーシート」であるのに対し、2000系は「優先席」と異なる。



万博八草で愛知環状鉄道線全線完乗を達成と共に、ものの見事に降りて、愛・地球博へLet's Go!! ちなみに会場アクセスはリニモorシャトルバスとなるが、貴方はどちらを選びますか?



出口は2番線側に限定され、階段の登り下りがつらそう。橋上の自動改札は入口専用となっており、“棲み分け”ている。



“オープン戦”では7両だったドアチャイムと車椅子スペースがついた211系5000番台の〈エキスポシャトル〉は10両にパワーアップ!!(トイレは7号車) できれば出番の少ない117系シリーズで運行して欲しいぐらいだが、“詰め込み重視”なのだろうか?

ガラガラで発車し、高蔵寺からJR東海中央本線に入るも、満員御礼の〈セントラルライナー2号〉名古屋行きの遅延により、2分遅れで発車し、すれ違ったエル特急〈(ワイドビュー)しなの7号〉長野行きはクロ383の左側上部の前照灯が“タマギレ”するなど、波乱続出!!

大曽根で名古屋ガイドウェイバス志段味線(Shidami Line)“ゆとりーとライン”へ。



念のため、言っておくが、新交通システムの鉄道で、駅ナンバリングもある。



高蔵寺行き(G-59:リフト車&名鉄バス所有)へ。普通のドライバーでもうらやましい“手ばなし運転”は衝撃的で、アクセルしか踏まず、ブレーキはワイパーのレバーについている(大型車だけ?!)排気ブレーキだけで停めるなど、今までの路線バスでは考えられないことばかり。

車両はGB-1100型といい、車内にプレートがついていたが、バスにも形式はある。

小幡緑地で全線完乗を達成し、ガイドウェイから一般道路へ入るシーンを見たいため、私は次の竜泉寺口で下車。ガードはキッチリしている。

竜泉寺で旅の無事を祈願し、小幡緑地から大曽根行き(G-93:リフト車&ジェイアール東海バス所有)へ。これもGB-2100型という形式がついている。ちなみに“ゆとりーとライン”はケータイ電源OFF(そうとは知らず、撮影しちゃった)。

ナゴヤドーム前矢田で下車し、2000年4月以来となるナゴヤドームの雄姿を見たあと、名古屋市交通局名城線へ。ちなみにホームはケータイ圏内(そのうち、圏外になるでしょ)。

左回り(2631)に乗り、新瑞橋(Aramata-Brige)で名城線全線完乗を達成し、金山で名港線名古屋港行き(2126)に乗り換え。

終点名古屋港に到着し、名港線全線完乗と共に名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)完全制覇を達成!! ちなみに名港線は名城線支線時代に1度、乗っている。

大曽根行き(2326)で折り返し、名城公園で下車するつもりが、名古屋城最寄り駅が市役所であることが発覚し、左回り(2130:夢塗装車)に乗ってあわてて移動。

雲っていながらも桜満開!! 春満開で、愛・地球博に対抗してか、名古屋城博覧会を開催しており、長蛇の列。天守閣入場料が大人1,000円とは高過ぎ。また、金のシャチホコがないことに気づくオバサンがいて、注視したらマジでなく、ルパン三世に盗難?!(実際は愛・地球博に展示するため、“出張”していた)

市役所から左回り(2624)に乗り、久屋大通(Hisaya Big Street)で桜通線の中村区役所行き(6111)に乗り換え、名古屋で例の如く、きしめんタイム!! ちなみに八丁みそロールケーキという洋菓子が登場した。

名古屋から新快速豊橋行き(クハ312-314)、普通電車浜松行き(クモハ115-1523)、普通電車熱海行き(クハ115-619:沼津から女性車掌乗務)、普通電車東京行き(3号車モハE231-1553:ロングシート)に乗り継ぎ、小田原で快速〈アクティー〉東京行き(6号車サハ211-4:ボックスシート)に乗り換え、帰京。ちなみに今回、373系の普通電車東京行きに乗らなかったのは腰痛悪化や今回のノルマを果たしたことによるもので、早めに帰宅したほうがいいと判断したからである。

余談だが、名古屋市営地下鉄はなんと撮影禁止になっているという。閉鎖的な社会をゆく姿勢は困ったものである。その上、帰京後に苦情を出したら、返答に2か月かかるなど、対応が遅過ぎる。ちなみに名古屋市交通局は全面的に職員の非を認め、私に謝罪した。

◆愛知環状鉄道ホームページ⇒
http://www.aikanrailway.co.jp/


2005年の汽車旅3-中編- [汽車旅2005]

2005年4月8日(金曜日)、新宿から汽車旅を再開し、中央本線の臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(3号車指定席モハ189-40:旧ASAMAカラー&リクライニングシート)へ。山手線からのお客を待ち受けるため、“シンデレラタイム(2005年4月9日0時ジャスト)”の発車となった。

白馬は春遠き寒さのうえ、残雪。アルプスの山々は雪化粧したままで、薄手の防寒着は役にたたない。

村を歩くと1998年2月に開催された長野オリンピックの面影が残っており、白馬の名シーンを思い出す(2005年3月、東京ドーム史上初めて、白馬が疾走したシーンを見たかったなぁー)。



白馬から大糸線の普通電車南小谷行きワンマンカー(クハE126-107)に乗り、終点で普通列車糸魚川行きワンマンカー(キハ52 156:国鉄塗装復元車)に乗り換え。



前回は違う色ながら、国鉄塗装復元車キハ52 115に乗車しているが、今回は全身朱色。首里城のような鮮やかさはないものの、レールファンは本能ムキ出しで撮影に没頭。ちなみに花粉はかなり飛び散っている。



終点糸魚川で北陸本線の普通電車富山行き(クハ418-7:弱冷車)、普通電車金沢行き(クハ455-47:弱冷車)に乗り継ぐも、車体はボロボロに近い状態で、老体のムチ打って走るのは痛々しく、北陸新幹線金沢延伸まで新車投入はムリなのだろうか?



高岡で下車し、“おむすびバージョンますのすし”を購入したあと、城端線の普通列車城端行きワンマンカー“忍者ハットリくん列車”(キハ40 2136:体質改善車)に乗り、全線完乗達成!!



下りは居眠りに没頭(?!)していたが、上り普通列車高岡行きワンマンカー“忍者ハットリくん列車”(キハ40 2137:体質改善車)では山と田畑の車窓を満喫した。



余談だが、城端駅の所在地は昨今ハヤリの市町村合併により、城端町から南砺市(Nanto City)に変わった。

北陸本線に戻り、特急〈はくたか8号〉和倉温泉行きの7~9号車は2005年3月1日(火曜日)にデビューした北越急行683系8000番台で、できればグリーン車つき編成を見たかった(JR西日本681系と混結していたから)。



普通電車金沢行き(クハ412-5:弱冷車)に乗り換え、倶利伽羅(Kurikara)では親子連れが鉄道撮影でふれあい、北陸新幹線らしき高架が建っていた。もし、開業すれば、魚津-直江津間は第3セクターに転換されるだろう。

金沢で下車し、水分補給。東口駅舎では北陸新幹線の受け入れ態勢を整えるかの如く、大木(Taiboku)の門が特長の『もてなしドーム』が完成。すでに北陸新幹線ホーム用地を確保しており、あとは開業を待つのみ。沿線のカンバンで必死に訴えているが、車両イラストはE2系や500系ベースの“空想車両”など様々。



普通電車敦賀行き(クハ455-57:弱冷車)に乗り、福井は高架化が間近にせまっているが、地平ホームは構想の予定すらない北陸新幹線ホームにあてるとか(『ビートたけしのTVタックル』による)。この“大バクチ”がうまくいくかどうか…



終点敦賀で普通電車米原行き(クハ418-4:弱冷車)に乗り換え。



敦賀でエル特急〈雷鳥38号〉大阪行きの待ち合わせをするが、パノラマグリーン車は7人しか乗っておらず、違和感のある国鉄カラーと共に最後部はエル特急〈くろしお〉〈北近畿〉で使われていたクハ480(貫通扉のデザインが異なる)という“寄せ集め編成”に唖然呆然。また、2006年秋の新快速敦賀延伸を歓迎するカンバンがあったが、既存の普通電車を置き換えたカタチの“各駅停車”にならなければよいが…



直前まで悩んだ末、近江塩津で湖西線に乗り換えることを断念し、長浜で新快速姫路方面播州赤穂行き(1号車クハ222-2040:弱冷車)に乗り換え。

草津で下車し、晩メシをとり、普通電車米原方面大垣行き(米原まで10号車、米原から4号車クモハ221-71)へ。ちなみに英賀保(Agaho)-姫路間で、踏切不法侵入があったため、3分遅れ。おまけに行先表示等も誤表示。



今回は昨日まで悩んだ末、大阪には泊まらない。しかし、アーバンネットワークに足を踏み入れるからには“エース”に乗らないと、スッキリしない。

終点大垣で区間快速豊橋行き(クハ312-9)に乗り換え、名古屋へ泊まった。


2005年の汽車旅3-前編- [汽車旅2005]

2005年4月8日(金曜日)、東京から総武快速線12時55分発の快速君津行き(11号車クハE217-21:セミクロスシート)のボックスシートから旅が始まり、千葉で内房線の各駅停車上総一ノ宮行き(5号車モハ113-1262:第2次リニューアル車)に乗り換え、次の本千葉で下車。わざわざ千葉で千葉都市モノレールに乗らなくても千葉県庁に行ける。

千葉県庁内郵便局で旅行貯金。カウンターに野球のボールをかたどった蛍光塗料入りの強盗追跡用カラーボールORANGEがいたるところにあり、“物騒なところだな”と思ったら、まったくその通りで、主務者印押印拒否。当然のことながら、抗議をするが、「職務規定に反する」という杓子定規な理由で、「隣りの郵便局はちゃんと押していますよ」とクギをさしたら、唖然呆然。そしたら、「それは間違っています」と一刀両断。

千葉県庁はものものしい警備をしているため、怒声罵声を浴びせるわけにはいかず、“日本郵政公社に要望する”と約束してくれたので(ホントかねぇー?)、泣く泣く妥協。どこが“真っ向サービス”なんだか…

余談だが、『旅と鉄道』2002年のある号で、現ゆうちょ通帳トラブルに関する記事がある。こちらとしても、日本郵政公社や郵政改革を進めるチョー本人に抗議及び要望の文書を出したほうがいいかもしれない。

本千葉から各駅停車千葉行き(2号車モハ112-1052:第1次リニューアル車)、終点で総武本線の各駅停車成田行き(1号車クハ111-1373:第1次リニューアル車。一部荷物用で貸切)に乗り換え。1号車千葉寄りは「荷物室」と化したものの、座席定員は変わらないが、千葉を過ぎると、“のどか”ということだろうか。



佐倉から成田線に入り、終点成田で下車。徒歩1分のところに京成成田駅があって、ビックリ!!

「電車道」という一般道路にビックリし、桜は満開!! 都会的な雰囲気もせず、とても新東京国際空港のあるところとは思えない。

成田駅に戻り、1号車の一部を荷物室としている各駅停車銚子行き(5号車モハ113-1069:第1次リニューアル車)に乗り、佐原で鹿島線に乗り換えようとするも、1時間待ちなうえ、一時帰宅しなければならず、鹿島線全線完乗は断念。佐原の水郷を歩き、伊能忠敬の家へゆき、ヒマつぶし。

佐原駅に戻ると、高校生であふれ、各駅停車千葉行き(3号車モハ113-1520)へ。

不覚なことに寝過ごしてしまい、酒々井(Shisui)にて快速〈エアポート成田〉成田空港行き(5号車サハE217-2052:ロングシート)に乗って、折り返し、成田でようやく快速上野行き(10号車クハE231-78)に乗り換え、一時帰宅した。


2005年の汽車旅2-後編- [汽車旅2005]

2005年3月6日(日曜日)、この日は名古屋から名古屋市交通局東山線の藤が丘行き(5070)へ。少し迷ったが、終点まで乗り、日本初、常電導磁器浮上式リニアモーターカー、愛知高速交通東部丘陵線“リニモ” へ。



朝8時台のせいか、思ったほどレールファンは少なく、地元の人が主流。さいわい、2004年2月1日(日曜日)開業の横浜高速鉄道みなとみらい21線みたいな大混雑にはならなかった。

藤が丘が地下であること、FOMA圏内、mova圏外に意表をつかれたが、2本見送り、万博八草行き(For Banpaku-Yakusa.143:自動運転)へ。もちろん、進行方向左側しかない前面展望席をGET!!



車内はボックスシート&ロングシートのセミクロスシートで、下がパイプで支えている安っぽさが難点だが、座席はゆりかもめみたいな感じ。

ドアは国鉄キハ30以来かもしれない外吊り式で、ドアチャイムとホームドアチャイムは東京地下鉄と同一。リニモのドアが開閉したあとにホームドアも開閉するシステムになっている。

乗ってみると本当に静かで、分岐器は跨座式モノレールなみ。意外と80㎞/hまでスピードがでる。ちなみに自動運転だが、万一に備え、“ペーパードライバー(?!)”が1人、運転台カバーをあけて、乗務している。

安全対策が万全のため、 撮影しづらそうだが、万博会場0番線がオススメ。しかし、『愛・地球博』が終わると、使われない可能性が高く、撮るなら今のうちだろう。

終点万博八草に到着し、全線完乗達成!! 但し、折り返し乗車はできず、1度自動改札を出ることになる(宮崎駅・帯広駅なみ)。

徒歩で万博会場駅へ向かい、途中、リニモの車両基地に遭遇するが、今日は全部出払っているようだ。

『愛・地球博』はオープン戦(ユニバーサル・スタジオ・ジャパンもそうだった)で、職員たちは発声練習に気合いが入る。

0番線で撮影したあと、万博八草行き(183)へ。リニモ車両の2006年鉄道友の会ローレル賞受賞は“間っ違いない!!”だろう。 ちなみに第9編成は“夢塗装車”。



終点万博八草で第3セクター愛知環状鉄道の〈エキスポシャトル〉名古屋行き(1号車クモハ211-5006:ロングシート)に乗り換え。



車両が211系5000番台なのは残念だが、7号車は必ずトイレがついているようだ。



高蔵寺からJR東海中央本線に入り、終点名古屋で東海道本線の普通電車豊橋行き(クモハ311-9:女性車掌乗務)に乗り換え、金山へ引き返す。これは〈エキスポシャトル〉全区間を乗りたかったから。



金山で名古屋鉄道の急行中部国際空港行き(1号車7013)に乗り換え。元祖パノラマカーだったが、途中から寝てしまった。



終点中部国際空港に到着し、常滑線・空港線全線完乗達成!! そのあと、快速特急『ミュースカイ』(2006年鉄道友の会ブルーリボン賞最有力候補だったが、ローレル賞)が到着し、すっかり人気者となっている。

余談だが、各ホームの外側に線路を敷設すれば増設は可能だ。

中部国際空港(セントレア)は前日の関空とは比べものにならないほど多く、国内線・国際線・スカイタウンが一体化されているので、まごつかない利点があり、大混雑を招いているようだ。特にスカイタウンは長蛇の列でみんなはヘビと化していた?!

スカイタウンはスカイデッキにつながっているため、人気は高く、前日の関空はヒコーキファンが主流なのに対し、この日は家族づれやカップルが主流。



快速特急『ミュースカイ』は満席になるほどの人気で、特急豊橋行き『パノラマSuper』は一般車に空席がなく、急行新可児行き(3252:転換クロスシート)へ。

ところが、後続の快速特急『ミュースカイ』に抜かれるなど、散々たるものだった。

今回、あえて快速特急『ミュースカイ』に乗らなかったが、乗るんであれば起点から終点まで乗る。復路は特急豊橋行き『パノラマSuper』で、未乗車区間を消化したい。

金山でJR東海東海道本線の特別快速浜松行き(クハ312-12)に乗り換え、終点で普通電車静岡行き(クハ111-205:女性車掌乗務)に乗り継いだ。



静岡で晩メシを調達したあと、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-1:熱海まで女性車掌乗務)に乗り、帰京した。


2005年の汽車旅2-前編- [汽車旅2005]

2005年3月4日(金曜日)、東京から快速〈ムーンライトながら〉大垣行き(3号車指定席クモハ373-12:名古屋から自由席)で旅立ち。相変わらずの満席だが、寝台特急〈あさかぜ〉を快速に格下げし、A個室シングルデラックス以外はすべて“ノビノビ座席”にすれば、生き残ったのではないかとふと思う。

翌日、名古屋を過ぎ、コンタクトをはめるため、洗面所へ行ったら、4号車以降は大変な混雑!!



終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路方面網干行き(1号車クハ221-30:弱冷車)に乗り換え。

長らく113系シリーズに乗り継いでいたが、ついにアーバンネットワークのエース、221系が大垣に進出!! ちなみに臨時快速〈ムーンライトながら91号〉だと223系シリーズの乗り継ぎになるとか。

行先LEDに「姫路方面」の表示はなく、車内のLEDはJR西日本らしさを怠らず、途中停車駅(始発のみ表示)はすべて掲載。自社の宣伝もちゃっかりやるのは東京地下鉄03系VVVF車と同様(JR西日本はあの事故以来、自粛している)。

JR東海はトンネルを通る区間でも、カーテンは下ろさず(朝だけでしょう)、前面展望が楽しめるイキなはからいは素晴らしく、“坐ってよし、立ってもよし”である。

米原は半自動ドア扱いに意表をつかれ、近江八幡まで乗りたいところだが、“着席優先”のため、泣く泣く(?!)新快速姫路行き(1号車クハ222-2027:弱冷車)に乗り換え。ちなみに3番のりばに関空特急〈はるか13号〉関西空港行きが入線したが、種別幕の〈はるか〉は“京風文字”のほかにゴシックもあり、仰天!! 但し、先行の新快速姫路行きを追い抜くことはない。

山科で湖西線113系体質改善車の普通電車近江舞子行きに遭遇。8両編成に組み直していました。オンボロ車両の廃車が進みそうだ。

茨木付近で失速し、特急〈はまかぜ1号〉浜坂行きの回送を抜くも、調子はあがらず、201系の各駅停車西明石行きに追いついてもアレレだったが、千里丘を通過してからは持ち直し、定刻より4分遅れで大阪に到着。



大阪で大和路快速奈良方面加茂行き(1号車クハ221-15:弱冷車)に乗り換え。



天王寺で快速和歌山行き(1号車クハ220-5:弱冷車)に乗り換え。美章園-杉本町間の上りは高架化された。

日根野で関空快速関西空港行き(1号車クハ222-2501:弱冷車)に乗り換えて、ミレニアム以来となる関西国際空港へ。



実は快速〈ムーンライトながら〉大垣行きでは車内検札がなく、コテコテの関西人女性駅員に青春18きっぷの日付を入れてもらった。

関空に非公式の鉄道ながら、赤いピストン運行の新交通システムを発見したので、乗りたかったが、残念ながらヒコーキ利用客しか乗れず、無念の断念。



関空快速大阪経由京橋行き(5号車クモハ223-3)に乗り、日根野で紀州路快速和歌山行き(8号車クモハ223-104)に乗り換え、終点で下車。改札付近でダイハツの赤いオープンカーを展示し、婦警2人がガードするが、いずれも茶髪なのは御粗末。

『喜の国信号』という地面に埋め込まれた歩行者専用信号に遭遇し、徒歩20分ほどにある和歌山城へ。意外と高い位置にある。



和歌山に戻り、快速天王寺行き(4号車クモハ221-21)へ。

高架化区間ではセレッソ大阪の本拠地、長居陸上競技場が見えた。電車に乗りながら、Jリーグが見れるってか?!



終点天王寺で御堂筋線千里中央行き(10号車1119)に乗り換え、6号車の女性専用車両はとうとう平日終日に拡大されていた。

梅田で下車し、吉野家で晩メシ。

「いらっしゃいませ、ようこそ!!」

のアイサツに驚く。ちなみに牛鉄鍋膳を関西では“牛なべ”として、売っている。

大阪から快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行き(米原まで7号車、米原から1号車クハ221-52:弱冷車)に乗り、茨木では特急〈サンダーバード〉&エル特急〈しらさぎ〉混結の683系シリーズ回送と遭遇。

余談だが、アーバンネットワークの大垣発着便は米原で種別幕がなぜか作動し、一瞬だが、「新快速」がよみがえる。貴重なシャッターチャンスですよ!!(俺は撮り逃したが…)



終点大垣で区間快速豊橋行き(サハ311-11)に乗り換え、名古屋で下車。

名古屋では消防車5台出動する騒ぎがあった。ちなみに名古屋は舘ひろしの出身地である。


2005年の汽車旅1-後編- [汽車旅2005]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

野一色を発車した徹明町行き(ワンマン)は新岐阜行き(ワンマン)を追跡!! こういうのはよくある光景で、競輪場前付近で新岐阜行き(ワンマン)は田神線へ入った(そういえば、どこで1500ボルトにチェンジしているのかなぁー?)。

終点徹明町に到着し、美濃町線全線完乗達成!! ただ、道路のまんなかにあるため、横断するのに苦労した。

岐阜市内線には乗り換えず、徒歩移動。新岐阜駅では中部国際空港アクセスの快速特急を大々的にPR!! 新名古屋(のちに「名鉄名古屋」へ改称)から最速30分以内をウリにしている。

岐阜から普通電車浜松行き(モハ210-5038:ロングシート&豊橋まで女性車掌乗務)に乗り、名古屋で降り、きしめんタイム!!

ここまでくれば、“帰京の方程式”となり、特別快速浜松行き(クハ312-20)、普通電車静岡行き(クハ111-216)に乗り、終点静岡で下車。晩メシを購入して、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-14:熱海まで女性車掌乗務)に乗って帰京だが、373系には優先席はなく、“定型文放送”を流しても意味ないんだけど…


2005年の汽車旅1-中編- [汽車旅2005]

2005年1月8日(土曜日)、一時帰宅したあと、東京へ。東海道本線の快速〈ムーンライトながら〉大垣行き(1号車クハ372-8:名古屋まで指定席)に乗る。

快速〈ムーンライトながら〉は2004年3月以来の利用で、おととしの夏以降、青春18きっぷシーズンに臨時便を利用しなかったのは初めて。

373系は入団10年となったが、いまだ特急利用がなく、他人持ち以外なら乗ることもないだろう。

隣席はスーツ姿の男性が乗っていたが、なんと青春18きっぷピンクのペラペラバージョンを所持していた(JR西日本の駅で買ったようだ)。

2005年1月9日(日曜日)、JR東海に入り、久しぶりの乗車はよく眠れたが、豊橋停車中は半自動ドア扱いのため、「プシュー」という音が何度も流れて耳ざわり。おまけに名古屋で暖房OFFとなり、パーティーション構造のため、冷風が入るなど、寒く、731系みたいにドア付近にエアカーテン(これで寒さをシャットアウト!!)をつけるべきだろう。



岐阜で、高山本線の各駅停車高山行きワンマン列車(キハ48 3809)に乗り換え。ちなみに起点の岐阜から1キロほど電化しており、「全線非電化」は“真っ赤なウソ”みたい(終電後は留置線で使うのだろうか?)。



美濃太田でゴミ捨てのため下車し、“太多ニック”ではなく、第3セクター長良川鉄道越美南線の美濃市行き(ナガラ304:ワンマン)へ。

「あっ、雪だぁーッ!!」

とジャージ姿の女子校生は車両に付着した雪に“ヒデキカンゲキ”。ちなみに長良川鉄道の利用は1999年1月以来、6年ぶり。

関で駅員が待ち構え、『長良川鉄道全線フリーきっぷ(1,500円)』を購入。そのうしろには強引に作って結果的に失敗した名古屋鉄道(次からは「名鉄」と記す)美濃町線のホームがある。



ここで下車し、名鉄のきっぷを買うつもりが券売機にはなく、ホームへ戻り、しばらく撮影に没頭したあと、北濃行き(ナガラ306:ワンマン&オールロングシート)へ。ちなみに画像は初代のナガラ1形である。

余談だが、長良川鉄道は通学定期券・通学回数券で乗り越す場合は差額運賃では乗車できないとのこと。通勤はOKのようだ。

粉雪は吹雪へ変わり、美濃市ではトロッコ客車を留置。梅山では雪でもめげず野球部が『巨人の星』を目指しているかどうかは定かではない。

梅山を発車すると、FOMA圏外となり、すっかり雪景色へ。また、ライバルと言える東海北陸道の高架がところどころ姿を現す。

大矢で美濃太田行き(ワンマン)と行き違いのため、停車時間は長く、運転士のマイクなし肉声案内で大半はトイレへ。

「どうしたの?」

と聞こえなかったオバサンは詰め寄るが、みなみ子宝温泉で下車したら、なにを思ったのか、乗り直すという周囲のお客は理解不能な表情をしていた。

郡上八幡(Gujoh-Hachiman)から“P-KAN吹雪”となり、山田で粉雪に戻った。

雪の長良川はいい。雪見酒と言いたいところだが、飲めないタチなので、“雪見烏龍茶”でいいだろう。

郡上大和で、先ほどの謎めいたオバサンが下車し、天気は曇り、吹雪に戻るのは時間の問題だった。



大中(Ohnaka)-美濃白鳥間はラッセル車と化し、終点北濃に到着。全線完乗達成!!

北濃を出て、少し歩くと、地元住民は雪かきに精を出していた。そして、P-KANとなり、視界は良好!!

美濃太田行き(ワンマン)で折り返し、関で下車。



とある事情により、“ムンクの叫び”に似た車両の新岐阜行き(ワンマン)には乗らず、テクテク歩いてスーパーマーケットで昼食。



関駅(感じは電停)に戻り、新岐阜行き(882:ワンマン)へ。

両替しようとしたら、野口英世の千円札は受け付けてくれず、隣りに坐っていた家族づれに夏目漱石と交換してもらった。ちなみにこの当時、樋口一葉の五千円札はまだ見たことがなかった。

発車すると、道路を横断するのに踏切で一旦停止。おまけに遮断棒がない大胆なつくりで、よく事故が起こらなかったと思うが、道路信号がそれを防いだのだろう。

あっけなく新関に到着。関-新関間は60分おきなのに対し、ここからは30分おきで、こんなんで代替ルート(1999年、新関-美濃町間のフォーエヴァーと引き替えに誕生)を作る必要があったかどうかが疑問だ。



野一色(Noishiki)で、徹明町行き(591:ワンマン)に乗り換え。実は1時間前の便は接続しておらず、1時間待った。


2005年の汽車旅1-前編- [汽車旅2005]

2005年1月8日(土曜日)、JR東日本常磐線北千住から8時57分発の快速(取手から普通電車)水戸行き(土浦まで前から6両目、土浦から前から2両目の3号車モハ415-113:弱冷房車)でスタート!! ちなみに青春18きっぷのスタート地点を北千住にするのは初。また、415系シリーズは車内1か所に号車札を掲示している。


実はその前の快速取手行きは奇跡的に103系が現われたので、食指が動いたが、断念した。なお、103系は2005年12月で常磐線から姿を消すらしい(E231系通勤形タイプの投入計画変更により、1年延命していた)。

幸運にも終点水戸までボックスシート独占で、土浦で前4両(415系1500番台)を切り離し、11両編成に。ちなみにE531系は基本10両(グリーン車なし)+付属5両の組み合わせなので、沿線からは「わかりやすくていい、登場が待ち遠しい」と前評判が高いとか。

友部-内原間は途中で上下線が別れ、畑があるが、更に車両基地 or 留置線を作っていた。おそらく、将来は余剰の415系シリーズをいわき以北に転用する対策かもしれない。

終点水戸で水郡線の普通列車常陸大子行き(キハ111-117)に乗り換え。

水郡線は初乗車。途中の上菅谷で普通列車常陸太田行きワンマンカー(キハ112-120)に乗り換え。

額田(Nukada)-河合間は山林を駆け抜ける車窓が印象に残り、まずは支線を制覇!!

終点常陸太田で下車し、交差点を横断したところにある日立電鉄日立電鉄線常北太田駅へ。

2005年3月31日(木曜日)でフォーエヴァーが決まっており、後継営業社を募集していたが、JR東日本とライブドアは買収する意思がなく、バス転換が決まってしまった。

『1日フリー乗車券(900円)』を購入し、7割は高校生、2割はレールファン、1割が高齢者という感じで乗り込み、鮎川行き(2213:ワンマン)が発車。車体がきたなく、洗車していないのは御粗末。レールファンの一部は“かぶりつき”しているが、魅力半減。

ここのワンマン運転は風変わりで、下車した時に運転士が乗務員室から身を乗り出し、きっぷを回収するという方式なので、整理券や運賃表はない。

高齢者の利用が多いことを考慮して、キメ細かい放送を流し、カーブが多く、速くない。

大甕(Ohmika)からはうっすらと“太平洋オーシャンショー”があり、終点鮎川に到着し、全線完乗達成!! ちなみに隣りは常磐線で、駅の設置はない模様。

下車して、太平洋を目指し、歩くものの、見下ろしたら、ここはガケで転落したら落命の危険性があるため、断念。

ローソンで昼食を購入し、鮎川駅へ戻り、常北太田行き(3025:ワンマン&モハ10塗装車)へ。

乗車車両は広めの1人がけロングシート(1人分でも言うのだろうか?)が“展望席”となっており、ラクラクGET!! 終点常北太田まで前面展望を楽しんだ。しかし、洗車してないわ、留置車両の大半は色あせており、悲しい…

終点常北太田で下車し、徒歩40分ほどのところにある西山荘(Seizan House)へ。

着いたまではよかったが、カネとることで入場を断念。そして、太田中校入口停留所から茨城交通の路線バスへ。お客は私だけという“空気輸送”のありさま。それでいて定時にやって来ない。

太田駅前停留所で下車したが、水郡線の接続はまったく考慮しておらず、日立電鉄を基準にしているようだ。

余談だが、汽車旅で路線バスを利用したのは1999年1月の阪急バス以来、6年ぶり。

やむなく日立電鉄の鮎川行き(2211:ワンマン)に乗り、大甕で常磐線の普通電車土浦行き(4号車クハ401-77:リニューアル車)に乗り換え。ちなみにこの電車は4両編成也。

乗車早々、3号車でゲロピー騒ぎがあり、車掌は応急処置。

終点土浦で普通電車(取手から快速)上野行き(9号車サハE501-14)に乗り換え。

E501系を投入して10年たち、ようやくすべての運行区間で乗車することができた。

このあと、一時帰宅。少し休養したあと、次なる目的地へ向かう。


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