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急行〈はまなす〉フォーエヴァー総集編 [汽車旅2005番外編]

■2003年12月27・28日(土・日曜日)



2003年12月27日(土曜日)、JR東日本青森へ。急行〈はまなす〉札幌行き(8号車スハフ14 508:自由席)の自由席のりばは、かつての“臨時大垣夜行”を彷彿させるほど長蛇の列である。ところが、“「増結1号車2段式B寝台」という名のフェイント”で、自由席のりばは1両後ろへズレるハメとなり、大混乱!! さいわい、全員着席できたようである。 

今回、私が使用しているきっぷは『北海道&東日本パス』で、第3セクター鉄道3社や急行〈はまなす〉の自由席に乗車できる。おまけに自動改札対応なので、使いやすい。青春18きっぷとは異なり、5日間連続使用(現在は7日間連続使用)という決まりがある。

急行〈はまなす〉札幌行きが始発の青森を発車すると、津軽線を通り、中小国からJR北海道海峡線へ。23時45分、青函トンネルに突入すると、私は夢の中。スラブ軌道の轟音で起こされることもなく、北海道へ上陸した。すでに日付は 12月28日(日曜日)に変わっている。



「電源切れよ!!」

と誰かがケータイのマナーモードに設定していないお客に注意した頃に起き、まもなく、苫小牧。さいわい、時刻表とニラメッコしている隣席(通路側)の男性もここで降りてくれて助かった。 

■2003年12月29・30日(月・火曜日)

2003年12月29日(月曜日)夜、札幌へ。『STELLAR PLACE CENTER』6階のラーメン屋でトンポウロウチャーシューという北海道ラーメンをいっただきまーす。



食後、20時をまわると札幌時計台の鐘が鳴った。初めて聴く音色は驚きと感動にあふれ、夜でも札幌時計台は絵になる光景だ。

札幌駅に戻り、私は急行〈はまなす〉青森行き(8号車スハフ14 509:自由席)へ。函館本線、千歳線、室蘭本線をひた走る。


翌12月30日(火曜日)、再び函館本線を走行し、函館に到着。ふと目覚めると、快速〈海峡〉の姿は暗くて確認できなかった。“たぶん、すでにないのだろう”と思いながら、列車を降りる。

ここで牽引する機関車をED79 4にチェンジ。青森寄りは急行〈はまなす〉、函館寄りは寝台特急〈日本海〉を掲出しており、手間を省く。

五稜郭から江差線へ入り、とある信号所(3か所)で寝台特急〈カシオペア〉〈トワイライトエクスプレス〉〈北斗星1・81号〉札幌行きと行き違い。雪は激しく、窓をたたきつける。

木古内で海峡線、中小国からJR東日本津軽線へ入り、終点青森に到着。特急〈つがる2号〉八戸行きに乗り換えた。

■2005年8月14・15日(日・月曜日)

2005年8月14日(日曜日)、東北本線の普通電車が終点青森に到着すると、あいにくの雨だ。この日、東京は33℃に対し、青森は24℃だったので、過ごしやすい。

青森駅にゆらゆら流れる潮風が心地よく、連絡船があった歴史を感じさせる。旅する人々は3両しかない急行〈はまなす〉札幌行きの自由席GET'Sに向けて、怒濤と躍起が重なっている様子。

「静まれーッ!! 静まれーッ!!」



というかの如く、臨時寝台特急〈トワイライトエクスプレス〉大阪行きが“いっときの清涼剤”として、運転停車。電気機関車をEF81専用機に交代し、なにわを目指す。



ホームで並んでいた全員が急行〈はまなす〉札幌行きの自由席に坐れた。私は9号車オハ14 511をGET!! なおかつ、隣は誰も坐っていない。



青森を発車し、蟹田で運転停車後、車内検札が行なわれ、意外にも正規の乗車券を持っているお客が多かった。

23時34分、“「青いカクテルライト」という名のサイン”で青函トンネルへ。翌8月15日(月曜日)0時17分、青函トンネルを抜け、蝦夷地へ。

木古内で寝台特急〈北斗星4号〉上野行きと行き違い、苫小牧付近までぐっすり。

この日は線路切り替え工事のため、12分遅れで苫小牧に到着。その後、遅れは南千歳で8分、終点札幌で4分に縮めた。余裕時分を持ったダイヤに加え、急行〈はまなす〉では珍しいDD51重連のおかげだろう。



■2005年8月16・17日(火・水曜日)

2005年8月16日(火曜日)に発生した東北地方の強い地震により、寝台特急〈北斗星〉は運休となった。ところが、運休したはずの臨時寝台特急〈北斗星82号〉上野行きとすれ違った。いったい、どこへ向かうのか?(後日、回送列車と判明)

 

札幌で下車し、晩メシは北海道ラーメン。食後はおみやげを買って、急行〈はまなす〉青森行き(9号車オハ14 531:自由席)に乗り込む。明日は“天下分け目の青森”で、私はどういう決断を下すかが当日帰京のカギを握る。

翌 8月17日(水曜日)、急行〈はまなす〉青森行きは函館に到着し、車掌に地震関連の最新交通情報をきくも、前日と変わらない状況だという。5番ホームでは789系を留置して、帰宅困難者などを救済する“列車ホテル”となっていた。また、前日は特急〈つがる〉〈白鳥〉〈スーパー白鳥〉の大半が運休していたそうで、この日は運転するかどうかもわからないという。

もしもの場合は臨時快速〈きらきらうえつ〉新潟行きで遠回りし、上越新幹線で帰京することも考え、函館から先はよく眠れなかった。

青函トンネルに入ったのは4時06分で、出たのは4時47分。すでに夜は明けていた。

終点青森に到着すると、特急〈つがる2号〉八戸行き(E751系)が何気なくスタンバっている。

一部のお客は東北本線及び東北新幹線の運行状況を問い合わせており、情報は錯綜したものの、最終的には一部区間で徐行ながら、どちらも平常運行となり、ホッとしたぁー。


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Forever Railway 2005.3.31総集編 [汽車旅2005番外編]

今回は2005年3月31日(木曜日)でフォーエヴァーとなった路線を御紹介します。

①日立電鉄フォーエヴァー

2005年1月8日(土曜日)、日立電鉄日立電鉄線常北太田駅へ。

2005年3月31日(木曜日)でフォーエヴァーが決まっており、後継営業社を募集していたが、JR東日本とライブドアは買収する意思がなく、バス転換が決まってしまった。

『1日フリー乗車券(900円)』を購入し、7割は高校生、2割はレールファン、1割が高齢者という感じで乗り込み、鮎川行き(2213:ワンマン)が発車。車体がきたなく、洗車していないのは御粗末。レールファンの一部は“かぶりつき”しているが、魅力半減。

ここのワンマン運転は風変わりで、下車した時に運転士が乗務員室から身を乗り出し、きっぷを回収するという方式なので、整理券や運賃表はない。

高齢者の利用が多いことを考慮して、キメ細かい放送を流し、カーブが多く、速くない。

大甕(Ohmika)からはうっすらと“太平洋オーシャンショー”があり、終点鮎川に到着し、全線完乗達成!! ちなみに隣りは常磐線で、駅の設置はない模様。

下車して、太平洋を目指し、歩くものの、見下ろしたら、ここはガケで転落したら落命の危険性があるため、断念。

 

ローソンで昼食を購入し、鮎川駅へ戻り、常北太田行き(3025:ワンマン&モハ10塗装車)へ。

乗車車両は広めの1人がけロングシート(1人分でも言うのだろうか?)が“展望席”となっており、ラクラクGET!! 終点常北太田まで前面展望を楽しんだ。しかし、洗車してないわ、留置車両の大半は色あせており、悲しい…

終点常北太田で下車し、徒歩40分ほどのところにある西山荘(Seizan House)へ。

着いたまではよかったが、カネとることで入場を断念。そして、太田中校入口停留所から茨城交通の路線バスへ。お客は私だけという“空気輸送”のありさま。それでいて定時にやって来ない。

太田駅前停留所で下車したが、水郡線の接続はまったく考慮しておらず、日立電鉄を基準にしているようだ。

余談だが、汽車旅で路線バスを利用したのは1999年1月の阪急バス以来、6年ぶり。

 

やむなく日立電鉄の鮎川行き(2211:ワンマン)に乗り、大甕で常磐線の普通電車土浦行き(4号車クハ401-77:リニューアル車)に乗り換えた。

②名古屋鉄道路面電車フォーエヴァー

2005年1月9日(日曜日)、名古屋鉄道美濃町線関へ。

 

とある事情により、“ムンクの叫び”に似た車両の新岐阜行き(ワンマン)には乗らず、テクテク歩いてスーパーマーケットで昼食。

 

関駅(感じは電停)に戻り、新岐阜行き(882:ワンマン)へ。

両替しようとしたら、野口英世の千円札は受け付けてくれず、隣りに坐っていた家族づれに夏目漱石と交換してもらった。ちなみにこの当時、樋口一葉の五千円札はまだ見たことがなかった。

発車すると、道路を横断するのに踏切で一旦停止。おまけに遮断棒がない大胆なつくりで、よく事故が起こらなかったと思うが、道路信号がそれを防いだのだろう。

あっけなく新関に到着。関-新関間は60分おきなのに対し、ここからは30分おきで、こんなんで代替ルート(1999年、新関-美濃町間のフォーエヴァーと引き替えに誕生)を作る必要があったかどうかが疑問だ。

 

野一色(Noishiki)で、徹明町行き(591:ワンマン)に乗り換え。実は1時間前の便は接続しておらず、1時間待った。

野一色を発車した徹明町行き(ワンマン)は新岐阜行き(ワンマン)を追跡!! こういうのはよくある光景で、競輪場前付近で新岐阜行き(ワンマン)は田神線へ入った(そういえば、どこで1500ボルトにチェンジしているのかなぁー?)。

 

終点徹明町に到着し、美濃町線全線完乗達成!! ただ、道路のまんなかにあるため、横断するのに苦労した。

 

岐阜市内線には乗り換えず、徒歩移動。新岐阜駅では中部国際空港アクセスの快速特急を大々的にPR!! 新名古屋(のちに「名鉄名古屋」へ改称)から最速30分以内をウリにしている。

なお、美濃町線と同じ2005年3月31日(木曜日)に岐阜市内線、田神線、揖斐線がフォーエヴァーとなっているが、全線完乗済みのため、乗らなかった。

③のと鉄道能登線フォーエヴァー

2004年12月18日(土曜日)、第3セクターのと鉄道七尾線和倉温泉へ。まず一旦下車し、窓口で、『のと1日のんびりきっぷ(別名、「のと路レイヤー・1Day・チケット」)』(1,700円)を購入し、普通列車穴水行き(NT102:ワンマン)へ。ちなみに七尾-和倉温泉間はJR西日本と共用している。

私は座席に坐れず、前面展望をしていたが、線路上に鳥がいて、あわてて逃げようとするも、残念ながらひかれてしまった。運転士は運転続行。

終点穴水で『NOTo-EXPRESS』という黒い気動車を見かけ、能登線の普通列車蛸島行き(NT130:ワンマン&女性運転士乗務)に乗り換え。天気は悪いけど、“日本海オーシャンショー”を楽しみ、完全制覇達成!! ちなみに客層は高校生と高齢者という“セオリー通り”。

 

蛸島駅の駅舎は商店で、漁港でたたずんだあと、立ち寄った。のと鉄道や3セク転換前の様子も写っており、もうすぐ、この光景も“思い出”に変わってしまう。

のと鉄道は2001年3月31日(土曜日)に七尾線穴水-輪島間がフォーエヴァー。そして、今度は能登線がフォーエヴァーになり、残り区間はJR西日本七尾線の電化で経営譲渡された七尾-穴水間だけとなる。

 

蛸島駅舎の商店に入ると、新潟県中越地震で運転見合わせ中の寝台特急〈あけぼの〉〈北陸〉や急行〈能登〉の代替ルートをめぐって話が咲き、普通列車七尾行き(NT130:ワンマン&女性運転士乗務)が入線し、乗務員室にタブレットを見つけた。これもローカル線の定番。この旅の数日前、『開運なんでも鑑定団』でタブレットが欲しい36歳男性を思い出した(おまけに婚約発表もした)。

九十九湾小木(Tsukumowan-ogi)は某鉄道ライターが99歳最後の日(2036年)に、この地から旅をスタートし、100歳の誕生日に百舌鳥(Mozu)でゴールする構想を抱いていたが、バスでのスタートになりそうだ。

終点七尾でJR西日本七尾線の普通電車金沢行き(クハ415-808:弱冷車)に乗り換えた。

★備考

フリー百科事典『Wikipedia「日立電鉄」』はこちらにクリック!!

②名古屋鉄道ホームページはこちらにクリック!!

③フリー百科事典『Wikipedia「名鉄美濃町線」』はこちらにクリック!!

④フリー百科事典『Wikipedia「名鉄岐阜市内線」』はこちらにクリック!!

⑤フリー百科事典『Wikipedia「名鉄田神線」』はこちらにクリック!!


⑥フリー百科事典『Wikipedia「名鉄揖斐線」』はこちらにクリック!!


⑦のと鉄道ホームページはこちらにクリック!!

⑧『フリー百科事典Wikipedia「のと鉄道能登線」』はこちらにクリック!!

⑨岸田法眼のRailway Blog.「Forever Railway 2007.3.31総集編」はこちらにクリック!!

⑩岸田法眼のRailway Blog.「221系新快速リターンズ総集編」はこちらにクリック!! 

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吾妻線&湘南新宿ライン-後編- [汽車旅2005番外編]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

特別快速新宿経由小田原行きは大宮でサラリーマンと相席に。ダイヤも平常通りに戻った。

サラリーマンはリピーターのようで、天井にSuicaにタッチして、“自分の城”を作っていた。

すれ違う電車も急激に増え、新宿でグリーン車は半分近く降りた。

大崎を発車して、“綱渡り”のような感じで横須賀線へ。ちなみに“怪物(500系)”の〈のぞみ16号〉東京行きとすれ違った(最初からわかっていたら、ケータイ動画を撮っていた)。

余談だが、私が湘南新宿ラインを利用するのは2001年12月以来、2回目。最初に乗った時は快速〈アクティー〉から外れたオール2階建て近郊形電車、215系に乗っていた。

横浜で隣席のサラリーマンが降り、ドアが開くと同時にランプが赤にチェンジ!! 発車すると、E231系をまるまるパクッた相模鉄道10000系と初対面!!

この日はアクシデントが多く、高崎線のほか、横須賀線では信号トラブルで逗子-久里浜間が一時、運転見合わせ(湘南新宿ラインも一部の電車が巻き添え)。根岸線では架線に障害物が付着し、磯子-大船間で18時まで運転見合わせや横浜線はすべて東神奈川折り返しなど、多難。

横浜から赤ランプが多くなったグリーン車は少々、寒気を感じ、平塚では始発高崎から向かいの席に坐っていた男があわててE231系近郊形タイプの普通電車熱海行きに乗り換え。座席上のランプはグリーンのまま。

5号車グリーン車2階では私だけが全区間乗車をして、終点小田原に到着。“ウエストひかり”じゃないけど、「我が、ままの3時間」を楽しんだ(グリーン車は全区間乗車を原則としている)。ちなみに“ウエストひかり”は石坂浩二をCMに起用していた。

残念なのは車販は高崎線だけだったことで、次の乗車時はノドをうるおしたい。

終点小田原で普通電車熱海行き(4号車2階建てグリーン車サロE230-1070:2階席利用)に乗り換え、“グリーン車延長戦”。乗り換えでも使えるのは大きなメリット。



終点熱海で普通電車浜松行き(クモハ211-5613:ロングシート。中間車扱い)に乗り換え、由比(Yui)で降りるが、改札は出ていないので、下車にはならない。また、静岡県は関東地方ではないので、本来ならば汽車旅が成立するが、下車していないので、今回は“番外編”とする。

由比で折り返し、“「伝家の宝刀」という名の366M”こと、普通電車東京行き(2号車自由席サハ373-5:熱海まで女性車掌乗務)で、“有終の美”を飾った。


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吾妻線&湘南新宿ライン-前編- [汽車旅2005番外編]

2005年9月10日(土曜日)、この日をもって、青春18きっぷ夏の陣は千秋楽となる。



上野から8時39分発の快速〈アーバン〉高崎行き(①上野-籠原間はサハ211-1018:籠原止まり②籠原-高崎間はモハ210-3018:ロングシート)に乗り、ボックスシートをGET!!

大宮近辺では189系“旧ASAMAカラー”が留置され、廃車か“まだまだエル特急〈あさま〉”に使うのかは不明。また、E231系近郊形タイプの中間車がゴロゴロ集まり、増備車を待っている様子。そういえば、E231系グリーン車は増え、今や基本編成はすべてついただろう。

特急〈成田エクスプレス15号〉成田空港行きが発車を待っていたが、わざわざ東京へ遠回りするより、武蔵野線・常磐線経由にしたほうがいいと思うが、ダメかなぁー?

籠原で車両を移動し、ロングシートはお年寄りのハイキング軍団でにぎわっていた。天気も曇りから、P-KANとなる。

終点高崎4番線に到着。向かいの2番線は特別快速新宿経由小田原行きが発車を待っているが、2階建てグリーン車は予想外の満員。

遠目から臨時特急〈草津白根〉万座・鹿沢口行きを初めて見たが、ちゃんと絵入りヘッドマークを装備していた。

私は普通電車大前行き(クモハ115-1032:リニューアル車)へ。ボックスシート楽勝だが、そのうち温泉客が乗り込み、大半は相席の“Ohmae Got!!”へ。

高崎問屋町という聞いたことがない駅を通り、新前橋では211系1000・3000番台が留置線で、グリーン車が先頭車にはさまる感じで連結していた。おそらく、一部の車両を10両編成に組み直すと思われる。

上越線は快速〈ムーンライトえちご〉の利用が多く、昼間の利用はめったにないので、新鮮な気分だ。

関越自動車道をくぐり、渋川に到着すると、乗務員室のカーテンは下ろされ、ここから吾妻線へ。

関東地方だとは思えないほどの自然に加え、トンネルや勾配が多く、“のんびり走っている”という感じ。

中之条はプリペイドカードみたいな名前のお姉ちゃんが主役を務める『ファイト』(そのあと、「いっぱ~つ」と言いたくなる?!)のロケ地かどうかは知らないが(ホームにノボリが立っていたから)、ここは小渕元総理大臣の出身地。御健在の頃にロケをして放送された『号外!! 爆笑大問題』では実兄が出演し、町長を務めていた。

余談だが、ロケ中、永田町へ電話をして、実弟を呼び出したものの、公務中で、“ブッチホン”は実現しなかった。

中之条で若干下車し、更に難関を進むが、一部区間は将来、ダムで水没するそうで、代替ルートを建設している。

岩島-川原湯温泉間では日本一、短いトンネルをあっけなく通り、長野原草津口で温泉客はほとんどいなくなり、万座・鹿沢口は特急の終点だと言うのに、ホームがたった1つしかないことに驚いた。

ここから清掃員が乗り込み、終点大前に到着し、吾妻線全線完乗達成!! ちなみに半数はレールファンが乗っていた。



大前は嬬恋村にあるところのようで、涼しく、川の流れは心地よかった。

折り返し、普通電車高崎行き(クハ115-1038:リニューアル車)に乗り、高崎線踏切事故発生の知らせが…

高崎で本日2度目の下車。2005年7月3日(日曜日)から大変身し、JR東日本と上信電鉄は別改札となり、秋からは新幹線専用自動改札も設置(大宮もそうして欲しい)。また、JR東日本の有人改札はカウンター方式になるなど、駅員の応対も以前に比べれば、ソフトになったようだ。ちなみにTBSの某ドラマで、ホームのロケ許可が認められなかったのか、高崎を「東京駅」に見立てていたが、おおいに違和感があった。



特別快速新宿経由小田原行き(5号車2階建てグリーン車サロE231-1068:2階席利用)へ。



E231系グリーン車は“オープン戦”で2回乗車しているが、“公式戦”では初の利用。グリーン券は1回目の下車時、券売機にインターネット懸賞で当たったオレンジカードを投入して、見事に使い果たした(驚いたことに沼津まで販売)。

普通電車上野行きは15分以上の遅れで発車したが、こちらは3分程度。ホームに着いた時にはすでに入線していた。

倉賀野付近でグリーンアテンダントによる検札が行なわれ、某駅まで購入していたので、念のため、「乗り継ぎ利用OKですか?」と尋ねたら、大丈夫とのこと。

ふと天井を見上げると、半分の席はグリーンランプが灯っていた。Suicaにタッチしなくても、検札すればつくのである(そういえば、電子ペンでなにかやっていたなぁー)。

本庄付近で車内販売。2階建て車両のため、小さなカゴでの営業だが、思ったより売れている。

籠原で5両増結。遅れは2分で、これなら予定通りの行動ができそうだ。


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首都圏新都市鉄道-後編- [汽車旅2005番外編]

2005年8月30日(火曜日)、『つくばエクスプレス開業記念 一日乗車券』を使い、“ぶらり途中下車のゆうちょ”を行なった。

ゆうちょ済みの秋葉原-南千住間をカットし、北千住へ。新しい南改札ではつくばエクスプレスの電車が到着し、乗り換えるお客がドドーッと小走りで自動改札を通過。千代田線乗り換え客を見聞するが、南改札の下に5番出口を新設し、階段をバタバタ下りただけで、たどり着けるので不便さは感じない。ちなみにエレベーターもある。

北千住駅西口から徒歩9分の北千住郵便局でゆうちょ。宿場町通りサンロード商店街沿いにあるが、以前、『東京日和』という番組で北千住を取り上げ、何度も利用しているにもかかわらず、見たことのない光景に驚いた。

北千住から各駅停車守谷行き(ワンマン運転)行きへ。ちとてこずったが、千代田線松戸行き(JR東日本203系)を抜き切れず、東武線の区間準急(東京地下鉄8000系)も抜けなかった。

なお、つくばエクスプレスの車内は「普通」、ホームでは「各駅停車」と案内しており、ここでは後者に統一。また、これから乗る各駅停車はすべて守谷行きなので、「各停」と略し、車番も省略する。

青井で下車し、地図を見るも過去にゆうちょしたところばかり。

駅を出ると、道路は舗装し直し、バスやタクシーのりばを新設していた。

綾瀬川を渡り、足立綾瀬郵便局でゆうちょ。ここでは何気なく女性局員は主務者印を押し、カンゲキ。

ところが、この2局は帰宅後、1998年に貯金済みであることが判明。基本的にゆうちょ(旅先では“旅行貯金”)はお初の局しかやらないことにしており、同じ局の重複貯金は“参考記録”扱いとしている(移転・改称は除く)。

青井から乗った各停はTX-2000系で、ボックスシートをGETするも次の六町で下車。

こちらも周辺道路は整備され、駅の上は医者や薬屋などのテナントが出店。私は徒歩1分の足立六町郵便局でゆうちょ。残念ながら主務者印は押されなかった。ネームプレートを見たら、「主任」となっていたので、そんな気がしていた。

各停に乗ると、天井のスピーカーにマイクをはさみこんで、車内放送を録音する男がいた。若者のようだ。また、小さな男の子は落ち着かず、お母さんの左足首で遊んでいる。

その親子と共に八潮で下車。首都高速をくぐり、はるか長い直線道路をえんえん歩き、途中から柳の木が現れ、徒歩21分で八潮中央二郵便局に着き、ゆうちょ。

セミの声が鳴り響き、新幹線と間違えそうな、つくばエクスプレスの高架が見えると、八潮駅に到着。



TX-2000系の各停(ロングシート)に乗り、東京外環自動車道をくぐると、三郷中央に到着し、下車。駅前ではマルエツつきの高層マンションを急ピッチで建設中。埼玉県の2駅は草っぱが多く、これから大規模な開発が行なわれる。

第二大場川沿いを歩き、三郷中央から徒歩7分で三郷郵便局に着き、ゆうちょ。周辺の道路は交通量が多く、信号が欲しいところ。

各停に乗り、南流山で下車。武蔵野線乗り換え駅ということもあり、にぎわっているが、既設道路は舗装し直していた。

道を行き過ぎるヘマをしたが、南流山郵便局に到着し、ゆうちょ(道を間違えなければ徒歩5分)。更に総武流山線鰭ヶ崎駅(Hiregasaki Sta)近くにある流山鰭ヶ崎郵便局でゆうちょ(南流山駅から徒歩7分)。

時刻は13時30分となり、南流山駅に戻ると、おりたたみチャリンコを持って自動改札を出た少年がベテラン係員に注意されていた。カバーをかけないとダメだそうだが、「規則」と言いながら、注意書きのはりがみ等がないので、駅側の不親切さにも問題がある。お客が鉄道規則を知っているのは「大人料金は中学生以上」と「危険物の持ち込みはダメ」ぐらいだろう。

快速つくば行き(ワンマン運転)で一気に守谷へ。関東鉄道常総線は自動改札がついて、近代的になったが、駅前は開発工事中。

国道294号線沿いを歩くも道を逆方向に進んでしまい、ヘトヘトになりながら、守谷松ヶ丘郵便局でゆうちょ(走って11分ほど)。



守谷駅へRUNNING SHOTし、快速つくば行き(ワンマン運転)でHiromi Go!!

アーバンネットワークの新快速なみのスピードで万博記念公園を通過すると、進行方向左側から筑波山が見え、終点つくばに到着。

流山、守谷のミスを防ぐべく、地図をよーく見て、時間もないので急いだら、筑波学園郵便局を見つけ、貯金窓口17人待ちだったので、ラクラクゆうちょ(徒歩8分)。これで、つくばエクスプレス沿線郵便貯金は無事に終えた。

初めて、つくばを歩くが、都会的な雰囲気があるのに今まで鉄道がなかったのが不思議だ。また、つくばエクスプレスの売店やコンビニはすべて、am/pmであるのも新しい発見だった。



つくばバスセンターへ寄り、首都高速八潮付近で通行止めが発生し、東京駅行きと羽田空港行きが相当遅れている模様。みんなはつくばエクスプレスを選ぶだろう。


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首都圏新都市鉄道-前編- [汽車旅2005番外編]

開業前からCMを流していたせいか、国民の関心は高く、2005年8月19~21日(金~日曜日)には8月29~31日(月~水曜日)のどちらか1日限定有効ながら、『つくばエクスプレス開業記念 一日乗車券(500円)』を発売し、好評だったようである。

朝日新聞によると、8月20日(土曜日)は足立区内3駅、8月21日(日曜日)は台東区内2駅で開業式典が行なわれた。



北千住駅開業式典の翌日、8月21日(日曜日)には駅を一般公開(ホームの見学は不可)し、東京23区内では最多駅数を誇る足立区(3駅)ではスタンプラリーを開催!! 更に常磐線・東武線が新設する南口ではブラスバンド(地元の高校らしい)の演奏が行なわれ、盛り上げていた。

これにより、お客が流れてゆくと思われる区間を予想してみた。

◆JR東日本

東北本線秋葉原-西日暮里間

常磐線日暮里-土浦間

武蔵野線新松戸-新三郷間

◆東武鉄道

伊勢崎線浅草-草加間

野田線流山おおたかの森-柏間

◆関東鉄道

常総線取手-守谷間

◆関東鉄道バスなど

東京駅-つくばセンター間など

◆東京地下鉄

日比谷線秋葉原-北千住間

千代田線西日暮里-北綾瀬間

◆総武流山鉄道

全線

鉄道は改札口増設、駅新設、ダイヤ改正など、減収覚悟のバックアップをしているが、高速バスは料金値下げや停留所の新設などで対抗策を打ち出している。

前日も北千住へ寄ったが、できたてホヤホヤの駅時刻表を配布。北千住駅員は“若い人材が多いな”という印象を受けた。



日中のダイヤは快速・区間快速が30分おき、普通は15分おきで、守谷-つくば間の各駅は30分おきと意外と本数が少ないことに驚いた。



2005年8月24日(水曜日)、開業初日の夜の秋葉原はひときわ盛り上がり、つくばエクスプレス1番出口に吸い込まれる人々が多く、券売機は行列だらけのため、一部の自動改札は機能を止めて、ペーパー乗車証で対応。すぐに乗りたい私はペーパー乗車証を選び、ホームに着いたら、快速つくば行きは乗れるような状況ではなく、19時20分発の区間快速つくば行き(4号車2466:ボックスシート)に乗る。ちなみに“区間”を英訳すると、Semiで、東武鉄道はSection、JR西日本はRegional。

たまたまひじかけにテーブルが収納している車両だったが、満員の車内では使いようがない。

6両編成なので、全員乗り切れるかどうか不安だったが、ゆうゆうOK。

車内のドア上はLED(1行10マス)とボードが交互にあり、前者は東京地下鉄とJR東日本のやり方を取り入れ、後者は停車駅をランプ表示している。

ドア上LEDは駅に停まると、「-02-新御徒町」のあと、英文字、カタカナの順に案内。自動放送の声は都営地下鉄と同一人物のようだ。

南千住を発車すると、つくばエクスプレスの速さを実感!! “北千住を通過するんじゃないの?”と思うほど速い。

そして、北千住を発車すると本領発揮!! 夜の高架を疾走する姿は名古屋を発車した〈のぞみ〉東京行きを彷彿させ、少し気分が悪くなった(のりもの酔い)。

南流山、流山おおたかの森で降りるお客が多く、守谷で空席が発生。



守谷を発車すると、電流は直流から交流に変わるが、照明が切れないのは最大のサービスと言えるだろう。



ボックスシートはJRの近郊形車両に比べると、広いように感じる。できれば転換クロスシートにして欲しかった。4ドアなら3~4列は並べることができただろう。



終点つくばに到着し、全線完乗を達成!! しかし、停車中の電車を撮影することはできないのはひどい。電車の撮影は昼間のホームに到着あるいは通過したものに限るようである。


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JR東日本常磐線特別快速 [汽車旅2005番外編]

2005年7月9日(土曜日)、JR東日本常磐線はダイヤ改正を実施。“目玉”と言えるルーキー、E531系に乗る。

12時40分頃に上野入りしたが、早くも目当てのレールファンが並んでいる。

特別快速の上野発はすべて9番線から発車し、すべて15両編成で運行するようだ。

特別快速土浦行き(15号車クハE531-1004)が入線。ボルテージがあがり、いつのまにか警備員が立っていた。数日前にロンドンで発生したテロ事件の影響もあるのだろう。

ボックスシートに坐り、13時12分に発車(ちなみに先頭車乗務員室寄りはいつもの“お約束”)。三河島-北千住間は加速がよく、北千住で快速取手行きを抜いた!! ちなみに“特別快速の通過待ちをされた快速”を見たのは初めてである(中央線は通勤特快が三鷹と中野で快速を抜くらしい)。

北千住を通過し、鉄橋を渡ると、つくばエクスプレス試運転電車と一瞬のすれ違いを果たした。6両のつくばエクスプレスと15両の特別快速は着席率では後者に軍配があがる。

E531系はE231系に比べ、暖色系の車内が特長で、ドア上LEDは上段に初めて「まもなく」、下段右側に号車札が表示されるようになり、わかりやすくなった。但し、1行全角6文字の姿勢が変わらないのは残念だが…

吊り革はシャレたブラックで、ドア付近は低め。網棚は特急車と遜色がないデザインである。

取手からお客が減りだし、130㎞/h運転となるが、軽量のせいか、ビビビと揺れる(新快速はそうでもない)。しかし、JR東日本は“快速以下でも130㎞/h運転をする”という「やればできるじゃん!!」の姿勢は評価すべきだろう。

この日は“デビュー戦”ということもあるのか、すれ違ったE531系はすべて15両編成でしたが、つくばエクスプレスに勝つには“坐れる”イメージを植えつけなければならないのだろう。

但し、特別快速は、つくばエクスプレスの区間快速に相当するため、取手-土浦間の停車駅をしぼったほうがいい。

定刻通り、終点土浦に到着。あわただしく、土浦運輸区へ引き上げ、タイガースカラーの特急〈フレッシュひたち29号〉高萩行きが到着した。

復路はE501系の普通電車(取手から快速)上野行きでもよかったが、やはり特別快速上野行き(3号車モハE531-1004:ロングシート)へ。ちなみに14時43分に到着した土浦止まりの普通電車はなんとE531系5両編成也。

特別快速上野行きはボックスシートを取られたため、やむなくロングシートだが、“栄光の3号車”ということで妥協。

なお、各車両、2か所にコンセントを設置しており、優先席以外のロングシートならば、気兼ねなく、ケータイやノートパソコンの充電ができる。


臨時快速〈三鷹駅・電車区75周年記念号〉 [汽車旅2005番外編]

2005年6月25日(土曜日)、JR東日本中央線の特別快速高尾行きで三鷹へ向かい、車中では中吊り広告をもぎ取る外人男(外人女とラブラブ)がいて、うちわに使うなど、マナーの悪さは万国共通。



三鷹に到着し、3・4番線は大混雑!! 高尾寄りでは『三鷹駅・三鷹電車区75周年記念式典』の会場となっており、JR東日本社員(応援要員もいた)は“伝家の宝刀”、グリーンロープで、安全確保。



9時35分頃、臨時快速〈三鷹駅・電車区75周年記念号〉高尾行きが入線。武蔵野線103系8両編成だが、ヘッドマークどころか方向幕もシールながら掲出するなど、サービス100萬満点!!

ドアが開くと、壮絶な座席争奪戦で私はクツが脱げそうになったが、不本意ながら進行方向左側の座席をGET!! こんなに激しい争いはずいぶん久しぶりだ。

9時51分に発車!! 終点高尾までノンストップで、スピードはゆるやか。

車内では三鷹駅と三鷹電車区の歴史、103系のプロフィールや冷房と扇風機がフル稼働(にもかかわらず、窓を開けるフラチ者がいた)。おまけに通過駅になると、汽笛を鳴らすなど、中央線103系リターンズであると共にフォーエヴァーの可能性が高いだけに惜別を感じる。

中央線で荻窪から先の昼間利用は3年ぶりなので、高架工事を初めて見るが、着々と進んでいる(複々線でないのが理解できぬ)。また、沿線では撮影隊が多く、特に立川-日野間の多摩川では横1列セイゾロイ。



終点高尾4番線に到着し、いったん全員降りてもらい、ドアを閉めて、再度開く方式をとり、1・8号車ではモミクチャ撮影会で、8号車に大波乱が…

「誰だぁー、押したのは!!」

駅員がホームに突き落とされ、激昂!! ホームは一時、騒然とした。



10時48分発の折り返し便に乗り、往復どちらとも8号車クハ103-828を利用し、復路は立っていた。

東小金井で運転停車し、特急〈あずさ8号〉新宿行きの通過待ちと豊田始発の快速東京行きを先に通すという思わぬ大波乱!! レールファンはなかばブーイングといったところだろう。

11時27分に運転再開し、ノロノロ運転で終点三鷹に到着。駅員はかなり罵声をぶつけていた。

大混雑の三鷹で初めて下車(三鷹-高尾間の往復乗車券を持っている人が無効印を押してもらうため、かなりの行列ができていた)。三鷹電車区公開イベントは大渋滞になり、レールファン以外でも関心が高い。

しかし、北口の階段で25分も通行止め扱いにされ、一部の電車利用客は運転見合わせとカン違いし、副駅長がたまたま視察したものの、業務連絡で戻らなければならず、観覧客の説明が不充分だったらしく、強引に戻る姿勢に「待って、副駅長!!」「逃げるなxーっ!!」など、罵声の雨アラレ。

もし、さとう珠緒がいたら、こう言っただろう。

「プンプン」

余談だが、改札で駅員数人が打ち合せするもパニック状態…

並んでから1時間20分で三鷹電車区に到着し、冊子と記念4色ボールペンをプレゼントされ、まずはE231系通勤形タイプに入り、炎天下でクタクタなため、涼んでひとやすみ。



展示は1~3号車までで、次はE231系800番台へワープ!! こちらは1号車だけで、次は201系『四季彩』2代目カラー初お目見え。シートモケットも新しくした。ちなみにボックスシートはかっこうの休憩所である。



E231系800番台に戻り、5・6号車見学後は『ACトレイン』で、数年後はそれをベースにした車両を京葉線に導入する。



みたび、E231系800番台に戻り、8~10号車を見学したあとの検査場は圧巻!! マイナス1メートルぐらいなのかな、下から見る電車は“大きい”ことを実感する。



この日は充実した1日だったが、三鷹駅に戻ると、混雑過多のため、途中で入場を打ち切ったことを深く詫びる放送を流していた。

★おまけ(2007年追記)

イエローカラーのクハ201が孤独に休んでいた。この車両、JR東日本初期の頃に発生した東中野駅追突事故で、編成替えにより、余ってしまったらしい。できれば、2007年10月にオープンする鉄道博物館に展示して欲しかったが、その願いは叶わないようだ。

※この追記は掲載当初、諸事情により、画像を入れておりませんでしたが、“改造”を機に載せたものです。


臨時電車〈フラワーエクスプレス号〉太田行き [汽車旅2005番外編]

2005年5月1日(日曜日)、東武鉄道30000系第14編成を使った臨時電車〈フラワーエクスプレス号〉太田行きへ。ちなみに始発は長津田だが、都合により、途中駅から乗車した。ちなみに復路は中央林間行きである。

春日部では東京地下鉄8000系(6・7号車は仕様の異なる中間車)、東武動物公園では東京急行電鉄8500系の区間準急南栗橋行きと待ち合わせ。“イーハー東武がイーハー東武”を抜くシーンが続いた。



30000系が館林方面へ運行するのは2003年3月18日(火曜日)以来で、行先表示は「臨時」というのは残念だが、東武線内は種別がゴチャゴチャだからだろう(快速及び、かつての“速達準急”を足して2で割ったため)。また、予想通り、車内の情報案内装置もまったく作動しなかった。

行楽客が主流であるものの、先頭車は相変わらずレールファンかぶりつき。ルートは直線が多いものの、速くなく、105㎞/hという“普段着運転”の様子(30000系はMAX120㎞/h)。

羽生で秩父鉄道の元国鉄101系と遭遇するが、情け容赦なく(?!)発車!!

館林の留置線では全身ホワイトで謎めく8000系3両編成(車番未表記)の修繕車が2本留置。更に5050系は戦力外となり、無残にも車体は色あせ、方向幕が外され、スクラップを待つのみと言っていいだろう。レールファンの関心は高かったようだ。



到着後は前4両切り離し。なおかつ、特急〈りょうもう5号〉赤城行きと待ち合わせのため、12分停車。



停車中、佐野線ホーム1番線で、“初代〈りょうもう〉”の1800系と久々の御対面。“「通勤形」という名のあわれな姿”に変わってしまったのは残念だが、もしかしたら、留置していた謎の3両編成にチェンジされるのだろうか?

その3両編成車は800系・850系と名乗り、東上本線小川町-寄居間で運用するらしいが、しばらくのあいだは2編成つないだ6両で、伊勢崎線・日光線で走り込んでいる(のちに佐野線と伊勢崎線太田-伊勢崎線の運行と判明)。

さて、上りの特急〈りょうもう16号〉浅草行きに遅れが発生したため、特急〈りょうもう5号〉赤城行きは3分、臨時電車〈フラワーエクスプレス号〉太田行きは5分遅れで発車。ここから先は単線かつホームが10両に対応していないため、6両に短縮された車内は混雑している。

途中の福居で準急浅草行きと行き違うため、運転停車。足利市ではバッサリ降りて、ようやく坐れ、韮川(Niragawa)で10030系の回送と行き違い。



10時27分、終点太田に到着。向かいのホームには桐生線5050系の各駅停車赤城行きと接続しており、すぐさま発車!! 8000系チェンジは“時間の問題”となっているため、レールファンの関心は高かったようだ。



1999年以来、6年ぶりに小泉線を利用し、各駅停車東小泉行き(ワンマン)と1800系トップナンバー車の各駅停車館林行きに乗り継ぎ。

小泉線で1800系を利用するのは初めてで、やわらかなシートに坐ると、急行〈りょうもう〉時代の“なつかしさ”を感じる(改造された300系・350系は座席が硬く、キュークツ)。



終点館林で佐野線1800系と顔を合わせ、更に特急〈りょうもう20号〉浅草行きも現れ、“2世代車両そろい踏み”も上りの遅れ(満席のため)は相変わらず。

余談だが、基本的に東武鉄道は“お客様の安全”を重視しているため、回復運転はしないそうだ。“遅れている時こそ平常心を”ということなのだろう。


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臨時急行〈みなとみらい号〉高島平行き(武蔵小杉からワンマン運転) [汽車旅2005番外編]

2005年2月11日(金曜日・建国記念日)、横浜高速鉄道みなとみらい21線(正式名称だが、22世紀以降も運行するため、数字を抜いて案内しているのは御存知の通り)開業1周年を迎え、3連休中は3つの臨時急行〈みなとみらい号〉を運行する。



トップバッターは東京都交通局6300系の臨時急行〈みなとみらい号〉高島平行き(武蔵小杉からワンマン運転)。



1号車は相変わらずの光景だが、先頭車の行先LEDはなにもなく、側面は「臨時」とは困ったもの(高島平はインプットされてるはずなのに)。おまけに空席もあるなど、意外と人気がない?!



横浜から東京急行電鉄東横線に入り、ホームの案内板が「急行高島平」となっていたため、特に菊名でレールファンが撮りまくり。これには各駅停車渋谷行きと待ち合わせをしておきながら、この電車が先に発車しないという“「前代未聞」という名のウラ事情”があったからだ。JR共々、急行のメンツはなくなったのかねぇー?

日吉ではY500系の特急渋谷行きの通過待ちで、たちまち撮影会に。こういう“ゆとり”があるのはいい。

元住吉-武蔵小杉間で止まり、CS-ATSからATOに切り替え。車掌はマイクつけっぱなしで運転士とヤリトリをしていたため、その一部始終が車内に漏洩し、一部のレールファンにはウケたようだ。

武蔵小杉から目黒線に入り、次の駅から自動放送が稼働し、ワンマン運転へ。車内の情報案内装置は稼働しなかったが、せめて白金高輪まで急行運転してほしかった。いちおー、安全対策はできているのだから。



目黒から東京都交通局都営三田線と東京地下鉄南北線の共用区間へ。そして、白金高輪で南北線9000系の〈みなとみらいリレー号〉王子神谷行き(ワンマン運転)に乗り換え、溜池山王まで利用した。



翌日は埼玉高速鉄道2000系、翌々日は東京急行電鉄1000系で運行する。後者は2004年5月に乗ったので、乗らず、前者は乗ったとしても、内容がこの日と変わらないため、省略する。


元旦終夜運転2005 [汽車旅2005番外編]

2004年12月31日(金曜日・大晦日)、ある路線の電車に乗っていた私は23時59分になったところで、177へ(普段、ケータイで通話しないから、2003年12月31日のリダイヤル履歴が残っており、117に誤ってPUSHせずにすんだ)。ちなみに通話はしていませんよ(相手が一方的に言ってるだけ?!)。

2005年が開幕し、東京ミレナリオは天候不順で千秋楽は中止。雪の東京ミレナリオ動画撮影を楽しみにしていたが、“スッテンコロリン”が続出するとにらんだのだろう。まさに“ざんねーん”といったところ。

電車は上野に到着し、銀座線浅草行きに乗り換え、終点で下車。

2年ぶりの浅草寺は浅草駅6番出口を迷路のような感じで進み、浅草寺弁天堂へ。

ちょうど除夜の鐘は終了し、なんと中村勘九郎が『第55回紅白歌合戦』終了後、すぐさまかけつけていた。そんで、新年早々のごあいさつ(2005年2月に18代目中村勘三郎を襲名した)。

軽く夜店をまわった程度で、参拝はせず、雷門では本日新発売の『もんじやコロッケ』を売り出していた。

浅草に戻り、銀座線の臨時急行〈新春ライナー荻窪1号〉荻窪行きへ。



駅の案内放送は「赤坂見附行き」と言っているのは残念だが、駅員がカバー。思ったほど乗ってこず、中学生ぐらいのレールファン2人組は到着するごとに降りて、撮影チャンスをうかがう悪ふざけぶりにあきれるばかり(夜間外出を許す親御さんにも問題あり)。

溜池山王で各号車に係員が乗り込み、赤坂見附は丸ノ内線ホームに到着。各号車、中間のドアのみを手動で開閉するヘンテコリン乗降(座席下にドアコックがあるので、中間のドア付近に坐っているお客は一旦、立たなければならない)に戸惑ったり、グチるお客が続出!!(丸ノ内線も銀座線と同じサイズにすりゃよかったのだが…)

中野坂上を発車すると、工事現場員の若い男が走行中、優先席でケータイの通話という大胆不敵な行動にドアマン係員はなすスベなし?!



終点荻窪でレールファン数人が待っており、ごゆるり撮影。珍しく方向幕の車両を使っていたが、コマは白…



中央線201系の各駅停車東京行きに乗り換え、終点で山手線205系の上野・池袋方面行きへ。

2005年は山手線205系フォーエヴァーなので、もしかしたら最後の乗車かもしれないが、ここでは6ドア車で“1周仮眠”(確かにそうなった)。



東京に戻り、373系の普通電車静岡行きに乗り換え。隣席のお姉ちゃんは「〈ムーンライトながら〉だーい好き」と向かいに坐っている母親に豪語!! ちなみに私は藤沢まで仮眠。お姉ちゃんはブーツ脱いで、上着を布団代わりにして就寝態勢?!



江ノ電1500系の鎌倉行きに乗り換え、江ノ島で下車。徒歩で江ノ島海岸へHiromi Go!!



雲にさえぎりそうな予感はしていたものの、2005年1月1日(土曜日・元旦)6時57分、オーシャンから“「サンライズ」という名のてぃだ”が昇り、みな大カンゲキ!! 波はメチャクチャ高かったが、これで江ノ島初日の出は3勝3敗となった。


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