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さすらいの諸国漫遊記57-千秋楽 [汽車旅2004]

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・さすらいの諸国漫遊記57-初日~5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08

・さすらいの諸国漫遊記57-6日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-09

2004年8月25日(水曜日)、“日本完全制覇の旅”は、ついに千秋楽を迎えた。夏のメイン旅は3年連続6泊7日となったが、今回に関しては“このまま離れるのが惜しいな”という気分だ。

琉球上陸後はパッとした快晴に恵まれず、常に台風情報と隣り合わせの日々が続いた。御存知の通り、2004年は幾度も琉球に台風が上陸し、観光客の数は過去最高記録を更新したものの、目標の525萬人には届かなかった。

そういう不安を抱えつつも、大雨が降らなかったのはさいわいで、この日は私が待ち望んでいたP-KAN!! 「台風」という言葉を忘れさせるほどのイイ天気で、ついに琉球の“てぃだ”が、この目で見られる。

3連泊した宿をチェックアウトする。カード払いができないため、現金で支払う。このため、前日、那覇中央郵便局でおろしたワケだが、1泊3,500円ながら、冷蔵庫がない以外はビジネスホテルのシングルと遜色がないほどイイ宿だ。シングルではあるが、トリプルルームにあてられ、広々と過ごした。那覇市内は泊まれるインターネットカフェをまったく見かけなかったので、お泊り場所は必ず確保しないと悲惨な思いをする。



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泊ふ頭郵便局で、この旅最後の旅行貯金。建物の後方には、泊大橋が美しく見える。待ち望んでいた琉球の青空は、私の心を充実させる。

笑顔でいられるのはここまで。宿の最寄り駅からはゆいレールに乗って、終点那覇空港へ向かう。

この旅、最後の大難関は、普段から“天敵”としているヒコーキ。某プロ野球解説者は、琉球と外国以外は絶対に鉄道移動する主義で、私もそれと同じワケだ。ちなみに2005年2月の巨人キャンプ取材で、日テレのスタッフはわざわざ新八代駅で待ち構えたが、某プロ野球解説者は九州新幹線経由で宮崎へ向かったためである。九州新幹線開業により、小倉で乗り換えるより、こちらのルートが早く着くのだろうか?(現在は新八代で、高速バス〈B&Sみやざき〉に乗り換えると、宮崎に早く着く)

私がヒコーキを嫌う理由は、根っからの高所恐怖症であることや、昭和60年(1985年)8月に発生した日航機の墜落事故で、信用しなくなったからだ。あとは離着陸の傾斜が心臓に悪く、コワイのりものだ。周囲には、「①墜落する。②ハイジャックされる。③ニアミスが起こる。④テロの道具に使われる」などと言っており、“ヒコーキ嫌い”というイメージが定着しているようだ。

今回、ヒコーキ嫌いの私は平成元年(1989年)7月以来、15年ぶりに乗ることになった。と言うより、「乗らざるを得ない」と言ったほうが正しいだろう。ちなみに、自分の意志でヒコーキに乗るのは初めてである。

ヒコーキを選ばざるを得なかった理由は、本州へ向かう定期航路は1本もなく、週1日程度の運航であることや、復路も同じルートで帰るとなると時間がかかってしまう。それに遅れてしまえば、スケジュールがゴチャゴチャになってしまう。

さて、ヒコーキの発車まで、ずいぶん時間があるというのに、“乗り方”がまったくわからない私は、とりあえず搭乗手続きを行なう。これをやらないことには乗れないワケだが、すでにヒコーキ代は銀行に振り込んでいる。実を言うと、振込先支店を見た時、“オレオレサギ”じゃないかと不安になったが、インターネットで確認すると、ちゃんと支払済みであることが証明され、ホッとした。ちなみに、私は8月生まれなので、バースデー早割12,050円というバーゲン価格で乗れた。但し、ノーマル座席なのに先着何人という方式は気に入らない。バースデー早割はすべての座席に適用すべきではないか。これはよそのヒコーキ会社にも言えることだ。

ところが、正規の料金というワケではないため、自動搭乗手続き機で手続きができず、窓口でやってもらうなど、四苦八苦。

「窓側にしますか? 通路側にしますか?」

と窓口のお姉ちゃんにきかれ、私の頭は混乱する。だいたい、乗る便は決まっても、席が決まっていないとは、ヒコーキは“考えられない世界”だ。ちなみに、私は迷わず窓側を選び、なんとか搭乗手続きを済ませることに成功した。

時間はまだあるので、搭乗に向けて、空港見物。前日、石垣島への便は全便欠航していたそうで、この日は臨時便を出すなど、“那覇空港に取り残された人たち”を救済。石垣島に行けなければ、行きたかった小浜島には行けないワケで、予算の都合で断念したのが“不幸中のさいわい”となった。

ということは、この日は台風による欠航は1便もなく、よほどのことがない限り、無事に帰京できることは確実となったが、「東京行き」の案内に戸惑う。行先は羽田空港であることは誰でもわかることだろうが、「羽田行き」にしないのはなぜなのか疑問だった。これについては、数時間後に解けたが、これはのちほど明かすことにする。

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10時を過ぎると、本州からのヒコーキが到着したので、観光客らでいっぱいになる。多くはリムジンバスを利用しているようだ。ゆいレールを利用する人もいるが、思ったほど多くない。しかし、琉球新報ホームページによると、ここ数か月の利用は安定(3萬人以上)しているそうで、赤字ではないらしい。

私は那覇空港内のおみやげ屋に寄る。お世話様になっている方が多いので、同じ品物をいくつも買わなければならない。実家へ買うのは当たり前で、お世話様になっている方へ贈るのはゴマスリや業務命令ではなく、日頃の感謝の気持ちである。そういう“マメな性格”と思われているせいか、血液型をA型とカン違いされるが、私はO型である。O型は“忠義の心”を持っているようで、義理堅く、おせっかいが大好きな性分らしい。

おみやげは迷う。なるべく、“安くてイイモノ”を買うように心掛けているが、ゆいレールの売店で琉球限定販売CD、『ちゅらSUN』を購入したため、予算はさらに縮小するハメになった。本当はちんすこうを買いたかったが、アメに変更。「ケチ」とか「ガッカリ」と言われるのではないかと懸念したが、さいわい、好評だった。

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一旦、那覇空港を出る。本当にイイ天気なので、[晴れ]てぃだが見たかった。普通のフイルムカメラで撮影すると、現像されない場合があり、ケータイのカメラで撮影。思ったほど綺麗に写っていない感じだが、後日、説明書を見たら、「直射日光の撮影はカメラが故障する可能性があります」と書かれていた。確かに、まぶしかったから、直射日光を撮影したことになるのだろう。

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那覇空港に戻り、昼メシ。“琉球4大食”のトリを飾るのはタコライス。私自身、今まで東京でも食べたことがあり、琉球食の中では1番大好きだ。

タコライスはタコス、レタス、チーズ、トマト、ポテトチップス、ケチャップが入っており、魚介類のタコは入っていない。

チーズとライスの相性はバツグンで、そのうち、どこぞのファーストフード店で“タコライスバーガー”を開発し、発売するのではないかと予想しているが、ライスはパンになるだろうから、ネーミングは難しいかも。

食後、2階のゆいレール連絡口付近に、100円を入れれば10分間はインターネットができるパソコンを見つけた。今や、インターネットは“生活必需品”となっているが、この旅ではインターネットカフェに寄ることはなく、久しぶりに楽しもう。

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いよいよ、最後の大難関、ヒコーキだが、搭乗検査で見事に引っ掛かった。ベルトの金属が原因のようだが、セキュリティーチェックは厳しく、携帯電話や財布はカゴの中に入れなければならない。私は通話するのが嫌いなくせに携帯電話を3個(1個は目覚まし時計用で通話不可能。もう1個は簡易的なビデオカメラと目覚まし時計兼用で、帰京後に再度、FOMA契約したため、電話機として再び使えるようになった)も持っており、出すのが気恥ずかしい。

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厳重な検査の結果、当たり前のことだが、不審者でないことが証明され、ゲートを突破!! ヒコーキに搭乗するまでは電子機器類が使えるので、携帯電話の電源を入れて、林家ペーみたいに那覇空港のいたるところを撮る。見るものすべてがもの珍しいのだ。

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いよいよANA128便に乗る。緊張するが、座席は3人掛け-4人掛け-3人掛けで、機内では前日の長嶋JAPANがオーストラリアに負けた試合を放映していた。

座席はリクライニングをしなくてもいいぐらい、ちょうどイイ角度。誰もリクライニング機能を使うことはないものの、シートピッチがせまいのは難点だ。

驚いたのは、スチュワーデスは死語になっており、今は「客室乗務員」に改称していた。看護婦も今や「看護師」に改めており、呼び慣れた名が呼べないのは残念である。

本来は14時50分に発車するはずが、15時10分に変更。発車したとたん、いきなりバックするので、「なんじゃこりゃ?!」と言いたくなるほどだ。そして、止まるとまったく動かない。

窓は新幹線より小さく、奥に見える東シナ海は青い。すると、「ウィーン」という音がして、羽が伸びてゆく。どうやら、空を飛ぶ準備ができたようである。

JAL便の離陸後に発車し、右折するも、JTA便が到着するため、停止。通せんぼされてしまった。

15時23分、左折したら、ようやく滑走路を走り、急激にスピードをあげて、離陸。マリンブルーオーシャンは綺麗さぁー。

思ったより、離陸は急激な角度ではなかったが、オーシャンはスカイブルーからブルーへ。波は凍っているような感じだ。離陸して、数分たてば、鹿児島県に入っているに違いない。

とうとう雲の上へ。遠くから見ると、雲は氷山のように映る。

機内ではスチュワーデスいや、客室乗務員からドリンクサービス。ジュースとお茶のどちらかを選ぶことができる。私はジュースをリクエストした。ちなみに隣に坐っているカップルは“ヒコーキはへっちゃら”の様子で、その強心臓ぶりがうらやましい。

そのあと、機長みずから運転中に放送。日本語のあと、英訳。台本なしであれだけの放送ができるのはスゴイことだが、そんなパフォーマンスは必要なく、「安全運転してくれ」と言いたくなる。

イヤホンをひじかけに差し込み、『高樹沙耶のハワイラジオ』を聞く。機内専用ラジオとのことで、高樹沙耶(現・益戸育江)はハワイに精通しているほか、素もぐりの世界記録保持者だという。

そのラジオで流れたKONISHIKIの歌は“子守唄”となり、気づいたら17時をまわっていた。

17時10分過ぎ、シートベルト装着警報が鳴り、着陸の態勢に入るが、どこを飛んでいるのかサッパリわからない。

ヒコーキの禁止事項として、飛行中は携帯電話、トランシーバー、画面にタッチする電子機器が使えず、離着陸では先ほどの3点のほか、カメラ、電卓、パソコン、ヘッドフォンストレオ、ゲーム機が追加される。自由度の低いのりものだが、飛行中に携帯電話の電源を入れたとしても、圏外であることは確実である。

客室乗務員は巡回し、ハットラックをチェック。完全に閉めていないと荷物が落下する危険性があるためだ。

下を見ると、伊豆あたりのような気がするも、しばらくたつと、お台場のフジテレビ、レインボーブリッジの上を通過し、左へ旋回。ゆるやかに下り、滑走路の地面につくと、激しく揺れて、急ブレーキをかけているように思える。

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定刻より13分遅れの17時33分、終点羽田空港に到着した。窓から見えるターミナルには「東京国際空港」というネオンが。そうか、羽田空港は“世をしのぶ仮の姿”で、正式名称は「東京国際空港」なのだ。だから、「東京行き」となっていたワケだ。

ヒコーキで気づいたのは、すれ違うことはなかったことで、あとでそれを話したら、「それを“ニアミス”って言うんだよ」と言われてしまった。

到着後はベルトコンベヤーから流れる大型荷物を取る。同じメーカーなどのバッグなどが数回流れることが予想されるため、“取り違いに御注意”という感じだ。

思ったほど早く、私の荷物がドンブラコと流れ、必死の思いで取り、ゲートを出る。新幹線はそのまま座席上の荷棚に乗っければいいので、ラクだ。話はそれるが、東京―広島間は、ヒコーキと新幹線が拮抗しているそうで、〈のぞみ〉の守備範囲であることがよくわかる。

帰京して、本当にホッとしたが、久しぶりに戻る我が家の近辺にシーサーがなく、“逆カルチャーショック”を受けてしまった。

こうして、“日本完全制覇の旅”はようやく終わった。心に残る旅だった。今度、琉球へ向かう時は小浜島へ行きたい。そういう想いを強くさせるのだった。


★備考

①今回の記事は2005年2・3月に執筆したものです。掲載に際し、一部加筆・修正しています。

②“日本完全制覇の旅”は、これにて完結です。御覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。

③岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅5-最終回」 

笑っていいとも!テレフォンショッキング 目指せ1/100

さすらいの諸国漫遊記57-6日目 [汽車旅2004]

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・さすらいの諸国漫遊記57-初日~5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08

2004年8月24日(火曜日)、同一宿3連泊なので、諸国漫遊では珍しく、ゆっくり寝ることができた。平日で8時頃まで寝るなんて、失業時代以来ではないだろうか。当時の私は休日でさえも、ゆとりが失われている。

この日も台風16号の不安を感じながら、宿を出る。

コンビニのローソンでミルクティーを購入するが、UCCの霧の紅茶がなんと500ミリリットル缶でありながら、84円で販売していたので、迷わず購入。トクした気分になる。

宿の最寄り駅、美栄橋からゆいレールに乗って、終点那覇空港へ。まずは那覇空港を下見する。今回はヒコーキで帰京するので、しっかり予習しておきたかった。そして、おみやげ屋へ行き、じっくり見る。どれを購入するか、考えておきたかった。

いくつか候補を見つけ、那覇空港を離れ、赤嶺方面へ歩くが、タクシーがものすごい行列を作って、お客様を待っている。

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那覇空港周辺に止まっているタクシーの数は100台以上で、半分以上は専用駐車場で待機していた。こんなに沢山のタクシーを見るのは初めてで、東京駅でもタクシーが待機しているのは、那覇空港の半分以下だ。

琉球のタクシーは、『ちゅらさん』シリーズの古波蔵恵文のように、サボって昼寝をしているイメージがあるものの、実際もそのようである。ヒマをもてあそんでいるかのような感じで、睡眠するドライバーもいた。ゆいレールの開業で、タクシー利用客が減っているように思えるが、乗車時間が長い観光客には定額料金にしてもいいだろう。渋滞に引っかからなければ、クルマのほうが機動力では上なのだから。

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さて、私が向かったのは、ゆいレール本社である。

本社は入口で、諸手続きをキッチリやっておかないと入れないイメージを持つが、ここに関してはスンナリ入れた。玄関にはシーサーがいるから、言わば門番とガードマンの役割をしている。鉄道会社といえども、ゆいレールの職員はマイカー通勤が主流のようだ。

あまりにもカンタンに入れたので、職員に見つかったら、注意されるのかなとヒヤヒヤしながら歩く。警備がユルユルなので、気になってしょうがない。殺伐とした東京の生活になれている者にとって、琉球との“温度差”を感じる。

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本社内に、ゆいレール展示館がある。2004年8月10日(火曜日)にオープンしたばかりで、タダで入れる。出入口付近には、モノレールの台車を展示している。上屋を設けるか、アクリルの箱に入れて、保存状態をキッチリしたほうがいいのではないかと思うものの、この台車は東京モノレールから取り寄せたらしく、中古品のようだ。

ゆいレール展示館に入ると、女性職員がにこやかに迎える。来客名簿を記入する決まりになっているが、1日10人前後しか入ってこない。今後は多くの人々に見てもらうよう、大々的な宣伝をしたらどうだろう。タダで入れるのが魅力なのだから。

入って目につくのは、ゆいレール工事のVTR。全駅、身障者でも利用できるよう、万全の設備を備えているが、エスカレーターはあらかじめ骨組みを作っており、それをくっつけることに驚いた。てっきり、徐々につないでから、やるものだと思っていた。

ゆいレールの工事により、一部の道路は車線変更を余儀なくされたようだが、順調にことが運び、当初は2003年12月の開業を4か月早めた。観光客がもっとも多くやって来るシーズンの真っ只中に開業し、ウチナンチュはなれない鉄道の利用に戸惑っていたそうだが、観光客は普通に乗っていたようだ。ちなみに、開業から1年間の利用客は1102萬3921人で、1日平均3萬120人。目標数を少し下回ったという(琉球新報ホームページによる)。ウチナンチュのマイカー社会が依存しているのは仕方のないことだが、新規開業で赤字に悩まされているところに比べれば、健闘しているほうだろう。

琉球は“バス王国”だが、中古バスを購入しているため、近代化が遅れているのは明らかで、当面はゆいレールとバスの連携プレーで模索しながら、新規路線の開拓をする可能性があるだろう。できれば、プロ野球のキャンプ地を鉄道で結べば、革命的な所要時間の短縮が実現するが、定期的な利用客がいなければ、赤字となり、路線の存続があやぶまれる。

実はゆいレールが開業するまで、鉄道は存在していたが、第2次世界大戦で焼失。戦後27年間はアメリカと化したためか、鉄道の再建を断念し、バスへ移行した。しかし、道路渋滞の慢性化により、日本復帰後、ゆいレールの建設が決定したワケである。

さて、2階には鉄道のコレクションが集結。エッセイストで元東京高等裁判所長官、ゆたかはじめ氏のコレクションが数多く展示されている。おエライさんがカンタンに手に入らないグッズをGETして、展示できるのは人脈の広さを物語る。ちなみに退官後、琉球に移住しているが、“里帰り”ではないとのこと。年齢は76歳(当時)だというが、現地ではまだ“若い”そうだ。さすがは長寿国、琉球。

興味深いのは『マイ ゆいレール・デザイナー』で、オリジナルデコレーションのゆいレールが作れるというもの。ペーパークラフトなので、機械で色をつけてもらったあとは自分で作らなければならないが、子供の頃からプラモデル等を組み立てたことがなく、とりあえずデコレーションだけはしてみる。

車体のカラーは数種類用意されており、私の好みの図柄を選び、「日本完全制覇達成-2004.8.22-」の文字を入れる。「来訪記念」とかが一般的なのかもしれないが、私にとっては思いもよらぬ“歴史的快挙”なので、最初からそう決めていたし、ほかに思いつく言葉もなかった。

2種類製作し、クリアフォルダに入れる。海外旅行のH.I.S.とかが、まれに街頭配布しているので、ものすごく重宝する。紙がシワクチャになって、折り曲げることもないから、保管状態も万全。諸国漫遊では欠かせない重要なアイテムである。

ほかに『ゆいレールデジタル図鑑』というのも目につき、タッチパネル式の画面に指タッチすれば、いろんなことが学べるというもの。クイズに挑戦したが、上級編はサッパリ当たらず、これからの人生も勉強は続く。

ゆいレール展示館は自社の紹介はもちろん、ウチナンチュにヤマトンチュが利用する鉄道を知ってもらい、親しんでもらいたい意図があるのだろう。スペースはこぢんまりとしているが、中身はギッシリ。おそらく、鉄道の好きな人や、そうでない人でも楽しめるだろう。

ゆいレール展示館の開館時間は9時30分から16時30分までで、土休と年末年始は休みだが、休館日を見直す必要があるだろう。ちなみに団体利用の場合は事前に電話連絡してから“めんそーれ”とのこと。

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ゆいレール展示館を出る。本社と車両基地を兼ねているところなので、検査中の車両を眺めることができたが、付近には新品のタイヤが何本も置いていた。モノレールはタイヤで動くという意外なのりものである。ゆいレールなだけに、地元出身のタレント、上原多香子がCM出演していたデジタイヤを使っているのだろうか?

那覇空港駅に戻り、ゆいレールへ。

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展望席で“空中散歩”を楽しんでいたら、優先席で耳の不自由な女性とサラリーマンがケンカをしていた。ケンカの原因はわからないが、サラリーマンはなにを言いたいのか、わからない様子。耳を澄まして聞いてみると、サラリーマンは女性のサイフをスリしようとしていたらしい。本当かどうか?

車内は空席が目立ってきたので、怒鳴り声がよく聞こえるが、車掌が乗務していないため、運転士が仲裁をするワケにはいかず、業務に専念せざるを得ない。

ケンカの収拾がつかぬうちに、私は市立病院前で下車。体調が悪くて直行したワケではなく、旅行貯金をするために降りた。その前に琉球へ渡ってから、ゆいレールの駅や派出所などで目につくポスターを紹介したい。

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それは『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』というポスターで、2004年4月1日(木曜日)に施行。「県・事業者・県民が横の連携を強化し、安全なまちづくりに関する取組を促進して、犯罪のない安全・安心な沖縄県を目指します」とPRしている。1つの都道府県で、こういった人間一体の活動は画期的なことである。

『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』の概要は次の通り。

①推進会議を設置して、この条例を推進する。

②道路・公園・駐車場・共同生活の防犯性の向上をはかる。

③学校や通学路等での安全対策を促進する。

④観光客の安全対策を促進する。

⑤犯罪被害者等が平穏生活できるように支援する。

また、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』と併せて、『ちゅらさん運動』も推進しており、次はスローガンを紹介しよう。

①ちゅらびとづくり

これは地域防犯リーダーの育成、地域あいさつ運動の励行、少年の健全育成、少年が被害に遭わないための活動、少年の居場所づくりを推進。琉球の将来を担う、子供たちの健全な育成をはかることが目的である。

②ちゅらまちづくり

学校、通学路、道路、公園、駐車場、共同住宅、特定小売店舗における防犯対策を強化し、安全・安心な環境を確保するのが目的。

③ちゅらゆいづくり

推進体制の整備、犯罪情報の提供、安全マップの作成、防犯パトロールの実施、犯罪被害者等に対する支援をはかり、地域の連帯とユイマールを取り戻すのが目的。ちなみに「ユイマール」の意味は“人々の結びつき”である。

全盛期の『暴れん坊将軍』は、江戸庶民のユイマールが描かれているように思う。今の時代、私もそうだが、近所付き合いが消滅の方向に向かっており、犯罪の凶悪化や未成年者の逮捕増加などで、危機感を感じているのだろう。

沖縄県教育委員会のホームページによると、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』、『ちゅらさん運動』の一環として、2004年9月3日(金曜日)、琉球すべての小学校において、“親子ふれあい下校”を実施。世に言う“集団下校”の1種だと思うが(その現場に立ち会っていないので、推測せざるを得ない)、“子供を守るのは大人の務め”ということを再認識する意味でやったものと私は受け止めている。

残念なことに2005年1月10日(月曜日・成人の日)、新成人が大暴れして警察ザタになってしまい、数日後には子供の虐待で母親がパクられる出来事があった。浸透するまで、まだまだ時間がかかりそうであるが、私はこの取り組みに賛同し、応援してゆきたい。もし、私が居住地の自治会長に就任したら、この運動を呼びかけ、浸透させるよう、努力する。

余談だが、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』のポスターには国仲涼子、ボブ・サップ、BEGINを起用していた。

さて、市立病院前を下車した私は駅の地図で郵便局を見つけ、道路の坂を下るが、そのぶん、ゆいレールがどんどんどんどん高くなってゆく。

下から見るゆいレールは、スーッと鳥が飛んでいるような感じだが、タイヤが丸見えなので、それを使って走っていることがよーくわかる。モノレールは鉄道なのに車輪ではなく、タイヤで走るとは本当に不思議なのりものである。



市民病院前から徒歩4分の首里末吉郵便局で、この日最初の旅行貯金。そのあと、市民病院前駅に戻るが、あまりの勾配で階段を登る気がせず、エレベーターを使った。



ゆいレール首里行きに乗り、次の儀保で下車。徒歩5分のところにある首里平良郵便局で旅行貯金。すでに正午をまわっているため、おなかがすいているが、前日と同様、コンビニで“旅人の昼食”、菓子パンを買う気はなく、ガマン。この日はゴーヤーチャンプルーを食べたい。

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ゆいレールに戻り、ホームに立つと、すっげぇー高い。前日、立ち寄った首里城公園が見えるし、那覇空港寄りは遠くにオーシャンが見える。

実は今回の旅、琉球のシンボルとも言える、マリンブルーオーシャンを見ることはなかったが、泳ぎが苦手なので、次回来訪の時は白い砂浜を歩いてみたいと思う。

ゆいレールは終点首里に到着。前日も立ち寄ってはいるが、16時を過ぎていたことや、ほかに立ち寄りたいところがあるため、2日連続の来訪となった。



まずは首里駅から徒歩3分のところにある首里汀良郵便局(Shuri-Tera Postoffice)で旅行貯金。ゆいレールのホーム先端からよーく見えるので、わかりやすい位置にある。また、ゆいレールのレールは、ホームをはみ出し、首里汀良郵便局付近で途切れているが、将来は沖縄自動車道西原インターまで路線を延ばす計画があるという(2005年1月の琉球新報ホームページによる)。

「ここにハンコ、押しましょうね」

と貯金手続きをしているあいだ、窓口で応対する女性局員がおばぁーに言った。このしゃべり口調、『ちゅらさん』シリーズと変わらない。“『ちゅらさん』シリーズは、琉球文化を忠実に描いていたんだなぁー”と実感する。



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お次は首里城公園へ向かう時に見つけた首里当蔵郵便局で旅行貯金。首里駅から徒歩8分のところにあり、立ち寄った大半の郵便局は『ちゅらさん』の再放送ポスターと共に、ゴーヤーマンファミリーを使ってNHK受信料の自動払い込みを案内している。ちなみに、私は『ちゅらさん』、大相撲、『NHK紅白歌合戦』以外、NHKの番組を見ることはほとんどなく、巨人戦を中継しても、音声はニッポン放送(またはラジオ日本)を選んでいる。

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ガイドブックに従って、道を進むと、『瑞泉』という泡盛業者を見つけ、そこへ入る。首里第2の目的は泡盛で、ゲコの私でも胃に収めたい。

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この『瑞泉』はタダで泡盛見学ができるというので、大いなる興味があった。時間等はガイドブックに書かれていなかったが、女性従業員によると、30分おきにやるとのこと。しばらくのあいだ、待つことにする。すると、女性従業員は四角形のコーヒーカップを持ってきた。当然、中には泡盛ではなく、コーヒーが入っており、ミルクを入れて飲む(コーヒーはミルクを入れないと飲めない)。

女性従業員は“待たせているお客に不快感を与えない”とビデオ上映。待つことにはなれているので(銀行のATMや郵便局の窓口で待たされていることが多い)、そこまで気をつかわれると恐縮するが、泡盛の作業工程を紹介。ビデオ上映中に男子中学生2人組や中年の夫婦が現れた。こうして13時30分、私を含めた5人で泡盛見学が始まる。

まず入ると、ツーンと米のニオイがジューマンする。泡盛はタイ米を使用しており、日本の米ではダメだという。ちなみに平成5年(1993年)、異常気象による米の不作で、急きょ、タイ米などが緊急輸入されたが、普通に炊いて食べると、本当にまずかったことを思い出す。パエリアといった“味つけライス”でないと、おいしく食べられないかもしれない。

泡盛は素焼きのカメに入れて保存する。見学コースのしょっぱなから素焼きのカメが大量に置いてある。通気性がいいため、泡盛の味を保ち、それを向上させるには、これが1番なのだという。また、3年以上ねかせたものを「クースー(古酒)」というが、これは親酒を準備し、年代順に2~5番酒と新酒をそろえる。そして、親酒から汲み出した量を2番酒で補い、“2番酒は3番酒から”というふうに順次補うという。それを聞いていると、テレビで見た記憶があるラーメン屋のスープやカレー屋と同じようなやり方を思い出す。

2階へ上がり、ここからはビデオ鑑賞となる。

「先ほどと同じビデオですけど、いいですか?」

と女性従業員は私にそっと耳打ちをするかのように言った。周囲のお客を配慮してのことだろう。私はもう1度見たかったので、問題はないが、これほど繊細に気をつかう姿勢には恐縮する。

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ビデオが終了し、受付に戻り、泡盛の試飲。但し、未成年とドライバーは飲酒禁止となっており、男子中学生2人組と中年夫婦の御亭主は、残念ながら舐めることもできない。

外国人女性の従業員に試飲の泡盛を入れてもらう。ほんの少しだけで、「ケチ」と言いたくなる人もいるだろうが、タダで飲ましてくれるのだから、ありがたく思うべきだろう。ちなみに試飲は、私と中年夫婦の御婦人だけ。

まずは25度の泡盛を試飲。うん、うまい。そして、43度の泡盛を飲むと、すぐさま衝撃が走った。

口にしたとたん、脳が一気に“洗浄”された。43度のアルコールなんか、今まで口にしたことがなく、普段から寝不足に悩まされている私は、目が覚めたのだ。煙が出そうな感じだが、このくらいの量なら、朝、起きた時に“気つけ薬”として飲んでみたい。

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脳が“大炎上”している私は、もろみ酢を試飲。しょうゆ系の色と味で、すっぱく、ツンとくる味だ。酢ではあるが、飲料にもなるので、スーパーマーケットでも売られており、健康にもいいという。

私は泡盛1本を購入し、実家へのおみやげとする(見学しておきながら、買わないのは失礼にあたる)。と言うより、私がじきじきに戻って、親と共に飲んだ。さすがにストレートはキツイので、水割りで飲んだが、サイダー割りでもいけそうな気がする。

『瑞泉』を出て、前日、道を間違えて裏口にたどり着いてしまった首里高校へ。今回は行きたかった正門へ行くものの、意外と距離があって、時間がかかった。

首里高校は『ちゅらさん』で、“那覇北高校”のロケ地に使われたところ。古波蔵恵里は卒業したものの、古波蔵恵達は中退して、ロックミュージシャンを目指すこととなる。その引き金を作る女子生徒役を演じたのは、なんとベッキーだった。『ちゅらさん』はいろんな芸能人が出演しており、ほかにBEGIN、桜金造、佐藤江梨子など。

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校門はレンガ作りで、建物へはゆるやかなカーブ坂を登ってゆく。学校関係者ではないので、そこまでは行かなかったが、校舎を出たらすぐ道路になるため、撮影も大変だっただろう。ちなみに、那覇北高校(首里高校)から古波蔵邸までは、裏門を出たほうがはるかに近く、“てーげー精神”はここでも健在なり!!

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首里高校の近くに水の自販機があり、『パイウォーター』というミネラルウォーターとみていいだろう。

残念ながら、パイウォーターの購入者をみかけることはなかったが、大型のボトルを持参して、“給水”するのであろう。長寿の水であることを私は信じているが、海が綺麗なところでも、水道の水はアテにならないことを知った思いがする。ミネラルウォーターは全国区になっているのだ。

ゆいレール首里駅に戻り、牧志まで利用。次は国際通りを起点から終点まで歩きたい。前日はちょこっとだけの“顔見せ”程度だった。

時刻は15時30分近くとなり、まだ昼メシをとっていない。第1牧志公設市場2階にある食堂で、ゴーヤーチャンプルーを食べたい野望があるものの、国際通りの牧志駅近くにある、なか家安里店に「ごはん・味噌汁つき」と書いてあったので、たまらず入る。ちなみに、ゴーヤーチャンプルーは単品のため、ごはんと味噌汁は別注文扱いのお店が多く、見つけた私は運がよかった。

さっそく、ゴーヤーチャンプルーを注文。

「ゴーヤーは苦い、まずい」

という周囲の意見をまったく気にせず注文したが、ごはんと味噌汁に市販のふりかけがついていたことには驚いた。

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ゴーヤーチャンプルーはゴーヤー、卵、豆腐のいためもの。食べてみると、苦さはほとんど感じず、ごはんによく合うおかずの1品。意外とボリュームがあって、満足した。ほかにもソーミンチャンプルーなどがあるけど、それはまたの機会にしよう。

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食後、国際通りの起点を見つけた。安里2丁目にある突き当たりの交差点で、15時58分にスタート!!

起点の交通量は思ったほど多くないものの、安里2丁目から県庁方面の7時から9時までは、クルマの通行を禁止(タクシー、指定車、許可車は除く)され、バス専用となる(土休と1月2・3日を除く)。また、県庁から安里2丁目方面も17時30分から19時30分までは、バス専用(タクシー、指定車、許可車は除く)となる。琉球のバス王国時代はまだまだ続く。

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牧志駅の交差点を渡り、『ちゅらさん』のロケに使われた本屋、球陽堂書店を見つけるも、すでに移転していた。また、国際通り沿いには、ゴーヤーマンの販売ロケに使われたお店の情報を入手しているので、どこにあるのか、目をこらしてみよう。

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牧志駅の交差点あたりから、クルマの量が増えてきた。交通標識を見ると、国際通りは最高速度30㎞/hで、追い越し禁止の一般道路にしては低い数字。しかし、日々、慢性的に混んでいるので、30㎞/h以上のスピードが出せない。

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クルマも増えりゃー、歩行者も増えた。人ごみをかきわけるほどではないが、国際通りを東京にたとえると、原宿の竹下通りというような感じだろう。んまぁー、人の数は原宿が多いんだけども。

三越デパートに入ってみるが、ほとんど婦人服しか置いておらず、すぐさま退散。東京みたいに品物の数は豊富ではなく、平日で、なおかつ、多くの一般企業の翌日は、給料日になるせいなのか、にぎわっていない。

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国際通りに戻り、県庁方面へ歩くと、ポンコツの路線バスがゆっくりと進んでいる。昭和50年代(1975年~1984年)に製造されたような感じの古びたバスで、おそらく、大都市から譲渡されたのだろう。事故防止のためか、明るいこの時間帯でも前照灯とフォグランプを点灯させている。

そういえば、平成に入ってから、終日前照灯を点灯させる電車が増えてきた。事故防止の一環といえども、東京の中央線は前照灯つけっぱなしでも人身事故があとを絶たないので、役に立っているとは言いがたい。電車なら電気代、クルマだったらバッテリーがあがるので、エネルギーを浪費して、地球温暖化にひと役買っているのではないだろうか?

「国際通り」という名は当時、道路沿いにあった国際劇場(別名、「アニー・パイル劇場」)の名にちなんだもので、戦後、急速に発展したところから、「奇跡の1マイル」と呼ばれた。但し、戦後といえども、昭和47年(1972年)5月14日(日曜日)までは、“「アメリカ」という名の外国”だったから、ウチナンチューは本土復帰を必死の思いで願っていたに違いない。だから、わずか1600メートルの道を急速に発展させて、琉球のメインストリートに成長したのであろう。

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ちょっと寄り道をしたが、16時38分、県庁の交差点に到着し、国際通りを全線完歩した。その近くの反対側に金環堂という店があり、『ちゅらさん』で古波蔵恵尚考案のゴーヤーマンを最初に売り出したところで、早い話がロケ地である。

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“当然、ゴーヤーマンを売っているはずだ”と確信し、お店に入ってみたら、ありました。思ったより、少し高い感じだが、前々から欲しかった“琉球みやげの1品”なので、迷わず購入。

『ちゅらさん』のストーリーでは、平成2年(1990年)にゴーヤーマンの発売を開始。当初は売れず、考案者の古波蔵恵尚が失踪(?!)する始末だったが、古波蔵恵達がバンドの小道具として何気なく身につけたら、たちまち人気沸騰で完売したということになっている。ちなみに、発売が現実になったゴーヤーマンは、飛ぶように売れたという。

その後、ゴーヤーマンハニー、ゴーヤーマンベイビーを開発。このうち、ゴーヤーマンベイビーは『ちゅらさん2』で開発され、ある事情により、発売が中止になったという話になっているが、実際は店頭に置いてあり、買える。そのあと、“NTTドコモと提携して、「ゴーヤーマンフォン」という携帯電話が出たらいいなぁー”と勝手に期待している。

余談だが、ゴーヤーマンシリーズを購入したのは、おみやげにしたかったのが理由である。私は男なので、それをどこかに身につけるのは恥ずかしい。

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金環堂近辺はにぎやか。ベンチにはマクドナルドのイメージキャラクター、ドナルドが坐っているものの、肝心のお店は道路を横断したところにあり、仕事をサボッている?!

隣にはケンタッキーフライドチキンのイメージキャラクター、カーネル・サンダースが、なぜか他店のエプロンをつけて、右手には他店の紙袋を持っている。おまけにサングラスをかけており、自分の店は従業員に任せっきりで、他店の集客に一生けんめい?!

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このほか、ファミリーマートには麦わら帽子をかぶった梅宮辰夫人形が笑顔の直立。あと、雑貨屋に鉄腕アトムと、薬局に佐藤製薬のサトちゃんがいるなど、“オールスターそろい踏み”という感じで、さすが国際通りだ。

ゆいレールに乗って、那覇中央郵便局へ。前日、旅行貯金をしているが、持ち合わせが不足する誤算が発生したため、おろすことになった。こんなことは初めてであるが、銀行の場合、その地に支店はなく、おカネの出し入れができない難点があるので、全国共通の郵便局はありがたい存在だ。加えて、「中央郵便局」というのは18時まで貯金や振替ができる(窓口の場合)。

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那覇中央郵便局近辺にある国場川は、今回の旅で1番印象に残る。東シナ海に直結していることもあって、潮の香りがするし、歩行者しか通れないワリには、幅がメチャンコ広い北明治橋を渡ってみる。2003年に架けた橋だが、平日ということもあるのか、渡る人はほとんど見かけない。んで、スナップ撮影をしたあと、すぐに戻って、安里へ向かった。

次の目的地は農連市場で、少々時間がかかった。

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農連市場は『ちゅらさん』シリーズのロケに使われているところで、古波蔵勝子の勤務地だ。私がやって来た時間は夕方だったため、すでに店じまいをしていた。ここは昭和28年(1953年)に開設され、50年以上の歴史を持つ。

地図を見たら、近くに第1牧志公設市場があることがわかり、歩いて向かう。ゆいレールで農連市場へ向かうには、美栄橋で下車したほうがよかったのかもしれないが、まぁーいいや。

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商店街の中に第1牧志公設市場があり、寄ってみる。晩メシどきということもあってか、にぎわっているものの、2階の食堂は思ったより値段が高い。汁モノでも1,000円前後はするのだから、いい食材を使っているのだろう。

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1階には豚の顔の皮を展示しており、観光客のド肝をぬく。売りモノではないため、下に氷を敷いて、鮮度を保っている。ウチナンチュかヤマトンチュかはわからないが、男子高校生たちはポークフェイスをさわって興奮気味。

鮮魚コーナーもイキのイイ魚がせいぞろい。ちなみに、どちらもここで食材を購入すれば、2階の食堂で調理費を払えば調理してくれるという。味は格別であることに“間っ違いない!!”だろう。

第1牧志公設市場をあとにして、商店街内のお店で琉球の定番お菓子、サーターアンダギー2個を購入(1個50円)。さらにコンビニでマツタケ入りのおにぎりを買って、宿に戻る。昼メシはかなりボリュームがあったので、晩メシは少量で充分なのだ。

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宿泊部屋のテレビをつけると、NHK総合テレビでは、アテネオリンピックで、長嶋JAPANはオーストラリアと戦っている。画面上段では台風情報がスクロール式でくり返し流しており、どちらも緊迫した雰囲気だ。

試合は阪神タイガースに在籍していたジェフ・ウィリアムス投手にキリキリ舞いされ、まさかの敗北。その後、3位決定戦で銅メダルを獲得し、プロ野球軍団のメンツは保たれた。

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野球観戦中、晩メシを食し、サーターアンダギーを食べる。「サーター」は砂糖、「アンダギー」はあげものという意味で、おにぎりのような丸っこいお菓子である。これはどこの御家庭でもカンタンに作れるとのことで、“1番ウマイのは自分ちのヤツだ”というのが一般的らしい。

食後、宿のコインランドリーで洗濯。洗濯は30分で済んでも、乾燥機は3時間かかっても乾き切らず、やむなく、宿泊部屋で冷房つけっぱなしにして干した(そのほうが快眠できるという)。

翌日、いよいよ帰京。日本完全制覇の旅は終わりが近づいている。

★備考

①今回の記事は2004年12月及び、2005年1月に執筆したもので、一部、加筆・修正しています。

沖縄都市モノレールホームページ 

③沖縄都市モノレールは、2011年4月26日(火曜日)に乗客1億人を達成しました。 

④ジェフ・ウィリアムス投手は、2003年から2009年まで、阪神タイガースで活躍していました。

⑤岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅5-4」

★おまけ

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さすらいの諸国漫遊記57-5日目 [汽車旅2004]

◆下記の記事をまだ御覧になっていない方は、下記のURLへクリックしてください。

・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20

・さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27

・さすらいの諸国漫遊記57-4日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29
台風15号の影響で、8時間14分遅れで日本完全制覇を達成した翌日の2004年8月23日(月曜日)、天候は曇り気味。台風16号はすでに南の島へ猛威をふるっており、気にしながら宿を出る。諸国漫遊史上初の同一宿3連泊のため、ザックに必要最小限なモノを入れ、この日は那覇市内を散策することにする。

前島交差点で国道58号線に遭遇するが、クルマの量は都心と錯覚するほど、メチャクチャ多い。すぐそこには『とまりん』というフェリーターミナルがあり、いくつかの離島便のきっぷを売っている。泊港と直結しているものの、大半の便は休航だろう。ちなみに『とまりん』は『かりゆしアーバンリゾート那覇』というホテルも兼ねており、もちろん泊まれるが、宿泊料金はとびっきり高い。

前島交差点を渡り、ファミリーマートというコンビニで、モーニングのミルクティーを購入。朝はこれを飲まないと気分が落ち着かず、ホッとひと安心すると、雨が降ってきた。さいわい、折りたたみのカサをしのばせているが、自宅近くの100円ショップで購入したため、少々ヤワなのが難点である。

少々歩き、頭上注意のような感じで見上げると、沖縄都市モノレールが那覇空港に向けて、ヒューンと通る。国道58号線の交通量とは対照的に、たった2両で運行。まるで地方のローカル線みたいな感じだが、ほどなくして首里行きが滑るように通る。

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宿最寄り駅となる美栄橋から沖縄都市モノレールに乗る。エスカレーターは1人乗りで、センサーが感知すると動く省エネ方式。1人乗りのエスカレーターは珍しいが、琉球の人は“あわてず、騒がず”なのか、建設費用抑制のためなのかどうかはわからない。ほかにエレベーターもあり、身障者が気軽に利用できるなど、万全だ。

それもそのはず、沖縄都市モノレールは2003年8月10日(日曜日)に開業。バリアフリー(もちろん、和製英語)はぬかりなしで、おまけに券売機は東京モノレールと京急線の乗車券も発売している。1日どのくらい利用するのかは知らないけど、東京近郊にお住まいや勤務している方には便利だ。ちなみに沖縄都市モノレールは、「ゆいレール」と呼ばれており、以後はそのように記す。

事前調査では1~3日乗車券を販売しているとのことで、3日乗車券を購入しようとするものの、券売機にそれがなく、有人改札で尋ねたところ、ここで発売していたので、買う。ちなみにお値段は1,500円(2日乗車券は1200円)。1日乗車券が800円なので、ウチナンチュ(琉球の人)は1日乗車券、“「ヤマトンチュ(琉球以外の人)」という名の観光客”は2・3日乗車券を使うといいだろう。

ゆいレールの職員はブルーの半そでシャツを着用し、夏とスーパークールビズを演出。さわやかで、すがすがしい。

雨は本降りになってしまい、ゆいレールで那覇空港へ向かう。“早くも帰京か?”と思う人もいるだろうが、那覇空港に郵便局がある情報を入手しているということ。それに今回の旅は15年ぶりに、“悪魔”のような存在であるヒコーキに乗ることもあり、予習をする必要性がある。ちなみに、たいていの空港に郵便局は存在する。

ゆいレールに乗ると、最前列が“「特等席」という名の展望席”になっており、あとは東京の通勤電車でおなじみの横並びシート。これは意外な気がするものの、長いこと鉄道がなかったので、“利用客が戸惑わない座席”を選んだのであろう。

県庁前に近づくと、土砂降りとなってしまう。展望席があいたので、さっそく坐ってみるが、電車の運転席にしては珍しく、右側にある。日本のクルマに例えると、後部座席に乗っているような感じだ。

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美栄橋から乗った時は席に坐れなかったが、終点那覇空港に到着する頃にはガラガラ。意外な気もするが、朝早くの便で帰る人はいないのだろう。それにホームでも乗る人は少なく、本州便が到着する頃、にぎわうに違いない。また、土砂降りの雨もやんで、持ち直してきた。天気雨だったのはさいわいだが、風が強いので、予断が許されないことに変わりはない。



時刻はちょうど9時になり、那覇空港1階にある那覇空港内郵便局で、琉球初貯金をする。但し、長崎、佐賀、広島、新潟、福島、青森の6県は、まだ旅行貯金をしておらず、そちらの“日本完全制覇”はまだ先となる。



ゆいレール那覇空港の自動改札前に“日本最西端の駅”という記念碑を見つけた。東経127度39分8秒のところに、この駅が設けられており、この記録を破られる可能性は低い。離島に鉄道を建設したとしても、人口は少ないので、採算が合わないのは確実だろう。

“日本最西端の駅”があるということは、“日本最南端の駅”もあるはず。3日乗車券なので、各駅に乗り降りして、旅行貯金をすることが、この日のテーマだ。



ゆいレールの首里行きに乗って、次の赤嶺で下車。階段を下りたところにある駅前広場に“日本最南端の駅”の記念碑があった。記念碑は那覇空港よりも誇らしげで、北緯26度11分36秒のところに、この駅を設けている。いずれの記念碑も2004年夏に設置したばかりで、琉球の石材、勝連トラバーチンを使用し、台風に耐えられる強度で作ったというが、建立早々、幾度も台風が訪れたので、早くも“試練”を味わったことになる?!



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郵便局を探している途中、全国どこにでもあるライオンズマンションに遭遇。玄関にはビックなシーサーが待ち構えていた。ライオンズマンションにシーサーがあるのは琉球だけであろう。そこを過ぎて、すぐのところに小禄郵便局を見つけ、旅行貯金。カウンターの下にはNHK衛星第2放送で、2004年3月から半年間、再放送した『ちゅらさん』のポスターに出くわす。これは『ちゅらさん3』の宣伝もかねていたが、NHK沖縄放送局のオリジナルで、東京では見たことがない。

小禄郵便局を出て、赤嶺駅に戻る。交通量の少ない道路だが、クルマはゆっくり走っている。まさに安全運転で、歩行者にとってはありがたい。

ゆいレールに乗り、次の小禄で下車。駅の通路はジャスコと直結しており、周辺はマンションが多く、団地のようだ。建物はいささか古そうだが、つくりは琉球独特という感じを受ける。まるで、外国に来たような雰囲気のある建物なのだ。



ここでは小禄金城郵便局(Oroku-Kanagusuku Postoffice)で旅行貯金をする。実に難読な名前の郵便局である。



再び、ゆいレールに乗り、次の奥武山公園(Ohnoyama Park)で下車。これも難読だ。琉球と北海道は“あて字”に思えるような地名が多い。ここでは小禄鏡原郵便局で旅行貯金。通帳の切り替えが近づいていたので、局員は通帳の切り替えを勧めるが、まだ印字できるので、丁重に辞退したものの、ある不安がいよいよ現実になろうとしていた。それはのちほど述べる。

こちらもクルマのスピードはノロイが、路線バスの排気ガスがあまりにもひどく、黒い煙がモクモクと出ていた。関東地方のバス会社から移籍した中古車だと思われるが、新車を購入する余裕はないようだ。2002年9月に根室へ渡った時、横浜市営バスのおフルに出くわしたことを思い出す(シートモケットが横浜ベイブリッジの図柄だったため、すぐ見抜いた)。

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奥武山公園は規模がデカい公園のようで、ゆいレールのホームからは野球場が見える。メジャーリーグスタイルのグラウンドだが、ナイター設備はない。

毎年2月、プロ野球のキャンプでにぎわう琉球だが、ナイター設備がほとんどない球場が多い。将来は琉球に那覇ドームをつくり、プロ野球やプロサッカーの誘致を働きかける日が来るかもしれない。



再び、ゆいレールに乗り、国場川を渡って、壺川に到着し、下車。那覇中央郵便局で旅行貯金をする。たいてい、「中央郵便局」の名がつくところは、18時まで貯金や振替を受け付けており、午前中に旅行貯金をする必要はないのだが、せっかく下車したのだから、する。ちなみに局名印はパイナップルつきで、南国の情緒をかもしだしていた。

那覇中央郵便局沿いの道路の案内板を見て驚いたが、左折すると、「古波蔵」という地名に行ける。興味のあるところだが、時間的な余裕はなく、今回の旅では地名の古波蔵来訪は見送った。古波蔵をわざわざカギカッコした意味は“わっかるかなぁー? わかんねぇーだろうなぁー?”とイミシンに書いておこうね(おしゃべりは琉球調になってるさぁー)。

壺川もマンションが多く、現代的なつくり。新興住宅街なのかもしれない。近年は年間25,000人がヤマト(琉球以外のこと)から移住していると言われるが、那覇市の人口は増加しておらず、現状維持のままだとか。これはウチナンチュも若者を中心にヤマトへ移住しているためだという。しかし、半数以上はなじめない、あるいはその地の学校を卒業したという理由で、どちらも元のサヤに戻っているという。もったいない話だ。

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壺川駅沿いにある国場川は東シナ海に直結しており、水を見た感じでは川というより海の雰囲気があり、今回の旅で1番印象に残った。

再び、ゆいレールに乗り、いよいよ“真の那覇”と言うべき部分に突入し、次の旭橋で下車。交通量も大都市なみで、付近には那覇バスターミナルがある。道路は堂々たる片側3車線ずつで、クルマ社会を象徴する都道府県ナンバー1ではないだろうか。



東町郵便局で旅行貯金及び、通帳をチェンジするが、恐るべきことが起こった。

それは通帳。今までのゆうちょ通帳は主務者印を押す欄があったが、ATMが普及したことにともない、21世紀に入ってからか、銀行と同じ様式にチェンジしてしまった。これにより、主務者印を押す欄がなくなり、一部の郵便局では押印拒否をするなど、トラブルもあるという。私もそういうメにあい、一旦解約して、もう1度作り直すカタチで、この時は解決した。それが那覇中央郵便局まで使っていた通帳である。

今回はスムーズにいった。旅行貯金を続ける意志があることと、熟年女性局員が主務者印押印を確約したからだ。2003年4月から郵政公社となり、“真っ向サービス”をキャッチフレーズとしているだけに、旧式通帳の復活をお願いしたい。各郵便局に新式と旧式の通帳を置いて欲しい。これならば、トラブルを防ぐことはできるだろう。

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通帳の切り替え作業を待っているあいだ、私は『ちゅらさん』ポスターを撮影。大半の郵便局はガクブチに入れており、保護しているが、撮影すると蛍光灯の光が反射した状態で写るため、“ナマポスター”でないとイイ写真が撮れず、うずうずしていた。

ゆいレールに戻り、次の県庁前で下車。那覇の中心地という感じで、人も多い。時刻は正午をまわったせいもあるだろう。

曇天となり、気温は生暖かいものの、風が強く、“台風16号の影響なのかなぁー”と気にする。昼メシにしたい時間帯で、私の場合、コンビニで菓子パンを買うのが一般的だが、せっかく琉球の地に足を踏み入れているのだから、有名料理を食べたい。ってことで、ガマンする。



県庁前駅から徒歩15分のところにある、那覇久米郵便局で旅行貯金。局内にあるテレビはNHK総合テレビの『お昼ですよ! ふれあいホール』という番組を放送しているが、画面の上段は琉球の台風情報を流していた。離島へのヒコーキや船は終日欠航で、もう少し予算があったら、小浜島を目指していたが、足止めを食らい、野宿せざるをえなかっただろう。

さて、『お昼ですよ! ふれあいホール』で、ゲストのMEGUMIは小学生と格闘技対決。あっけなく負けたところを見届け、那覇久米郵便局をあとにする。

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沖縄県庁へ向かう途中、創立100周年を向かえる那覇商業高校で足を止める。関係者ではないので、中へ入ることはなかったが、春夏連続で高校野球の甲子園出場を果たした名門校だった。校舎にはその記念碑がそびえたち、生徒を見守っている。ちなみに2005年10月8日(土曜日)、記念式典と祝賀会を開催している。




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無数のシーサーがあちこちに散らばった沖縄県庁に到着。そこの1階にある沖縄県庁内郵便局で旅行貯金。少々わかりにくいところにあるが、都道府県庁で旅行貯金をするのは東京都と秋田県以来、3局目。局名印は「ハイサイ! 沖縄県庁内郵便局」と記していた。ちなみに「ハイサイ」は“こんにちは”という意味で、女性があいさつする場合は「ハイタイ」と言う。



さらに県庁前駅すぐのところに美栄橋郵便局を見つけ、もちろん、旅行貯金。県庁前の次の駅が美栄橋なので、違和感はあるが、先にできているのは郵便局なので仕方のないところ。お客様の要望が多ければ、「県庁前駅前郵便局」に改称するだろう。



宿最寄り駅の美栄橋に戻り、徒歩1分のところにある那覇久茂地郵便局で旅行貯金。そのあと、那覇のメインストリート、国際通りへ。『ちゅらさん』で見た通り、クルマの行列だ。



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国際通り郵便局に入るが、郵便局という雰囲気はまったくない。玄関は『地酒横丁 泡盛蔵元直売店』の楷書のカンバンが強烈なインパクトを与え、右下のスミに『〒国際通り郵便局』と控えめ。郵便局と泡盛販売店、三線(Sanshin)店(三味線に似た弦楽器)が一体となっており、おそらく、その店で購入したおみやげをゆうパックで送ってもらおうという意図があるのだろう。2階はエフエム那覇で、もし、誰かが私の日本完全制覇を“密告”していたら、出演していた可能性があったかもしれない。

さぞ、にぎわっているかと思いきや、ガラガラ。おみやげ屋があちこちに点在していることや、郵便局が目立っていないこともある。でも、こういう“変わりダネ郵便局”は末永く、残して欲しい。ちなみに局名印は「奇跡の1マイル国際通り郵便局」である。

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さて、ようやく昼メシ。美栄橋駅近くの食堂で、念願の沖縄そばを食べる。以前から食べたかった。大盛りの食券を店員に渡すと、この日はサービスデーだったようで、炊き込みごはんと汁モノがついた。

沖縄そばは、そば粉を使わないのが特長。以前、『どっちの料理ショー』で、沖縄ソーキそばが圧勝しているのだから、おいしいはず。まずはかつおだしのスープを飲む。かつおだしはあっさりしていて、うまい。そして、そばを食べると、味はしないものの、コシとボリュームはある。

ソーキはブタのあばら肉ことで、琉球の肉はポークが主流。コシがあり、プリプリ感がするほどやわらかく、骨まで食える。ほかに卵とカマボコが入っているが、かなりのボリュームとサービスの炊き込みごはんで、おなかパンパン。これなら、普通盛りで十分であるが、大満足して、店を出る。



ゆいレールに戻り、牧志へ。下車したら、そこは国際通りで、近くに牧志郵便局があり、旅行貯金。琉球の花、赤いハイビスカスのスタンプを押したあと、「南国沖縄 牧志郵便局」の局名印を押す。ちなみに主務者印はあいているスペースに押してもらっている。

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そして、来訪記念なのか、黒糖をいただく。近年(2003年以前)、黒糖はミネラルやビタミンが豊富で、長寿食として、クローズアップされている。いただいた黒糖は加工品のお菓子で、さっそく食べてみるが、ほどよい甘さで、すぐ口に溶けた。

私が砂糖を使う時は自宅でアイスコーヒーを作るぐらいだが、“今後は黒糖を入れて、もっと健康管理に努めるべきかな”と思った。スーパーマーケットで売っている黒砂糖ではなく、琉球の黒糖だ。お値段が気になるところだが、不思議なことに砂糖や塩に賞味期限はない。

ゆいレールに戻り、安里(Asato)へ。ここも難読で、下車すると、道路はクルマで埋めつくされている。ちなみに琉球の人口は190萬人で、100萬人近くは本島に在住しているという(2004年当時)。



ここでは徒歩7分のところにある大道郵便局で旅行貯金。安里駅へ戻り、向かいのホームに回送電車が現れた。ところが、回送電車であるにもかかわらず、人が乗っている。なんかおかしい。その直後である。

「ウッ、ウソ?!」

と私は思わず、声をあげた。後部車両には、なっ、なっ、なんと、クッ、クッ、国仲涼子が乗っていたのである。どうやら、回送電車は“貸切電車”で、『ちゅらさん3』のロケをしていたのだ。

その隣には子役の女の子が乗っていた。このシーンは第3回に放送され、わずか5秒ほどのシーンだったが、撮影した地点には国場川が見えた。

実は8月に琉球でロケをやるというウワサ話を入手していたが、まさか遭遇するとは想像もしていなかった。



さて、『ちゅらさん3』のロケ電車は15秒ほど停車したあと、発車。わたしは、おもろまちへ向かい、那覇真嘉比郵便局で旅行貯金。探すのに苦労した。

ゆいレールに戻り、次の古島で下車するも、近辺に郵便局はなく、時刻も締め切りの16時になろうとしていたため、この日の旅行貯金は14局で終了。ゆいレール全駅に下車して、16時までに旅行貯金ができるだろうと思っていたが、郵便局以外にも寄っていたため、意外と時間がかかってしまった。

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終点首里まで乗り、下車すると、2,000円札の利用促進を求める貼り紙が目につく。当初から“不評になるだろう”と懸念されていたが、その通りとなっている。銀行のATMでも入っていないようだし、琉球で2,000円札を使っている人を見ることは、今回の旅ではなかった。それどころか、2004年11月1日(月曜日)から登場した野口英世の1,000円札、樋口一葉の5,000円札は都内で早くも姿を見せており、2,000円札はますます影が薄くなっている。

それを打開するには、銀行や郵便局のATMは意図的に2,000円札を入れ、自販機(煙草、アルコール、公序良俗に反するモノは除く)も2,000円札対応に改造し、それを使用した人には品物1本無料サービスするなど、国が総力をあげてバックアップしないとダメだろう。コレクターにとっては、2,000円札が普及すると、値打ちがなくなり、“お宝”にもならないが……

さて、次なる目的地は首里城。ここから首里城公園までは1キロほどだが、首里駅前にはタクシーの列があり、観光客に利用を勧める。いわゆる1つの“客引き”だが、よくない行為だ。まだまだ若いモンには負けない自信と、歩くことが好きなので、前日みたいに緊急措置以外、タクシーを使うことはないが、100円均一なら、考えただろう。だが、客引きをするのではなく、運転席でじっと待つべきだ。“果報は寝て待て”で、お客様を迎えるのが基本精神ではないのか。

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クネクネした坂道を登り、首里城公園へ。まずは歓会門をくぐる。1500年前後に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。昭和49年(1974年)に復元されている。

周囲は石垣となっているが、日本の城とはひと味もふた味も違う。「中国4000年の歴史」という言葉が当てはまるほど、日本的ではない。とりあえず、ケータイのカメラで撮ったあと、首里城正殿へと急ぐ。

余談だが、歓会門は別名、『あまへ御門(Ujoh)』と言う。「あまへ」は琉球の古い言葉で“喜んで迎える”を意味しており、「歓会」はその漢訳である。

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試練を与えるかのように、石段を登り、瑞泉門へ。石門の上に櫓(Yagura)が乗っており、門前はシーサーが門番の如く、2つある。大相撲にたとえると、櫓が横綱、シーサーは太刀持ちと露払いである。

「瑞泉」とは、“立派な、めでたい泉”という意味で、瑞泉門は別名、『ひかわ御門』と言う。「ひ」は樋(Toi)のことで、「かわ」は琉球の井戸や泉をさす。ちなみに1470年頃に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。平成4年(1992年)に復元された。

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続いて、漏刻門(Rohkokumon)をくぐる。「漏刻」とは中国語で“水時計”という意味。櫓の中に水で時間をはかる水槽が設置され、漏刻門を過ぎた広場に日影台(Nichikagedai)があり、そこの日時計の2つで時刻をはかり、たいこをたたいて、現在時刻を知らせたという。また、漏刻門は別名、『かご居せ御門』と言われ、駕籠で登城することを許されていた高貴な役人も、国王に敬意を表し、ここで下りたという。15世紀に創建され、昭和初期に老朽化で撤去。平成4年(1992年)に復元された。

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漏刻門をくぐったあとは、先ほど述べた日影台。日時計で正午及び、その前後の時刻をはかり、漏刻でくわしい時刻をはかっていたという。カンタンに言えば、日時計は水時計の補助的な役割ってワケ。ちなみに昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で破壊されたが、2000年に復元している。

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石門2つをくぐったあとは、広福門(Kohfukumon)といって、木造の建物。首里城はすべて朱色となっているので、もし、琉球にプロ野球やJリーグの本拠地を置いた場合、チームカラーは朱色になるだろう。

それはともかく、「広福」は“福を行き渡らせる”という意味で、広福門を抜けると、ここから先は800円(30人以上の団体は640円)払わないとは入れない。ちなみに高校生は600円(30人以上の団体は480円)、小・中学生は300円(30人以上の団体は240円)で、6歳未満はタダである。また、年間パスポートもあり、大人1,600円、高校生1,200円、小・中学生600円である。首里城は言わば、“琉球のディズニーランド”なのであろう。

800円を払って、奉神門をくぐると、いよいよ、待ちに待った琉球のシンボル、首里城正殿である。

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首里城正殿を見て、誰もが衝撃を受けている様子。子供以外は誰も近づくことはできない。優雅で、綺麗な建造物に圧倒されていることもあるが、大半は記念撮影で夢中になっている。

首里城は14世紀に創建され、2000年に世界遺産へ登録されたが、その歴史は波瀾万丈で、3度の焼失を乗り越え、平成4年(1992年)11月3日(火曜日・文化の日)に復元された(現在の首里城は4代目になる)。今も色あせていない様子だ。

首里城正殿は3階建ての木造建築物で、タイワンヒノキを使用。柱の数は1階101本、2階92本、3階60本で、瓦は57,900枚も使用している。

さて、観覧順序に従い、南殿・番所へ。ここは展示コーナーで、いよいよ首里城正殿へ。ここから先は土足現金となっており、靴を脱ぎ、巫女さんが1人1人にスーパーマーケットでよく見るレジ袋を渡す。世界遺産であることや、往時の面影を再現していることが理由(推測)のようだが、4代目の首里城正殿はハヤリのバリアフリー対応となっていて、車椅子昇降装置を設けていた。再建された現在の大阪城は鉄筋コンクリートで、エレベーターもついていた記憶があるので、“そっくりそのまま”の再現とはいかないようだ。

これは時代の流れなので、“進化した首里城”と思えばよく、周囲の人々に違和感のないよう、車椅子昇降装置も朱色が主体。首里城は中も外も朱色が主役だ。

首里城正殿の見学を終え、再び靴をはく。ちなみに首里城正殿は3階を見学することはできない。

北殿へ移動し、パネル展示や映像による首里城の解説を行なっている。売店やトイレもあり、見学コースはここで終わる。

似たような門ばかりで、この時は気に留めず、帰京してから気づいたが、“琉球の凱旋門”で、2,000円札のモデルとなった守礼門を通過。そのあと、琉装をしたお姉ちゃんが数人いて、記念撮影を売り込んでいるようだ。

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道を間違え、首里高校の裏門へ。首里高校は翌日、正門へ寄ったので、この時の模様は別の機会で述べるとしよう。

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軌道修正に成功し、金城町石畳道に。起点の交差点(信号機はない)にはマイクロバスが止まっている。ちょっと進むと(と言うより、下る)、どう見ても、ドラマのロケ隊としか考えられず、前方はスタッフが散らばっており、ハイビスカスのドライフラワーをかざりつけている。その家の表札を見ると、エッ、「古波蔵」だ(スタッフがマジックで記入)。

「ゆいレールの駅で国仲さん見ましたよ」

「どこの駅でですか?」

とNHKのスタッフに声をかけてみると、ビックリした様子。私はたまたま見かけただけだが……

「えーと、アサトだったかなぁー?」

私は答えるのに苦労した。駅名の漢字は覚えていたが、よみがなはすっかり忘れていた。完全に覚えたのは帰京してからだ。

そのあと、古波蔵邸から40代後半から50代前半であろう、男性1人が出てきた。

「ここにお住まいの方ですか?」

「いえ、違います」

とあっさり否定。古波蔵邸は現在、誰も住んでいないという。NHK沖縄放送局が買い取って、いつでもロケに使えるようにしたらどうだろうか。

私は首里駅を下車し、首里城を経由して、こちらにいるが、あることに気づいた。

それは、えりぃーが那覇北高校卒業後、実家を家出して、上京するため、那覇空港に向かった(であろう)というシーンがあったが、坂を下っている。そして、実家に戻る時は坂を登っていることになるのだか、これも“てーげー”だった。実際は登らないと那覇空港には行けないのである。但し、その当時、ゆいレールはなく、坂を下ったところに那覇空港へ向かう停留所があれば、“てーげー”にはならないだろう。

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さて、金城町石畳道の坂を下るが、傾斜がきつかった。3往復すれば、足腰が鍛えられ、地面が石なので、“土ふまず”がより強化されるだろう。ちなみに私は1往復したが、時間の都合でロケシーンは見なかった。

首里駅に戻り、那覇空港へ向かう。日が暮れる頃に着いたが、夜はどのくらい観光客が来るかなと注目したところ、やっぱりいた。

そのあと、再び旭橋へ。那覇バスターミナルを視察した。翌日、糸満市の平和の礎(Ishiji)へ行こうかと思ったが、時刻表がない。また、1日では那覇市をまわり切れず、翌日も続行することに決めた。

そのあと、美栄橋へ戻り、第1牧志公設市場へ。時刻は20時を過ぎたせいか、店じまい。だが、国際通りはにぎわっていた。

私は宿へ戻り、晩メシを食って、休むとしよう。

★備考

①今回の記事は、2004年11月に執筆したもので、一部加筆・修正をしています。

②岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-3」 

③岸田法眼のRailway Blog.「2002年の汽車旅9-4」 

④コメントで御指摘を受けた部分があり、本文の一部を修正しています。

★おまけ

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『ちゅらさん』のおばぁー。

さすらいの諸国漫遊記57-4日目 [汽車旅2004]

◆下記の記事をまだ御覧になっていない方は、下記のURLへクリックしてください。

・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20

さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27

2004年8月22日(日曜日)、ほとんどのお客が寝ている2時頃、琉球海運『わかなつおきなわ』那覇新港行きは鹿児島新港を出航した。

ここから那覇新港までは694キロという道のりで、東北本線に例えると、東京から青森県の清水川までに相当する。これは旅のお供の1つである『JR時刻表』(交通新聞社刊行)で調べたが、距離の長さに驚くばかりだ。これでは、海底トンネルや橋の建設計画がないのも仕方ないところである。ちなみに大阪南港のフェリーターミナルから、那覇新港までは1231キロもある。

6時50分、目が覚めた。2等船室の窓際を陣取っていた私は、ふと景色をのぞくと、空は輝いていた。雲はあるが、晴れている。ほかの男性陣とは就寝中だが、さいわい、2等船室のドアは開けっぱなしだったので、気をつかわずに出る。ドアの開閉音をたててしまうと、“起こされた”と不快感を買う人もいるだろう。知らない人との“集団生活”も苦労する。


「おはようございます」

とデッキへ向かおうとした時、若い女性が私にあいさつした。あまりにも突然で、予期していない出来事だったが、私もあいさつを返す。その若い女性は日の入りのとき、デッキにいたので話しかけてみたが、東京からやって来たとのこと。仲良し集団でキャンプをするらしい。

私は毎年元旦、江ノ島で初日の出を見ているが(2004年まで2勝3敗)、船上からの日の出は海岸で見るより美しく、格別である。船員も明日の日の出の時刻を言ってくれれば、携帯電話の目覚ましをセットしていたのに。

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デッキでさわやかな日の出を見届け、2等船室に戻ると、再び眠りについた。今までの寝不足を解消したいし、この日は1日中、フェリーの中だから、ヒマも同然だ。

10時過ぎに再び目覚める。遅い朝食は、もちろん人気薬屋『マツモトキヨシ』で購入したカロリーメイト。デッキのベンチに坐り、ポカリスエットと共に食べる。本来、朝の飲み物はミルクティーなのだが、『長渕剛桜島オールナイトコンサート』で、コンビニの食料品が一掃されてしまったため、鹿児島新港の自販機で仕方なく購入した。

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船上は意外と暑さを感じないが、“コパルトブルー”と言われる藍色の海(台風15号の影響か、この日は太平洋と東シナ海を行ったり来たりだった)は強烈だ。今まで、こんな色の海、肉眼で見たことがない。さらにトビウオが海から脱出して、地上を飛ぶ姿も初めて見た。但し、いつ出てくるかわからず、撮影することはできなかった。

携帯電話は圏外で、音信不通。それは最初からわかりきっていたことなので、電波遮断モード(ドコモでは「セルフモード」という)にしているが、携帯電話を持っているにもかかわらず、誰とも連絡ができないのはつらいものである。今の携帯電話は、カメラやゲームがついて当たり前なので、乗っている人々は思い思いに時間をつぶしているが、電波遮断モードがない、あるいはその存在を知らない人は、携帯電話の充電をして、那覇新港に着くのを待っている。

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海は綺麗だが、波は高く、けっこう揺れるところもあって、私は船酔いにあう。酔い止めの薬を買っておくべきだったかもしれないが、さいわい、ゲロをすることはなかった。必死にコラえた。かつて、天候が悪いときに乗船し、船酔いをしてゲロしちゃったことがあるから、ここはおとなしく2等船室に戻り、横になる。しばらくしたら、昼寝になってしまった。

那覇新港の到着は当初、20時20分の予定だったが、20時40分に変更され、さらに21時へ延びた。2回も変更するのはしょうがないことで、イラだちもない。“無事に那覇新港に着いて日本完全制覇を達成させてくれ!!”と願う。

船酔いがおさまり、18時を過ぎると、空は黄昏に変わった。

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18時40分、デッキに出ると、“おてんとうさん”は東シナ海に沈もうとしている。どうやら鹿児島県最後の島、与論島を通過したようで、琉球に入ったみたいだ。『わかなつおきなわ』は伊平屋島か野甫島か伊是名島のどちらかを通っている。

18時44分、夕日は東シナ海に沈んだ。

さて、琉球海運『わかなつおきなわ』の「わかなつ(若夏)」は琉球特有の季語で、4月末から梅雨入り(5月なかば)までの初夏を思わせる、さわやかな時季をさすという。

大地は春先の雨をたっぷり吸い込み、若葉は青空に向かって、グングン伸びていく、新しい命の鼓動と豊穣を感じさせる季節で、この船を『わかなつおきなわ』と命名することにより、若々しさ(活力)、みずみずしさ(精錬)、豊かさ(高収益)への期待を込めている。

琉球にとって、すべての幸のモトは海にあるという言い伝えがあり、古くから、生活・文化は域外の交流によって、支えられている。

『わかなつおきなわ』は未来にひらかれた、海への限りない希望に満ちた琉球と外の世界で結ぶ架け橋と位置づけている。

これは船内にかかげられた命名の由来で、一部、私なりにアレンジした部分がある。

20時20分、ふとデッキへ行くと、綺麗な夜景が夜空を彩る。ってことは、ついに琉球本島が見えたーっ!! そして、タグボート2隻の力を借り、21時09分、終点那覇新港に到着。船員の指示で、下船したのは21時14分。ついに琉球の地に足を踏み入れ、平成8年(1996年)3月9日(土曜日)からスタートした諸国漫遊は、8年5か月、57回目で“日本完全制覇”を達成した。

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感慨にひたる時間はなく、すぐさま無料のマイクロバスに乗り込み、フェリーターミナルへ運ばれる。ちなみにキャンプをする仲良し集団は、離島へ向かうつもりのようだが、台風16号の影響で欠航が決まり、お困りの様子。こちらとしては無事を願うほかない。

那覇新港を出て、徒歩で宿へ向かう。「日本完全制覇を達成した」というメールをポコポコ送り、泊大橋への階段を登ると、亀甲墓を目にした。大きさはやっとの思いで墓石をたてた我が一族とは、えらい違いである。さすがに亀甲墓を撮る気になれなかったが、しばし、足を止める。

亀甲墓は、亀の甲羅のような独特な形状の琉球のお墓。一族共同の墓なので、かなり巨大。一般的な墓石とは比べものにならない。亀甲墓は言わば“第2の我が家”なのだろう。

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いよいよ泊大橋を渡るが、風は強く、おまけに足がすくむほど高い位置にある。進行方向左側は泊港で、フェリーが1隻停泊中である。ちなみに泊大橋は、『ちゅらさん』のロケ地の1つで、古波蔵恵里が那覇北高校に通っていた帰り道、チャリンコを降りて、上村文也からもらったスーパーボールに目を輝かせていたシーンを思い出す人もいるだろう。

ところが、那覇北高校から実家までは、泊大橋を使う必要はまったくなく、なんと道草を食っていた。“てーげー(「大まか」という意味)”精神はNHKのスタッフにも及んでいた?! ほかの高校生はちゃんと正規の通学路で帰りましょう。それにしても、あんな高いところで撮影したのだから、意外と命がけのロケだったかも。

泊大橋は果てしなく長く、気がつけば宿をオーバーラン。道がわからずじまいとなり、おまけに雨も降ってしまい、タクシーで緊急避難。宿までの料金を気にしながら乗ったが、初乗り480円ですんだ。

★備考

①今回の記事は、2004年10月に執筆したもので、一部加筆・修正しています。

②岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅5-2」 

③琉球海運『わかなつおきなわ』は、2006年9月18日(月曜日・敬老の日)をもって、運航を休止しました。

さすらいの諸国漫遊記57-3日目 [汽車旅2004]

◆下記の記事をまだ御覧になっていない方は、下記のURLへクリックしてください。

・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20

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2004年8月21日(土曜日)、博多へ向かう夜汽車は、夜が明けて下関に到着した。これから関門海峡を海底トンネルでくぐり、九州に上陸する。九州は何度も行っているせいか、感激は薄れた。でも、九州は不思議とワクワクする。

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九州へ渡り、熊本へ。熊本駅前では日本テレビの『24時間テレビ 愛は地球を救う27』の募金活動を行なっていた。世のため、人のための募金をするのはいいことだが、こういうのは毎日やるべきだと思う。ちなみに募金活動は、JCBカードでも受け付けているそうで、将来はドコモが売り出し中の新兵器、“おサイフケータイ”でもできるようになるだろう。

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三角へ足を延ばしてみた。有明海では釣り人がチラホラ。天候はよくないが、今が旬の魚はなんだろう? 船で島原へ向かうこともできるが、今回はパス。周辺は「なんにもない」と言っていいぐらいで、売店もどきの商店で菓子パンにありつく。ツルッパゲのオジサンは寡黙な人のようで、愛想がいいとは言えない。スーパーマーケットの店員なら、確実にクレームの対象となり、注意されているだろう。スーパーマーケットは“サービス”に敏感だからだ。

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気になったのは、『開運なんでも鑑定団』を正午に放送していたこと。関東地方では、毎週火曜日20時54分から放送しているが、地方によっては違うのかもしれない。

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九州新幹線〈つばめ47号〉鹿児島中央行きに乗る。新幹線を使う機会は少なく、“ビンボー生活”を露呈しているようなものだが、今回はクレジットカード2回払いできっぷを購入した。

以前は鹿児島本線という在来線で向かっていたが、九州新幹線開業時、並行する区間が肥薩おれんじ鉄道という、第3セクター鉄道に変わってしまい、ビンボー人にとっては“薩摩は遠くなりにけり”になってしまった。別ルートで薩摩へ向かうことも可能だが、遠回りで本数は少なく、難所のありさまである。

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まず驚くのは、人間の笑顔のような先頭車。前照灯がつくと、“鬼”に変わり、かなりのスピードで走行するものと想像する。また、車内は和を多用しているため、東京の通勤電車にありがちな無機質さがなく、窓のカーテンはすだれ、洗面所や電話ボックスはのれんを使っているなど、“ここは本当に電車の中なのか?”と思うほど。

これは九州新幹線に限ったことではない。JR九州の車両はド派手なのが多く、1度見たら忘れることがないほど、強烈なインパクトを与える“SHOW by ショーバイ!!”がウリだ。こうでもしないと乗ってくれないということなのだろう。

余談だが、九州新幹線が開業した2004年3月13日(土曜日)、新八代駅では歌手の八代亜紀、川内駅では巨人(現・オリックスバファローズ)の木佐貫洋投手が1日駅長を務めた。いずれも駅の所在地が地元だからである。

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終点鹿児島中央は九州新幹線が開業するまで、「西鹿児島」と名乗り、私は2度ほど立ち寄っている。付近に鹿児島中央郵便局があることや、「西鹿児島」のままだと、薩摩の玄関口にふさわしくないことが駅名チェンジに至ったのであろう。

帰省シーズンでもないのに、九州新幹線〈つばめ47号〉の自由席があふれていたので、“おかしいな”と思いながら鹿児島中央で下車すると、なんと、この日は『長渕剛桜島オールナイトコンサート』があり、日本全国から多くのファンが集結していた。

2003年の『NHK紅白歌合戦』で、『長渕剛桜島オールナイトコンサート』をやることはして知っていた。鹿児島出身なので、“故郷に錦を飾るようなイベント”というふうに見ていたが、全国規模だとは想像もしていなかった。知人の話によると、ほとんどのホテルは満室で、コンサート会場は準備に8か月もかかったという。

コンサートの観客に巻き込まれるかのように、路面電車へ。九州新幹線の開業で、のりばは整備され、綺麗になって、乗りやすくなった。

以前、桜島へ渡ったことがあるので、鹿児島新港はどこにあるのか見当はつく。しかし、所在地はまったく調べておらず、終点鹿児島駅前まで乗ってしまい、テクテク歩く。ちなみに“長渕応援団”は水族館前というところで降り、中央にある乗車専用のドアも開いて、降車を認め、そこには係員が待ちかまえ、運賃精算をしていた。

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桜島の雄大さに見とれ、写真を撮る。噴火山を見ていると、“ここまで来たか”と身が引き締まる思いだ。

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桜島に行くフェリーターミナルは長渕応援団で長蛇の列。渋滞は3キロ以上というような感じだ。利用するお客はかなり大回りなルートをしいられているが、フェリーはポコポコ運航している。ちなみに、桜島のフェリーは24時間運航で、昼間は15分間隔で乗れるから、“生活路線”という見方ができる。

やっとこさ、鹿児島新港に到着。実は旅立つ前日、琉球海運から電話があり、台風15号の影響で大幅に遅れるという。電車の中は通話禁止令をしく鉄道会社が多いので、電源を切るか、ドライブモードにして、新しい情報が入ったら留守番電話に入れてもらうよう、お願いした。ちなみに電源を切るのは、トンネル内は圏外になるからで、電池の消耗が早まるためである。

琉球海運からの留守番電話は入っておらず、どうやら運航するようだ。窓口で出航は2004年8月22日(日曜日)2時という貼り紙があり、乗船手続きをする。もし、運休したら、他社船やヒコーキによる振替輸送はないので、スケジュールが大幅に狂い、琉球へ渡ることを断念しただろう。ちなみに、事前に電話がなかったら、三角に寄り道していない。

2階のフェリーターミナルにあがると、テレビが2つあり、左側はアテネオリンピック長嶋JAPAN―台湾戦、右側は広島―巨人戦を放送していたが、後者は誰1人も見ておらず、巨人の人気低迷を物語っていた。ちなみにこの日、長嶋JAPANと巨人は共に勝利した。

コンビニで晩メシを購入しようとしたら、なんと品物がない!! どこもかしこも売り切れ御免。なんとか『ほっかほか亭』にありつき、メシ抜きの危機はまぬがれたが、近辺のコンビニは、駐車場規制や雑誌販売休止など、尋常ではなかった。

21時57分、琉球海運『わかなつおきなわ』が鹿児島新港に入港。定刻より、14時間近く遅れての到着。トラックが何台も通過したが、なんと牛を乗せていた。大幅な遅れに耐えたのは人間だけではなかった。

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22時45分、乗船開始。“日本完全制覇”に王手がかかり、2等船室に入る。出航は予定通り、翌日の2時。人より貨物を載せているようで、この時間になったようだ。

2等船室は男女別に分けられたが、さいわい禁煙で、1人分の毛布と枕を敷いていた。これなら、陣地をめぐるトラブルも起こらないだろう。

軽くシャワーを浴び、日付が変わる頃、疲労が蓄積して、いつのまにか眠りについた。夜汽車の中では、“琉球にたどり着くことができるだろうか?”と不安になり、なかなか寝つけなかったからだが、今宵はぐっすり眠れるだろう。無事に琉球の地に着き、日本完全制覇を願いつつ。


★備考

①今回の記事は、2004年10月に執筆したもので、一部加筆・修正しています。

②岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅5-2」 

③岸田法眼のRailway Blog.
「青春18きっぷ」

★おまけ

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さすらいの諸国漫遊記56-後編- [汽車旅2004]

・「さすらいの諸国漫遊記56-前編-」をまだ御覧になっていない方は、こちらへどうぞ

2004年7月25日(日曜日)、眠りから覚めたら、夜汽車は大阪に着いた。昨日、高知から夜汽車に乗って、移動しているワケで、宿泊費の節約に役立っている。  

夜汽車から電車に乗り換えて、比叡山坂本という駅を下車し、比叡山を目指す。反対方向に行けば、琵琶湖。関西の水瓶として重要な存在で、昔は「水道の水はまずい」と言われ、汚れていた湖だが、今はどうなっているのだろうか? 関西の水道局もカルキ臭をなくすべく、いろいろと努力していると昔、聞いたことがある。でも、今はどこの家でもミネラルウォーターが大活躍。水道の水が洗いものや風呂水に専心しているようだ。  

話を元に戻し、比叡山に挑むが、道は徐々に登り坂になってゆき、心が高ぶる。昨年は大阪の能勢妙見山にチャレンジし、人の流れに身を任せ、バスに乗ったら、ケーブルカーのりばに着いて、ラクラク登山したが、下山は駅の道がわからず、大変だった。さいわい、東海道新幹線で帰京したから、時間的な余裕はあったが、今回は以前のようにはいかないだろう。時刻は7時を過ぎたばかりで、周辺の住居はまだ目覚めていない様子だ。  

少々登ったところにケーブルカーのりばを見つけたが、料金が高過ぎる。それに8時までお寝んねなので、自分で登るとしよう。東京の山は2つほど登った経験があり、たいしたことなくクリアしたから、“チョロイ”という軽い気持ちでトライする。  

登山道を見つけ、入ると、なんとクサリが通せんぼしていた。なんのためらいもなく突破したが、そのあと、ヘビの姿を見つけてしまい、ビックリすると、そっちも人間の姿に驚いて、すっこんでしまった。さいわい、コブラではなかったようだ。そのあと、トカゲの姿を何度も見ることになる。  

普段、お目にかかれないものに遭遇し、私は「足元に御注意下さい」という東京メトロの放送を思い出すかのように、地面を気にしながら歩く。注意深く歩かないと、ケガをするどころか、命を落とす危険性もある。  

意気揚々と登ってゆくまではよかったが、時間がたっても頂上にたどり着かず、前日の夜に購入したペットボトルのミルクティーを飲み干してしまった。上半身は汗ベッチョリで、これほど壮絶な登山は初めてだ。さいわい、携帯電話は通じる。  

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足取りは悪く、誰ともすれ違わない。朝早いのだから、すれ違わないのはしょうがないが、ノドがかわいて、前日の夜に購入したペットボトルの緑茶を補給し、一歩一歩進むしかない。すると、紀貫之(Tsurayuki Kino)の墓を見つけ、“頂上まで近いぞ”と思ったが、まだまだ先。とうとう、ペットボトルの緑茶も飲み干してしまい、あとは気力をふりしぼるのみとなってしまった。

「カラッ、カラッ、カラッ、カラッ」  

と“希望の光”と思える音色が聞こえた。急いで進むと、ケーブルカーのレールが見えた。すぐそこには益があるものの、頂上の駅は「すぐそこ」と言えるような距離で、カネを払うのはもったいない。私は気力を注入し、苦しくてダウン寸前とはウソのような軽い足取りで、比叡山を登り切った。  

ケーブル延暦寺という駅で、しばらく休憩。長袖のシャツとTシャツを脱いで、しぼると大粒の汗が滝のように流れ落ちた。さいわい、誰も私の上半身を見ていなかったが、汗まみれのシャツ類をこれ以上、着るわけにもいかず、予備用と持ってきたものに着替える。ちなみに私はいつも1日分多めに衣類を入れており、万一に備えているが、予備品で使うのは浜松で足止めを食らい、金山へ引き返して、インターネットカフェに緊急宿泊した2003年8月以来となる。  

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ゴクリとスポーツドリンクを飲み干し、ケーブル延暦寺駅ではカブトムシを飼育していた。夏らしくていい。そして、展望台で景色を見つめるが、綺麗で意外と高いところにある。琵琶湖は透き通っており、写真を人に見せても、わかりづらそうな感じである。  

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ケーブルカーで下山し、石山寺に移動。暑いが、もっと暑いのは瀬田川でカヌーが何度も通っていること。おそらく、大学のサークルの練習と思われるが、オールをこいでいる面々は汗ダクであることに間違いはないだろう。  

京都で昼食と休憩を兼ね、帰京するが、途中、静岡で晩メシ購入のため、立ち寄ると、2005年4月から静岡市は政令指定都市になるという。新幹線〈のぞみ〉を停めようというねらいがあるのかもしれない。


★備考

①今回の記事は、2004年8月に執筆したものです。

②岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅4-後編-」 

さすらいの諸国漫遊記56-前編- [汽車旅2004]

56回目の諸国漫遊は2004年7月23日(金曜日)、すっかりおなじみと言ってもいいかもしれないが、品川からの夜汽車で旅立つ。行動的に、若々しく動き回る私には、この臨時便の夜汽車がよく似合っているようだ。  

毎日運転する大垣行きの夜汽車に乗ることもあるけど、終点に着くのが遅いし、途中から自由席に変わるなど、過ごしにくい。もし、名古屋に用があるならば、臨時便では寝過ごすことが多いので、定期便を利用する(指定席券が取れれば)。  

翌日の2004年7月24日(土曜日)、えんえん乗り継いで、岡山に着いた。途中、有年(Une)と上道(Jyodoh)で郵便局を見つけてしまい、歯がゆい思いをする。土休の旅は旅行貯金ができないため、くやしい。今や平日で堂々と旅ができるのは“夏休み”という傾向になっており、旅行貯金の年間局数も減少している。  

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岡山駅を出て、目の前の道路は桃太郎大通りと名づけられている。道路の中央には路面電車が走っている。  岡山の街を歩くが、暑い。その上、別の道路はクルマの量が多く、熱気にあふれている。その中を路面電車がスイスイ駆け抜けてゆくが、よく事故が起こらないなと感心する。  

近年は路面電車が見直されていると聞く。電気の力で動くので、地球環境にやさしいからだ。バス共々、乗り降りしやすいよう、床の低い車両を投入して、サービス改善をはかっている。バス側もハイブリット式を投入しているけど、1番イイのは電気自動車の実用化だ。  

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桃太郎大通りに話を戻し、城下(Shiroshita)というところに『OKAYAMA SYMPHONY BLDC.』という建物がある。新横浜プリンスホテルの岡山版みたいな感じの建物で、1階の左側にはCDショップの新星堂、右側には本屋の丸善が肩を並べている。いずれも入口のドアがあり、どこへ入るのかを競っているような感じだが、大手有名なお店なので、つぶれることはなく、ジャンルも違うので、ライバルという目で見るようなことはないだろう。ちなみに丸善岡山シンフォニービル店には、カブトムシが半額で売っていた。不況のせいか、本屋もジャンルを広げて、ショーバイをしているようである。  

瀬戸大橋を渡って、四国入り。2000年から5年連続で四国の旅となり、こだわっているつもりはないが、いつも瀬戸大橋だ。明石海峡大橋でもいいんだけど、バスしか走っていないことがネックとなっている。周遊きっぷはJRの鉄道とバスが共通で使えるけど、私が愛用する青春18きっぷにそんな特典はない。もし、あれば、旅の幅が広がるんだけどね。  

徳島県に入ると、激しい雷雨となり、1年前と同じ光景を思い出すが、高知県に入ったら、やんだ。と言うより、雨が1滴も落ちていなかった。世の中は不思議なものである。  

この日、高知市内では夏祭りが行なわれており、電車の中は、ゆかたのお姉ちゃん(未成年が多かったが……)が目につく。相変わらず、ケータイの見せ合いやメールピコピコだが、仲良し4人組のうち、3人はドコモの第3世代携帯電話FOMAのN900iに仰天!!  携帯電話雑誌によると、春のドコモ機種の売り上げはN505iSとN900iのワンツーフィニッシュで、デザインと使いやすさに定評のあるNEC製品が人気だ。しかし、FOMAの通話エリアは第2世代携帯電話movaに比べ、まだせまいという。FOMAにする時は回線を切り替えれば、movaも使えるデュアルネットワークの利用をオススメする。  

ゆかたにケータイとは合わない気がするが、高知弁でベラベラしゃべっていることに驚く。顔とおしゃべりのギャップは激し過ぎるが、現地では高知弁が普通の会話なのだから、仕方のないところだろう。しかし、この前、『水戸黄門・第33部』で高知に立ち寄った時、セリフは標準語だった。私にとっては、ものすごい“カルチャーショック”である。  

夜もふけ、猛暑で汗をかいた私は銭湯に入る。21時15分頃に入ったが、閉店時間は22時。受付のオバサンにそう言われながら、男湯に入るが、貸し切り状態。自宅の風呂に比べると、湯の質が全然違う。サッパリ系の銭湯に対し、自宅の風呂は水道の水をわかしただけだから、どうもスッキリしない。  

よじ登れば、女湯をのぞくことができるが、そんなことをするつもりはなく、いつしか誰もいなくなった。湯を流す音が聞こえないからで、お客は私1人だけとなる。  

気分爽快で湯船を出て、着替える。湯を流す音が聞こえなくなったせいか、受付のオバサンはあと片づけで男湯に入ってきた。  

私はとっくに着替えていたので、裸体を見られることはなかったが、以前、どこぞの銭湯でオバサンが平気で男湯に入って掃除をしていたから、それに比べれば、ジョーシキとリョーシキは1枚も2枚も上だ。

「他県から来なすったん?」

「ええ、東京からです」  

と言葉をかわし、銭湯をあとにした。すると、閉店時間まで、あと20分あるというのに、もう店じまい。これ以上、お客が入ってこないと確信したのだろう。  

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そのあと、『高知スーパー江の口店』に寄ったが、なんと、スーパーマーケットでありながら、24時間営業をしている。付近にコンビニエンスストアがないからであろう。  

ここではペットボトルのお茶と紅茶、牛乳にヨーグルトを購入した。米と牛乳は毎日服用しないと落ち着かない性分で、ヨーグルトは年間300日以上食べて、健康管理に努めている。  

コンビニエンスストアとは違い、ストローのサービスはなく、ヨーグルトだとスプーンは、レジ精算後の台にアイスクリーム用のヤツがあり、それを使って食べた。私にとってヨーグルトは、1日の終わりを告げる食べ物である。

★備考

①今回の記事は、2004年8月に執筆したものです。

②岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅4-前編-」

さすらいの諸国漫遊記55 [汽車旅2004]

2004年4月9日(金曜日)、この日は腰痛で立つのがつらいほどだったが、なんとか体調を整え、新宿から新潟行きの夜汽車で旅立つ。  

関東地方は桜吹雪が綺麗に舞い散っており、花見のシーズンは終わったようだ。私は花見をする習慣がなく、4月という季節自体、好きじゃない。というより、「4」という数字自体、好きじゃない。  

街はスーツ姿がぎこちない“「フレッシュマン」という名の新社会人”がういういしく映る。近年は若者の大バカぶりが目立っているが、1人前でもないのに、高そうで仕立てのいいスーツを着た若者を見ると、“まともな大人になれまい”と思う。  

新潟行きの夜汽車は1両まるごとレディースシートという女性専用車があり、新宿を通る埼京線や京王線も平日深夜限定ながら設けている。昔は「男女平等」を女性が訴えたというのに、今や女性が優遇されているような時代となってしまい、男女平等の実現は永久になさそうだ。  

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2004年4月10日(土曜日)となり、新潟へ。豪雪というイメージが強いが、平地はすでに雪のカケラもない。その代わり、桜は満開。色もあざやかで、綺麗だ。特に寄り道した弥彦はなかなか。ピンクの花びらがフワフワしているようだった。  

東三条へ寄り道すると、バスが到着。どうやら、東急バスのおフルのようだ。地方はカネがなく、中古車でまかなっているのが現状のようだ。首都圏ではノンステップバスやワンステップバスが主流となりつつあるが、中古車でまかなっているところは当然のことながら、導入も遅くなる。  

今回の目的地は会津。私は朝に自信がないため、新潟行きの夜汽車で旅立ったワケだが、終点到着が4時台なため、眠く、会津若松へ向かう快速の中で“補充睡眠”をして、喜多方で下車した。  

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喜多方駅前に観光馬車がジョッキー、いやいや、お客様を待っていた。蔵をデザインした馬車は2階建てで、定員を多くしている。「2階建て」と言っても、馬車の長さは小ぶりである。大きいとお馬さんは2頭必要だ。ちなみに大人1,300円、子供800円(3歳から小学生まで)である。

観光馬車のりば付近には平和食堂というラーメン屋があり、多くの有名人が来店。サイン色紙と写真が飾られているが、年月のたっているものは色あせているのが残念なところ。そこへ入って、喜多方ラーメンといきたいところだが、10時台では昼メシの時間帯ではない。  

案内板に沿って、適当に蔵探しをする。『開運なんでも鑑定団』のようなお宝を探すつもりはないが、青々と澄み切った空と頂上が今も雪の山。周囲は一戸建てで、いたってのどかなところである。  

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市役所付近でようやく、博物館と化した蔵を見つけたが、想像以上に少ない。もっと奥に進めばあるのかもしれないが、時間の都合もあり、次回へ持ち越す。その「次回」はいつなのかは、まったくの未定だが……  

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喜多方駅に戻ると、トイレ入口にツバメの巣が作ってあり、いつのまにかヒナが生まれた。ちなみに喜多方駅は縁起物をこわすワケにはいかないため、利用客の衣服が汚れないよう、フン落下防止対策をほどこし、巣立つまでは温かく見守る方針という。  

駅の地図を見たら、蔵は数か所に分散していることが判明。最初からMAPを見ればよかったと思うものの、またの機会に行ってみよう。できれば、旅行貯金のできる平日に。  

余談だが、喜多方はもともと「北方」と名乗っていたが、明治8年(1875年)に5つの村を合併して町制を施行したさい、“喜び多い町”という意味で、現在の地名に改称した。  

改札付近で喜多方ラーメンの無料試食をして、会津若松へ。以前、ここで喜多方ラーメンを食べたので、今度もそうするつもりだったが、なんと郷土料理屋に化けていた。  

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仕方なく、会津若松駅から少し離れたところにある担々麺屋七福神中央店に入り、昼食。驚いたことにこのラーメン屋はドンブリではなく、土鍋を使っていた。土鍋は保温にすぐれているからであろう。ちなみに麺は喜多方ラーメンだった。よって、ここのラーメン屋は“かくれ喜多方ラーメン”と称しておこう。  

会津若松を少し散策したあと、晩メシ補給で宇都宮に立ち寄り、帰京。2004年春の旅はこれにて終了した。 

★備考

①今回の記事は2004年7月に執筆したものです。

岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅3」 

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さすらいの諸国漫遊記54 [汽車旅2004]

2004年3月20日(土曜日・春分の日)、関東地方は冷たい雨で、気温はひとケタに見舞われた。3月2週目に入ってから、急激に暖かくなってきたので、1月に逆戻りした感じだ。  

雨もやみ、いよいよ旅立ち。今回も西へゆくが、夜汽車は臨時便で、終点大垣へは定期便より1時間早く着くため、ありがたい存在だ。  

53回目の諸国漫遊で、「トイレのドアにカギをかけずに用をたす人々がけっこういた」と記したが、今回の夜汽車は世に言う“国鉄のおフル”で運行していたせいか、身障者対応トイレはなく、すべて和式。今回は前回と同じようなことはなかった。また、前回より暖房はガンガン効いていた。ジャンパーを脱ぎたくなるが、スリや置き引き防止の観点から、脱がずにガマンするとしよう。 

2004年3月21日(日曜日)となり、電車2本乗り継ぎ、京都へ。ここから嵐山へ向かうが、下調べはまったくしていない。  

まずは適当に国道24号線烏丸通りを歩き、東本願寺へ。7時55分の時点で、早くも参拝客(観光客)が多く、木造建築物は芸術品のように思えるほど、威風堂々とした立派な建物だ。  

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ドラゴンの口から冷水がとめどなく流れ、清めの水を右手にかける。思ったより、冷たくはなかった。そばでは外国人男性が熱心にシャッターを切っていた。  

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烏丸五条交差点から烏丸通りは国道357号線にバトンタッチし、しばらく歩くと、北阪ビルディング1階に電車1両をスッポリ展示。大切に保存されている。  

保存されている電車やSLを見かけることもあるが、上屋をつけているならまだしも、それがない場合は雨ざらしとなってしまい、鉄クズという無残な結末を迎える可能性があり、ビルの静態保存は珍しい。

保存電車は日本最初の電車だそうで、明治28年(1895年)2月1日(金曜日)に京都でデビュー。路面電車として活躍したが、クルマ社会が進行したことにより、明治36年(1961年)に運行終了。日本最初の電車は別の地で保存されたが、昭和60年(1985年)10月28日(月曜日)に現在地に移されている。保存状態もよさそうだ。  

四条烏丸交差点を左折して直進すると、“嵐電(Randen)”という電車の四条大宮駅がある。嵐山に向かうので、乗ってみる。関東地方で言えば、江ノ電に相当するのではないだろうか。  

あまり早く着くのも、あっけないように思い、途中で乗り換えて、北野白梅町へ。ここからバスに乗り継げば、金閣寺にアプローチできるが、修学旅行で見たのでパス。本当は所持金にうるおいがないからだが、近くに立命館大学があるという情報を入手したので、行ってみよう。  

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学生ではないので、本当は入っちゃいけないのかもしれないが、門が開いていたので入る。ちなみに東京大学は敷地内に病院があるので、誰でもあの赤門をくぐることができる。入試は難関でも、治療目的ならカンタンに入れるというワケだ。また、私は以前、街路樹調査の途中で雨が降ってしまい、地下の学食で雨宿りをしたことがある。  

健康増進法や禁煙社会の波は大学にも押し寄せており、立命館大学は2003年7月8日(火曜日)から分煙化をはかり、喫煙所を6か所に整理。また、歩行喫煙やポイ捨てを現金としているが、分煙化すること自体が甘い。日頃から言っていることだが、“喫煙所以外はすべて禁煙”というのはやめて、全面禁煙にすべきだ。煙草は健康を害するものとわかっていながら、生産や売買しているほうにも問題がある。よって、「健康増進法」を制定した理由が理解できない。“完全禁煙法”に改めるべきである。  

立命館大学ではほかにも、小松原交差点付近でタクシーの乗降を禁止している。これは排気ガスで近隣住民の健康を害さないようにするための措置であるが、電気自動車が実用化すれば、この規律はなくなるだろう。ただ、タクシーで通学する大学生というのは、親御さんが金持ちでなければ、できる芸当ではないだろう。  

10時近くになると、学生が増えだし、私は立命館大学を出ると、近くに京都小松原郵便局を発見してしまった。この日は日曜日。郵便局は営業しておらず、旅行貯金ができないのは大変残念だ。  

再び嵐電に乗って、嵐山へ。修学旅行以来、久しぶりの嵐山で、諸国漫遊では初めて立ち寄る。  

初めて嵐山の地に足を踏み入れた時、元気が出るハウスがあって、カレーを食ったことを覚えているが、いくら探しても見当たらない。元気が出るハウスの“親”と言える存在だった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が平成8年(1996年)秋に終了したため、閉店したものと思われるが、永久に営業して欲しかった。  

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嵐山で目立つのは美空ひばり記念館で、玄関にかかげられている本人の赤い衣装に身をまとった姿が際立って目立つ(1988年に東京ドームでコンサートした時の写真らしい)。美空ひばりファンなら、カメラつきケータイで撮影し、待ち受け画面に設定したいほどだろう。  

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嵐山のシンボルと言えるのは渡月橋で、2001年に改修工事が完了。その下を流れる桂川ではカモが風情を演出する。そのウラ側には山がそびえ立つ。天気はあいにく曇り気味であるが……  

嵐山の“隠れスポット”を紹介すると、阪急嵐山線嵐山駅近くにある中ノ島橋で、中年男性16人が釣りをしていた。なにをつっているのかは知らないが、真剣勝負に橋を通る人々は声もかけず、名所めぐりに精を出していた。  

このあと、私は梅田へ向かい、昼食をとったあと、帰京。在来線の鈍行と快速しか使えないきっぷなので、時間をかけてゆっくり回れないのは残念だが、実り多い休日だった。

★備考

①今回の記事は2004年6月に執筆したものです。

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2004年の汽車旅7—最終回 [汽車旅2004]

2004年12月20日(月曜日)、JR西日本東海道本線の新大阪から快速(高槻から普通電車)京都方面米原行き(10号車クモハ221-62)でスタート!!

吹田工場ではクロ212-2が生き残っていた。但し、湘南色113系と連結していたので、スクラップされる可能性大だろう(16年で廃車とはJR西日本らしくないが、クロ212-2は高速試験車両に改造され、生き残った)。

草津で下車し、いずれも徒歩5分の草津大路郵便局、草津郵便局で旅行貯金。ただ、主務者印を押し忘れていたのは残念(丁重にお願いして、押してもらった)。

草津に戻り、普通電車米原行き(6号車クモハ221-59)へ。

途中の野洲で、終点となる新快速と接続。最近は“天敵車両”の快速運用が増えているので、数年後はカネをためて、まだ乗ったことのない『アーバンライナーnext』or『アーバンライナーplus』に乗るかも…

終点米原で下車。2001年4月、この近辺で旅行貯金しているので、今回は近江鉄道のりばの位置を確認しただけ。

 

アーバンネットワークに別れを告げ、JR東海エリアへ。普通電車大垣行き(クモハ313-302)に乗り、終点で下車。

郵便局が見当たらず、快速豊橋行き(クモハ313-15)に乗り、名古屋付近では名古屋鉄道の中部国際空港アクセス特急車が『パノラマSuper』と共に留置線で肩を並べ、試運転している模様。また、2005年2月に新岐阜・新名古屋などは「名鉄x」に改称するため、一般車両の方向幕チェンジも進んでいるが、どうやら名鉄岐阜は「岐阜」と表示するようである。

名古屋で名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(次からは「あおなみ線」と記す)に乗り換え。

あおなみ線名古屋(AN01)はおもに2番線を使用。1番線はJR貨物の通過がメイン。

金城ふ頭行き(1106:ワンマン)に乗車。目新しいものとして、広々とした運転席、ロングシートはJR九州の815系をホーフツさせる“ザブトングシート”。各ドアに我が国初と思われる出入口番号を設置。例えば、私が乗っている1105だと1から3、最後部1605は10から12となる。また、券売機では往復乗車券も扱っており、競馬ファンには福音(1日乗車券がないのは残念)。更に自動改札はすべて2枚対応となっている。

序盤はJR東海と近畿日本鉄道の車両基地があり、南荒子までJR貨物線沿いをゆき、“伴走”するような感じで、終盤は伊勢湾岸自動車道の名港中央大橋をくぐるシーンは圧巻!!

終点金城ふ頭に到着し、全線完乗達成!! ホームは東京地下鉄南北線とほば同じような構造。

ところが、金城ふ頭近辺に郵便局がなく、今日の旅行貯金は2局で終了。

名古屋行き(1603:ワンマン)で折り返し、下車して名古屋市交通局の地下鉄には乗り換えないものの、新聞紙上で地上駅以外はケータイ電波をシャットアウトする記事があったので調査。

名古屋駅は東山線と桜通線があり、自動改札ではケータイの電波はまだシャットアウトされていない。ただ、ホームに下りていないが、2005年4月に乗った時は名古屋の電波はバリバリに使える状況だった。

おやつに海鮮かき揚げきしめん(500円)をすすり(本場のきしめんは意外にも2004年初)、JR東海東海道本線の新快速浜松行き(クハ312-7)へ。

JR東海はいつのまにかシルバーシートから優先席に改め、車内ケータイの放送も「優先席付近では電源をお切りいただき、それ以外の場所はマナーモード…」となってしまった。ちなみに、あおなみ線は優先席があっても、「御遠慮下さい」である。

1番イイのは電波をシャットアウトする車両をつくることで、フリーゲージトレインやパンタグラフのない電車を開発しているのだから、できるはずだ。

終点浜松で普通電車静岡行き(モハ113-677)に乗り換え、終点で下車。

いつものように晩メシを購入し、最後はおなじみ、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-8)で帰京した。


2004年の汽車旅7—3(221系新快速リターンズ2004) [汽車旅2004]

オマタセ・ベイベー。イッツ・ショータイム。

新大阪駅に戻り、JR西日本東海道本線の快速(明石から普通電車)姫路方面網干行き(1号車クハ221-47:弱冷車)に乗り、元町で下車。ちなみにアーバンネットワーク内は時々、地上でもFOMA圏外になる。なぜ?

元町で下車。有人改札では『トイレ利用証』というカードを用意していた。混雑しているので、混乱を防いでいるのだろう。

私は3年連続3回目の神戸ルミナリエへ。

内容はわかりきっているが、優雅で美しい光の祭典は東京ミレナリオより上。次の年(2005年)は都合で行けなかったが、“運命のヒト”と出会えるのはいつになるのやら…(普通は“結婚して、子供は2~3人いるのが当たり前”の年齢だが…)

三ノ宮からは神戸ルミナリエより重要視する“スーパーメインイベント”がある。これぞまさしく、オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム!!

その前に『すき家』三宮店でハーブチーズ牛丼セット並盛(500円)を食べ、いざ三ノ宮駅へ!!

三ノ宮で221系の快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きにビックリし、興味をそそるが、こういう時期に乗る電車ではない。

まつこと1時間、この年もやって来ました221系新快速リターンズ2004!!(涙が出たくなるほど、思わずガッツポーズしてしまうほどすっごく嬉しい)

夏はみなと神戸花火大会の日程を間違えて乗れなかったが、“この冬は絶対乗るんだ!!”と心に決めていた。

臨時新快速大阪行き(8号車クモハ221-41)は21時12分の発車まで、珍しく時間があるので、思う存分シャッターを切る。少数精鋭のレールファン(神戸ルミナリエは行ってない可能性大)もお目当てで、バンバン撮りまくるも、乗ったのは私だけ。

最高の気分で、“超気持ちイイ”と言ってもいいだろう。

残念ながら、バッサリ抜いた電車の数が1本だけだったが、今度乗る時は“天敵”の223系1000・2000番台の快速を抜いて、アーバンネットワークのエースであることを魅せつけてくれたら“最高でーす”。

終点大阪で快速(高槻から普通電車)京都方面野洲行き(9号車クハ221-73:弱冷車)に乗り換え、次の新大阪で下車。宿に戻った。


2004年の汽車旅7-2 [汽車旅2004]

2004年12月19日(日曜日)、JR西日本北陸本線の金沢駅から徒歩30分以上のインターネットカフェ(北陸自動車道の沿線にある)に宿泊し、この日は6時21分発の普通電車米原行き(クハ455-14:弱冷車)からスタート!! ちなみに寝台特急〈日本海4号〉大阪行きは少し遅れていた。

福井は高架化工事が完成の域に近づいており、札幌や金沢と同様の構造だ。なお、えちぜん鉄道は地平のままで、孤立がきわだちそう。

新疋田ではドア開閉が手動であることを知らないお客がいて、急停車したり、滋賀県に入ると、ようやくFOMAがつながり、余呉湖周辺は霧が立ちこめていたが、長浜で新快速姫路行き(1号車クハ222-2012:弱冷車&京都まで女性車掌乗務)に乗り換え。意外と乗り換え客が多く、2006年秋に湖西線全線と北陸本線長浜-敦賀間の直流化は理解できるが、問題は新快速の停車駅だろう。各駅停車では困る。

「ドアの横のボタンを押して下さい。ドアが開きます」

長浜-米原間は半自動ドア扱いのため、何度も自動放送を流していた。うるさいけど(意外に思えるが、新幹線とワンマンカー以外、次駅案内等の自動放送装置がない)、キメ細やか(221系にもある)。

米原で4両増結。今まで12両編成は4+8、6+6というパターンだったが、2004年10月16日(土曜日)のダイヤ改正から8+4も加わったようである。

複々線では新駅設置スペースをあみだすため、レールの位置を若干ずらしたり、新快速通過駅の大半は安全サクが“タイガースイエロー”から鉄製(アルミorステンレスかもしれない)に変わり、より強化。

芦屋で201系体質改善車の各駅停車西明石行きと接続をとるが、2004年Versionの運転席はグリーンのサングラスガラスが特長のようである。

加古川でこの日に電化開業した加古川線へ。 加古川の整理券発行と山陽本線の車内精算を省略するためなのか、乗り換え改札を設け、普通電車西脇市行きワンマンカー(1号車クモハ125-10)に乗り換え。

案の定、電化開業初日なのでレールファンや地元の人(琉球では「ウチナンチュ」と言う)が大集合でLet's Go!!

さいわい、小浜線みたいに乗り切れず、代行バスを用意するには至らなかったが、電車は1両。厄神(Yakujin)の車両基地では103系3500番台が3編成休んでいた。ラッシュ中心の運用になるのだろうか?

粟生(Ao)でホームに落下物があり、減速するも、なんとビニール袋!!

「御心配おかけしました」

と運転士は言った。

青野ヶ原付近で転換クロスシートに坐り、気がつけばFOMA圏外。今回の旅でFOMAは大都市でしか使えないことが浮き彫りになったが、“mova完全燃焼”した私は別にいいんだけどね。

終点西脇市で、普通電車谷川行きワンマンカー(1号車クモハ125-12)に乗り換え。階段乗り換えにレールファンはうんざりした様子。

乗り換え電車は電化開業記念のヘッドマークがついていたせいか、一部のレールファンは長々と撮影している若者に罵声をぶつけていた。

125系2回目の乗車で気づいたが、谷川寄りはVVVFインバータのサウンドが響き、身障者対応トイレのある加古川寄りは静かだ。“0.5M0.5T”ってところだろうか。

最前列はレールファンのタマリバと化し、鉄道談義に花を咲かせたり、三脚立てて前面展望ビデオ撮影する者もいて、地元客は降車に戸惑っていた。

125系では初めてロングシートに坐り、50代の元レールファンの男性と雑談。物事に対する考えが同じ(「若者はマナーが悪い」「ケータイ電波を遮断する車両を作れ、車内ではドライブモードにしろ」など)で気がついたら、加古川線全線完乗達成!!

福知山線の普通電車篠山口行き(クモハ113-3816)に乗り換え。自動放送装置の故障で、車掌が乗り、ダイヤも乱れていたとか。

終点篠山口で下車。ひと呼吸入れ替えて、丹波路快速大阪行きへ(4号車クモハ221-11:1990年ローレル賞受賞のプレートつき)。

篠山口と終点大阪では国鉄色の381系に遭遇し、東海道本線の快速(高槻から普通電車)米原行き(8号車クモハ221-64)に乗り換え、次の新大阪で下車。インターネットカフェ連泊はキツイので、ビジネスホテルにチェックインした(前日、インターネット予約)。

このあともアクティブに動く。


2004年の汽車旅7-1 [汽車旅2004]

2004年12月17日(金曜日)、JR東日本中央本線の新宿から臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(1号車指定席クハ189-510:旧ASAMAカラー)からスタート!!

臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行きは初めてリクライニングシートに当たり、快適になるはずが、コンタクトレンズのケア(周囲は私が近眼であることが意外だと思われ、更にはA型とカン違いされている)で席をはずしたスキに向かい合わせにされ、マジギレ寸前(前の席が逆向きになった)。登山の熟年グループはリクライニングシートのメリットをまったくわかっていない。

普通、網棚に荷物はあるし、座席のカンガルーポケット(正式名称がわからない)にモノをはさんでいるから、わかるはずなんだけども、いいトシした大人はなにを考えているのか…

おまけに“中央線”の混雑により、11分遅れで発車(日付は2004年12月18日に変わっている)。車内検札では新宿-立川間の払い戻しを求める青春18きっぷユーザーが多く、若手車掌は四苦八苦。ちなみに「車内ではできません」とのことだったが、時間がかかってでも応じるべきである。客は“正論”を言っているのだから。

更に車内はうるさいわ、中野-三鷹間で各駅停車2本に抜かれるなど散々たるものだったが、立川付近で眠りに入り、小淵沢で目覚めたら、誰もいないのは不思議な光景。それに知らないモノ同士が意気投合したフシありで、私もよくわからない。ちなみにアルピニストは白馬にこだわっていないようで、小淵沢付近で一旦目覚めたら、空席だらけだった。

マイナス2℃の終点白馬に到着。相変わらず改札のある1番線に止めないのが難点だ。

終点白馬で下車。駅舎内にクリスマスツリーが冬を彩り、ふと見上げると、「大糸線(北アルプス線)白馬駅列車発車時刻」と書いていた。知らぬあいだに路線愛称がついたのだ。

快速南小谷行きワンマンカー(クハE126-112)に乗り、終点で下車。ストーブで暖まるが、効果なし?!

ここでは“旅人の朝食”カロリーメイトを食べ、この週は体調を崩していたので医者の薬も服用。

JR西日本エリアに入り、普通列車糸魚川行きワンマンカー(キハ52 115:国鉄塗装復元車)へ。国鉄塗装復元車は2種類あり、レールファンの心を熱くさせている。

終点糸魚川で北陸本線の普通電車富山行き(クハ419-4:弱冷車)に乗り換え。

入善(Nyuzen)で681系2000番台3両&681系6両という組み合わせの特急〈はくたか5号〉越後湯沢行きとすれ違い、終点富山で雨が降り出し、普通電車金沢行き(クハ455-64:弱冷車)に乗り換え。

雨がやみ、北陸新幹線の工事が進む終点金沢で下車。昼メシ等を購入したあと、北陸本線と七尾線をゆくエル特急〈しらさぎ3号〉和倉温泉行き(7号車指定席サハ683-2404)へ。ちなみに1~5号車は本来、金沢止まりだが、高山本線一部区間の不通により、富山まで延長運転している。さすがは“フレキシブル”のJR西日本。

また雨となり、羽咋(Hakui)を発車すると、車掌は和倉温泉の歴史を紹介。能登路を盛り上げる。

余談だが、七尾線の通過駅は1線スルー化が進んでいない。

七尾で第3セクターのと鉄道七尾線へ。まず一旦下車し、窓口で、『のと1日のんびりきっぷ(別名、「のと路レイヤー・1Day・チケット」)』(1,700円)を購入し、普通列車穴水行き(NT102:ワンマン)へ。ちなみに七尾-和倉温泉間はJR西日本と共用している。

私は座席に坐れず、前面展望をしていたが、線路上に鳥がいて、あわてて逃げようとするも、ひかれてしまったかどうかはわからない。運転士は運転続行。

終点穴水で『NOTo-EXPRESS』という黒い気動車を見かけ、能登線の普通列車蛸島行き(NT130:ワンマン&女性運転士乗務)に乗り換え。天気は悪いけど、“日本海オーシャンショー”を楽しみ、完全制覇達成!! ちなみに客層は高校生と高齢者という“セオリー通り”。

蛸島駅の駅舎は商店で、漁港でたたずんだあと、立ち寄った。のと鉄道や3セク転換前の様子も写っており、もうすぐ、この光景も“思い出”に変わってしまう。

のと鉄道は2001年3月31日に七尾線穴水-輪島間がフォーエヴァー。そして、今度は能登線がフォーエヴァーになり、残り区間はJR西日本七尾線の電化で経営譲渡された七尾-穴水間だけとなる。

蛸島駅舎の商店に入ると、新潟県中越地震で運転見合わせ中の寝台特急〈あけぼの〉〈北陸〉や急行〈能登〉の代替ルートをめぐって話が咲き、普通列車七尾行き(NT130:ワンマン&女性運転士乗務)が入線し、乗務員室にタブレットを見つけた。これもローカル線の定番。この旅の数日前、『開運なんでも鑑定団』でタブレットが欲しい36歳男性を思い出した(おまけに婚約発表もした)。

九十九湾小木(Tsukumowan-ogi)は某鉄道ライターが99歳最後の日(2036年)に、この地から旅をスタートし、100歳の誕生日に百舌鳥(Mozu)でゴールする構想を抱いていたが、バスでのスタートになりそうだ。

終点七尾でJR西日本七尾線の普通電車金沢行き(クハ415-808:弱冷車)に乗り換え。この日は平成5年(1993年)以来、11年ぶりに金沢で宿泊した。


2004年の汽車旅6 [汽車旅2004]

2004年9月3日(金曜日)、JR東日本中央本線の新宿から臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(4号車指定席モハ183-43)で汽車旅がスタートしたが、とんでもない旅立ちだった。

それは臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行きは〈中央ライナー〉に使っていたようで、新宿で点検・清掃とは御粗末なのである。

松本から大糸線に入り、終点白馬で下車し、肌寒い中、お散歩。姫川が勢いよく、流れる。 白馬から普通電車南小谷行きワンマンカー(クハE126-108)へ。大糸線はFOMA圏外が多いようだ(最近、FOMAチェンジしてもデュアルネットワークをしないユーザーが続出しているが、大丈夫なのかな?)。

 

ひときわ寒い終点南小谷で、JR西日本エリアに入り、普通列車糸魚川行きワンマンカー(キハ52 125)に乗り換え、新潟県に入ったら、P-KAN!!

終点糸魚川に到着。城端線全線完乗をたくらんでいたが、上越新幹線を使わないと、当日の帰京ができないことがわかり、断念(ちなみに城端線は「2005年の汽車旅3-2」参照)。北陸本線の普通電車直江津行き(クモハ419-7)に乗り換え、終点でJR東日本信越本線の快速〈くびき野3号〉新潟行き(4号車自由席クハ481-1502:デラックス車。ちなみに画像は上り便 in 新潟で撮影)へ。

快速〈くびき野3号〉新潟行きは直江津乗車時点から盛況し、長岡でパワーアップ!! 特別料金なしのリクライニングシートで快適!! 首都圏ではグリーン車扱いだろうか?

終点新潟で白新線の普通電車村上行き(クモハ114-505)に乗り換え、新発田で下車し、昼食後、ジョイフルトレイン『NO・DO・KA』と遭遇し、羽越本線の普通列車新津行きワンマンカー(キハ112-203)へ。

羽越本線は寝台特急〈日本海1号〉函館行きで全線完乗済みだが、就寝中だったため、昼間の景色が見たかったので、気が晴れた。

終点新津で信越本線の普通電車新潟行き(クモハE127-10)に乗り換え。隣りの車両は車体広告がついていた。

 

終点新潟で下車し、2000年5月以来、4年ぶりにコシヒカリアイス(ムリがあると思う)を食べて、信越本線の普通電車長岡行き(クハ115-1050:第2次リニューアル車)、上越線の普通電車水上行き終電(3号車クモハ115-1063:第1次リニューアル車)に乗り継ぎ。

終点水上で普通電車高崎行き(クモハ115-1030)、高崎線の普通電車上野行き(5号車2階建てグリーン車サロE231-1013:2階席利用。この当時は普通車扱い)で“無料グリーン車”を楽しんだ。いいフィナーレだ。


2004年の汽車旅5−最終回 [汽車旅2004]

2004年8月25日(水曜日)、この日は琉球滞在で1番イイ天気。風はおだやかだ。



宿をチェックアウトし、泊ふ頭郵便局で、この旅最後の旅行貯金をしたあと、美栄橋から那覇空港行き(1106:ワンマン)へ。

終点那覇空港の売店で『ちゅらSUN』という、ゆいレールのCDを購入し、那覇空港のANAきっぷうりばでバースデー特割の搭乗券をもらい、手続き完了(実は免許証を忘れて、あわてて保険証を出した)。あとは手荷物検査を残すのみ。

ゆいレールは京浜急行電鉄や東京モノレールのきっぷも購入でき、エスカレーターはなんと全駅1列しかない。

那覇空港14時50分発の羽田空港行きANA128便で帰京します。大丈夫かなぁー……

午前中に搭乗手続きを完了し、昼食後に手荷物検査となるが、いやー大変。金属探知機が鳴るんだもの!!(ベルトと万歩計が原因?!)

なれないヒコーキなので、戸惑いも多かったが、“てぃだ”に見送られながら、20分遅れで発車したANA128便は無事というべきか、奇跡ともいうべきか、定刻より13分遅れの17時33分、終点羽田空港(正式名称は「東京国際空港」だと初めて知る)に到着した。

“とうレール”か京浜急行電鉄、どちらにしようか迷った結果、前者を選び、普通浜松町行き(1号車1043:ワンマン)へ。

放送テープはBGMが流れる以外はゆいレールと同じで、ドアチャイムがJR東海と同じことにブッたまげた。

帰宅後、ゆいレールのCD、『ちゅらSUN』を聴いたが、心はやすらぎ、琉球への想いを新たにした。


2004年の汽車旅5−4 [汽車旅2004]

2004年8月24日(火曜日)、美栄橋から那覇空港行き(1104:ワンマン)へ。

終点那覇空港で下車し、この日は14日前にオープンした『ゆいレール展示館』へ足を運ぶも、本社内にあるので、オドオドしながら入る。

やっとこさ到着し、入館者名簿に記入。ちなみに前日は10人ほど入った。交通博物館(2006年5月でフォーエヴァー)なみの知名度がないためであろう。

意外と本土の鉄道関連コーナーが多かったが、それなりに楽しめる。本土復帰の願いが込められ、その後、かなう原動力となる寝台特急〈なは〉が紹介された。当時は新大阪-西鹿児島間を走っていたが、今は京都-熊本間に縮小され、那覇は遠くなりにけり……(おまけに那覇へのフェリーにも接続していなかった。なお、西鹿児島は2004年3月13日に「鹿児島中央」に改称)

余談だが、2003年8月10日(日曜日)から1年間の利用客は1102萬3921人で、1日平均3萬120人だという(琉球新報ホームページhttp://ryukyushimpo.jp/による)。

那覇空港に戻り、3階の搭乗手続きを下見。琉球離島の便は欠航している。

ゆいレール首里行き(1210:ワンマン)へ。那覇空港は観光客中心だが、しだいに地元客が乗って、混雑が増してきた。

 



市立病院前で下車し、徒歩4分の首里末吉郵便局で旅行貯金。 首里行き(1107:ワンマン)に乗り、儀保で下車し、徒歩5分の首里平良郵便局で旅行貯金。

ゆいレール全駅乗降を果たし、首里行き(1209:ワンマン)へ。終点首里で下車する。

ゆいレールの駅名盤は色分けされており、那覇空港―小禄間は青色、奥武山公園―旭橋間は緑色、県庁前―牧志間はおうど色、安里―古島間は茶色、市立病院前―首里間は朱色である。



首里駅から徒歩3分の首里汀良郵便局(Shuri-Tera Postoffice)、徒歩8分の首里当蔵郵便局で旅行貯金を果たし、泡盛を試飲。眠気の脳が一気に“爆発”し、目が覚めた。

首里に戻り、那覇空港行き(1109:ワンマン)へ。首里から古島まで、遠くからの“東シナ海オーシャンショー”を楽しんだ。

牧志で下車し、おやつの時間帯にゴーヤーチャンプルーで遅い昼食。そのあと、成人式でよく荒れる舞台、国際通りを歩いた。

ゆいレール県庁前から那覇空港行き(1105:ワンマン)に乗り、壺川で下車し、那覇中央郵便局へ。

情けないことに軍資金不足のため、おカネを引き出すヘマをしでかし、首里行き(1207:ワンマン)に乗り、安里で下車。

歩いて農連市場、第一牧志公設市場へ寄り、宿に戻った。

次の日、帰京するが、羽田空港行きのヒコーキは運航するのか、搭乗手続きが無事にできるかどうかなど、まだまだ気が抜けない。

◆沖縄都市モノレールホームページ…http://yui-rail.co.jp


2004年の汽車旅5-3 [汽車旅2004]



2004年8月23日(月曜日)、宿泊先最寄り駅の美栄橋(Miebashi)から沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線“ゆいレール”那覇空港行き(1102:ワンマン)に 乗り、一時、激しい雨になったものの、日本最西端の駅、終点那覇空港に到着。那覇空港内郵便局で琉球初の旅行貯金をした。

この日は美栄橋の有人改札で購入した3日乗車券を使い、全駅乗降とドコモの携帯電話、P2102V(FOMA)による前面展望動画を撮影するのが目標だ。



首里行き(1204:ワンマン)で日本最南端の駅、赤嶺へ向かうが、撮影時間の都合で2回撮ることとなり、那覇空港行き(1211:ワンマン)で引き返し。そして、首里行き(1206:ワンマン)に乗り直し、赤嶺で下車。徒歩6分の小禄郵便局で旅行貯金。近辺にあるライオンズマンションの玄関はシーサーがあり、まさか“トリビア”になるとは……



首里行き(1206:ワンマン)に乗り、小禄で下車。徒歩1分の小禄金城郵便局(Oroku-Kanagusuku Postoffice)で旅行貯金。

那覇空港行き(1106:ワンマン)で、赤嶺へ引き返し、首里行き(1204:ワンマン)に乗り、奥武山公園(Ohnoyama Park)へ。

手の込んだことをしたのは動画撮影のためで、9時30分を過ぎると、立客が見受けられるようになり、一時、日差しもキツくなった。



奥武山公園から徒歩5分の小禄鏡原郵便局で旅行貯金。道路を見ていると、クルマのスピードは遅い。



首里行き(1212:ワンマン)に乗り、次の壺川(Tsubogawa)で下車、徒歩2分の那覇中央郵便局で旅行貯金。



首里行き(1203:ワンマン)に乗り、次の旭橋で下車、徒歩3分の東町郵便局で旅行貯金。






首里行き(1206:ワンマン)に乗り、次の県庁前で下車。徒歩15分の那覇久米郵便局、沖縄県庁1階の沖縄県庁内郵便局、徒歩30秒の美栄橋郵便局で旅行貯金。




首里行き(1202:ワンマン)に乗り、徒歩1分の那覇久茂地郵便局、徒歩10分の国際通り郵便局で旅行貯金後、やや遅い昼食。ソーキそばを食すが、ボリュームがある。

首里行き(1202:ワンマン。女性運転士乗務)に乗るが、初めて女性運転士に遭遇した。



次の牧志で下車し、徒歩1分の牧志郵便局で旅行貯金。



首里行き(1206:ワンマン)に乗り、安里(Asato)で下車し、徒歩7分の大道郵便局で旅行貯金。

ホームに戻ると、衝撃の光景をまのあたりにした。

それは那覇空港方面のホームに回送が到着し、人が乗っているので、“おかしいな”と思ったら、うしろの車両に国仲涼子が乗っていて、『ちゅらさん3』のロケをしていた!!(この模様は第3回で放送された)



首里行き(1210:ワンマン)に乗り、次のおもろまちで下車し、徒歩何分かは忘れたが、那覇真嘉比郵便局で旅行貯金。

首里行き(1202:ワンマン)に乗り、次の古島(Furujima)で下車したものの、近辺に郵便局はなく、時刻は16時となり、旅行貯金は終了。全駅乗降は翌日に持ち越しとなった。



首里行き(1206:ワンマン)に乗り、一気に終点へ。そのあとは首里城を見学。朱色の鮮やかな輝きに見る者を魅了する。ちなみに北殿は冷房が効いている。

金城町(Kinjoh Town)の石畳坂でも『ちゅらさん3』のロケを準備をしていた。

首里駅に戻り、18時31分発の那覇空港行き(1106:ワンマン)に乗る。

アップダウンして、儀保に到着。発車すると、一気にジェットコースターのように下って、市民病院前に到着。道路とホームはかなり高く、足がすくむ。その先は建物が多く、那覇は大都会であることを感じさせる。

発車すると、ジェットコースターのように下り、そして、登る。なかなかの迫力だ。

運転士はワンマンのため、ドアの開け閉めをしなければならないが、まれに島式ホームがあるため、大変そう。運転台が右側にあるため、大変そう。

ドアは運転席のボタンを押せば開くが、安全確認のため、閉める時は目視して、カギを入れて、乗務員扉ワキのボタンを押す。

車内はブルー系で、先頭車最前列は展望席。但し、右側と中央の窓は夜間は客室からの光が反射するため、カーテンを閉める。

県庁前は乗降の多い駅で、発車すると、右の左にクネクネ曲がり、ビルが多くなってゆき、旭橋へ。那覇バスターミナル最寄り駅である。

旭橋を発車すると、また急カーブ。軽やかな車内メロディーが前面展望を盛り上げる。進行方向右側には大きくて、広大な国場川が流れている。エメラルドグリーンの綺麗な川で、東シナ海に直結している。

ビルがなくなり、壺川を発車すると、国場川を横断。ジャスコが見えると、小禄だ。

赤嶺は先ほども紹介したが、日本最南端の駅で、発車すると東シナ海が遠くからちょっとだけ見え、しばらくはオーシャンショー。ヒコーキとゆいレールの運営基地(本社兼用)が見える。暗くなるにつれ、街路灯がとても綺麗だ。

終点那覇空港に到着。この時間でも遠くからやってきた観光客は少なくない。

ロングシート中心の車内だが、1人分は意外とゆったりしている。ちなみに1100形にはコンセントがついている。

首里行き(1206:ワンマン)で旭橋へ向かい、那覇バスターミナルを見学。施設は古びており、バス自体も中古車を集めたような感じだ。ウワサ通り、ダイヤも遅れは当たり前のような状態である。

首里行き(1209:ワンマン。女性運転士乗務)に乗り、宿の最寄り駅、美栄橋で下車。ゆっくり休むとしよう。

◆『ちゅらさん3』ホームページ…http://www3.nhk.or.jp/drama/archives/churasan3/


2004年の汽車旅5−2 [汽車旅2004]

2004年8月21日(土曜日)、臨時快速〈ムーンライト九州〉博多行きは関門トンネルを抜け、九州に入ったが、誤算が起こった。

ここから鹿児島本線に入る門司で各駅停車荒尾行きに乗り換えれば、博多到着は25分早いのだ。これは日によって、ダイヤが異なるためだ。



それを知らずに終点博多まで乗り、快速〈三井グリーンランド号〉荒尾行き(クハ810-9:自由席&三井グリーンランド車)に乗り換え。

終点荒尾に着くと、種別幕は「準快速」になっていた。

快速はいろんなタイプがあり、知っている限りあげると、「特別快速」「新快速」「区間快速」「B快速」「通勤快速」「通勤特別快速」などなど。

普通電車八代行きワンマン列車(クハ815-3:“初代機関車トーマス”)に乗り換え、熊本で下車。意外と暑くなく、日本テレビ『24時間テレビ「愛は地球を救う28」』の募金活動を行なっていた(こういうのは年中やるべきなのだが……)。



三角線の普通列車三角行きワンマン列車(キハ31 16)に乗り、熊本を発車すると、九州新幹線の工事中で、高架と車両基地の設置に一生けんめい。

“有明海オーシャンショー”が3つあり、終点三角に到着し、全線完乗達成!!



普通列車熊本行きワンマン列車(キハ31 16)で折り返し、終点で鹿児島本線の普通電車八代行きワンマン列車(クハ814-14)、新八代で九州新幹線〈つばめ47号〉鹿児島中央行き(5号車自由席826-103)に乗り換え。



新八代の各駅停車から九州新幹線〈つばめ〉の乗り換えは手間がかかるものの、自由席はエル特急〈リレーつばめ〉より確実にGETできる。



気づいたのは各車両最前列と最後列にコンセントがあることで、私もそこに坐ればよかったぁーと悔やむ(携帯電話の充電ができるから)。ちなみに815系もある。



『長渕剛桜島オールナイトコンサート』の影響で、自由席はあふれたが、速くて快適!! さすが“JR九州はSHOW by ショーバイ!!”である。



これで九州新幹線全線完乗達成だが、博多―新八代間が開通すればリセットとなる。



『長渕剛桜島オールナイトコンサート』の影響で、コンビニは品物がない、駐車場規制、雑誌販売休止などという考えられない展開で、晩メシ調達に苦労した。

桜島フェリーも相当な混雑で、列は1キロにも及んだ。

コンサートは21時に開催。日本全国からファンが駆けつけているので、広大な規模でやるのだろう。

もうすぐ、船が14時間遅れでやって来る。周囲からの反響が大きいだけに、私も気を引き締めて、荒波を突破してみせよう。

2004年8月22日(日曜日)、船は無事、終点那覇新港に到着した。

1996年3月9日(土曜日)に汽車旅を始めて8年5か月。初めて琉球の地に足を踏み入れ、日本完全制覇を達成!!

東京から長い道のりだったので、琉球に足を踏み入れた喜びはヒトシオ。

しかし、旅行貯金はまだ全国制覇しておらず、日本の鉄道完全制覇まではまだ遠い先のこと。周囲から「マンネリ」と言われないよう、これからも“常に新しい「汽車旅」”を展開する所存である。


2004年の汽車旅5-1 [汽車旅2004]

「2002年、北海道強化年間。

2003年、四国強化年間。

2004年、日本完全制覇へ」

今まで数々の旅を重ねてきた私はあと1県で史上何人目かはわからないが、“日本完全制覇”を果たすことになった。

2004年8月19日(木曜日)、自宅で旅立ちの準備を慌ただしくしていたら、船会社から電話があり、台風15号の影響で、ダイヤが大幅に遅れるとのこと。早くも波乱が発生した。

行先を申し上げると、琉球。この月に入ってから、“無事に着けるか? 帰京できるか?”とピリピリし、旅立つ前から緊迫していた。

琉球へ行く舞台と役者が整い、周囲からプレッシャーがかかっているだけに、荒波を突破できるよう、天に願うほかない。



東京から山手線(実際は東海道本線)品川・新宿方面行き(2号車モハE230-605:女性車掌乗務)で、今回の汽車旅はスタート!!



品川で臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(3号車指定席モハ189-41)に乗り換え。オール189系は“ハズレ座席(簡易リクライニングシート)”はないようだ。



2004年8月20日(金曜日)となり、終点大垣で普通電車(京都―明石間は快速)網干行き(クハ111-5448:弱冷車&初期のリニューアル車)に乗り換え。

先頭車の方向幕リストを見ると、大垣・長浜・貴生川―宇野・広野間(プラス赤穂線)で運用することができる。

米原で新快速姫路行き(1号車クハ223-1003:弱冷車)に乗り換え、大阪へ。久しぶりに大阪のラッシュを体験する。



大阪で大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線〔梅田駅(M16)〕なかもず行き(1号車1821)に乗り、“東京レベルのラッシュ”を体験し、なんばでガラあき!!



西田辺(M25)で下車。ここは逸見政孝さん生誕の地。阿倍野区阪南町7~1丁目をくまなく歩き、時代と共に逸見さんが育った5軒長屋は少ない。
 









阿倍野阪南郵便局、住吉万代東一郵便局、阿倍野阪南東郵便局、阿倍野郵便局、阿倍野苗代田郵便局、阿倍野王子郵便局で旅行貯金したあと、道を間違えて御堂筋線昭和町駅(M24)に行ってしまい、千里中央行き(10号車1111:リニューアル車)に乗って、天王寺(M23)で下車。





天王寺MiO郵便局で旅行貯金したあと、JR西日本阪和線の快速和歌山行き(1号車クハ221-26:弱冷車)、南海電気鉄道貴志川線の貴志行きワンマンカー(2272)に乗り、駅舎が消えた日前宮へ。





ここでは旅の無事を祈願しに日前宮の参拝と和歌山秋月郵便局の旅行貯金をすませ、しばらくたんぼと用水路の風景にたたずみ、徒歩で和歌山駅へ。



JR西日本紀勢本線の普通電車に113系7000番台体質改善車が参入し、“おそらく転属だな”と思い、阪和線の快速天王寺行き(2号車モハ220-51)へ。

終点天王寺で大阪環状線の各駅停車(大阪から区間快速)奈良方面加茂行き(1号車クハ221-43:弱冷車&女性車掌乗務)に乗り換え、大阪下車。



雑用後、東海道本線、始発の快速(京都から普通電車)京都方面柘植行き(For Tsuge.6号車クモハ221-61)に乗り、複々線の外側走行でイイ気分も、高槻からは内側。しかし、京都到着は0番のりばの“好待遇”だった。



湯を浴びたあと、臨時快速〈ムーンライト九州〉博多行き(4号車指定席オハ14 201)に乗り、次の日は2002年8月以来、2年ぶりの九州である。


2004年の汽車旅4-後編- [汽車旅2004]

2004年7月25日(日曜日)、運転停車の多度津で臨時快速〈ムーンライト松山〉京都行きと合体した。

臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉はJR西日本東海道本線を通り、急行〈きたぐに〉大阪行きとすれ違い、終点京都に到着。山科から湖西線に入る普通電車近江今津行き(クハ117-101)に乗り換え、ドコモのmova、N506iユーザー発見!!(高知はFOMAのN900iユーザーが多かった) ちなみにJR西日本所有の117系100番台は悲願の初乗車。

比叡山坂本で下車。地図を見て、比叡山に登ろう。

横断歩道を渡り、まっすぐ進む。ゆるやかな勾配となっており、比叡山登山へのプロローグだ。

途中で比叡山鉄道比叡山鉄道線ケーブル坂本駅があり、ちょっとのぞくが、7時はまだ動いていない様子。付近にデカデカとした地図があり、登山ロードの位置を確認し、アタック開始!!

私は登山家ではなく、なるつもりはないが、今までいくつかの山を登っている。旅なので、それなりの装備もせず、普段着でやっている。

2003年夏は大阪の能勢妙見山に挑戦。人の流れに身を任せ、阪急バスに乗ったら、能勢電鉄のケーブルカー(路線名なし)、黒川駅に着いちゃったが、今回は比叡山鉄道線を使わずに登る。

少し登ったら、「通行止め」と言っているかのように、鉄のクサリで通せんぼ。だが、私は突破するも、トカゲは出るわ、ヘビも出るわで、過去の登山に比べ、波乱の予感がした。

いつのまにかアスファルトがなくなり、坂も急勾配になった。ヘビに足をかまれないことに気をつけながら、慎重に足を踏みしめるが、いくら歩いても頂上に着かない。朝7時過ぎに登頂を開始したせいか、誰1人、すれ違わない。

登山中に水分を補給することのない私だが、この日だけは違った。

長袖のシャツとTシャツは汗でびっしょり。ノドがかわいて、臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉京都行きの車中で、朝食のカロリーメイトのあとに少し飲んだミルクティーのペットボトルを飲み干してしまった。

それでも足りず、夜行列車の必需品、ペットボトルのおちゃもゴクリ。

途中で紀貫之(Tsurayuki Kino)の墓地があり、少し休むが、出口は見えてこない。とうとう、ペットボトルのお茶も飲み干してしまい、“「飲料」という名の燃料”がなくなり、私のエネルギーはガス欠寸前!! あとは気力で進むしか道はなくなってしまった。

「カラカラカラ」

と音が聞こえた。私にとって、この音は救いの神だった。前へ進むと、比叡山鉄道線のレールがあり、しかも駅がある。ケーブルカーに途中駅があるなんて珍しいが、行ってみると、来るまで時間はあるし、てっぺんのケーブル延暦寺駅が見える。これならば、待って乗るより、最後まで登り切ろう。気力が私の身体に注入し、駆け上がり、比叡山登頂成功!!

ケーブル延暦寺駅近くの自販機でアクエリアスを買い、一気に飲み干す。「生きた心地がする」と言いたくなってくる。今までの登山では1番キツかった。

壮絶な比叡山登山で、シャツ類をしぼったら、汗が大量に流れ落ち、予備に用意したシャツにチェンジ。路上で上半身ハダカになるのは初めてだが、誰も私を見ていないし、全裸じゃないから、パクられることもなかろう。

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気分をリフレッシュして、比叡山鉄道線ケーブル坂本行きケーブル坂本行き(YEN1)に乗り、全線完乗達成!! ちなみにケーブルカーは片道乗車が基本である。

徒歩で京阪電気鉄道石山坂本線坂本へ移動し、石山寺行き(604:ワンマン)へ。ちなみにドアチャイムは東武鉄道と同一。

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石山坂本線全線完乗を達成し、石山寺へ。拝観料300円ということで引き返す。沿道の瀬田川ではカヌーが多発、ひっきりなしに通っていた。

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石山寺駅へ戻って、坂本行き(605:ワンマン)に乗り、浜大津で京津線(Keishin Line)京都市役所行き(805:ワンマン)に乗り換え。坂道が多く、逆向きシートは人気がない。

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御陵(Misasagi)で京津線全線完乗を達成し、浜大津行き(810:ワンマン)で折り返して、京阪山科でJR西日本[山科駅]に戻り、先ほどまで湖西線を走っていた普通電車京都行き(クハ111-5754:弱冷車&初期のリニューアル車)に乗り換え、終点で下車。

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昼食を購入し、京都駅に戻り、東海道本線の普通電車米原行き(6号車クモハ221-4:1990年ローレル賞のプレートつき)に乗り、終点でここからJR東海に入る普通電車大垣行き(クモハ211-5011:ロングシート)へ。

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終点大垣近くの留置線でJR東日本189系4両編成が休んでいた。

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特別快速豊橋行き(クハ312-15)、普通電車静岡行き(モハ113-2073:リニューアル車&浜松から女性車掌乗務)に乗り継ぎ。

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終点静岡で下車し、晩メシを補給し、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-5:熱海まで女性車掌乗務)に乗って、熱海からJR東日本に入るも、車掌は「優先席付近…」と案内したが、373系に優先席はなく、定型文放送を流す姿勢と知識のなさは疑問である。


2004年の汽車旅4−前編− [汽車旅2004]

2004年7月23日(金曜日)、東海道本線品川から臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(3号車指定席モハ189-34:ハズレ座席)で旅立ち。

余談だが、東京都の鉄道未乗車路線は1つだけである。

2004年7月24日(土曜日)となった。

「どうかしました?」

JR東海の若い車掌は浜松から乗り込み、デッキで陣取るオジサンに職務質問中、見物していた正規のお客に問いただしていたが、言葉づかいと態度に疑問(おまけに検札)。

 

終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(クハ111-5448:弱冷車&初期のリニューアル車)に乗り換え、米原で神戸から山陽本線に入る新快速姫路行き(11号車サハ223-2005)に乗り継ぎ。

JR西日本の車内は今や絶頂期かつ全盛期の人気女優、仲間由紀恵&カモノハシで『東京でもICOCA』を宣伝しているが、JR東日本は無案内なのか、広告がないのが気になるところ(その後、直前になって宣伝していた)。

終点姫路で普通電車岡山行き(クハ115-1217:弱冷車&体質改善車)に乗り換え。網干付近では加古川線103系3500番台4編成並結シーンに遭遇した。

終点岡山で岡山電気軌道東山線[岡山駅前電停]東山行き『MOMO』(9201B:ワンマン&2003年ローレル賞と日本鉄道賞のプレートつき)に乗り換え。

『MOMO』は公園のベンチのような木の座席で、急カーブもなめらかに曲がり、スリリング。

折り返し、岡山駅前行きに乗り(車番は同じ)、柳川で清輝橋線(Seikibashi Line)清輝橋行き(8201:ワンマン)に乗り換え、岡山電気軌道完全制覇達成!!

徒歩で本屋を散策し、桃太郎大通りを歩いて、JR西日本岡山駅へ戻ると、快速〈マリンライナー〉1号車に桃太郎のロゴマークがついた。

宇野線、本四備讃線、予讃線、土讃線を通る臨時〈瀬戸大橋トロッコ3号〉琴平行き(2号車指定席キハ185-26)に乗り、児島到着後、トロッコ車(1号車キクハ32-502)へ。

ここからはJR四国に入り、トロッコ車は10人しか乗っていなかったが、65㎞/hで瀬戸大橋を快走!! みんなコーフン!!

終点琴平からはエル特急〈南風13号〉宿毛行き(2号車自由席2205)へ。2003年のJR四国完全制覇で“振子酔い”を克服したが、テーブルにモノを乗せても落ちる可能性あり。

雷雨(2003年を思い出す)の阿波池田で、各駅停車高知行きワンマン列車(キハ54 1)に乗り換え。高齢者が多く、雷雨は大歩危(Ohboke)でやんだ。

後免(Gomen)で第3セクター土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の快速奈半利行き(For Nahari.9640-4:女性車掌乗務)にチェンジ!!

後免町(Gomen-machi)で土佐電気鉄道(次からは「どでん」と記す)ごめん線の鏡川橋行き(617:ワンマン)に乗り換え。

はりまや橋から伊野線に入り、終点鏡川橋で少し待って、いの行き(601:ワンマン)に乗り換え、暗闇目前でどでん&高知県の鉄道完全制覇達成!! 闇夜のJR四国土讃線[伊野駅]の各駅停車高知行き(1044)に乗り、終点で下車。東京も高知も暑い。ちなみに高知県は1滴も雨が落ちなかった。

銭湯で入浴後、高知駅に戻り、土讃線、予讃線、本四備讃線、宇野線、山陽本線、東海道本線を通る臨時快速〈ムーンライト高知〉京都行き(7号車指定席オハフ15 42)に乗り、新改(Shingai)でまさかのスイッチバック運転停車!!

発車して、軌道修正したら、減灯した。

◆どでんホームページ…http://www.tosaden.co.jp/i/


2004年の汽車旅3 [汽車旅2004]

2004年4月9日(金曜日)、新宿から湘南新宿ライン、高崎線、上越線、信越本線をゆく快速〈ムーンライトえちご〉新潟行き(2号車指定席モハ484-1021:ファミコンシート)で旅立つ。

2004年4月10日(土曜日)、“青春18きっぷ春場所”は千秋楽となり、高崎に停車。ここで普通電車新前橋行きを待避するとはビックリ仰天。そのあと、急行〈能登〉金沢行きがやって来た。

快速〈ムーンライトえちご〉は2003年春から2代目車両、485系1000番台にチェンジし、初めて乗るが、居住性は先代車両(165系シリーズ)が上。2代目車両は座席をチェンジしただけなので、窮屈なのだ。

終点新潟で、普通電車長岡行き(2号車クモハ115-1556)へ。

 

東三条で弥彦線の普通電車弥彦行きワンマンカー(クモハ115-504)に乗り換え、全線完乗&新潟県の鉄道完全制覇達成!!

気分は“ゲッツ!!”で、リアクションはヤクルトのラミレス選手に及ばなので、しないけど…

弥彦神社に寄る時間はなく、泣く泣く折り返し、普通電車吉田行きワンマンカー(クモハ115-504)に乗り、終点吉田で普通電車東三条行き(クモハ114-501)に乗り換え。

終点東三条で下車。越後交通のバスは東急バスのおフルを使っているようだ。

 

東三条に戻り、信越本線の普通電車新潟経由村上行き(クモハ115-1058:第2次リニューアル車)で新津へ。

新津で急行〈きたぐに〉改め快速新潟行き見送り後、磐越西線の快速〈あがの2号〉会津若松行き(キハ110-215)に乗り換え、喜多方で下車。

町を散策し、コンコースで喜多方ラーメンをタダ試食したあと、快速会津田島行き(1号車自由席8501)へ。

キハ8500系は特急〈北アルプス〉フォーエヴァー(2001年9月)以来、2回目の乗車で、今回も短距離乗車となるが、リクライニングシートなので、快適!!(座席をあらかじめ向かい合わせにしていたり、情報案内装置が活用されていないのが残念)

会津若松で下車し、コンコースにある喜多方ラーメン屋で昼食のはずが、郷土料理屋に化け、担担麺という波乱…

会津若松に戻り、快速〈あいづライナー4号〉郡山行きが入線したが、485系シリーズ使用にもかかわらず、優先席を設け、ケータイも電源OFFとは…(デッキで通話できない理由はあるのだろうか?)

お目当ての臨時快速〈お花見白虎号〉仙台行き(6号車自由席クハネ583-17)が入線。“ナイーブ撮影”したせいか、喫煙車に誤乗してしまった。

向かいの2番線に臨時快速新潟行きとのツーショットでレールファンのボルテージも最高潮!!

583系の旅を楽しみ、郡山で東北本線の普通電車黒磯行き(クハ700-1026)に乗り換え。

郡山工場では廃車なのか仙石線103系や“車検”しているであろう常磐線E501系を見かけた。

終点黒磯で普通電車宇都宮行き(クハ210-3018:ロングシート&女性車掌乗務)に乗り換え、終点宇都宮で晩メシ購入のため、下車。

快速〈ラビット〉上野行き(1号車クハE230-8030:セミクロスシート)は、先手必勝でボックスシートをGETし、ゴールへと向かった。


2004年の汽車旅2 [汽車旅2004]

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2004年3月20日(土曜日)、品川から東海道本線の臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(8号車指定席モハ188-25)で、なんと乗車当日に入手!!(そのあと、満席になった模様)。

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2004年3月21日(日曜日)、終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(クハ111-5564:体質改善車&弱冷車)、米原で新快速姫路行き(1号車クハ222-2004:弱冷車)に乗り継ぎ、京都で下車。

国道367号線烏丸通りを歩くと、北阪ビルディングに日本初の電車(明治28年製)を展示して、ビックリ!!

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さて、私は四条大宮駅に着き、所ジョージの番組、『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』で登場した“嵐電(Randen)”こと、京福電鉄嵐山線に乗る。

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嵐山行き(101:夢塗装車&ワンマン)に乗り、帷子ノ辻(Katabirano-Tsuji)で嵐山線全線完乗と共に完全制覇を果たし、北野線の北野白梅町行き(For Kitano-Hakubaicho.612:ワンマン)に乗り換え。

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終点北野白梅町で下車し、立命館大学に潜入。そのあと、帷子ノ辻行き(632:ワンマン)、嵐山行きワンマン(621:ワンマン)に乗り継ぎ、終点で下車。

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しばらく、“京どすえ”の雰囲気と景色をたたずんだあと、阪急電鉄嵐山線の各駅停車桂行き(2303)、京都本線の特急梅田行き(1号車6351:ケータイ電源OFF車&1976年ブルーリボン賞受賞のプレートつき)に乗り継ぐ。

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そういえば、京都本線は特急のロングシート車解消のため、9300系を投入したはずだが、すれ違った特急河原町行きは2本続けてロングシート車は疑問。

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食後、JR西日本東海道本線の快速(高槻から普通電車)京都方面米原行き(8号車クモハ221-50)に乗り、内側線120㎞/hを体験するも、所要時間の短縮にはいたらず、終点で特別快速浜松行き(クハ312-12)に乗り換え。

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近江長岡で『ユーロライナー』とEF58お召しカラーの組み合わせでレールファンが殺到し、終点浜松で普通電車静岡行き(クモハ113-2007:女性車掌乗務)に乗り継ぐ。

終点静岡で下車し、晩メシ購入後、“366M”こと、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-8:熱海まで女性車掌乗務)で帰京だが、JR東海は座席を切り裂かれる被害が多発しているそうだ。

◆大井川鐵道ホームページ(パソコンのみアクセス可)…http://www.oigawa-railway.co.jp



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2004年の汽車旅1-後編- [汽車旅2004]

2004年3月7日(日曜日)、前日もこの日も寒く、粉雪が散り、福知山まで足を延ばした221系・117系300番台は雪が付着。また、北大阪急行電鉄8000系“ポールスター号”は塗り屋根であることに気づいた。

大阪8時22分発、大阪環状線(新今宮から関西本線)の大和路快速奈良行き(1号車クハ221-37:弱冷車)に乗り、終点で下車。平成3年(1991年)以来、13年ぶりに町を歩くが、大仏見るだけで500円にパスし、おまけに若草山は冬眠で入れず、ふんだりけったり。

関西本線(木津から奈良線)の快速〈みやこ路快速〉京都行き(1号車クハ221-46:弱冷車)、東海道本線の普通電車米原行き(6号車クモハ221-8:1990年ローレル賞受賞プレートあり)に乗り継いで北上する。 野洲から雪景色。前夜は雪が降ったようで、少々積もっている。

余談だが、関西はTBSの『王様のブランチ』を放送していない。

繰り上げ気味に普通電車大垣行き(クモハ211-5026:ロングシート)へ。これによりJRの転換クロスシート連続乗車は11でストップ!!

 

雪を脱出し、特別快速豊橋行き(クモハ313-310)、普通電車静岡行き(クハ111-225:リニューアル車)に乗り継ぎ、静岡で下車。 行きつけのトンカツ屋で弁当を購入すると、ポイントカード満タンで、トンカツ単品GET!!

 

そのあとはおなじみの“366M”こと、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-6)で帰京した。


2004年の汽車旅1-前編- [汽車旅2004]

2004年3月5日(金曜日)、東京から東海道本線の快速〈ムーンライトながら〉大垣行き(1号車指定席クハ372-11)で旅立ち、2004年3月6日(土曜日)、名古屋で普通電車豊橋行き(クハ312-20)に乗って、刈谷へ折り返し、名古屋鉄道三河線の普通電車知立行き(For Chiryu.6909)と普通電車猿投行き(For Sanage)ワンマン(6002:1977年ブルーリボン賞受賞プレートつき)に乗り継ぎ、いよいよ普通列車西中金行きワンマンカー(23)へ。

 

2両で10人というありさまだったが、残り区間を乗って全線完乗達成!! そのあと、普通列車猿投行きワンマンカー(25)で折り返す。

なお、三河線西中金-猿投間、碧南(Hekinan)-吉良吉田間は2004年3月31日(水曜日)でフォーエヴァーとなっている。

知立までワンマン運転の普通電車碧南行き(6234)に乗り、車内精算すると、JR東日本と同様に磁気券を渡された。

刈谷でJR東海東海道本線の特別快速大垣行き(クモハ313-5:女性車掌乗務)に乗り換え、名古屋で“きしめん15分勝負”!!

きしめんを食べ終え、新快速米原行き(クハ310-15)、新快速姫路行き(1号車クハ222-1004:弱冷車)に乗り継ぎ。途中の野洲では近くに『野洲ほほえみ乃湯』を見つけた。温泉なのだろうか?

 

大阪で大阪環状線の各駅停車天王寺行き(1号車クハ221-29:弱冷車)、阪和線の快速日根野行き(2号車サハ221-21)、快速和歌山行き(1号車クハ220-1:弱冷車)に乗り継ぎ。ちなみに快速日根野行きに乗ったのは終点で紀州路快速和歌山行きに乗り継ぐことになるだろうと思ったからだが、運よく、“221系3連投”となった。

終点和歌山で存続があやうい南海電気鉄道貴志川線貴志行きワンマンカー(2704)へ。 久しぶりの利用だが、1995年開設した交通センター前は乗降ナシ!!

終点貴志で下車し、川岸へ歩むと、向こう岸ではモトクロスの練習。こちら岸では犬7匹を連れて歩くオバチャンと犬6匹を連れて歩くオッチャンに遭遇した。

 

貴志川線和歌山行きワンマンカー(2271)に乗り、神前(Kohzaki)で下車し、町を散策。子供たちが鬼ごっこしている光景は古きよき日本を継承しているようだ。

ドコモの携帯電話、P2102Vで貴志川線の動画を撮り、徒歩で和歌山駅へ。

阪和線の快速天王寺行き(8号車クハ221-21)、大阪環状線の関空快速・紀州路快速大阪方面京橋行き(2号車サハ223-5:紀州路快速編成で女性車掌乗務)で大阪下車。

大阪駅前にあるヨドバシカメラに入ると、ドコモのケータイは関東に比べると5,000円安く、マッサージチェア体験コーナーは老若男女が集結!! 私も旅の疲れをマッサージチェアでいやし、明日に備えよう。


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