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2006年の汽車旅9-最終回 [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

散策及び昼食後、敦賀に戻り、6・7番のりばへ。

6番のりばにエル特急<雷鳥22号>大阪行きが到着するも、ガラガラ。女性車掌が乗っているが、これ以上の集客は期待できない。

気がついたら、エル特急<雷鳥>のグリーン車は1号車になっており、エル特急<加越>(その前は特急<かがやき>で使用)と特急<スーパー雷鳥>(その後、エル特急<しらさぎ>に転用)からコンバートされている。つまり、2種類あり、特急<スーパー雷鳥>から転用されたグリーン車は前面展望ができるタイプで、好評だったが、エル特急<雷鳥>では国鉄カラーに塗り直され、これが似合わず、違和感アリアリ。かつての栄光から転落したボロボロな印象を受ける。どうせ転用するのなら、山陰本線カラーの183系シリーズに改造して、特急<きのさき><はしだて><たんば>とエル特急<北近畿>に連結したほうがよかったのではないだろうか。

続いて、エル特急<しらさぎ58号>米原行きが到着。こちらも多くない。

米原発着のエル特急<しらさぎ>はエル特急<加越>を吸収したものである。683系2000番台に置き換える前から米原で増結車両をつないだり、切ったりしていたので、<加越>の名が薄れてきたのだろう。ちなみにエル特急<加越>は国鉄時代、表定速度№1の在来線電車だった。

エル特急<しらさぎ58号>米原行き発車後、2番のりばに止まっていた125系2両編成の普通電車長浜行きが福井方へ動き出す。

6・7番のりばに小浜線の時刻表があったので、眺めていると、1日たった14本しか発車せず、ワンマンカーでないものは6時38分発の普通電車東舞鶴行きと21時56分発の普通電車小浜行きだけ。

13時04分、223系2000番台のテイストを北陸本線に取り入れた521系の普通電車が終点敦賀に到着。国鉄鈍行車の3両編成から2両編成に減っているため、立客が多いと思ったが、全員着席できた。補助シートが功を奏した恰好だ。

521系は2006年に入団し、11月30日(木曜日)にデビュー。ワンマン運転を前提にした車両となっており、増備が進むと、北陸本線はついにワンマンカーの運行となってしまう。また、毎年12月1日から翌年3月31日まではドアは半自動扱いになるが、ワンマンカー運行となれば、終日半自動もありうる。

521系は北陸本線鈍行を踏襲する白と青の帯、221系・223系シリーズと同様の転換クロスシート(521系はロングシートも存在する)で、JR西日本では珍しいシングルアームパンタグラフを採用している。ちなみに最高速度は120㎞/hで、130㎞/hでないのが疑問。ちなみにJR西日本のシングルアームパンタグラフ車両はほかに283系、285系、700系シリーズ、125系である。

 521系のあとを追うかの如く、7番のりばに普通電車長浜行き(1号車クモハ125-18)が入線。125系2両編成で、車掌も乗務しているが、先ほど乗った新快速敦賀行き(近江今津-敦賀間乗務)と同じ人だった。

2006年10月21日(土曜日)から、125系は北陸本線にも運行区間を拡大。125系では珍しいのか、初めてなのかは言葉の選択に迷うが、車掌が乗務しているものの、521系と共に増備が進めば、敦賀-米原・近江今津間がワンマン化されるのではないかと思う。また、直流電化区間では521系との並結運転の可能性もありそうだ。

125系は種別幕を用意しているものの、加古川線用と同様、普段は黒のままで、ワンマンや普通も表示されない。おまけに回送も表示せず、方向LEDで対応している。125系のフェイスに種別幕がないため、そうせざるえないのかもしれない。

125系は2003年に入団。小浜線電化時にデビューしたが、当時の敦賀は北陸本線が交流電化のままとなっていたため、敦賀運転派出という車両基地で休むことができなかった(当時は福知山運転所電車センターに所属)。

気動車時代は2両編成だったのに、1両となり、おまけに座席は転換クロスシート(一部固定座席)を採用したセミクロスシートだったが、車椅子利用客の支障をきたさぬよう、1人掛けと2人掛けという223系(関空快速・紀州路快速で使っている車両)と同じスタイルにしたら、利用客から不満爆発。電化開業初日(2003年3月15日)は1両だけで乗り切れず、あわてて小浜へ向かう代行バスを用意するハメになった。

その後、転換クロスシートはすべて2人掛けに改めたが、2004年に投入した加古川線用は1人掛けと2人掛けというスタイルとなっている。また、敦賀運転派出所属車は車両中間のドア設置を考慮したスペースに補助シートを設けている。

13時19分に発車。4番のりばには13時23分発、新快速湖西線経由姫路方面網干行き(平日は姫路行き)が発車を待っている。また、乗車している普通電車長浜行きは終点で14時07分発の新快速姫路行きと接続しているものの、山科から先は敦賀13時23分発の新快速湖西線経由姫路方面網干行き(平日は姫路行き)が15分早く到着する。

近江塩津4番のりばでは、ここが終点となる米原方面からの新快速が到着。中途半端な運行終了で、敦賀まで伸ばすべきだろう。敦賀まで直流電化にチェンジしておきながら、近江塩津が壁のような存在になるのはげせない。

125系は今回で4回目になるが、始発から転換クロスシートに坐れたのは小浜線電化開業以来となる。イイ気分だ。

滋賀県に入り、進行方向右側には余呉湖が見える。ちなみに直流化された駅の半分以上はホームのかさ上げや上屋の増設などが行なわれ、新装開店!! 乗りやすいように改善しているのはいいものの、乗っている普通電車長浜行きは2両編成。国鉄形鈍行より1両少ないのが響き、虎姫で立客が出てしまった。125系は最大8両の連結が可能なので、“どこからでも坐れる”態勢が欲しいところ。また、直流化される以前から3両でも全員坐り切れないこともあるので、見直しは必要。「直流化したら、電車が短くなって、坐れなくなった」という苦情が頻発してはいけない。

終点長浜3番のりばに到着し、4番のりばから始発の新快速姫路行き(1号車クハ222-2002:弱冷車)に乗り換え。8両編成なので、乗り換え客全員、坐ることができた。

ガラ空きで長浜を発車すると、進行方向右側に琵琶湖が見える。湖西線ほどの見晴らしではないが、田村に到着。2007年4月にオープンする長浜バイオ大学の最寄り駅となる。

田村を発車すると、琵琶湖と別れ、米原へ向かう。

北陸本線長浜から、東海道本線京都までは「琵琶湖線」という路線愛称がある。これは米原-大阪間を「JR京都線」にするつもりが沿線住民の猛反対を受け、苦肉の策として対応したものの、ほとんど琵琶湖は見えない。

これにより、JR京都線は京都-大阪間だけとなったが、浸透していないのではないだろうか。「2006年の汽車旅9-1」でも述べたが、琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線、JR宝塚線という安直な路線愛称はいらない。切り捨てるべきだ。ちなみにJR西日本に高い評価をしていても、私がアーバンネットワークで気に食わないのは、路線愛称と221系を永遠に増備してくれなかったことである。

新しい路線愛称をつけるなら、米原-播州赤穂間は「京阪神ホットライン」、近江塩津-米原間は「湖東線」にする。湖東線は琵琶湖はかすかにしか見えないが、その分、湖西線では眺めることができない余呉湖が見れる。余呉を新装開店したのも余呉湖への観光客誘致をはかろうとしているのではないだろうか。また、米原から北陸本線に直通する新快速及び普通電車は湖西線との誤乗防止のため、行先案内は今まで通り、「米原方面」でいいだろう。

700系3000番台(JR西日本所属)の東海道新幹線(言わずと知れたJR東海のドル箱路線) <ひかり411号>新大阪行きが通過し、留置線にJR東海所属の117系シリーズが引き上げているところを一瞬目撃。エッ…

14時16分、米原3番のりばに到着。JR東海の東海道本線へ。ちなみに米原の在来線はJR西日本、東海道新幹線はJR東海が管理。近江鉄道を含めると、駅長は3人いることになる。

余談だが、JR東日本・JR東海はプラットホームを「x番線」、JR西日本・JR四国・JR九州は「y番のりば」、JR北海道のみ到着は「π番ホーム」、発車は「r番のりば」と使い分けている。

7番のりばで14時44分に発車する普通電車大垣行きを待つ。JR西日本お得意の「足元白矢印の1番から4番(ほかに白三角など)」の1番に並んで、電車を待つが、思った通りだったし、驚きもしたが、JR東海所属の117系シリーズ、白昼堂々の入線である。

JR東海所属の117系シリーズは313系の入団以降、おもにラッシュ時の助っ人でしか走らない機会が多く、昼間は車両基地でおやすみ状態。まさにコアラの生活そのものみたいな感じになっていた(117系シリーズのフェイスはコアラに似ているような気がする)。

2006年10月1日(土曜日)にJR東海はダイヤ改正を行ない、313系5000番台が東海道本線の快速系統の主役に就き、117系シリーズも4両編成を生かし、米原-大垣間の普通電車運用に就いたようだ。

なお、JR東海の117系シリーズはどちらかの先頭車がボルスタレス台車と見晴らしのイイ窓が特長の100・200番台である。ちなみに私はクハ117-28に乗車。初期の車両で、クハ117形では珍しく、トイレがついている。

以前、米原-大垣間の普通電車は2両編成の313系300番台、ロングシートの211系5000番台3両編成という、着席率の低い“魔の区間”だったが、117系シリーズ登板により、全員着席で発車する。ちなみにJR東海の117系シリーズに乗るのは2000年8月以来となるが、ラッシュ時の運行がメインになっているため、車椅子スペースは設けていない。

近江長岡-柏原間で東海道新幹線300系の<ひかり416号>東京行きに抜かれ、柏原では311系の普通電車米原行きに遭遇。日中の米原-大垣間は4両編成になった模様だが、まさかこんなところで311系に遭遇するとは思ってもみなかった。

柏原-関ケ原間はトンネルを通るも、運転士はカーテンを下ろさない。117系シリーズは前面展望しにくい車両となっているからであろう。

終点大垣が近づいてきた。久しぶりの117系シリーズ乗車は心地よく、このまま静岡まで運行して欲しい心境であった。

終点大垣5番腺に到着し、1番線の特別快速豊橋行き(クモハ313-5006)に乗り換え。6両固定編成の313系5000番台だったので、ラクに着席できたが、車内はゴミが散らかり放題。乗車マナーの悪さに腹が立つ。JR東日本の東京や上野みたいに折り返しの駅で車内の清掃をしないこともあるが、せっかくの新車がだいなしである。

313系5000番台は固定座席をなくし、オール転換クロスシートなのが特長。ドアとドアのあいだの転換クロスシート5列を崩さず、1両あたりの定員も変わらない。ちなみにオール転換クロスシートはJR北海道721系シリーズ(一部の車両はセミクロスシートと指定席uシート)、JR西日本213系、JR九州811系・813系(初期のタイプ)・817系である。

岐阜に到着し、相変わらず多くのお客が乗ってくる。4両編成時代はここで誰かと相席になっていた。

名古屋でお客の大半が入れ替わり、日が沈みかける頃に終点豊橋へ。普通電車静岡行き(クハ111-2132:リニューアル車。浜松から女性車掌乗務)に乗り換える。

もしかしたら、JR東海の113系シリーズに乗るのは最後かもしれないが、すでに313系シリーズが搬入されており、転換クロスシートは装備していないのが残念だ。また、3両編成が主体とのこと。着席率の低下が懸念されている。

豊橋を発車した頃、日が沈み、終点静岡1番線に到着。向かいの2番線には普通電車西富士宮行きが発車しようとしていたが、313系2000番台と211系5000番台による、オールロングシートに驚愕!! これにより、在来線で乗り継ぐ場合、東京-豊橋間の“ロングランロングシート乗車”という可能性がある。東海道本線のJR東日本エリアでは、青春18きっぷでも普通電車のグリーン車(自由席)に乗ることができるので、“逃げ込む”手もある。

なお、2007年3月18日(日曜日)のダイヤ改正で、静岡地区の普通電車等は、JR東海産の車両に統一されることになった(熱海-沼津間はJR東日本211系シリーズとE231系近郊形タイプで運行することがある)。これにより、熱海-豊橋間はロングシートの電車に乗る確率が大幅に高くなる。

余談だが、113系シリーズが東海道本線を走る姿が見られるのはJR西日本の一部区間だけということになる。JR西日本の113系シリーズは体質改善車以外は廃車を進める可能性があるため、オレンジとグリーンの湘南色が見納めになる日も遠くはなさそうだ。

静岡で下車すると、耐震補強や駅前改良工事で殺伐としていた。

再び、静岡に戻り、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-13:静岡-熱海間、熱海-国府津間は女性車掌乗務)へ。赤色の番号、4番から12番までが乗車口で、19時25分、1番線に入線。特急形電車を使用した普通電車のため、“青春18きっぷユーザーの定番”とされている。

熱海からJR東日本に入るが、いつも4番線にはE257系の回送電車が到着するので、373系と“密会”をしている。ちなみにE257系の特急<踊り子>が運行する日はあるのかどうかは不明。

熱海でも女性車掌が乗り込んだが、小田原到着時の乗り換え案内では緊張していたのか、箱根登山鉄道を「江ノ島電鉄」と言い間違えていた。

女性車掌は国府津(Kohzu)で出番を終え、熱海から乗っていた男性車掌に引き継がれ、終点東京7番線に到着した。


★お知らせ

ウチのブログは2006年12月28日(木曜日)で、観客動員数49,000人をマークしました。わずか3日間で1,000人以上の方が足を踏み入れたことになります。どうもありがとうございます。

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2006年の汽車旅9-4 [汽車旅2006]



2006年12月17日(日曜日)7時過ぎ、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線なんば(M20)から、千里中央行き(10号車1111:リニューアル車)に乗り、梅田(M16)でJR西日本[大阪駅]に乗り換える。

6番のりばには東海道本線の各駅停車西明石行きが停車中だが、運よく、残りわずかとなったJR西日本ブルーの201系である。321系の大量投入により、走り慣れた道を去らなければならないが、東海道本線で201系に乗るのは最後になるだろうと、心を鬼にして、5番のりばから先に発車する221系の快速(明石から普通電車)姫路行きに乗らず、各駅停車西明石行き(クハ200-143:弱冷車)を選ぶ。ちなみに7番のりばには321系の各駅停車がたて続けに到着したが、フェイスが特急〈成田エクスプレス〉でおなじみ、JR東日本253系によく似ている。

7時23分、各駅停車西明石行きが勢いよく発車。就寝中に雨が降っていた影響か、天気はうす曇り。阪神高速のオレンジの街頭灯はまだ消えない。車内はガラガラだが、暖房は心地よく効いている。

ありったけの力で走りぬき、塚本へ。

発車すると、321系の各駅停車大阪行きが複々線の外側を走り、通過。大阪発着の福知山線各駅停車は国鉄時代と変わらず、塚本を通過するようだ。

関東の場合、各駅停車の上は普通電車なので、この場合はそれに値するが、JR西日本は阪急電鉄でさえ各駅停車と案内するのに、意固地に「普通電車」と案内している。都会を走る通勤形電車に「普通電車」と案内するのは、ものすごく違和感があり、ウチのブログでは各駅停車として、御紹介している。

神崎川を渡り、兵庫県へ。新大阪-尼崎間は淀川、新淀川、神崎川とたて続けに3つの川を渡る。大阪市は“水の都”とも呼ばれるゆえんであろう。

尼崎4番のりばに到着し、ここで降りる。本当は終点西明石まで乗りたい心境だが、もうすぐ、“乗りたい電車”がやって来るため、そうもいかないのだ。

8番のりばへまわり、新快速京都方面湖西線経由敦賀行き(5号車クハ222-2086:弱冷車。近江今津から1号車)へ。わざわざ尼崎へ先回りしたのは大阪で座席に坐ることをたくらんだため。これは『東京-大阪 単身赴任 旅物語』というブログで、zba03198さんがよく使っている“戦法”だからである。

尼崎では1分停車。以前のダイヤでは尼崎の停車時間は1分もなかったが、7時37分に発車。ちなみに平日ダイヤでは米原方面長浜行き・京都方面湖西線経由敦賀行きとなっており、京都で切り離す。

塚本で207系シリーズの各駅停車高槻行きを抜き、大阪8番のりばに到着。7番のりばに先ほど抜かれた各駅停車高槻行きが追いついてきた。バッサリ抜かれても、すぐに追いつくのだから“しぶといヤツ”だ。ちなみに大阪で坐ることができた。

新大阪で、東海道・山陽新幹線に乗り換えると思われるお客が多く降り、立客の数も減る。発車すると、583系の団体とすれ違う。

岸辺で321系の各駅停車京都行きを抜き、進行方向右側は阪急電鉄正雀工場。2006年11月には御堂筋線10系第23編成がVVVFインバータ改造工事を行なっていたが、その姿はなく、なかもず検車場へ戻った模様。ちなみにこの情報は『住吉急行電鉄の日報』で知ったが、「4」という数字に不吉なものを感じるのか、リニューアル工事が完了すると、10系第4編成はオリジナルのまま廃車になる予定だという。もったいない!! 我が国の地下鉄では初の冷房車という、偉大な功績を持つ名車かつ大阪市営地下鉄のエース、10系。また、大阪市営地下鉄の第3軌条路線では唯一の御堂筋線専用車ということもあり、5本の指に入る“お気に入り車両”である。末永い活躍を願う(画像は後続の新大阪行きオリジナル車)。

京都2番のりばに到着。向かいの3番のりばでは113系体質改善車の普通電車近江舞子行きと接続する。ここでも新快速の緩急接続が発揮されるが、普通電車近江舞子行きは京都始発である。ちなみに新快速はここから「湖西線経由敦賀行き」に変わる。

山科は3番のりば、すなわち、複々線の内側に到着し、発車すると、湖西線へ。高架を徐々に登ってゆき、トンネルへ。

トンネルを抜けたら、そこは西大津。発車すると、進行方向右側には琵琶湖が見える。湖西線のウリモノは“琵琶湖レイクショー”だが、寝台特急<日本海1・4号>のA寝台個室シングルデラックスは通路に出ないと見れない難点がある。

複線の湖西線に入っても、スピードをゆるめることはなく、琵琶湖レイクショーを楽しむ。進行方向右側は列車のすれ違いだけを楽しむところではない。

堅田が近づくと、琵琶湖を離れる。しばしのお別れで、堅田を発車すると、遊園地の観覧車がそびえ立っていた。琵琶湖を満喫する絶好の場のようだが、どのくらい訪れているのだろうか? かつて、“幽霊ホテル”が存在していたのだから、人の数は多くないように思う。

琵琶湖が近づくと、スピードを落とす。“関西の水瓶(Mizugame)”と言われる琵琶湖の車窓を満喫してもらおうという、新快速らしからぬ徐行サービスではないだろう。

比良でスピードが回復。前日と同様の曇り空だが、かすかに姿を現す“てぃだ(「太陽」のこと)”が琵琶湖の水面に浮かぶ。

近江舞子に到着し、かつての新快速車両、117系の始発、普通電車京都行きと遭遇するが、新快速湖西線経由敦賀行きの足を引っ張っていた。複線の悲しいところである。

近江舞子から先は各駅に停まり、ここから先は自動改札機に直接入れることができるプリペイドカード(「ストアードフェアシステム」と言う)、Jスルーカードが使えない。

琵琶湖レイクショーは相変わらず続いているが、北小松を発車すると、トンネルへ。北陸本線が近づいていることを感じさせる。

トンネルを抜けると、琵琶湖へもっとも近づくシーンを展開。琵琶湖の雄大さに見とれる。

近江高島からしばらくのあいだ、積雪時における高速走行における、バラストの飛散を防止するためなのか、グリーンのアミをしていた(していないところもある)。以前、JR北海道は冬になると、振子車両が普及したため、高速走行時にバラストが窓に直撃するという予想外の事態が多発。そのため、窓を強化する対策を行なっている。

琵琶湖を離れたり、近づいたりているうちに広大な留置線が見えると、近江今津に到着。暖房効果を保つため、ここから先はドアが半自動扱いとなる。

近江今津では1~4号車を切り離すが、乗り移るお客が意外と多かったものの、全員着席。また、5~8号車は1~4号車に変更。合わせて、行先も「敦賀行き」に変わった。つまり、この新快速は始発から京都までは「京都方面湖西線経由敦賀行き」、京都-近江今津間は「湖西線経由敦賀行き」、近江今津から先は「敦賀行き」と“3変化”する。

9分停車なので、自販機を探すも、改札を出ないとありつけない。私は青春18きっぷを使っているからいいようなものの、途中下車無効の乗車券ならばガマンをしなければならず、この9分停車は退屈でしょうがないだろう。

また、この9分停車はエル特急〈雷鳥5号〉金沢行きと待ち合わせ。アーバンネットワークのブランドネーム、新快速ではあるまじき光景だ。新快速が特急に負けるとは考えられないが、かつては383系で運行していた急行〈ちくま〉長野行きに複々線で抜かれていたことがある。

『JR時刻表2006年12月号』で調べたところ、平日のみ運行、網干6時30分発の新快速京都方面野洲行きは草津で、エル特急〈(ワイドビュー)ひだ23号〉高山行きと待ち合わせ。また、平日のみ運行、播州赤穂6時59分発の新快速京都方面野洲行きは京都-草津間を複々線の内側に走らせ、外側からやって来るエル特急〈(ワイドビュー)しなの9号〉長野行きに追い抜かれることになっている。

さて、近江今津ではエル特急〈雷鳥5号〉金沢行きが到着。新快速敦賀行きより、長い編成なのにお客の数は少ない。特急〈サンダーバード〉を選ぶお客が多いということなのだろう。また、エル特急〈雷鳥〉はかつて、運行本数が1番の多い国鉄特急として名をはせ、湖西線内は無停車だったが、特急〈サンダーバード〉の影響で、利用客の減少が目立つようになり、途中停車駅を増やして、かつての隆盛(Ryusei)を取り戻そうとしているのだろうか?

エル特急〈雷鳥5号〉金沢行きを撮影しようとするが、オッサンが平然とサクを越えており、唖然とする。も。のの、「立入禁止」とは書いていなかったため、私もつられてやってしまう。

小休止を終え、9時19分、近江今津を発車。乗務員も変わり、北陸本線がひときわ近づくことを物語る光景だ。空席は少なく、懸念していた4両編成運行時に混雑するのではないかという不安を蹴散らす(相生-姫路間の4両編成運行で、ひどい混雑に見舞われたことがある)。

マキノを発車すると、ついに琵琶湖とオサラバ。長いトンネルに入る。

長いトンネルを抜け、永原へ。ここから敦賀までは交流電化から、直流電化に変わった区間に入る。

私は湖西線に乗るのは3回目になるが、2001年3月に寝台特急〈日本海1号〉函館行き(2006年3月18日から青森行きに変更)で、初乗車全線完乗を果たしているものの、A寝台個室シングルデラックス利用で、車窓は暗くてよくわからず、念願のブルートレイン初乗車は満足しつつ、消化不良のような感じだった(JR東日本羽越本線新津-新発田間は就寝中に全線完乗を果たしたが、これも消化不良で、2004年9月に改めて乗った)。

そんな想いがあり、湖西線の車窓を満喫する日を心待ちにしていた。北陸本線に合流し、近江塩津に到着すれば、胸のつかえはおりる。

9時36分、近江塩津3番のりばに到着。隣りの2番のりばには223系2000番台の始発、普通電車近江今津行きが発車を待っている。また、北陸本線長浜・米原方面は10時13分発の始発、新快速米原経由姫路行きまで待たなければならず、新快速らしからぬ長時間待ちに私の前に坐っていた熟年夫婦はうんざりしていた(ちなみに熟年夫婦は終点敦賀まで利用)。ちなみにここから先はICOCAの利用もできない。

2006年10月21日(土曜日)、湖西線永原-近江塩津間と北陸本線長浜-敦賀間の直流化によるダイヤ改正を行なったが、しっくりこないものがある。

まず、近江塩津の接続の悪さで、短時間で乗り換えられるダイヤにしなければならない。アーバンネットワークで築いたものが近江塩津に対応できないのは大いに不満だ。また、「新快速米原方面近江塩津行き」の設定も理解できない。米原方面でも敦賀まで運行すべきだろう。増発をはかることにより、利便性を向上させなければ、直流化をした意味がない。

あと、懸念していた通りだったが、新快速は彦根及び近江舞子から各駅に停まらせているのも納得がいかない。停車駅を見直し、速達性を高めるべきだろう(姫路-上郡・播州赤穂間もそうだが)。米原or長浜と近江舞子で普通電車に接続をとるJR西日本お得意のワザを使ってくれないのは残念である。半自動ドア対応の221系や113系体質改善車を起用してもいいはずだ。

また、4両編成で運行するよりも6両編成または8両編成にして、“確実に坐れる”ようにする。更にJスルーカード及びICOCAを敦賀まで使えるようにして、万全磐石の体制にしてもらいたい。

近江塩津から北陸本線に入り、更には北陸地方の福井県へ。

新疋田はホームは長いものの、4両分だけかさ上げ。

敦賀運転派出に521系の姿が見えると、9時47分、終点敦賀4番のりばに到着した。

折り返し、10時23分発、新快速湖西線経由姫路行きとなるが、車掌は転換クロスシートの向きを進行方向に変え、不心得者のゴミを収集。また、清掃員も乗り込んでいた。“気持ちよくお客様に乗っていただこう”という表れで、JR東日本首都圏の近郊形電車では車内の整備と点検は当たり前の光景だが、JR西日本はそういうことがなく、転換クロスシートの向きはお客自身で変えなければならない。中には転換クロスシートの向きの変え方がわからないお客もいて、仕方なく逆向きでガマンしているようだ。

余談だが、私が転換クロスシートの向きの変え方を知ったのは平成11年(1999年)で、お客がやっていた姿で覚えた。JR東日本は転換クロスシートの車両が1両もないため、わからないのは無理もないということになるだろう。

さて、産経新聞SankeiWebによると、新快速の敦賀延伸により、土休の利用客は平均1800人から4300人に倍増したという。それと引き換えに長浜の利用客が減っているとのこと。課題は多いものの、乗車券だけで乗れる新快速の存在は大きく、関西の宝物である。

★備考 

①東京-大阪 単身赴任 旅物語…http://blog.goo.ne.jp/zba03198/

②住吉急行電鉄の日報「大阪市交10系VVVF車 整備中」…http://sumiyoshi-rw.jugem.jp/?day=20061118

③JR西日本ホームページ…http://www.westjr.co.jp/

④アーバンネットワークについて、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

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2006年の汽車旅9-3(221系新快速リターンズ2006) [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。アーンドゥ、クライマックス!!

JR西日本東海道本線を元町を下車し、神戸ルミナリエを見物して、晩メシを食べたあと、三ノ宮へ。

ホームにはレールファンが数人いて、ターゲットは臨時新快速。いずれも三ノ宮始発で、下りは西明石行き、上りは大阪行きとなっている。

隣りを走っている阪急電鉄神戸本線では、9000系の特急新開地行きが三宮のホームに滑り込もうとしていた。2006年入団のルーキーで、種別・行先表示は幕式からフルカラーLEDにチェンジしたが、これがすっごく綺麗だ。まさか、走行中も車体側面の種別・行先フルカラーLEDが点灯しっぱなしだとは思わなかったが、フォントは従来の車両と変わりなく、方向幕とカン違いしそうなほど、よくできている。技術革新により、LEDの表示フォントの種類も増えているのだろう。

4番のりばは貨物列車の通過が多く、寝台特急<なは・あかつき>熊本・長崎行きは利用客は多くなさそうで、特に後者の最後部にある指定席レガートシートは誰も乗っていない。

寝台特急<あかつき>は昭和61年(1986年)11月1日(土曜日)のダイヤ改正で、なぜか“佐世保編成(寝台特急<彗星>と京都-門司間でタッグを組むため、佐世保編成を切り捨てた)”に指定席の連結をスタートしたが、指定席レガートシートに衣替えして、“長崎編成”にコンバートしても人気はイマイチであるように思う。

貨物列車通過後、4番のりばに臨時新快速西明石行き(7号車モハ221-63)が入線。アーバンネットワークの大エース、221系に心が躍る。ヨッ、千両役者、待ってました!!

入線したのはいいものの、発車まで時間がなく、大いにあせったが、無事に撮影し、急いで乗り込む。

あわただしく、21時35分に発車。元町で221系の快速(明石から普通電車)姫路方面上郡行きを抜き、21時38分発の神戸では同時に発車し、山陽本線へ。

ジラしながら、快速(明石から普通電車)姫路方面上郡行きを引き離し、兵庫を通過。相変わらず、胸のすく走りである。

神戸ルミナリエで“降りそそぐ、光の彫刻”を大満喫した人は何気なく、221系新快速リターンズ2006に乗っているが、私は嬉しい!! たまらなく嬉しい!! 最高に嬉しい!! 涙が出るほど嬉しい!! 

これほど無邪気に嬉しいのは、2005年12月は多忙で旅にさえも行けず、くやしい思いをした。それだけに今回、2年ぶりに乗る221系新快速リターンズ2006は感慨深いのだ。

須磨で321系の各駅停車西明石行きを抜き、クルマを次から次へと牛蒡抜き!! アーバンネットワークのエース221系は王者の貫禄を魅せつける。1年に1度の晴れ舞台かつ大舞台。指定席以外では珍しく、モハに乗っているので、モーター音は魂を込めて、高らかに心地よく響く。

垂水を通過すると、ライトアップされた明石海峡大橋が見え、舞子を通過。ちなみに山陽本線の221系新快速に乗るのは平成10年(1998年)8月以来、8年ぶり2回目となる(東海道本線の大阪で降りることが多かった)。

思う存分、魂を込めた120㎞/h運転の221系新快速リターンズ2006は明石に到着。相席だった私は少々、不本意ながら進行方向左側の空いた席に移る。

明石発車後、207系シリーズの各駅停車西明石行きにあわや抜かれそうになる不覚をとるが、21時55分、終点西明石に到着。意外にも後続の新快速姫路行き(敦賀発、米原経由!!)に乗り換えるお客が多かった。“やって来た新快速に乗っただけ”のお客が多かったようである。ちなみに車掌はレールファンに“夢”をプレゼントした?!(画像を見れば、わかります)

実現する日を心待ちにしている。もちろん、221系で。

余談だが、国鉄時代、新快速は西明石で折り返す便が主流だった。これは当時、大半の便は複々線の内側を走っていたためである。そして、昭和61年(1986年)11月1日(土曜日)、国鉄最後のダイヤ改正で、新快速は複々線の外側に移ることが許された(草津-京都間、新大阪-大阪間は複々線の内側を走ることがある)。

これは国鉄のダイヤ構成は今まで本社で行なわれていたからで、分割・民営化により、本社以外の鉄道管理局でダイヤを作成することが許されたためである。

新快速の外側移動により、西明石では折り返しの設備がなかったため、やむなく姫路へ延伸。このため、117系100番台が入団し、合わせて、高速性が高まって、所要時間を短縮させることができた。

やがて、国鉄は分割民営化され、JR西日本になり、新快速は全盛の時代を築く。この大きな功績を作ったのは221系であるが、歴代の新快速№1車両を117系シリーズを好むレールファンも多いようだ。私は言うまでもなく、221系。特に新快速のフォントが気に入っており、パソコンにも入れて欲しいぐらいだ。

あわただしく、21時57分発の新快速京都方面野洲行き(①4号車クモハ223-2073:西明石-明石間乗車。②7号車サハ223-2081:明石-三ノ宮間乗車)へ。

明石で補助シートにありつくが、背もたれの角度は90度。すなわち、直角のため、居住性は悪いが、“ないよりマシ”と思ったほうがバチは当たらないだろう。

神戸ルミナリエの真っ只中で補助シートが使えたのは意外だったが、東海道本線にまた戻り、三ノ宮でたらふく乗って、発車した。

三ノ宮は先ほどに比べ、レールファンの数が増え、22時31分発、221系の臨時新快速大阪行き(8号車クモハ221-63)が入線。もちろんのことだが、当然、乗る。

22時31分に発車し、相変わらず、胸のすく走り。221系は新快速がよく似合う。

甲南山手を通過すると、スピードを落とした。どうやら、次の芦屋では221系の快速(高槻から普通電車)京都方面米原行きに追いついてしまうらしい。

芦屋に到着したが、接続する電車はなく、臨時便の悲しさでもある。

芦屋を発車すると、更にヒートアップ!! 妥協をしない速さに心が躍る。スピードに酔いしれる。221系の本領発揮だ!!

尼崎では福知山線207系シリーズの快速大阪行きと同時到着。珍しい顔合わせとなる。さぁー、どっちが先に発車するのか?

答えは格上の221系新快速リターンズ2006だった。当然だ!!

尼崎を発車しても、快走は変わらないものの、運転士は“「タイフォン」という名のおたけび”を高々とあげる。

「このまま東京に直行してもいいんじゃない」

と言っていいほどのSpecial Speedで、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスより速いと思わせるほど。その走りっぷりはカール・ルイスやディープインパクトを彷彿させるほどで、“飛んでいる”という表現がピッタリだ。

進め、行け、飛べ、走れぇー!! 突き進めぇー!! 走り続けろぉー!!

とほかのお客は気づいていないが、私の心はボルテージ最高潮に達し、ヒートアップだ。なんで、新快速を223系1000・2000番台にチェンジさせ、更には増備でアーバンネットワークの大エース、221系の出番を減らすのが疑問なんだよ。ずーっと、地球が滅びるまで、221系を増備して欲しかったのに!!(221系はJR産の近郊形電車では唯一の鋼製車両である)

221系新快速リターンズ2006の刺激的な、ディープインパクトの走りっぷりは新淀川を渡り終えると、悲しいかな、スピードが落ちてゆく。大阪の街もこの時間になると、“イッツ・ショータイム”もオシマイだ。

22時54分、終点大阪9番のりばに到着。ほどなくして、207系シリーズの快速も10番のりばに到着した。

関西のレールファンの一部では、「221系新快速リターンズは2006年が最後になるのではないか?」という説があるようだ。確かに、2003年から223系2000番台の増備が再開され、221系の出番は減っているように思う。

221系は17年に渡る新快速の運行にピリオドが打たれ、この記事のサブタイトルが「221系新快速フォーエヴァー」と修正されることのないよう、2007年も運行継続を願う。

終点大阪で大阪市営地下鉄御堂筋線[梅田駅(M16)]へ。

23時台の御堂筋線利用は初めてで、天敵21系が来ないことを願いつつ、電車を待つが、10系の天王寺行き(1号車1814:リニューアル車)が現れ、ホッとする。

221系から10系という、“関西のお気に入り車両乗り継ぎ”でなんば(M20)へ向かう。

大阪市営地下鉄は座席にガムを付着させる行為が多いようで、車掌は注意放送を流す。23時とはいえ、車内は満員御礼だ。

なんば(M20)に到着してほどなく、10系の江坂行きが現れた。めったに見ない行先なだけに停車中に撮りたかったのだが、間に合わなかった。

この日は土曜日でも盛況する、なんばに泊まる。なんばはまさに“なにわの中心地”といったところであろう。

※221系新快速リターンズ2006の動画はこちらにクリック!!

★221系新快速リターンズ2006編成表(アンダーラインは筆者が乗車した車両)

1号車ク ハ221-63:弱冷車
2号車サ ハ220-55:弱冷車
3号車モ ハ220-55
4号車サ ハ220-54
5号車モ ハ220-54
6号車サ ハ221-63
7号車モ ハ221-63:西明石行きに乗車
8号車クモハ221-63:大阪行きに乗車

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2006年の汽車旅8-後編- [汽車旅2006]



2006年8月27日(日曜日)、JR東海名古屋9番線から中央本線の臨時快速〈ナイスホリデー木曽路〉塩尻行き(4号車自由席クモハ311-2)に乗る(なお、通常は快速中津川行きとなっている)。

311系は平成元年(1989年)に入団。東海道本線の新快速として、近郊形電車初の120㎞/h運転を開始した車両だが、4両編成がタマにキズ。そして、平成11年(1999年)には313系シリーズの入団により、普通電車の運用が主体となっている。現在の311系は臨時快速〈ナイスホリデー木曽路〉が“花形”の運用になっているようだ。全盛期には号車札がついていたが、313系シリーズ入団で抜かれており、普段は“号車なし”で運行している。

8時18分に名古屋を発車すると、進行方向左側から東海道線、名古屋鉄道名古屋本線、中央本線の順だが、金山に着く頃には東海道本線と中央本線の位置が入れ替わっている。ところが、金山は名古屋鉄道とは連絡改札を通らないと、カンタンに乗り換えられない構造となっており、摩訶不思議である。関西本線の桑名みたいに近畿日本鉄道とダイレクトで乗り換えられるようにすればいいような気もするが…

普段は快速中津川行きのため、レジャーのお客よりも、普段着が多い。そして、すれ違う快速名古屋行きは増結でお客を運んでいるが、勝川(Kachigawa)ですれ違った時は213系5000番台、313系3000番台、313系1500番台という“3人そろって文殊の知恵”のような感じだった。213系5000番台は関西本線用に投入したのに、今や主役の座を奪われた313系3000番台と混結するのだから、面白い。

太多線(Taita Line)“太多ニック号”乗り換えの多治見から山間部をゆき、中津川でもハイキングの熟年が乗ってきた。ちなみに中津川10時16分発の普通電車松本行きはJR東日本115系3両編成で運行するので、“乗りドク”であろう(中津川-塩尻間の普通電車は313系3000番台が主流で、青春18きっぷシーズンだと大変な混雑をする)。

車内は1号車のみ指定席となっているが、JR北海道の快速〈エアポート〉のようなuシートではなく、転換クロスシート。座席を確実に確保するなら指定席がいいに決まっているが、自由席となんの遜色もないのでは抵抗を感じる。また、車内のLEDによる情報案内装置はまったく作動していない。

南木曽でエル特急〈(ワイドビュー)しなの5号〉長野行きの通過待ちをするが、ここから先はカーブが多くて、持ち味の俊足を発揮することができない。振子の近郊形車両を開発してもらいたいところだが、特急と違い、確実に着席することを前提としていないため、難しいようである(JR東日本の“中央線”の次世代電車はカーブが多いので、“振子通勤車”になると想像していたが、その願いは通じなかった)。

十二兼-倉本間は単線で、スピードがホントに出ないほどのカーブに悩まされるが、複線に戻ると、息を吹き返す。

原野からまた単線に戻り、宮ノ越で再度の複線へ。それも長く続かず、奈良井でまたも単線に逆戻りして、木曽平沢に到着。313系3000番台の普通電車中津川行きワンマンカーとエル特急〈(ワイドビュー)しなの8号〉名古屋行きと行き違う。そのため、しばらく停車となるが、利用客にとってはありがたい“ゆとり”であった。

まず、トイレは1号車しかなく、4人ほど並んでいたが、木曽平沢には男女兼用のトイレがあるものの、全員男性が利用していたようだ。そして、森林浴。なかには煙草をふかすお客もいたが、新緑には似合わない。

エル特急〈(ワイドビュー)しなの8号〉名古屋行きが遅れていたため、この電車も4分遅れで発車。車内をひとまわりすると、指定席の入りが意外とよく、カバーをかけたチャリンコを乗せたところもある。

贄川(Niekawa)で再びの複線となり、走りが格段によくなる。カーブも少なく、120㎞/hとはいかないまでも、快走。車掌は車内を巡回し、半透明のゴミ袋でゴミを回収するものの、量は少ない。みんな木曽平沢のゴミ入れに捨てたか、車内に自販機がないのがわかっているので、あらかじめペットボトルを用意したのであろう。

塩尻到着目前で、JR東日本の中央本線にワープする分岐線を目撃。営業列車で、ここを通ることはないものの、東京発着の夜行列車の迂回ルートに使えそうな気がする。しかし、編成の順序が変わってしまうので、気軽に使えそうもない。そういえば、JR西日本加古川線の電化の背景には福知山線でアクシデントが生じた時の迂回ルート的な役割があるというウワサ話を耳にしたことがあるものの、2005年4月25日(月曜日)から55日間、尼崎-宝塚間が不通になったにもかかわらず、エル特急〈北近畿〉は加古川線ルートを迂回しなかった。

11時23分、定刻より3分遅れで終点塩尻4番線に到着。お客を降ろすと、中津川方へ引き上げていったが、きっとあのワープルートで、しばらく休むのであろう。

JR東日本篠ノ井線に乗り換えるが、特急〈あずさ7号〉松本行きが遅れたため、普通電車長野行き(クモハ115-1565)は7分遅れの11時34分に発車。臨時快速〈ナイスホリデー木曽路〉からの乗り換え客も多く、3両編成とあいまって、坐れない。

広岡を発車すると、EPSONの工場が目を引き、村井-南松本間では新駅設置工事が行なわれていた。その近辺には大きな建物の郵便局があるので、平日なら旅行貯金ができる。

松本に到着。松本電気鉄道上高地線に乗り換えるが、連絡改札はなく、ダイレクトで進むことができる。それもそのはずで、上高地線は7番線、向かいの6番線は大糸線のりばなのである。



7番線に各駅停車新島々行き(3003:ワンマン)が入線。整理券が発行されていないことに不安を覚えるが、青春18きっぷを見せれば“正等乗車”であることが証明されるだろうと信じて、乗り込む。

松本では車両基地からホームへ行こうとしているのか、E257系第3編成がウロチョロ。配線がかなり複雑なようである。

松本電気鉄道は元京王電鉄3000系を使用。新天地でも3000系となっているが、ステンレス車体は白をベースに5色の帯を身にまとった、さわやかなカラーとなった。

12時10分に発車。右にカーブすると、JR東日本の車両基地が見え、お別れすると、西松本。渚は近くに松本渚郵便局がある。

車内では先頭車中間とうしろのドアが乗車口、降車口は前のドアとなっている。乗りやすいように配慮したのはいい。そして、携帯電話の使用は御遠慮願っており、混雑時は電源OFFと数年前までは当たり前のように流れていた案内となっている。

いつも言っていることだが、車内の携帯電話は電源OFFにして、なおかつ、電波を受信しない車両を開発したら、マナーの向上につながるはずだ。航空機で電源OFFができて、鉄道ではできないのはおかしく、交通機関における“ケータイルール”を電源OFFかつ電波遮断車両をつくることに統一すべきだろう。

北新松本大学前(Kitanii-Matsumoto Univ)は、ものぐさ太郎伝承の地だという。そして、新村(Niimura)は車両基地があり、先代車両、元東京急行電鉄5000系(これも東京急行電鉄の先代車両)がボロボロの状態で留置されていた。これでは予備車にもならない。静態保存のつもりなのかもしれないが、それならば公園に上屋をつけて大切にして欲しい。

のどかな道をゆっくり走り、山が近くなってゆく。曇り空となるが、人の心は晴れやかだ。

ギター侍のいない波田は全ドア開閉。有人駅ということなのだが、発車すると、雨が降ってきた。しかし、山がだんだん近づき、ガイドブックを持つ観光客の心は躍る。

渕東(Endoh)を発車し、ラストスパートして、終点新島々に到着。かつて、線路は島々まで延びていたが、昭和58年(1983年)に発生した台風による大規模災害により昭和59年(1984年)に復旧を断念したという。今でも復旧することを信じているのか、車止めはなく、線路は果てしなく続いていた。きっとどこかで途切れているのだろうが。

JR線からの乗り継ぎ客が多く、きっぷを見せて運賃精算。大半は上高地行きのバスに乗り換えるが、電車と同じカラーとなっていて、一体感を強調していた(自社のバスだから)。

13時28分発の各駅停車松本行き(3708:ワンマン)に乗るが、駅の女性係員は電車から降りない男性客に気づき、若手の男性駅員に指示。尋ねてみると、往復乗車の模様だが、車内精算で運賃を払った(往復分)。レールファンなのかどうかは知らないが、困った行為である。キセルと判断されれば、通常運賃の3倍を支払わなければならない。

車内の運転台の隣りに自転車置き場があり、何人かはカバーをかけたチャリンコを置いていた。2005年6月20日(月曜日)夏から“サイクルトレイン”を試験的に行なっているが、好評のようだ(くわしくはこちらへアクセスして下さい)。

終点松本で下車し、昼食を確保したあと、JR東日本篠ノ井線の普通電車高尾行き(6号車クハ115-1224)へ。

塩尻から中央本線に入るが、1分遅れの発車。JR東日本の中央本線は支線と岡谷から上諏訪-茅野間の途中まで単線である。

茅野で特急〈あずさ24号〉新宿行きと待ち合わせたが、遅れていたため、普通電車高尾行きは3分遅れで発車し、小淵沢2番線に到着。意外にも待ち時間30分ほど、同じ2番線から発車する臨時快速〈ホリデー快速ビューやまなし〉新宿行きに乗り換えるお客が多かった。

特急〈あずさ26号〉新宿行きは指定席満席で発車し、ほどなくして到着した185系200番台の臨時特急〈はまかいじ号〉横浜行きは空席も見られたが、この先から乗ってくるお客も多いだろう。なんせ、特急〈あずさ26号〉新宿行きの指定席は満席で、八王子までは臨時特急〈はまかいじ号〉横浜行きでカバーすることができるのだから。

臨時特急〈はまかいじ号〉は久々に見たが、かつては189系を使用して1日2往復体制だったことがある。方向幕は「特急 LIMITED EXPRESS はまかいじ」と簡素なのが残念。これでは185系シリーズ使用の〈湘南ライナー〉とまったく変わらない。

ようやく2番線に臨時快速〈ホリデー快速ビューやまなし〉新宿行き(3号車自由席サハ215-201:2階席に乗車)が入線。さっそく2階席に乗り込むが、もうチャイムが鳴って発車。以前なら、ホームで車番をとる“ゆとり”があったのだが…

発車すると、2階建てで、電動車がないせいか、静か。カーブは多いが、滑るような感じで進んでゆく。

韮崎(Nirasaki)を発車すると、183系100番台と思われる(189系混結かもしれない)団体を抜く。特急〈スーパーあずさ23号〉松本行きとすれ違ったので、まずらしい顔合わせだ。

小淵沢から坂を下ってきたが、竜王で一段落。天気は曇ってきた。にわか雨の予感がしていたが、甲府到着時にポツリ。

通過の酒折(Sakaori)は箱根駅伝で有名になった山梨学院大学がある。ちなみに箱根駅伝の正式名称は「東京箱根間往復駅伝競走」で、関東地方の大学しか出場できない決まりになっているが、山梨県は中部地方である。三重県は関西地方だが、中部地方と誤解する人もいるようで、山梨県もそうなっている雰囲気がある。山梨学院大学には申し訳ないが、定義のあいまいさが気になってしょうがない。連盟もここはハッキリすべきだろう。

車窓は、ぶどう畑が一面に広がったが、登り勾配となり、長いトンネルを抜けたら、霧。軽快に走っていた215系だが、苦戦をしいられている。そして、笹子を通過すると、下り坂のゆるやかなカーブを走り、雨の大月に到着する。

大月では特急〈スーパーあずさ28号〉新宿行きの通過待ちをする。ちょっとひと休みといったところだが、私が乗っている3号車はトイレと洗面所がついており、近郊形電車でグリーン車以外で、こういう設備がついているのはグレードは高い。ただ、座席は定員を重視したボックスシートなのが残念で、転換クロスシートにして欲しかった。ちなみに指定席も入りはいいものの、ボックスシートでは4人利用時以外、使う気にはなれない。

雨は強いが、甲府寄りの一角だけ、なぜか上屋があり、レールファンはラクに撮影。ホーム全体に上屋がないのが気に食わないが、普段は長い編成でやって来ることは特急以外、少ないということであろう。

車内に戻り、発車すると、四方津(Shiotsu)で松本-小淵沢間で利用した普通電車高尾行きを抜く。これは意外だった。以前のダイヤなら、終点高尾まで先に到着していたのである。

臨時快速〈ホリデー快速ビューやまなし〉は2002年8月以来の利用。以前は運転停車をしては当時のエル特急〈スーパーあずさ〉〈あずさ〉〈かいじ〉の通過待ちをして、イライラ感を持っていたが、4年ぶりの利用はダイヤを見直していた。運転停車をなくし、所要時間を短縮したのである。更に先行の普通電車高尾行きを抜くことにより、臨時快速の面目を保っていたのである。

雨もやみ、高尾に到着。いよいよ、フィナーレが近づいてきた。

この先、八王子、立川、三鷹に停まるが、特別快速(中央特快と青梅特快のこと)は立川までの各駅と国分寺、三鷹、中野、新宿、四ツ谷、御茶ノ水、神田に停まるので、種別の定義がわからなくなる。

こちらでまとめると、“中央線(高尾-東京間)”の種別は上位順に並べると、①特急②臨時快速③通勤特別快速(「通勤特快」と案内している)④特別快速⑤快速⑥各駅停車となる。

日野を通過し、多摩川を渡るが、遠目に照明が煌々(Kohkoh)と輝く多摩都市モノレール多摩都市モノレール線が“流れ星”と化していた。前回の那覇では19時頃が日の入りだったが、東京は18時10分頃には、もう日が落ちていたことにビックリする。

東小金井でスピードが落ちる。進行方向右側には中央線高架工事が見えるが、何度も言うようだが、複々線にしなかったのが大いに理解できない。踏切はなくなっても、朝ラッシュのノロノロぶりは変わらないだろう。

三鷹で快速東京行きと待ち合わせ。この日は休日ダイヤのため、快速は西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺を通過するが、これを終日通過にして、速達性を高めて欲しいところである。

18時53分、終点新宿5番線に到着。中央本線はこの先、ブツ切れとなっていて、新宿-代々木間は山手線、神田-東京間は東北本線となっている。JR東日本は平成10年(1998年)7月2日(木曜日)に二重路線区間を一本化したが、利用客にはなんの影響はないものの、そこまでする必要があったのだろうか?

なお、JR東日本は2006年秋にE233系が入団し、“中央線”に投入。わずか1年あまりで201系を置き換える。ってことはあの高架区間に201系が走ることはないのである。投入はあと5年待って欲しかったと思うのであった。

※中央線は2007年6月に下り線のみ三鷹-国分寺間が高架化され、201系はかろうじて間に合ったことになる。


2006年の汽車旅8-中編- [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

JR西日本富山から北陸本線の普通電車金沢行き(クハ412-3:弱冷車)に乗り、高岡で万葉線株式会社高岡軌道線〔高岡駅前電停〕の越ノ潟行き(7062:ワンマン運転。非冷房車)に乗り換え。

万葉線株式会社は2002年4月1日、加越能鉄道から引き継いだ第3セクターで、“万葉線”という路線愛称が定着していたことから、新会社もそのようになった。

実は加越能鉄道の時代に1度、乗っているが体調不良の中、強行で出かけたため、全区間フラフラで、車窓は全然と言っていいほど、覚えていない。

前乗りには意表をつかれるが、整理券を取ったあと、運賃箱がどこだかわからない。14時15分の発車後、進行方向左側にあることがわかった。

今どき珍しい非冷房車だが、暑いというのは感じない。窓を全部開けているからだろうが、自然の風のほうが体調を崩すことはないし、路面電車のつりかけ駆動の音を楽しもう。

本丸会館前の直前で、高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違いをするが、広小路から複線となる。

車内の運賃表を見たら、終点越ノ潟まで350円。財布を見たら、10円玉は4枚しかなく、50円玉がないことがわかった。ここで両替をしないといけないのだが、両替機のやり方がよくわからない。古い電車なので、カタも古いのだ。

「ここへ入れればいいの」

とベテランの運転士が言うので、100円玉をポットみたいなところに入れる。すると、運転士はボタンを押し、50円玉1枚と10円玉5枚が登場。地元の人でなければ、わからない世界だ。

米島口-能町口間は道路を離れ、合わせて単線になる。能町口からは軌道になるが、クルマの交通量も少なく、スイスイだ。

新吉久でMLRV1000系“アイトラム”の高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違うが、どう見ても富山ライトレール“ポートラム”と同じ車両だった。

吉久を過ぎ、しばらく走ってから再び道路を離れる。踏切はブリキの音で、北陸鉄道石川線を思い出す。

六渡寺(Rokudohji)は進行方向左側にある木材工場の木のニオイがプーンプン。運転士はなにもしゃべらず、電車は停まりっぱなし。ドアを閉めたら、高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違い、発車。ここから新湊港線へ。左右に揺れつつ、無事に庄川を渡る。風が強いと転落するんじゃないかとヒヤヒヤになる。

中新湊でも高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違い、乗客は私を含め、たった3人で終点越ノ潟に到着。万葉線株式会社完全制覇を達成した。

越ノ潟に“アイトラム”の運行時刻があるのを見つけ、しばらく散策。ようやく、お目当ての高岡駅前行き(MLRV1002-B:ワンマン運転)“アイトラム”が入線した。

2人しか待っていなかったので、確実に席にありつけ、先頭車の最前列へ。前面展望はムリで、車椅子スペースのあるところだが、さいわいなのか、優先席ではない。また、私が坐った進行方向右側最前列の前には補助椅子がある。

乗ってまっさきに感じるのは涼しいこと。冷暖房完備なので、快適。そして、15時45分に発車する。

アイトラムはポートラムと同じ車両だが、前者は白熱灯とグレーとブルーを基調とした座席で、“さわやか感”を演出し、後者は黒を基調とした座席なので、“落ち着き感”がある。

踏切はあっても、遮断機のないところがあり、幼児の女の子がなぜか飛び出していたが、スピードが出ていない分、止まるのは早い。そこは女の子も熟知しているのかもしれないが、はねられたら命を落とす可能性が高いだけに気をつけてもらわないと困る。

両替機、運賃箱は最新の電車なので、わかりやすい。運転士は運転席のひよけにひと苦労。なんせ、窓が大きいのだ。

米島口は万葉線株式会社の所在地で、運転士をChange。旭ヶ丘ではアイトラム同士の行き違いがあった。

前面展望は立たない限り、古い車両のほうが勝るが、走行音は釣り掛け駆動とは比べものにならないほど静か。ノンステップで乗降しやすいことや両替機や運賃箱が現代タイプなので、できれば全車をアイトラム化することを願うのみである。

終点高岡駅前に到着するが、16時25分発の普通電車金沢行きには間に合わず、仕方なく17時02分発の普通電車福井行き(①石動〔Isurugu〕までクハ412-7。②石動からクハ412-6:弱冷車)へ。

ボックスシートが埋まり、仕方なくロングシートに坐るが、車番をチェックしていたら、なんと、ボックスシートがまるまる空いていたので、移動した。しかし、疲労は蓄積し、もうろうとしていた。

福井で一旦下車し、再びホームにあがり、普通電車長浜行き(クモハ413-101)へ。

北陸本線敦賀-長浜間及び湖西線近江塩津-永原間は2006年9月24日(日曜日)に直流電化にChangeし、10月21日(土曜日)にダイヤ改正を行なうが、交流電化としては最後の利用となる。

近江塩津を過ぎると、工事をする駅が多い。新快速が8両編成で運行するようで、ホームの延伸がほとんど。10月21日(土曜日)になると、新快速米原方面近江塩津行き(または敦賀行き)は高槻(東海道本線)と高月(北陸本線)という“同じ読みがなの駅”に停まるので、レールファンの注目も集まるだろう。



終点長浜は新しく新設した4番のりばに到着。年内には521系が発着するだろう。

長浜3・4番のりばは行き止まり式となり、3番のりばは姫路・大阪・米原方面からの折り返しとして、今後も継続使用するが、ここで新快速大阪行き終電(1号車クハ222-1005:弱冷車)に乗り換え。ちなみに長浜と米原は半自動ドア扱いとなっているが、ボタンを押しても開けづらい模様。

できれば、終点大阪まで乗りたかったが、うしろ髪ひかれる思いで、米原でJR東海の東海道本線の普通電車大垣行き(サハ313-14)に乗り換える。

普通電車大垣行きは新快速大阪行き終電のほか、221系の普通電車、223系2000番台の新快速長浜行き、関空特急〈はるか54号〉からの乗り継ぎ客で集結した。

頭にきたのは隣席のオッサン。見ただけでウサンくさい男は「すいません」と言いながら、通路側の席に坐るやいなや、いきなりクツとクツシタを脱ぎ出し、足を前の転換クロスシートの背もたれへ。そこに坐っている茶髪で音楽を聴く若者の男はムッとして、にらみつけていた。

「すいません」

と謝っていたが、それは当たり前だ。そして、終点大垣に到着する頃、ウサンくさいオッサンはクツシタのニオイをかぎながらはいた。人間として、最低だ。ちなみに、だいたひかるさんもそういうお客はイヤだという(ここにクリックすればわかります)。

普通電車岡崎行き(クモハ211-5011:ロングシート。女性車掌乗務)に乗り換え。先ほどより1両少ない3両編成だが、快速〈ムーンライトながら〉東京行きに乗り換えるお客のおかげでラクに坐れた。

岐阜で盛況するものの、地ベタの坐り込み、車内通話など、若者のマナー(さっきのオッサンもそうだけど)の低下にあきれるばかりだ。大人というものは、“常に社会の模範”にならなければならない存在であることを知らないようでは困ったものだ。

名古屋1番線に到着し、この日は名古屋のインターネットカフェに泊まった。

★備考

新快速の敦賀行きは京都方面湖西線経由だと近江塩津、米原方面だと米原で切り離し、そこから先は4両編成で運行する。また、米原方面近江塩津行きも米原で切り離し、そこから先は4両編成で運行する。できることなら、8両編成にして、“乗ったら確実に坐れる”態勢にしていただきたいところである。


2006年の汽車旅8-前編- [汽車旅2006]

2006年8月25日(金曜日)、JR東日本新宿8番線で、中央本線23時47分発の快速東京行き終電が発車した直後、向かいの7番線から臨時快速〈ムーンライト信州83号〉信濃大町行きが入線(5号車指定席モハ189-28)。1・6号車のクハ183形1500番台は中間車の189系旧ASAMAカラーに色を合わせた。

23時59分に発車するも、1分後には8月26日(土曜日)へ。三鷹までの複々線ではオレンジ色をの201系の各駅停車青梅行きと早くもデットヒート。追いつき追い越されるのくりかえしで、各駅停車青梅行きに乗る人々は、臨時快速〈ムーンライト信州83号〉信濃大町行きの鈍足ぶりをどう思っているのだろうか?

三鷹で各駅停車青梅行きを止まらせて、当然の如く、先を行く。ここから塩尻から入る大糸線の松本までは複線だ。

速く走っても、早く着くだけなので、鈍足を気にすることはないけど、隣席のオバサンは車内検札のベテラン車掌につぶやいた。

「発車時刻が0時だったら、いいのにねぇー」

発車時刻が23時59分なのにはいろいろと理由はあるようだが…

「お気をつけて」

とベテラン車掌はねぎらいの言葉をお客1人1人にかける。いい光景だ。

立川へ着く頃には深い眠りにつき、気がつけば大糸線。朝5時過ぎに夜は明けた模様だが、雲におおわれている。車内はトイレと洗面所があわただしい。

終点信濃大町1番線に到着し、3番線から発車する快速南小谷行きワンマンカー(クモハE127-106)に乗り換え。ちなみに信濃大町では立山・黒部アルペンルートのきっぷを販売しているという。どんなきっぷかはまたの機会に見てみたい。

終点南小谷は駅の外にある姫川のせせらぎを聞きながら、朝食をとる人が多く、ほのぼのとした雰囲気だ。山の中にあるところとあって、クーラーがなくても、充分涼しい。

折り返し、各駅停車松本行きワンマンカーが3番線に到着すると、2番線は人であふれる。駅の外でくつろいでいた面々は2番線へ移動するも、時すでに遅しである。

JR西日本の普通列車糸魚川行きワンマンカー(キハ52 156:朱色の国鉄カラー)はやっぱり1両。臨時快速〈ムーンライト信州〉の運転日には2両に増結するなど、対策をしてもらわなければ困るが、ホームに乗車案内の位置をつけてくれたのはありがたい(南小谷はJR東日本の管理駅で、以前から要望が多かったのだろう)。

終点糸魚川で北陸本線の普通電車富山行き(クハ455-65:弱冷車)に乗り換え。2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で、419系から455系にChangeされていたが、今まで相席なしという余裕で発車したのに、夏休み最後の週末(一般的に小中高の期間)とあってか、座席はほとんど埋まっていた。

発車すると、姫川を渡ると、北陸新幹線の“オシャレな高架”が姿を現した。2010年代に金沢まで延伸することは間違いないだろう。そして、青春18きっぷ客にも多大な影響を及ぼすことも間違いないだろう。

9時15分、市振(Ichiburi)-越中宮崎間でやたらとタイフォンがうるさいなぁーと思っていたら、なんと臨時特急〈リバイバル白山〉長野行きとすれ違った。

車内の中吊り広告で目立っているのは、『レールビズ・スタイル、増えています。』というもの。東京へはヒコーキや高速バスよりも鉄道がいいということをアピールしているもので、北陸新幹線が開業すれば、今まで毎時1本の運行(特急〈はくたか〉と上越新幹線の乗り継ぎ)が2~3本に増えて、より便利になり、「レールビズ」が流行語になるのかもしれない。

2006年2月28日(火曜日)でフォーエヴァーとなった富山港線は富山口と富山7・8番のりばをブッ壊すという悲しい光景を目にしながら、終点富山に到着。駅も改良工事が行なわれており、北陸新幹線の受け入れ態勢を整える。

ここからは2006年4月29日(土曜日・みどりの日)に開業した富山ライトレール富山港線“ポートラム(次からはそう記す)”〔富山駅北電停〕へ。JR西日本として役目を終えた富山港線は路面電車として、再生していた。もちろん、当方はそれを知っており、ようやく乗車することにこぎつけた。

運賃は大人200円(子供100円)均一だが、2007年3月31日(土曜日)まで、平日は富山駅北9時06分発から16時30分発までと土休終日は大人100円(子供50円)で利用できるようになっている。多くの人々に乗ってもらい、ココロもつかみたいところであろう。

本数もJR西日本時代は日中1時間に1本だったのが、15分おきに倍増。当然、利便性が大幅に向上したワケで、利用客も多い。

富山駅北のホームベンチはJR西日本223系1000・2000番台の補助シートと同様、人が立つと、自動的に収納する仕組みになっている。

周辺案内地図は日本語のほかに、中国語、韓国語、Engrishなどが併記されている。最近は大相撲の外国人力士時代に歩調を合わせたのか、英語だけの併記では物足りなくなっているようだ。また、レールには芝生があるのが気になるが、暑さ対策なのだろうか。

オシャレな超低床式の路面電車が入線し、1番線から10時30分に発車する岩瀬浜行き(TLR0601B:ワンマン運転。白い車体に赤い帯)へ。電停には発車時刻の案内表示があるものの、なぜか15分遅くなっていた。ここへ戻ってくる頃にきちんと修正されていたが、細かいミスは命取りになるので、気をつけたいところだ。

運転士はお客の運賃徴収を終えると、幕を下ろして、暑さをシャットアウト。そして、注目のポートラムに乗り込むが、撮影に没頭していたため、坐れなかった。

ドアはプラグドアで、JR北海道のキハ183系5000番台、JR四国2000系、JR東日本キハ110系シリーズ、東武鉄道100系などが採用されているが、凍結防止が目的なため、広く普及していない。

車内はセミクロスシートで、意外にも優先席がないため、携帯電話について「電源OFFにして下さい」という姿勢だが、携帯電話の電波をシャットアウトすることはできない。私も携帯電話の電源を切って、ポートラムを堪能することにする。

節電対策なのか、車内に照明も電源OFFだが、綺麗な車内でカバー。次駅案内装置は最近、普及しているかのように思えるLCD(音声のない液晶テレビ)を採用した。ちなみに始発はすべてのドアから乗ることができるが、次の電停からは“先頭車のうしろに乗り、前で降りる”というパターンをとっている。

インテック本社前で1人乗り、左折して橋を渡ると、赤信号でストップ。前面展望をする立ち見のレールファンらしき老練の男性は既設の富山港線の合流地点を見たいのであろう。

奥田中学校前付近で左折し、既設の富山港線へ。ここで富山駅北行き(ワンマン運転。イエロー帯の車両)と行き違う。ここからはスピードがあがり、下奥井に到着。ドアは開かない。乗降客がいないからだが、ボタンを押し忘れたお客がいると考えるのが定石通りなのだろう。普通の路線バスなら、あっさり通過するが、鉄道はそうもいかない。

城川原で富山駅北行き(ワンマン運転。パープル帯の車両)と行き違い、蓮町は下車客が多いものの、それでも立客はいる。

大広田で富山駅北行き(ワンマン運転。黄緑帯の車両)と行き違い、2分停車。全線単線のため、こういう停車はよくある。15分おきなら、普通は複線なのだが、限られたスペースの中でやっていることなので仕方がない。

予想通り、競輪場前で大量下車し、終点岩瀬浜に到着。ポートラム全線完乗を達成したが、日差しはキツかった。

しばらく散策をしたあと、12時46分発の富山駅北行き(TLR0607B:ワンマン運転。パープル帯の車両)へ。運転台のうしろに陣取るが、座席ではなく、台車の上に坐っているが…

車内では白えびまつり隊が無料券を配布し、当方ももらう。このルポの翌日にはそういう祭りがあったのだが、行かなかった。

東岩瀬は既存ホーム(JR西日本時代)の反対側にポートラム用の電停を作ったが、富山駅北と岩瀬浜以外はすべて“相対式”となっている。

運転台は高い位置にあり、ワイド。モニターが2つあり、横長サイズはA車の乗車口、縦長サイズは最後部車両の様子を映している。また、クルマと同様にウインカーがある。

運賃箱は両替式とは困ったもので、つり銭がつくようなタイプにして欲しかった。また、自社のICカード、Passcaに対応している。将来はJR東日本のSuica、JR西日本のICOCA、JR東海のTOICAにも対応できることを期待している。

城川原はポートラムの車両基地があるところで、運転士をChange。そして、岩瀬浜行き(ワンマン運転。赤い帯の車両)と行き違う。

奥田中学校前を発車すると、右へ曲がり、“新線”を走る。完全廃線となった区間はすでにレールと架線がはがされており、そのあとはどうなるのだろうか? 遊歩道になるのか、駐車場ができるのか、家が建つのか? さて、どちらでしょう? 答えは現時点(2006年9月16日)、誰も知りません。

終点富山駅北に到着。利用率も上々で、これからの発展も楽しみではあるが、課題も多いようである。くわしくはhttp://www.t-lr.co.jp/へどうぞ。


2006年の汽車旅7-最終回 [汽車旅2006]

2006年8月24日(木曜日)、宿泊先をチェックアウトし、国際通りを半分ほど名残を惜しむかのように歩き、沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線“ゆいレール”牧志から、9時04分発の首里行き(1202:ワンマン)へ。乗車している量産車となるのだろう、第2編成は2002年に新製されている。そして、展望席をGETし、気分がいい。

終点首里に到着。2番線のみを使用し、1番線にはホームゲートは設置されていない。2004年の時にはあったような気がするが、ウロ覚えなので、確信したことは言えない。

首里駅周辺は相変わらず、タクシーの勧誘があり、気に食わないが、歩いて首里城公園へ。ここも更にパワーアップしようと一部では2006年10月31日(火曜日)まで工事を行なっていた。また、守礼門では9月20日(水曜日)まで発掘調査をしていた。この先には『ちゅらさん』の家があり、そこにも足を伸ばした。

首里郵便局で旅行貯金したあと、タクシーの初乗り料金450円で首里駅まで運んでもらい、那覇空港行き(1107:ワンマン)に乗り、おもろまちへ。

おもろまちは那覇新都心を散策。まだまだ開発途上にあるようで、2007年秋には“実りのオータム”を迎えていることだろう。

おもろまちに戻り、那覇空港行き(1108:ワンマン)に乗るが、乗車は相変わらず多いものの、ほかの駅とは違い、ホームゲートには人が並んでいる。

実はゆいレールの駅はホームゲートに並んで席を奪取しようとするせっかちなお客はいないというところで、東京では考えられない光景なのだ。ゴルフは猛チャージでも、クルマはのんびり走るところだから、急ぐ必要性はないらしい。“ウチナンチュー”はあわてず、騒がずらしい。

さて、おもろまちではハプニングがあった。

それは一部のお客がホームゲートを含めた安全サクに身を乗り出すような感じだったようで、運転士は慎重になり、「サクから離れて下さーい」とマイクを持って、車外スピーカーで注意喚起をしていた。

車内は大型の旅行カバンを持つお客が多く、ロングシートさえも坐れないありさまだが、展望席のうしろに陣取り、小禄で再びGETすることができた。

発車すると、東シナ海がちょっぴり見え、終点那覇空港までいい気分を味わうことができる。ちなみに那覇空港のホームには2,000円札対応の自販機がある。

2年ぶりのゆいレールは、おもろまちの利用客が大幅に増加した印象を受ける。ダイヤも2004年では日中12分おきだったのが、10分おきになっているものの、今後は4両編成にパワーアップして、少なくとも昼間は“必ず坐れる”ような態勢が必要だろう。バスは必ず坐れるほどガラガラだったから、そう言うのかもしれないが、観光客の利用も多いのだし、御検討をお願いしたい。ホームも3~4両分あるようなので、すぐにでもできそうな気がするのだが…

JAL1922便の東京国際空港(羽田空港)行きに乗り、帰京。東京モノレールの東京モノレール羽田線(実際の路線名です)では羽田空港第1ビルが最寄り駅となるが、中間駅のため、坐れないことを嫌った私は羽田空港第2ビルへ遠回りし、JR東日本のSuicaイオカードで普通電車浜松町行き(5号車1083:ワンマン運転)に乗る。

案の定、羽田空港第1ビルですべての席が埋まったが、大井競馬場前で大幅なオーバーランが発生。台車の上に坐っているビジネスマンは2005年4月25日(月曜日)に発生したJR西日本福知山線の脱線事故を思い出すようなことを苦笑しながら言っていたが、こっちは冷や汗をかき、終点浜松町に到着した。


2006年の汽車旅7-5 [汽車旅2006]

2006年8月23日(水曜日)、第1牧志公設市場や農連市場などを見学したあと、与儀公園へ。そこにはD51 222が静態保存されている。昭和13年(1938年)に小倉工場で新製されたものだが、台風を何度も受けているせいか、ボディーの傷みが激しいような気がした。

 古波蔵郵便局と那覇国場郵便局で旅行貯金したあと、樋川停留所(Higawa Bus Stop)へ。沖縄バス運行番号39番、那覇バスターミナル行きに乗る。冷房は天国のように快適だ。

終点那覇バスターミナルからは待ってました、ゆいレール。那覇空港行き(1102:ワンマン)に乗り、小禄(Oroku)で下車。昼食はジャスコのタコライスをとって、美空ひばりの記念碑がある、がじゃんびら公園へ行く。丘の上だが、東シナ海を見ることができる。

小禄に戻り、首里行き(1201:ワンマン)へ。1000系の試作車に乗るが、この車両は2001年に入団した。開業前に車両を用意するのは当然のことだが、ずいぶん、長いこと試運転をしたのだろうと想像する。展望席の化粧板が黄色いのは強烈だが、子供に大人気でなかなか坐れない。

おもろまちは那覇新都心で利用客が増加の傾向にあるようだ。無料で駅に置いてあるゆいレールマガジン『Synca! Vol.36』によると、2006年4月から6月まで、1日平均の乗客利用数の第1位は県庁前(1日平均5,191人)、第2位におもろまち(1日平均4,030人)、第3位は那覇空港(1日平均3,799人)である。

おもろまちで下車するも、駅の地図では次の古島の近くに郵便局があることが判明。しかも、那覇市ではなく浦添市だという。那覇新都心は翌日にまわし、再び首里行き(1211:ワンマン)に乗る。

古島で下車し、浦添内間郵便局で旅行貯金。終わったら、ドバーッとスコールに見舞われる。

那覇空港行き(1108:ワンマン)に乗り、美栄橋へ。宿泊地に戻り、コインランドリーでお洗濯。19時近くに再び外出し、那覇空港行き(1111:ワンマン)に乗り、終点で下車。食事と@stationの12分100円インターネットを楽しみ、首里行き(1205:ワンマン)で宿泊地の美栄橋に戻った。


2006年の汽車旅7-4 [汽車旅2006]

2006年8月22日(火曜日)、沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線“ゆいレール”の美栄橋へ。2004年来訪時に比べると、運賃表は“地元名所下車駅”のシールがペタペタ貼ってあり、なんか落ち着かない印象を受ける。

 

有人改札で3日乗車券を購入したあと、那覇空港行き(1111:ワンマン)へ。旭橋で下車し、那覇バスターミナルへ急ぐ。

那覇バスターミナルと旭橋について思うのは名称が統一されていないのが気になる。那覇バスターミナルという停留所を「旭橋駅」に改めるか、旭橋という駅名を「那覇」にすべきだったかのどちらかであろう。

沖縄バス運行番号34番、東風平線(Kochinda Line)の糸満バスターミナル行きに乗る。JR北海道のワンマン列車と同様、前乗り前降り式である。

終点糸満バスターミナルに到着。那覇バスターミナルに比べると、規模は小さく、営業所のような感じを受ける(実際はそうなんだろうが)。

ここから琉球バス運行番号82番、玉泉洞行き(Gyokusendoh)に乗り換え、平和祈念堂入口で下車する。

平和祈念公園というところへ。ここは平和の礎(Ishiji)があるところで有名。日本とは思えないような景色と雰囲気を味わう。その先には綺麗な太平洋が人々の心をなごませていた。

琉球バス運行番号82番、糸満バスターミナル行きへ。少々遅れていたが、車内はガラガラ。姫百合の塔前で下車。今度はひめゆりの塔へゆく。

この日、対馬丸が撃墜されて61年が経過。フシメの日ということもあってか、観光客などが多かった。また、初めて防空壕(Bohkugoh)というものを見たが、痛々しい穴である。

米須簡易郵便局で旅行貯金したあと、またも琉球バス運行番号82番、糸満バスターミナル行きに乗り、糸満郵便局前で下車。当然のことながら、糸満郵便局で旅行貯金。そこから歩いて糸満新島郵便局でも旅行貯金をした。

糸満市役所で涼み、太平洋を眺めたあとは琉球バス89番、航空隊前経由那覇バスターミナル行きに乗る。途中、ゆいレールが見え、どうやら赤嶺駅の近くに第二ゲートという停留所があったものの、“「次は赤嶺駅」だろう”と思ったら、なんとちょっと先の航空隊前だった。さいわい、上にはゆいレールの線路だったからよかったが、思わぬ遠回りとなってしまった。バスとゆいレールの“連係プレー”は進んでいないようで、第二ゲートは「赤嶺駅入口」に改称すべきではないか。

赤嶺駅は御存知、日本最南端の駅で、記念撮影後、那覇空港行き(1210:ワンマン)に乗る。

次は終点の那覇空港だが、英語では「Final Station」と案内している。ちなみに東京地下鉄は「The Last Stop」、JR東日本は「ターミナル」と案内している。

晩メシを那覇空港でとり、首里行き(1210:ワンマン)に乗って、宿泊先の美栄橋へ。

「客室からの光が反射するため、カーテンを下ろさせてもらってもよろしいでしょうか?」

と運転士は展望席に坐るお客に理解を求めた。かつて、JR西日本221系がそうだったので、私は「ハイ」と答えた。前面展望は夜になると、すべてシャットダウンという“不自由席”となるのである。2004年は左側のみ開いていたが…

余談だが、221系の今は223系シリーズに合わせ、進行方向右側のガラスを“サングラス化”したので、夜の前面展望も可能になっている。


2006年の汽車旅7-3 [汽車旅2006]

2006年8月21日(月曜日)、北九州高速鉄道小倉線小倉へ。JR九州の小倉駅にスッポリ収まっているというか、吸い込まれているような感じを受ける。

街頭の地図ではモノレールは駅とは言わずに「停留場」と案内している。鉄道を「停留場」と案内するのは初めて目にしたが、違和感がある。ワンマン運転といえども、バスではないのだから。

券売機で小倉-企救丘(Kikugaoka)間の往復乗車券を購入し、2番線の企救丘行き(4号車1405:ワンマン)に乗る。ピンクのロングシートが印象的である。



8時52分に発車。目と鼻の先に平和通(魚町商店街前)があり、右側通行のまま到着。発車すると、ポイントを渡って、通常の日本の鉄道の複線と同様、左側通行となる。次の旦過(Tanga)も目と鼻の先。

ここから先は距離があり、香春口三萩野(Kawaraguchi-Mihagino)へ。小倉線は相対式ホームが多く、ホーム全体を見ると、丸みのある柔らかな構造だ。

JR九州日豊本線をくぐり、城野へ(日豊本線乗り換え駅ではない)。ここから北方までは都市高速の下を通り、その後は山々が見えてきた。北九州市という都会的なところでありながら、山もあるとは広島市や神戸市みたいだ。

どうやら、小倉線は山間部を通っているようで、徳力嵐山口を発車すると、左へ大きく曲がり、クルマ共々、険しい山道をゆく。

そして、「山頂はごめん」と言いたげに9時11分、終点企救丘に到着し、全線完乗車達成!! ちなみにその先にもレールは延びているが、北九州モノレール総合基地へ向かうルートで、本社も兼ねている。また、企救丘の近くにはJR九州日田彦山線の志井公園駅がある。

企救丘の手前の志井から徒歩1分のところにある小倉志井郵便局で旅行貯金。志井で降りたとしても、小倉からの運賃は企救丘まで同額なので、復路の乗車券を自動改札に入れる。暑くて企救丘まで戻る気力はないし、必ず坐れると確信していた。

小倉行き(1号車1109:ワンマン。グリーン帯の車両)に乗り、平和通(魚沼商店街前)の下車が多いのは意外だったが、発車すると、次の終点小倉までのあいだ、ポイントがないことがわかった。

終点小倉で下車し、小倉駅前郵便局で旅行貯金。ここからはJR九州となるが、日豊本線で踏切事故が発生した影響で、鹿児島本線もダイヤが乱れていた。エル特急〈ソニック〉〈にちりんシーガイア〉が通るからである。

快速鳥栖行き(クハ813-2)は定刻よりも7分遅れの10時43分に発車。乗車している813系第2編成の中間車はあとから増結したサハ813-402で、内装は若干異なるものの、タダでさえド派手な車両なので、初期車でも充分満足する。

香椎で香椎線の各駅停車宇美行きワンマン列車(キハ47 9048)に乗り換え。ワンマン列車ではあるが、運賃箱、運賃表、整理券発行機はない。

車内は高校生、ジーサン、バーサン主体。JR西日本山陽新幹線をくぐると、土井での下車客が多く、少し車内に空席が見られたため、ボックスシート相席から単独に切り替える(つまり、移動)。

少々ウトウトと眠気はあったが、終点宇美に到着。すでに西戸崎(Saitozaki)-香椎間は乗車済みなので、香椎線全線完乗を達成した。

下車して、宇美本町郵便局で旅行貯金したあと、大急ぎで折り返し、各駅停車雁ノ巣行きワンマン列車(For Gan-nosu。キハ47 9048)に乗り、長者原(Chojabaru)で篠栗線(Sasaguri Line)の快速博多行きワンマン電車(クハ817-1009)に乗り換え。

817系1000番台は初乗車。坐れなかったので、特に見分けはつかないものの、“福北ゆたか線”という路線愛称(鹿児島本線黒崎-折尾間と吉塚-博多間、筑豊本線折尾-桂川〔Keisen〕間、篠栗線全線)のところで運行。また、車内は運賃表、運賃箱、整理券発行機は稼動していないが、2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で、福北ゆたか線内は全ドア開閉のワンマン電車に改めたため、整理券の発行はなくなった。それだけ利用客が多いということで、実感をしているところだが、これを4両編成に増結できないものだろうか。

単線だが、特急〈かいおう〉の運転に備えてか、一線スルーの駅があり、快速博多行きワンマン電車も快走。

吉塚から鹿児島本線に入るが、青い883系のエル特急〈ソニック20号〉博多行きに抜かれ、追撃するも追いつくことはなく、終点博多9番のりばに1分遅れで到着した。

下車して、博多郵便局で旅行貯金。そのあと、福岡市交通局(福岡市営地下鉄)空港線の福岡空港行き(2号車モハ303-101:JR九州車)へ。

終点福岡空港で下車し、ヒコーキへ。早めに済ませないと乗れないので、腕時計とにらめっこしていたが、JAL3611便の那覇空港行きに乗り、2年ぶりの上陸する。

晩メシ後、沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線(通称、“ゆいレール”)の首里行き(1212:ワンマン)に乗り、宿泊地の美栄橋(Miebashi)まで乗る。

2年ぶりのゆいレールは心地よく、久しぶりに乗ったというような感じはしなかった。


2006年の汽車旅7-2 [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。



 JR西日本福山から福塩線の普通電車府中行きワンマン列車(クモハ105-31)に乗る。発車前には井原鉄道からの気動車が到着したが、レトロ調の車両、『夢やすらぎ』だった。



乗車している105系は非冷房で国鉄時代に入団したが、昭和59年(1984年)から冷房改造工事を受けている。

車端部の一角に冷房機があり、架線から給電している。そのため、一部の網棚は空調吹き出し口となっており、荷物を載せることはできない。また、扇風機もフル稼働しないと“涼”が保てない状態である。

横尾で105系体質改善車の普通電車福山行きワンマン列車と行き違うが、冷房機は車内から屋根に移動。冷房の快適性が向上しているだろう。

発車すると、高尾川と別れ、神辺(Kan-nabe)へ。しばらくは井原鉄道井原線と並走し、田舎道をゆく。速からず、遅からずのマイペースで進み、終点府中1番のりばに到着。電車専用の行き止まり式である。

一旦下車。府中の夏はやっぱり暑い。ちなみに車両基地ではなぜか和歌山線などで活躍する105系500番台がいた。方向幕に「福山」などあるはずがなく、カンバンで対応していた。

ホームに戻り、2番のりばから発車する普通列車三次行きワンマンカー(キハ120 6:ロングシート。トイレつき)へ。電車は「ワンマン列車」で、気動車は「ワンマンカー」とは面白いものだ。

車内は夏休みなのに通学なのか、地元の高校生が主体で、旅行者はわずか。そして、折り返し、普通電車福山行きワンマン列車が到着すると、乗り換え客が思ったほど多く、立客が発生した。

発車すると、架線が消え、停まるごとにお客は減り、備後矢野で立客は消えた。

上下というヘンな駅名で更に下車し、空席が多くなった。

梶田-備後安田間は20㎞/h制限があり、山の中を慎重に進む。大きな山場を抜けると、さっそうとした走りを見せる。

備後安田-吉舎(Kisa)間でも15㎞/h制限があるものの、はいあがるようにように進む。夏の稲は台風10号の影響か、一部はなぎ倒されていた。

塩町に到着し、福塩線全線完乗達成!! そして、普通列車府中行きワンマンカーと行き違い、ここから芸備線に入る。

神杉で普通列車備後西城行きワンマンカーと行き違い、終点三次2番のりばに到着。向かいの3番のりばでは1分しか接続しない普通列車広島行きワンマンカー(キハ120 323:セミクロスシート。トイレつき。志和口までワンマンカーも車掌乗務)に乗り換え。

西三次発車後、若者の車掌はきっぷを拝見!!

「御協力、ありがとうございます」

1両分の車内検札を終えると、車掌は脱帽して、協力のお礼をした。

車掌は最後部ではなく、先頭車の進行方向右側にあるドア開閉ボタンのそばに立っている。志和口までワンマンカーなので、ここは“ガマン”といったところなのだろう。

志和地で行き違い。てっきり、急行〈みよし〉かと思ったら、その車両を使った普通列車三次行きだった。

「発車しますよーっ!!」

車掌は行き違い停車を利用し、ホームで喫煙していた50代の男性を呼んでいた(少し、トーンをアップしたぐらいだが…)。

甲立(Kohtachi)で快速〈みよしライナー〉三次行きと行き違い、向原では停車中に虫が入り、右往左往。車掌が見事に追っ払う。そして、普通列車三次行きと行き違ったが、行き違った普通列車はすべてキハ47系(一部は体質改善車)。ボックスシート主体なので、できればそれに乗りたかった。

志和口で急行〈みよし6号〉(三次から普通列車)備後落合行きと行き違い、車掌はここから最後部へ移り、ドア扱いや車内放送を堂々と行なう。ちなみに運転士は「ワンマン」表示をそのまま続けていた。

下深川は停車時間が長く、普通列車狩留家行き(For Karuga)と快速〈通勤ライナー〉三次行きと行き違う。

安芸矢口から宅地が増え、広島までもうすぐのはずが、普通列車三次行きと行き違い。矢賀でも普通列車下深川行きと行き違った。

18時57分、終点広島9番のりばに到着。福山からのロングシート乗車に終止符を打った。特に苦痛とは感じなかったが…

一旦下車して、『Herat-in』で晩メシを購入し、1番のりばから発車する山陽本線の快速(岩国から普通電車)〈通勤ライナー〉新山口行き(クハ115-3016:体質改善車。弱冷車)に乗る。隣りの2番のりばには臨時快速〈瀬戸内マリンビュー4号〉の回送が止まっている。呉線は電化しているのに気動車というのはヘンだが、非電化区間の運用も視野に入れているのだろう。

広島発車時点では立客がいたものの、宮内串戸からは“1座席に1人”がほとんど。

下松-櫛ヶ浜(Kushigahama)間で、寝台特急〈はやぶさ・富士〉東京行きとすれ違うが、14系客車の並結運転になろうとは誰が想像していただろうか。客車に映る115系3000番台の方向幕は「新山口」となっていて、すっかり普通電車に化していた。

防府(Hohfu)で空席が見られるようになり、終点新山口へ。普通電車下関行き(クハ104-24:体質改善車。トイレつき)に乗り換えるが、105系とは意表をついた。

終点下関でJR九州の普通電車福間行き(クハ411-205:ロングシート改造車)に乗り換え。JR九州の415系鋼製車はすべてロングシートに改造されており、415系1500番台に歩調を合わせている。

23時16分、関門トンネルに入り、23時19分に九州へ上陸。すると、電流が直流から交流に変わり、あかりは一旦、消灯した。

門司から鹿児島本線に入り、小倉へ。ここで下車し、一夜を明かす。


2006年の汽車旅7-1 [汽車旅2006]



2006年8月19日(土曜日)、JR東日本品川8番線から、東海道本線の臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(6号車指定席モハ188-21)に乗る。今回は10両全車がリクライニングシートという、“当たり編成”だった。

発車すると、こんな放送が。

「最近、スリや置き引きといった被害が多発しております」

これはいつも流しているのだが、そんなに多いのだろうか? 置き引きと言っても、たいてい着替えしか入っていないので、盗む必要性はないように思う。たとえ盗んだとしても、若者が持ちそうなカバンの中身はオバサンの下着じゃバカバカしいでしょ(失礼しました)。ちなみに当方はスリの対策はちゃんとしているが、企業秘密なので、それは皆様の御想像にお任せしよう。

1つだけ教えられるのは防犯対策のため、消灯することはまずないということだけである。

8月20日(日曜日)、臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行きは突然、止まった。アクシデントが発生したようだが、なかなか放送が入ってこない。車内は6号車1番A・B席のレールファン2人組以外、静かである(男2人でそこまでしゃべりまくるか)。

ようやく、車掌から放送が入り、国府津(Kohzu)付近で線路内に人が立ち入ったという防護無線が流れていたとのこと。安全の確認をするため、しばらく止まっていたが、1時10分に運転再開。車掌は「保護しました」と言っているけど、れっきとした犯罪者だ。お客様ではない。

トイレへ行き、洗面台へ。臨時快速〈ムーンライトながら〉は各車両についているので、とても便利だが、せっけんが消えていた。品川入線時にはまだパッケージに入っていたままで、私が取り出して最初に使ったのだが、誰かが勝手に盗んだらしい。スリや置き引きに注意をうながす車掌の放送がよくわかるけど、せっけん泥棒に言いたいのは「ここはホテルじゃない!! せっけんぐらい自分で用意しろ」と怒鳴りつけたい。

小田原4番線に到着。線路内に人が立ち入った影響なのか、車内検札ははかどらない様子。

定刻より、10分遅れて小田原を発車したあとはSleep Time。ちなみに6号車1番A・B席のレールファン2人組はまだしゃべっていた。“人の迷惑かえりみず、やってきました電線音頭”という状態だが、どうも“のめり込み過ぎている人”の口調というものは、“秋葉原系”のような雰囲気がある。近寄りたくないと思う人の心境というものがわかる。

JR東海に入り、岐阜を発車すると、車内は後方に乗っているお客が次々と動き出した。終点大垣が近いことを物語り、普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行きに乗り継ぐためである。

終点大垣に到着し、普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(1号車クハ222-2073:弱冷車)に乗り換え。いつも、ひどい混雑に見舞われているが、今回は意外とゆったりしていた。しかし、米原で増結する車両を大垣に持ってくれば全員坐れただろう。青春18きっぷ期間中はフレキシブルに対応できないものか。

発車すると、進行方向左側に新入団選手、313系5000番台が2本留置していた。行先と種別表示はJR東海の“禁じ手”であったLED(フルカラー対応)を使ったことが特徴。もっとも、N700系試作車が最初の解禁車両であるが…

米原でJR西日本の新快速姫路方面播州赤穂行き(姫路まで11号車、姫路から7号車サハ223-2142:姫路から女性車掌乗務)に乗り換え。

「新快速電車、播州赤穂行き、発車いたしまーす」

と車内は車掌の放送でうるさい。221系が新快速という時代は車外スピーカーで案内していたが、JR西日本は意外にも新幹線とワンマン対応車を除き、自動放送装置は搭載されていない。東京地下鉄みたいに「ウーッ、扉が閉まります。御注意下さい。扉が閉まります。御注意下さい」といった車外ブザーをつけたほうがいい。

大阪で583系オール座席車の団体を発見し、先に発車。神戸から山陽本線に入り、加古川で221系の普通電車姫路行きと待ち合わせ。223系シリーズより、221系がお気に入りの私にとっては乗り換えたいが、ガマンする。

姫路で再び583系の団体と遭遇。ここで新快速姫路行きは1~4号車を切り離す。やるんであれば、姫路より車両基地のある網干のほうが効率がいいのではないかと思うが…

9時07分に発車。進行方向右側にはとっくに廃線になっているモノレールがよーく見える。今までは山陽新幹線新大阪方面のホームでしか見れなかった。また、在来線高架化に支障をきたす山陽電気鉄道本線は新線建設で対処。大がかりな工事であることがうかがえる。

300系の〈ひかり393号〉博多行きも発車し、高架を下りればのどかな景色。

新快速播州赤穂行きは相生2番のりばに到着。向かいの3番のりばから普通電車糸崎行き(モハ114-1153:体質改善車)に乗り換えるが、接続時間はわずか1分。しかも、3両編成というありさま。本来は新快速播州赤穂行きと同時発車だが、普通電車糸崎行きは1分遅れの9時31分、700系3000番台の〈こだま641号〉岡山行きと同時発車した。

余談だが、地元は日中の普通電車は姫路-相生間の運転がなくなり、新快速に変わったことに不満を持っている様子で、以前のような運転形態に戻して欲しいと願っている(姫路の高架化とカンケイしているのかどうかは知らないが…)。姫路-播州赤穂間の新快速は8両編成だったり、4両編成だったりとバラついており、できれば前者に統一してもらいたいところである。

三石からお客が乗り込むが、ほぼ同数が下車したため、乗車率は変わらない。以前の姫路始発時代のダイヤは4両編成だったから、改善する必要がある。特に青春18きっぷのシーズンになると混むのだから、増結する対策が必要だ。

車内のドア寄りでは喪服の熟年女性が足のむくれを防止するためなのか、乗車中は新聞を敷いて、ヒールを脱いで、その上に立っていた。大混雑だというのに、よくやれたものである。普通ならひんしゅくを買うだろう。

岡山7番のりばに到着し、向かいの8番のりばへまわり、快速〈サンライナー〉福山行き(クハ116-17:弱冷車。ワンマン運転)に乗り換え。ちなみに快速〈サンライナー〉の利用は平成10年(1998年)8月以来、8年ぶりとなる。

弱冷車のせいか、せんすで“仰げば尊し”する人もいたが、10時50分に発車すると、117系の性能をフルに発揮。笹岡で先ほど乗った普通電車糸崎行きに追いつき、追い越すものの、どうせならば起点の岡山と福山で接続したほうが快速〈サンライナー〉の速さをアピールでき、所要時間の短縮効果が大きいのではないだろうか。

余談だが、私が乗った10時50分発の快速〈サンライナー〉福山行き(ワンマン運転)は糸崎9時07分発の普通電車岡山行きとして、運行している。尾道の綺麗な瀬戸内海を眺めるには絶好の電車ではないかと思う。

終点福山で下車。福山城をめぐり、福山駅ローズ郵便局は日曜日も郵便窓口が営業していた。なので、ATMで入金して、局名印を押してもらい、日曜日では異例の旅行貯金ができた。


2006年の汽車旅6-後編- [汽車旅2006]

2006年8月6日(日曜日)、広島電鉄本線広島駅(M1)から、6号線江波行き(811:ワンマン)に乗る。小中学生や外国人観光客が多く、乗る前から長蛇の列だった。

 

物騒な機動隊のバスの赤色灯が、この日を物語り、原爆ドーム前(M10)に到着。大半のお客はここで下車した。

この日は原爆が投下されてから61年になり、平和記念公園を歩く。重々しい雰囲気で、戦争の悲しさや再発してはならない思い、モノの大切さを改めて刻み込む。

本線紙屋町西(M9)から、3号線広島港(宇品)行き(1901:ワンマン)に乗る。路面電車は元京都市交通局の車両で、昭和53年(1978年)に移籍した。Green Moverなどといったオシャレな雰囲気の現代エースから、ベテラン車両まで、幅広い車齢の路面電車が活躍及び共存するのが広島電鉄のよさである。

紙屋町西を発車すると、すぐに右折。宇品線に入り、本通で早くもお客の半分が入れ替わった。

終点広島港(宇品。U18)に到着し、宇品線全線完乗かと思いきや、紙屋町東-本通間は乗っておらず、乗車区間は残り1区間だけとなってしまった(これは帰京後に気づいた)。

広島港で広島お好み焼きを食べ、 5号線広島駅行き(808:ワンマン)へ。

皆実町六丁目(Minamimachi-6 Chome.U9)から皆実線(Minami Line)に入り、的場町(H3)に到着し、全線完乗達成!!

本線(M3)の2号線宮島口行き“Green Mover”(5005D:女性車掌乗務)に乗り換え、八丁堀(M7)へ。八丁堀は東京地下鉄日比谷線、JR東日本京葉線に同じ駅名があり、“江戸の特権”ではないことを物語る。

白島線(Hakushima Line.W1)の9号線白島行き(912:ワンマン)に乗り換え。この路線だけ、運賃は大人100円、子供50円(通常の“市内線”エリアは大人150円、子供80円)で乗れる。ちなみに私は広島駅で購入した1日乗車券(600円)を使用。

乗車車両は元大阪市交通局の車両で、昭和44年(1969年)に移籍した。移籍車両は今や路面電車が日本地図から消されたところからやって来た、“リストラ車両”だが、広島の地は水に合うようだ。

短時間で終点白島(W5)に到着し、全線完乗達成!! したまではよかったが、車内にデジカメを置き忘れるというヘマをしてしまった。

街を散策したあと、同じ車両の八丁堀行きに乗り、終点で本線(M7)の2号線宮島口行き“Green Mover”(5004D)に乗り換え、土橋(M13)へ。

ここで江波線の8号線江波行き(713:ワンマン)に乗り換え。舟入幸町(Funairi-Saiwaicho.E3)を出ると、次の舟入川口町(E4)では幼児の男2人と、おばあちゃんが下車するも、“お孫さん”2人は到着まで待ちきれない様子で、運転士とトークをしていた。通常、運転中はしてはいけない行為だが、運転士はイヤな顔をせず、笑顔で応えていた。

終点江波(E6)に到着し、江波線全線完乗達成!! 車両基地があるところで、バスも同じ。どうやら、江波は“交通休息地”のようである。

8号線横川駅行き(For Yokogawa Sta.914:ワンマン)に乗り、土橋-十日市町(M12)間から横川線に入る。

終点横川駅(Y5)に到着し、横川線全線完乗達成!! これで残り1区間以外、広島電鉄の路線はすべて乗ったことになる。

JR西日本山陽本線横川から、可部線からの普通電車広島行き(クモハ105-527:元103系)に乗り換えるが、トロトロしたスピードで、ずいぶん時間がかかった。ちなみに可部線105系は毎年12月10日から翌年の3月10日まで、ドアは手で開閉することになっている。

広島の暑い夏に別れを告げる時がやってきた。

山陽新幹線ホームにあがると、うだるような暑さに包まれている。広島から山陽新幹線を利用するのは昭和63年(1988年)5月以来、18年ぶりだが、在来線の改札を通らないことには行けないというのが難点だ。すでに自動改札が設置され、そのうち、在来線にも広がり、ICOCAも使えるようになるものの、関西地区とは共用できないという信じられないデメリットがある。ってことは広島でSuicaは使えないということか?

14番のりばでは私服を着た修学旅行の中学生たち(たぶん)が、700系の〈のぞみ36号〉東京行きに乗っていき、指定席はたちまち満席。私は山陽新幹線では“ノーマル”の700系に乗りたい気はなく、最初から乗車を見送っていた。

14番のりばの岡山方から100系シリーズの〈こだま658号〉新大阪行きが入線。それと同時に〈ひかり468号〉新大阪行き“レールスター”(7号車指定席725-7701:サルーンシート)が到着。山陽新幹線に乗るなら、東京直通の700系シリーズ〈のぞみ〉より、500系の〈のぞみ〉か700系7000番台のインテリジェントサルーン“ひかりRail Star”(〈ひかり〉“レールスター”と案内)がイイ。ちなみに画像は〈ひかり466号〉新大阪行き“レールスター”である。

余談だが、〈のぞみ36号〉東京行きと、〈ひかり468号〉新大阪行き“レールスター”の博多-広島間の所要時間は、どちらも70分である。後者のほうが“乗りドク”であることがおわかりでしょう。

インテリジェントサルーン“ひかりRail Star”はなんといっても、指定席がウリ。「サルーンシート」と呼ばれるオール2人掛け(自由席は2人掛けと3人掛け)が目玉で、ハシッコの席はパソコン用コンセントが備えられている。また、8号車の一部は4人用個室(防音対策なし)があり、4号車はサイレンスカーとして、車内放送が緊急と始発終点の場合を除き、カットされているが、この日は多客期とあり、その設定はなかった。

インテリジェントサルーン“ひかりRail Star”は2000年9月以来、2度目の乗車。いずれもウリの指定席サルーンシートに乗っているが、意外と広いことに驚かせる。グリーン車と遜色のない座席なのだから、山陽新幹線は300km/hの500系の〈のぞみ〉かインテリジェントサルーン“ひかりRail Star”しか乗る気がしない。100系シリーズの〈こだま〉にも乗ってみたいが、乗車する機会はあるのだろうか? また、この日、0系を見かけることはなかった。いよいよ、フォーエヴァーに向けてのカウントダウンが始まっていると見ていいだろう。

今まで、〈ひかり〉のチャイムは定番のアレを使っていたが、いつしか『いい日旅立ち・西へ』に変わっていた。聞いた時は戸惑ったが、インテリジェントサルーン“ひかりRail Star”に合っているような気がする。

疲労で、新大阪まで寝てしまったが、車内検札で起こされることはなかった。

終点新大阪20番線に到着し、JR東海の東海道新幹線25番線から発車する、臨時〈のぞみ316号〉東京行き(13号車指定席326-539:女性車掌も乗務)に乗り換え。乗り換え時間はわずか5分だが、指定席券の発券がよく、インテリジェントサルーン“ひかりRail Star”の7・8号車は16両編成の13号車に位置していたので、意外とスムーズに乗り換えられたが、まさか300系だとは思ってもみなかった。

17時49分に発車。さっきの〈ひかり468号〉“レールスター”とは違い、300系は歴代の新幹線電車では1番うるさい車両である。

300系は2007年からN700系量産車の投入にともない、廃車が始まる予定。東武鉄道100系“スペーシア”と同じ平成2年(1990年)に入団しているせいか、フェイスがなんとなく、似ている感じだ。

発車から3分もしないうちにベージュの制服を着た女性車掌が車内検札。よく似合っており、少々ダボダボ(ゆったりサイズ)のように思えるが、かわいらしさを演出しているのだろうか。暑い夏にベージュの衣装には清涼感がある。

東海道新幹線のハイライト的な存在の鳥飼の車両基地を過ぎ、車番をとる。500系以降、車内に車番の提示がなく、車体のみとなり、700系・800系は下2ケタ(あるいは1ケタ)が同じ番号なので、気にならない。500系はなんとかならないものだろうか(N700系の投入が完了したら、山陽新幹線専任の可能性がある)。

京都で観光客をドバーッと乗せて、たちまち満員になった。車内ではさっそく晩メシの弁当を食べるお客が続発しているが、新大阪発車時点、喫煙車はガラ空きの車両が多く、どうなったか?

余談だが、JR東海でもチャイムが変わり、『AMBITIOUS JAPAN!』になっていた。2004年以降、そのようになったようである。また、3人掛けの座席表示はA窓側、B中央、C通路側。2人掛けの座席表示はD通路側、E窓側となっている。

岐阜羽島付近で、進行方向左側には細長いソーラーアークが目を引き、京都-名古屋間だけの利用が多かったのは意外だった。

300系のサービスカウンターは700系シリーズ全盛の今、休業状態で、ワゴンサービスが主体になっているようだ。この日はビールが売れているようで、車販のお姉ちゃんがビール缶1ケースを重そうに抱えて14号車へ向かった。客室を去る時に小声で、「失礼しました」と言っていたが、そこまで気を遣われると、乗っているお客のほうが恐縮する。

19時29分、静岡を通過。いつもは373系の普通電車東京行きに乗るが、小さく見えた。青春18きっぷユーザーの利用率が高い人気便だが、これを快速〈アクティー〉にして、速達化を望みたいところだ。

名古屋からの怒涛の走りで、定刻通り、新横浜に到着。大量下車し、ここから先はスピードが落ちる。都会に入ったことを示すようなものだが、カーブが多く、周辺住民の騒音に配慮したのが正当な理由だ。

品川でも新横浜ほどではないが、降車客がいた。実は2003年10月1日に東海道新幹線ホームを新設後、上り便に乗るのは初めてで、新鮮な景色である。

20時26分、終点東京18番線に到着。JR東海からJR東日本にワープするが、微妙な“温度差”を感じた。 

◆お知らせ(追記)

2006年8月27日(日曜日)、当ブログへお越し下さるお客様の数は25,000人を突破いたしました。ありがとうございます。

今後は『2006年の汽車旅7』シリーズを掲載していきます。掲載まで、お時間を下さい。


2006年の汽車旅6-中編- [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

和歌山で和歌山電鐵貴志川線に乗り換え。9番のりばの乗り換え精算所で、青春18きっぷを提示し、乗車券を購入するが、係員のシャツはいちごのロゴししゅうがいくつかあり、新鮮味を感じる。

2006年4月1日(土曜日)に南海電気鉄道(次からは「南海」と略す)貴志川線から引き継ぎ、最低10年の運行が保証されているが、それ以後はお客の利用に託されている。キャッチフレーズは「乗って残そう貴志川線」から「もっと、ずっと、貴志川線」に変わり、変わらぬ路線の御愛顧を願っている。

 

風鈴の涼やかな音色が夏を彩り、貴志行きワンマンカー(2703)は9時43分に発車。いきなり、“紀州の民謡か?”と思わせるようなメロディーが流れるが、そのあとは南海時代と変わらない。

車内も南海時代と変わらないものの、和歌山駅の券売機はすべてJR西日本式であるせいか、 乗車券の買い間違いが目立っているらしい(つまり、和歌山電鐵ではなく、JR西日本の乗車券を買ってしまうこと)。1つだけでいいから、専用の券売機が欲しいところで、なおかつ、1日乗車券の販売も検討して欲しいところだ。車内に『貴志川線沿線ガイド』という広告もついたのだし、気軽に下車できる1日乗車券は必要不可欠のように思う(500円が妥当な販売額であろう)。

日前宮、伊太祈曽(Idakiso)の行き違いは変わらず、ダイヤと運賃も変わらない。次は伊太祈曽と終点貴志にメロディーがついた以外は変わりなく、10時14分、終点貴志に到着し、和歌山電鐵貴志川線全線完乗を達成したが、無人駅に降格し、回数券は駅舎内の小山商店に任されていた。また、すべての駅名盤は南海時代と変わらず、まだまだ“南海色”が濃く、“和歌山電鐵カラー”になるのは、これからになるのだろう。

気になったのは雑草が多いこと。ローカル線では絵になるとは言え、手入れはしてもらいたいものである。

利用客からは増発やJR西日本(阪和線、紀勢本線、奈良線)の接続利便性強化を願っており、9月中にダイヤ改正をするそうだ。JR西日本も車内精算の強化をはかり、和歌山電鐵の乗車券を販売したり、ICOCAの共通利用も視野に入れて欲しいところ。

ほかに多い要望として、JR西日本紀勢本線和歌山市への相互直通運転がある。

レールファン的には元南海と現役南海の車両が和歌山市で顔を合わせるという楽しみもあろうが、隣りの7・8番のりばから普通電車和歌山市行きワンマンカーが発着しているため、できればレールをつないで欲しいのだ。しかし、南海時代に2070系を投入しても、直流600ボルトから1,500ボルトに昇圧されなかったので、まずは電圧をJR西日本に合わせない限り、実現はしないだろう。また、和歌山での和歌山電鐵貴志川線は9番のりばを使用しているが、紀勢本線との相互直通運転が実現した場合、不要になる可能性も出てくる。ホームの管理問題も浮上してくるに違いない。ほかに貴志のホーム増設も検討して欲しい。ムリであれば甘露寺前(Kanrojimae)でもできると思う。

なお、利用客のアンケート結果については、こちらにクリックして下さい。

11時50分発の和歌山行きワンマンカー(2273:女性運転士乗務)に乗り、和歌山電鐵本社のある伊太祈曽で下車。車庫ではついに『いちご電車』がベールを脱いでいた。

 

翌日の2006年8月6日(日曜日)に、伊太祈曽駅と伊太祈曽神社で『第1回貴志川線まつり』が行なわれ、電車の窓にも掲示して、沿線住民やレールファンの参加を呼びかけていたが、私は都合で行けず、乗れないだろうと思っていた。しかし、奇跡的にも“オープン戦”をやっていたので、のぞいてみたい。

この日は土足厳禁となっており、備えつけのスリッパで車内に入ってみるが、衝撃的だ。綺麗で、さすがはデザインで名の知れた水戸岡鋭治氏(Mr.Eiji Mito-oka)のワールドが満載!! 2271を1号車、2701を2号車としている。

JR九州や岡山電気軌道のノウハウを生かし、車内は木目調だが、ドアは赤、整理券発行機と運賃箱を朱色にしたのは印象に残る。また、吊り革も木製で、背の小さい人でもつかまれるようになっており、優しさも感じる(あとで2070系はもともとそうだったことに気づいたが…)。

ロングシートも簡素なガラから温かみのあるいちごがついて、“ワクワク感”があり、九州新幹線<つばめ>800系でおなじみのすだれ日除けは“和を感じ、利用客との輪をつなぐ”という感じだろう。

車端部の1号車は座席、2号車もそうだが、販売カウンターもついている。車内販売用のワゴンもあるものの、「車内の飲食はほかのお客様の御迷惑となりますので、御遠慮下さい」と案内しているので、矛盾しているが、イベント用に使う可能性があるということだろう。また、販売カウンターの上には10口以上の募金をした方のお名前や会社名が刻み込まれている(9口以下は和歌山でお名前や会社名が刻まれているという)。

なお、『いちご電車』の改造工事は2006年6月27日(火曜日)から8月3日(木曜日)まで自社の工場(伊太祈曽)で行ない、8月6日(日曜日)15時20分発の臨時和歌山行きワンマンカー(伊太祈曽始発)にてデビューした(女性運転士が乗務していたとか)。今度、利用する時はぜひ、『いちご電車』に乗りたいものである。

伊太祈曽止まりの電車が到着。私が先ほど乗った車両だが、車庫へ入る方法は一旦、本線へ少し進んだあと、進行方向を変えて、和歌山行きホームへ。駅員が手動でレバーを作動して、また進行方向を変えて車庫へ入る仕組みとなっている。

和歌山行きワンマンカー(2275)に乗り、終点和歌山で下車。和歌山ラーメンに舌づつみをしたあと、JR西日本阪和線の快速天王寺行き(4号車クモハ221-23)へ。

阪和線の往路はクハ222-2502のガラスが鳥のフンを浴びていて、みっともない姿だったが、こちらは綺麗に手入れが行き届いており、気持ちいい。そのせいか、六十谷(Musota)-天王寺間はほとんどお昼寝をしていた。

終点天王寺で大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線(M23)の新大阪行き(2号車1520)に乗り換え。

始発のせいか、10号車以外はすべて空席。御堂筋線でラクチンに坐れるのは珍しい気がするも、なんば(M20)-梅田(M14)間は“いつも通り”のにぎわいぶりだった。特にこの日、みなと神戸花火大会があるカンケイか、浴衣姿のお姉ちゃんが多かった。

中津(M15)を出ると、地上へ。淀川を新御堂筋という道路といっしょに渡る光景は圧巻!!

終点新大阪(M13)に到着。JR西日本のコンビニで水分補給をしたあと、JR西日本東海道本線の新快速姫路行き(7号車サハ223-2111)に乗り換え。 

車内は花火大会の影響で、混み合っていたが、2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で、大阪停車時間は2分に拡大したものの、それでもドアの再開閉が多かった。

西宮-芦屋間では新駅設置工事が行なわれ、駅名は「新芦屋」になるのかどうかは定かではないが、芦屋で201系の各駅停車西明石行きに接続。新駅設置により、快速のスピードに足を引っ張ることになるため、321系が入団し、201系・205系は“走りなれた路線”を去らなくてはならなくなったのである。

神戸から山陽本線に入り、終点姫路で下車。山陽本線だけ高架化されてからは初の利用だが、山陽新幹線側の出口を出てしまい、右往左往。いつも出ている改札に軌道修正できたが、階段の登り下りは迷路のようだった。

水分を補給し、再び電車に乗るが、姫路の高架化は山陽本線のみのため、迷路状態。当分のあいだは不便がしいられ、今まで5分前までに着けばよかったものが、10分前に着かないと、間に合わなそうな感じである。

普通電車三原行き(クハ115-1082:弱冷車。体質改善車)へ。思いのほか、兵庫県内でガラ空きになることはなく、KIRINビール岡山工場のネオンを見て、万富で下車。向かいのホームにはエル特急<やくも25号>出雲市行きの回送が止まっていた。

 

万富でコンビニの晩メシを購入し、普通電車糸崎行き(クモハ115-1501:体質改善車。岡山から女性車掌乗務)に乗り、終点で普通電車広島行き(クハ115-3119:体質改善車)に乗り換え。中間車2両は元117系だが、これも体質改善工事を受けたものの、転換クロスシートがロングシートに化けるところが多く、ブッたまげた。

終点広島に到着し、下車。広島電鉄本線[広島駅電停(M1)]ではGreenmover Maxが止まっていた。乗りたかったけど、今回の汽車旅では乗ることはなかった。


2006年の汽車旅6-前編- [汽車旅2006]

2006年8月4日(金曜日)、JR東日本品川から東海道本線の快速<ムーンライトながら91号>大垣行き(3号車指定席モハ189-34:簡易リクライニングシート)で旅立ち。いつもは7番線から発車するのだが、今回は8番線になっていた。9番線以降の電車が間近で見られるので、いつもと違う車窓で気分がいい。

E217系の普通電車小田原行き、快速<ムーンライトながら>大垣行きが発車したあと、臨時快速<ムーンライトながら91号>大垣行きが発車したが、3分遅れの23時58分だった。

2006年8月5日(土曜日)となり、車内検札はSuicaのまま乗り込んだ青春18きっぷユーザーが多く、車掌は駅で処理してもらうよう、案内する。当方もSuicaを持っているが、ちゃんと券売機で横浜までの乗車券を購入している。Suicaはオレンジカードの機能もあることを知る人々は少ないようだ。

1時12分、小田原5番線に到着。

「本日に限りまして、小田原止まりの電車と接続いたします。発車まで、しばらくお待ち下さい」

1時14分、向かいの4番線からE217系回送が国府津車両センター(Kohzu Car Center)へ引き上げ、1時29分、定刻より8分遅れて東京発の終電となるE231系の普通電車が到着し、乗り換え客はわずかだが、いた。そして、定刻より20分遅れの1時30分に発車。JR東海エリアの停車時間が長いからできるワザである。

余談だが、小田原では発車メロディーを鳴らさなかった。これは大いにほめたい。

熱海からJR東海に入り、尾張一宮を発車した頃に目覚め、デッキの洗面台へ直行。指定席券を持っていない不届き者が多く、373系はデッキと客室の仕切りドアがないから、もっと不愉快になっていただろう。

終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(1号車クハ222-2087:弱冷車。米原まで女性運転士乗務)に乗り換え。

女性運転士は“なりたて”らしく、男性のベテラン添乗員がついていた。停車中に色々とアドバイスをした模様。

醒ヶ井ではセミの声が鳴り響き、半自動ドア扱いの米原到着目前には名古屋を6時16分に発車した700系の<のぞみ59号>博多行きサァーッと抜かれる。

米原でJR西日本の新快速姫路方面播州赤穂行き(11号車サハ223-2160)に乗り換え。野洲で381系を見かけるのはいつも通りだが、草津で283系に遭遇するのは意外だった。

膳所(Zeze)で221系の普通電車(京都-明石間は快速)姫路方面網干行きを抜くも、大津で追いつかれ、山科に着く頃には抜かれるという苦しい展開も、京都はほぼ同時に到着。221系はここから明石まで快速となる。

京都を発車して、しばらくデットヒートとなるが、その後は新快速姫路方面播州赤穂行きの圧勝!!

大阪で、大阪環状線2番のりばから発車する各駅停車天王寺行き(2号車サハ221-31:弱冷車)に乗り換え。大阪環状線は103系から201系へのChangeが進んでいるも、221系に足が向く。

終点天王寺で阪和線に乗り換え。4番のりばには東海道本線・山陽本線の各駅停車から阪和線にコンバートされた205系が快速日根野行きとして、スタンバッているものの、2番のりばの関空快速関西空港行き&紀州路快速和歌山行きへ。

日根野までは関空快速関西空港行き(1号車クハ222-2502:弱冷車。女性運転士乗務)へ。

南海電気鉄道高野線乗り換え駅の三国ヶ丘で降りるお客が多く、上野芝では臨時快速<きのくにシーサイド1号>白浜行きを抜くが、電化区間にディーゼル機関車を牽引するのは疑問で、どうして電気機関車を用意することができないのだろうか?

鳳(Ohtori)発車後、女性運転士は進行方向左側の沿道で手を振る、おじいちゃんと男のお孫さんに手を振り返し、北信太(Kita-Shinoda)-信太山(Shinodayama)間では体質改善車、湘南色、広島色、阪和色の“レインボースパーク113”と言いたくなるほど強烈な快速天王寺行きとすれ違った。

日根野で編成を切り離し、紀州路快速和歌山行き(6号車クハ222-1:弱冷車)へ移動。発車後、ホームで手を振る男の幼児たちにベテランの男性運転士は手を振って、ファンサービス。

“本家”の223系はデジタル速度計が採用されており、見ごたえはあるものの、普及しなかった。レールファンやそうでなくとも、スピードのデジタル表示に心躍るはずだが、キメの細かさは指針式のほうがイイという。

六十谷(Musota)を発車し、紀ノ川を渡るが、鉄橋の架け替え工事をしていた。進行方向左側には黒い新鉄橋が建っており、半年以内(2007年2月まで)には切り替えていることだろう。

紀州路快速は終点和歌山に到着した。


2006年の汽車旅5-後編- [汽車旅2006]

2006年4月9日(日曜日)、名古屋駅に入ると、6時20分頃、大府-共和間で踏切事故(クルマと電車が接触)が発生し、ダイヤが大幅に乱れているため、名古屋鉄道(次からは「名鉄」と略す)で振替輸送しているとのこと。

名古屋駅広小路口にまわり、JR東海の駅係員に念を押したところ、青春18きっぷでも振替輸送ができることがハッキリわかると、さっそく振替乗車票をもらった。

青春18きっぷに日付印を押してもらい、ホームのきしめんで朝食。373系3両編成の〈ホームライナー豊橋32号〉豊橋行きは混乱モノで、乗車整理券のいらない快速扱いから各駅停車に変更するなど二転三転。おまけにお客はガラガラ。

名鉄名古屋本線[名鉄名古屋駅]へ。接客のソフトさに驚いたが、ホームのミューチケット券売機で8時19分発の快速特急豊橋行き『パノラマSuper』(1号車特別車1116:女性車掌乗務)をGET!! しかも1号車1A番!! 最前列!! 小田急ロマンスカーじゃ当日の発車直前に展望席がとれることは基本的にないから、あっラッキー、ラッキー、ラッキィーッ!!

最前列は見晴らしはいいけど、ガラスが汚れているのは残念。

リクライニングは深くはないものの、長時間乗るワケじゃないから、まぁーいい。

いつもは青春18きっぷの効力を優先しているが、すごく新鮮な気分。アップダウンの勾配や山間部に入り、東名高速と並走するシーンもあり、また乗ってみたい。

男性の車掌が現れ、ミューチケットを回収。きっぷの“記念物”は名鉄では不可能(2006年3月7日掲載の『2006年の汽車旅4-最終回-』参照)で、JR東海のほうが融通は効く。

JR東海飯田線に合流し、名鉄が管理していない途中駅はすべて通過し、終点豊橋3番線に到着。

3番線は名鉄専用ホームなのに駅名盤はJR東海とは理解できないが、JR東海東海道本線のダイヤは「車両が用意できませんので…」とかで乱れは相変わらずの模様。そのせいか、折り返しの特急中部国際空港行き『パノラマSuper』は一般車を中心に盛況していた。

豊橋鉄道渥美線[新豊橋駅]の三河田原行き(1805)に乗り換え。

終点三河田原に到着し、豊橋鉄道完全制覇を達成!! そのあとは豊鉄バス伊良湖本線明神前経由伊良湖岬行きへ。ちなみに起点は1つ手前の渥美病院である。

10時31分に発車し、国道259号線では無数のマウンテンバイクに遭遇。 国道42号線に合流し、あとを託したら、たちまち終点伊良湖岬に到着。11時30分近くのことだった。

道の駅伊良湖クリスタルポルト1階にあり、この日はタダで入れた『やしの実博物館』ではちゃっかり、豊橋鉄道の東田本線(通称、“市内電車”)の名鉄から移籍した低床車両をアピール!! 恋路ケ浜を歩き、伊良湖岬名物らしい大あさり(2個400円)を道の駅伊良湖クリスタルポルトの食堂で食べたが、ウマイ!! うっかり八兵衛に教えら、さぞ大喜びして、早足になるだろう。

伊良湖岬14時05分発の豊鉄バス伊良湖本線明神前経由渥美病院行きに乗り、田原駅前で豊橋鉄道渥美線[三河田原駅]の新豊橋行き(2802)に乗り換え、終点で下車。

JR東海豊橋駅に直行したら、東海道本線のダイヤはほぼ正常に戻っていた。

この日初のJR利用は豊橋16時55分発の普通電車静岡行き(クモハ113-2016:リニューアル車)で、ここからは“帰京の方程式”となる。ちなみに17時04分発(平日は17時03分発)の新快速米原行きは117系シリーズ続投。

新居町(Arai-machi)で“競艇オヤジ”が大量に押し寄せ、7両編成の“威力”を発揮!! また、浜松ではJR東日本の特急車、先頭車が189系、中間車が183系1000番台が入線してきた。なにかの団体輸送だろうか?

終点静岡で下車し、晩メシを購入後、19時33分発になった373系の普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-14:中間車扱い)へ。

以前は「366M」という“代名詞”で親しまれたが、いつのまにか列車番号は338Mになった。また、JR東日本E231系近郊形タイプの進出により、JR東海113系シリーズの付属編成が撤退した影響なのか、東京-静岡間の普通電車は373系だけになった。

老練のハイキング軍団が押し寄せ、しょっぱなから満席。東京直通とは知らなかった人も見受けられたが、特急車両使用と相まって、「便利ねぇー」と太鼓判!!

函南からの長いトンネルを抜けると、ゲーッ、JR東日本E217系東海道本線用に遭遇!! 見慣れるまでに時間がかかりそう。ちなみに三島から私の隣りに坐っている50代のサラリーマンはvodafoneのセンターボタンに阪神タイガースのロゴマークを貼っていた。

熱海からJR東日本に入り、終点東京を目指すものの、ここんところ続いていた373系の普通電車東京行きの女性車掌乗務はなかった。

今回はJRが“ワキ役”のようなカタチになったが、今後も乗っていない路線がある限り、汽車旅はまだまだ続く。


2006年の汽車旅5-中編- [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

大阪市交通局(大阪市営地下鉄)中央線コスモスクエア(C10)から13時31分発の中央線“ゆめはんな”学研奈良登美ケ丘行き(1号車7608:近畿日本鉄道車。長田からワンマン運転)へ。

次の大阪港(C11)まで、大阪港トランスポートシステム南港・港区連絡線(テクノポート線)から大阪市交通局の路線になったため、1区間乗り直し、中央線全線完乗達成!! これにより、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)の未乗車区間は未開業の地下鉄8号線だけとなった。

日中は生駒行きと学研奈良登美ケ丘行きの交互運行で、大阪市交通局は谷町線20系と中央線24系(全車ではなかった)及び大阪港トランスポートシステム車をトレード。近畿日本鉄道(次からは「近鉄」と略す)は7020系入団と7000系のリニューアルに加え、球団をオリックスバファローズに合併させ、けいはんな線の開業に備えた(今のは“ブラックジョーク”つきですよ。わかりますか?)。

7000系のリニューアルは7020系に合わせたが、タイフォンがクルマの警笛なみに違和感を持つ。また、ドアチャイムは御堂筋線10系リニューアル車に合わせた。

長田(C23)から近鉄けいはんな線“ゆめはんな”へ。かつて、生駒までは東大阪線だったが、けいはんな線開業と共に改称。ワンマン運転となり、ホームには感知機を設置していた。

新石切でガラガラとなり、発車すると、トンネルへ。昭和の時代、火災事故が発生したところで、それ以来、鉄道トンネルの火災事故は起こっていないし、起きて欲しくもない。

無事に抜けて、生駒(C27)へ。

ここから正真正銘の新線で、第3軌乗にしてはメチャクチャ速いものの、車内は空席が多いのが残念なところ。

山岳部を快走し、わりと広い留置線に7000系1本がポツンと止まっているところを見届けたら、終点学研奈良登美ケ丘(C30)に到着し、全線完乗達成!! ちなみに自動放送では「この電車は次のxまでです」と案内し、「終点」というフレーズはめったに使わないようだ。また、プラットホームの案内はJR西日本・JR四国・JR九州と同様に「y番のりば」としている(JR北海道は到着を「ホーム」、発車を「のりば」と案内している)。

 

コスモスクエア行き(6号車7101:長田までワンマン運転)に乗り、生駒(C27)で下車。徒歩数分のところにある生駒鋼索線[鳥居前駅]、15時40分発の宝山寺行き“ミケ”(12:ワンマン運転)に乗り、複線なのに単線並列で、踏切つき。おまけに終点宝山寺で生駒山上行き“ドレミ”(15:ワンマン運転)に乗り換え。なんと線路はつながっていないのだ。

終点生駒山上に到着したが、駅を出たら、スカイタウンいこまという遊園地へ。どおりでケーブルカーは“お子さま向けのメルヘンチック”なワケだ。ちなみに車両は半自動ドアもできる。

16時39分発の宝山寺行き“ドレミ”(15:ワンマン運転)に乗り、終点で鳥居前行き“ブル”(11:ワンマン運転)に乗り換え、生駒山を下山。

生駒駅は架線と第3軌乗は別改札方式で、“気まぐれ”ができない難点があるが、私は始発のコスモスクエア行き(6号車2637:大阪市交通局車。長田までワンマン運転)へ。

長田から大阪市交通局中央線へ入り、本町(C16)で御堂筋線(M18)の中津行き(10号車1126)に乗り換え、梅田(M16)で下車。

大阪駅付近の高架下にある吉野家で晩メシ。そのあと、大阪へ。下りは17時50分頃に東海道本線西大路駅で人が線路に立ち入り、安全を確認したため、15~20分遅れ。上りは支障なし。

10番のりばに583系団体が京都総合運転所に向けて、発車したあと、18時53分発、東海道本線の快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行き(12号車クモハ221-11:米原から4号車。1990年ローレル賞プレートつき)へ。

膳所-草津間はなぜか複々線外側に走っている223系2000番台の普通電車柘植行きと“シーソーゲーム”を繰り広げ、そのうち私が乗っている普通電車米原方面大垣行きが大きくリードして、日頃、追い抜かれているウップンを晴らしたことになる?!

米原で乗務員はJR東海にチェンジし、終点大垣で区間快速豊橋行き(クハ312-21)に乗り換え。

穂積で373系6両編成の〈ホームライナー大垣31号〉大垣行きとすれ違い、西岐阜-尾張一宮間は先行の普通電車岡崎行きが遅れていたため、ノロノロ運転。ちなみにダイヤ通り、名古屋で接続した。

名古屋で下車するが、春とは思えぬ寒さだった。


2006年の汽車旅5-前編- [汽車旅2006]

2006年4月7日(金曜日)、JR東日本東京で、東海道本線185系の〈湘南ライナー17号〉小田原行きで、「へぇー」という光景を目にした。

それは乗車前にグリーン券を拝見するが、185系はグリーン車Suicaシステムがついておらず、どう対応しているのか気になっていた。

そしたら、係員が小型の判別機でお客のSuicaを借りて、タッチして確認後、御返却。ちなみに磁気券利用客はほとんどいなかった。これならば、“Suicaキセル”もシャットアウト!!

ホーム後方では発車1分前のライナー券発売締切が原因なのか、2人組サラリーマンの1人がプロ野球監督さながらの猛抗議。しかし、〈湘南ライナー17号〉小田原行きは定刻通りに発車し、2人組はE231系近郊形タイプの普通電車小田原行きに乗った。同じグリーン車でも居住性は185系に軍配があがるだろう。

快速〈ムーンライトながら〉大垣行き(1号車指定席クハ372-2:名古屋から自由席)はいつもの“他線の遅れによる接続待ち”により、2分遅れの23時45分に発車。

車内では外人メンズ3人組がデッキにつっ立っており、指定席券を持っていない。

「オールリザーブ、デッキ!!」

50代の車掌は注意した。私はスリと置き引きにあわないよう、警戒するのみ。

大井町を通過すると突然、失速。横須賀線から防護無線が受信され、東海道本線の運転に支障はないものの、蒲田を通過するまで、25㎞/h制限をしているうちに2006年4月8日(土曜日)となった。

小田原で小田急電鉄小田原線も遅れているため、接続待ちでしばらく停車。他社の遅れで待ってくれる“お慈悲、お情け”に感銘を受けた。何人乗ったのかはわからないが…

終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)神戸方面加古川行き(1号車クハ221-7:弱冷車)に乗り換えるも1990年ローレル賞受賞のプレートははがれていた。

余談だが、愛知県、岐阜県の桜は東京都とは違い、葉桜はまったくなかった。

米原からJR西日本となるが、なっ、なっ、なんと女性運転士が乗務!! JR西日本もついに女性運転士が登場した。そして、車掌も女性。221系にピッタリ!!(できれば乗りたかった…)

今後は“女性乗務員コンビ”が増えるだろう。また、2番のりばの前ではホーム設置工事が行なわれており、かなり短いため、近江鉄道がここに移設し、乗り換えの利便性を向上するものと思われる。私の予想では2006年秋、北陸本線長浜-敦賀間の直流電化Changeに合わせるだろう。

新快速姫路方面網干行き(1号車クハ222-2082:弱冷車)に乗り換え。窓の開けかたがわからないお客が多いようで、ステッカーをつけていた。

大阪で下車。コインロッカーに荷物を入れて、身軽なザック姿となり、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線[梅田駅(M16)]へ。

券売機でスルッとKANSAIのRainbow Card1,000円券を購入し、天王寺行き(1号車1826)に乗り、大国町(M21)で四つ橋線(Y16)の住之江公園行き(2号車23214)に乗り換え。ちなみに起点の西梅田(Y11)から乗らなかったのは私のこだわり。

終点住之江公園(Y21)でニュートラム南港ポートタウン線(P18)のコスモスクエア行き(4号車101-19)に乗り換え、最前列GET!!

 

大阪南港フェリーターミナル最寄り駅のフェリーターミナル(P13)を通るが、海は「綺麗」と言うにはほど遠い色である。

中ふ頭(P11)からは大阪港トランスポートシステム南港・港区連絡線(ニュートラムテクノポート線)から大阪市交通局の路線になったため、コスモスクエア(P09)まで乗り直し、全線完乗達成!!

下車すると、“臨海副都心Ohsaka Version”という期待を持たせるも、人はチラホラ程度。海風は強く、冷たい。


2006年の汽車旅4-最終回 [汽車旅2006]

2006年3月5日(日曜日)、JR西日本東海道本線の三ノ宮から6時56分発の快速(京都から普通電車)京都方面米原行き(11号車モハ221-62)へ。ちなみに1~6号車は221系トップナンバー車で、終点米原で車番チェック時に気づいた。

吹田工場ではJR東日本から移籍したクハ103-828など(広島カラー)がいて、ビックリ!! JR西日本では珍しい高運転台の103系である。

終点米原でエル特急〈(ワイドビュー)ひだ23号〉高山行きを見送り、JR東海の普通電車大垣行き(モハ210-5039:ロングシート)に乗り換え。珍しく、6両編成で余裕で坐れた。

終点大垣で快速豊橋行き(クモハ313-8)、岐阜で普通電車豊橋行き(クモハ211-5017:ロングシート)に乗り換え、木曽川で下車。

本能寺の変まで見る予定の大河ドラマ、『功名が辻』で、山内一豊生誕の地のカンバンを「2006年の汽車旅4-1(2006年3月3日掲載)」でお伝えしたが、興味本位で下車した。

ところが、それにまつわるところはなく、更に電柱等の番地表示でも愛知県木曽川町と一宮市がごちゃまぜ。

2005年4月1日(金曜日)に一宮市は尾西市、木曽川町を吸収。進んでいるのは行政の盛り上がり話だけみたい。

地図で名古屋鉄道尾西線(Bisai Line)の玉ノ井駅があることを知り、歩くが、もう少しで道を誤るところだった(意外と歩きました)。

玉ノ井は山内一豊、生誕の地の最寄り駅で、下調べをしていないとはいえ、JR東海に一杯くわされた?! ちなみに北陸本線の長浜も“ゆかりの地”らしい。

玉ノ井は無人駅で、乗車券は八百広商店という委託販売所で購入しなければならず、車掌が乗務しているのに巡回しないのも疑問。ちなみにきっぷは硬券。

普通名鉄一宮行き(6046)は方向幕がインプットされておらず、プレートで代用し、終点へ。 同一ホームで前方に止まっている普通津島行きに接続をとっているが、私は降りる。

硬券なので、係員に無効印を押してもらうようお願いしたら、規則でNO!!

 

JR東海東海道本線[尾張一宮駅]の普通電車岡崎行き(クハ311-13)に乗り換え、名古屋できしめん昼食。そのあとは新快速浜松行き(クハ312-17)に乗って豊橋へ。

豊橋鉄道http://toyotetsu.comの路面電車、東田本線[駅前電停]、運動公園前行き(3202)に乗り換え。ちなみに大人150円、子供80円の均一料金による前払い。また、駅前電停には券売機もある。

「担当乗務員はxです」

運転士の自己紹介をするとは驚いた。路面電車では初めて聞いた。

交通量の多い道路は街路灯に見立てた架線で景観をよくしているが、そうでないところは電線だらけ。“ベンジャミン伊東”と“小松の親分さん”は喜んで音頭を踊り、子供は正月のたこあげができない。

「やんねぇーよ!!」

と爆笑問題の田中裕二はツッコムだろう。

井原で分岐し、終点運動公園前に到着。当たり前のことだが、下車。もう1つの終点赤岩口へは歩く。

赤岩口は車両基地があり、レールファンも見られた。また、車両は名古屋鉄道から移籍した電車が主流になっており、2006年は3両が老朽廃車するようだ。

余談だが、競輪場前には2両だけ入る留置線がある。

駅前行き(3203)に乗り、井原で東田本線全線完乗達成!!

終点駅前で、JR東海東海道本線[豊橋駅]の普通電車静岡行き(モハ112-2048:リニューアル車。浜松から女性車掌乗務)に乗り換え。ちなみに豊橋17時04分発(休日ダイヤ)の新快速米原行きは117系シリーズで運行している。

終点静岡で下車し、晩メシ調達後はいつもの普通電車東京行き(8号車自由席サハ373-9:熱海まで女性車掌乗務)へ。

車内は冷房なのか、冷たい風が車内に降り注いでいるのが気になったが、JR東日本エリアに入ったら、やんだ。

余談だが、JR東海エリアでは6回連続、私が乗る373系の普通電車東京行きに女性車掌が乗務していることが判明した。汽車旅の乗車記録はマメにやっておくもの?!

初のインターネットカフェ連泊が影響したのか、終点東京到着に気づかず、ウトウト。駅員や男性清掃員に起こされてしまった(そんなに深い眠りだったのかなぁー?)。まさに不覚の幕切れである。


2006年の汽車旅4-4 [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

前回、伯備線に乗った時は居眠りに費やしてしまったが、今回は車窓を眺めることができた(2005年11月26日掲載の『2005年の汽車旅4-2』参照)。

総社で吉備線気動車2両編成のうちの1両は加古川線カラーにビックリ!!

そういえば、吉備線は路面電車化構想がウワサされていたが、進展はなさそう。

倉敷で下車し、マクドナルドで期間限定のエスプレッソーネ(Mサイズ200円)を購入。まだ飲んでいなかったから買っただけ…

山陽本線・赤穂線の普通電車播州赤穂行き(クハ115-1220:弱冷車。体質改善車)に乗り、岡山の車両基地でブルーの103系を見かけ、岡山で転換クロスシートGET!!

備前片上で普通電車広島行きと行き違うが、4両編成のうち、体質改善車はモハだけで、カラーを広島風にした車両があった(クハはカモフラージュ車)。

終点播州赤穂で相生から山陽本線、神戸から東海道本線に入る新快速米原行き(7号車サハ223-2096:姫路-京都間は女性車掌乗務に乗り換え。

米原行きは快速だと「京都方面」と案内し、新快速は省略しているので、どちらかに統一したほうがいい。

大阪で下車。晩メシをとったあと、21時48分発、東海道本線の各駅停車西明石行き(1号車クモハ320-10:弱冷車。女性車掌乗務)へ。

253系によく似ている321系は初乗車。注目の液晶テレビはJR東日本E231系500番台より大きく、見やすい。これで巨人戦をやってくれるといいのだが…

客室の乗務員ドアは221系に比べ、硬いデザインや通り抜けのドアもなんか冷たさがある印象を受ける。

ロングシートのかけ心地はいいが、バケットシートの着席区分がハッキリしていないため、6人掛けを5人掛けにしてしまうのが難点。

三ノ宮で下車し、インターネットカフェに泊まる。ちなみにインターネットカフェの連泊は初めてである。


2006年の汽車旅4-3 [汽車旅2006]

2006年3月4日(土曜日)、JR西日本広島へ。

「おはようございます」

「おはようございます」

「(青春18きっぷの)2日目ですね?」

「ハイ」

「ありがとうございます。いってらっしゃいませ」

という女性係員とのやりとりでスタートし、7時55分発、芸備線の各駅停車三次行き(キハ47 190:志和口からワンマンカー。体質改善車)へ。

早々と山間部に入るが、通じそうに思えないド田舎でもFOMAは通じることに「へぇー」と言いたくなる。

上三田でFOMA圏外(実はまだ広島市だった)となり、志和口で急行〈みよし1号〉広島行きと行き違い。ちなみに私がJRの急行で乗ったのは〈東海〉〈能登路〉〈はまなす〉〈きたぐに〉だけ。

志和地で快速〈みよしライナー〉広島行き(通過)の行き違いをするが、運転士は3分停車中に乗り換えの御案内。トイレのない車両に乗り換える可能性があることも加えた。

終点三次で普通列車備後落合行きワンマンカー(キハ120 325)に乗り換え。2番のりばに“僚友そろいぶみ”となったが、1番のりばには急行〈みよし2号〉、3番のりばには福塩線のワンマンカーが到着し、ホームはすべて埋まった。

発車時間までのあいだ、乗務員は車内にお手製広告を飾り、先ほど乗った気動車でminiSDメモリーカードアダプターを“置き去り”にするヘマをしでかし、お願いしてドアを開けてもらった(回送だから)。 さすがに三次はFOMAエリアで、心地いい日差しが降り注ぎ、軽快に走るが、優先座席に坐る母親が2回もカクカクジカジカと通話しているのはいけない。

意外と平坦な道をゆくとは思わなかったが、備後庄原で大量下車し、お客は私を含め、3人だけ。

発車すると、FOMA圏外となり、道も険しく、スピードも25㎞/h(雨の日は15㎞/h)に制限される。ゆるやかに流れる高尾川は綺麗だ。

備後西城でついにお客はだいたひかるで言うところの「私だけー」となり、うっすら白髪が目立ち始める程度の比婆山(Hibayama)が見え、終点備後落合へ。

駅舎は男性の工事作業員2人が屋根の補修工事をしていた。大雪の影響は広島県にも及んでいたようである。

『JR時刻表』は「着発」表示しているのに無人駅。以前、秘境駅の文庫本で著者は惨々たるメにあったようだが、ヤマザキパンのカンバンがある駄菓子屋と備後落合簡易郵便局以外、なにもない。しかも、列車は1日最大13本しかない。ちなみに津山市主婦行方不明事件のポスターの左側に赤いボールペンで「ゴミ箱位設置しとけJRさんよ!」というのがあり、スカイブルーの小さいヤツが目立たない位置にあった。

 

秘湯めいた温泉につかり、駄菓子屋で昼食を購入したあと、普通列車新見行きワンマン列車(キハ120 340:トイレあり)へ。

勾配やら曲線で、15㎞/hしか速度が出せないところもある。

備中神代(Bicchu-Kohjiro)で、芸備線全線完乗を達成し、ここから伯備線に入り、終点新見で普通電車吉永行き(クモハ115-5802)に乗り換え。ちなみにエル特急〈やくも15号〉出雲市行きは3両…

備中川面(Bicchu-Kawamo)はホームの黄色いブロックの工事を行ない、エル特急〈スーパーやくも17号〉出雲市行きと行き違うが、混色編成。 備中高梁(Bicchu-Takahashi)でエル特急〈やくも20号〉岡山行きを先に通した。


2006年の汽車旅4-2 [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

JR西日本山陽本線神戸から17時55分発の新快速姫路行き(1号車クハ222-1010:弱冷車)に乗り、西明石から補助シートが使え、加古川でようやく席にありつけた。

終点姫路に到着すると、223系1000番台の新快速米原方面長浜行きの2号車の戸袋窓は破損し、応急処置で運転させていた。予備車がないのだろうか?

下車すると、JR西日本新社長は3月も“お詫びポスター”。晩メシを購入したあと、普通電車糸崎行き(クハ115-325:岡山まで女性車掌乗務)へ。

岡山でエル特急〈やくも27号〉出雲市行きのグリーン車は座席3列化になっていた。 終点糸崎で普通電車岩国行き(クハ115-3112:体質改善車。白市まで岩国行きの終電)に乗り換え。

“ひろしまシティー電車”こと、115系3000番台体質改善車を利用するのは初めてだが、座席はそのままなので、おおがかりではない。

三原で呉線の普通電車呉行きに接続するが、古い103系で、あと何年健在なのだろう。ちなみに115系3000番台と103系は三原で撮影した。

広島に到着し、この日はここで宿泊した。


2006年の汽車旅4-1 [汽車旅2006]

2006年3月2日(木曜日)、JR東日本東海道本線の東京から快速〈ムーンライトながら〉大垣行き(1号車指定席クハ372-6)で旅立つ。

8番線では23時40分発の普通電車小田原行きが113系で運行されていた。あと2週間で“湘南電車フォーエヴァー”となるが、乗りに行けそうもないのは少々残念。

発車すると、品川付近まで、500系と“共演の舞”を展開。その後、名古屋-枇杷島間を乗り越し精算する男性客がいた(それを発券する車掌もスゴイ!!)。

自身初の木曜日乗車とあってか、静かに過ごせたものの、2006年3月3日(金曜日)、JR東海エリアに入り、名古屋では突風の如く、寒い風が車内を貫通して弱るし、困る。

尾張一宮付近で名古屋鉄道名古屋本線の急行名鉄岐阜行きと合流し、ほぼ同時に到着。快速〈ムーンライトながら〉大垣行きが先に発車し、木曽川は『戦国武将山内一豊生誕地 黒田城 木曽川町』のカンバンを立て、大河ドラマをPR。ちなみに織田信長役の舘ひろしは名古屋出身。

終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路方面網干行き(1号車クハ221-57:弱冷車)に乗り換え。

折り畳みのチャリンコを抱えた50歳を過ぎた男性が最前部を独占する状態となり、近江長岡からラッシュに遭遇。乗降に手間取る。

JR西日本エリアに入り、米原で新快速姫路方面播州赤穂行き(①米原-彦根間は4号車クモハ223-2069②彦根-神戸間は7号車サハ223-2179:姫路方面網干止まり。京都-姫路間は女性車掌乗務)に乗り換え。大阪まで坐れない!!

草津で207系シリーズの各駅停車新三田行きに遭遇し、大津まで“.com”。

大津で117系300番台の普通電車草津行き、京都で201系の各駅停車大阪行きに遭遇。また、近畿日本鉄道京都線の特急近鉄奈良行き『アーバンライナーplus』と同時に発車した。

更に京都を発車すると、113系体質改善車数両が留置されていたが、すべてサハ!!

高槻の車両基地で職員がラジオ体操。そして、“開かずの踏切”で停止信号(関西では「信号待ち」と案内)のため、3分遅れで到着。201系の各駅停車塚口行きに遭遇。

何度も行っているのに関西は毎回、新鮮を与えてくれる。

大阪から補助シートが使えるようになり、4分遅れがさいわいし、芦屋で321系の各駅停車西明石行き、三ノ宮で7分遅れ、223系2000番台の快速(明石から普通電車)姫路方面網干行きに接続。

9時27分着の神戸で下車(神戸市交通局湾岸線[ハーバーランド駅]乗り換え駅だった)。徒歩10分の神戸東出郵便局で旅行貯金。更に“神戸のみなとみらい21”といえる神戸ハーバーランド郵便局を見つけて、旅行貯金。

旅行貯金はまだまだ続き、徒歩7分の神戸橘郵便局、神戸高速鉄道東西線の高速神戸駅“メトロこうべ”近くの神戸多聞郵便局で旅行貯金。ちなみに後者は局名印を3つ用意していた。

神戸相生郵便局で旅行貯金したあと、神戸に戻り、各駅停車JR東西線経由松井山手行き(クハ206-1011:弱冷車。中間車扱い)に乗り、次の元町で下車。 徒歩8分の兵庫県庁内郵便局、徒歩6分の神戸元町郵便局で旅行貯金したあと、神戸南京町http://www.nankinmachi.or.jpで昼食。多少の節制対策があるとはいえ、驚くほど安い(店頭販売のみ)。

気がつけば、神戸ルミナリエルートを歩き、神戸ポート郵便局で旅行貯金。

神戸新交通ポートアイランド線三宮(P01)で1日乗車券(700円)を購入し、普通北埠頭経由三宮行き(8103:無人運転)に乗り、市民広場(P06)で下車。郵便局を探すものの、北埠頭に行かないとないことがわかり、中埠頭(PL08)まで歩き、普通北埠頭経由三宮行き(8606:無人運転)に乗り、次の北埠頭(PL09)で下車。徒歩1分の神戸港島中町郵便局で旅行貯金。

北埠頭(PL09)に戻り、普通三宮行き(8101:無人運転)に乗り、次の中公園(P04)で下車するも、近辺に郵便局はなく、普通神戸空港行き(8102)へ。なんと、運転士とお目付け役が乗っていた。ちなみにドアの開閉は身を乗り出して、高速道路の非常電話を小型化したような装置で、操作していた。

人工島から人工島を渡るのは日本初ではないかと思うが、終点神戸空港(P09)に到着し、ポートアイランド線の新線区間を制覇。下車すると、『ポートライナー延伸開業までのあゆみ展覧』をやっていた。

神戸空港は“マリンピア”と呼ばれているが、国内線専用。郵便局がないのは残念。また、混雑対策のため、展望ホールは一方通行となっており、階段だけの利用。



快速三宮行き(無人運転)は2000系で、赤いボックスシートだったが、坐れないため、次の普通三宮行き(8108:無人運転)へ。こちらは“国鉄ブルー”のロングシート。



松平健によると、赤は“情熱と愛情”、青は“優しさとやすらぎ”だそうで、みずから作詞した『マツケンサンバⅢ』で腰を振りながら歌っている。

終点三宮でJR西日本東海道本線の各駅停車西明石行き(クモハ207-1057:中間車扱い)に乗り換え、再び神戸へ。 時刻は17時を過ぎているが、徒歩7分の神戸中央郵便局で旅行貯金。ちなみに神戸駅近くにSLを見つけたが、保存状態はよくない。


2006年の汽車旅3-後編- [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

雪は積もっても、雨の福島で、福島交通飯坂線の飯坂温泉行き(7202)に乗り換え。なんと『飯坂電車1日フリー乗車券(大人500円)』を売っており、あっラッキー、ラッキー、ラッキィーッ!!(220円おトク)

ぐんじょう色の清潔なロングシートに身をゆだね、“2両でも車掌乗務”になつかしさを感じる(但し、自動放送)。

笹谷(Sasaya)で福島行きと行き違うが、乗降が済むと、発車前でもドアを閉める大胆ぶり。また、運転士がドアを閉めることもある。

医王寺前-花水坂間の鉄橋と終点飯坂温泉では充分に速度を落とす徹底した“安全運転”ぶりに感服し、全線完乗達成!!

前回の奥飛騨温泉口と違い、温泉はあちこちに存在し、きんさんぎんさんが立ち寄ったところで、ひと浴び。ずいぶん変わったところだが、肩と腰にジワーッとくる。これで次の日からリフレッシュ?!

飯坂線福島行き(7101)に乗り、終点でJR東日本東北本線の普通電車黒磯行き(クハ718-37)に乗り換え。

半自動ボタンで閉めない客が多く見受けられ、ちょっとイラつき、郡山を過ぎてからは雨が激しくなった。

終点黒磯で普通電車宇都宮行き(モハE230-1035:ロングシート)に乗り換え。5両なので、ボックスシートと“オフィッスシート”をGETするのは至難のワザ。

終点宇都宮で久しぶりの下車。すっかりリニューアルされ、戸惑ったが、晩メシを購入し、快速〈ラビット〉上野行き(5号車2階建てグリーン車サロE231-1027:2階席利用)へ。

グリーンアテンダントが乗っていることに驚いたが、今回は初めて、グリーン車Suicaシステムを使った。

基本的に汽車旅以外、グリーン車は使わないことにしている。ちなみに意外と思われるだろうが、グリーン車は2000年から7年連続の利用。

車中ではグリーンアテンダントが席へおじゃまし、車内販売の御案内。渡されたメニューを見ると、特急や新幹線ほどではないが、軽めが主流。温かい缶コーヒーを注文し、持ってきてもらい、帰京した。

2006年3月18日(土曜日)から、東海道本線、横須賀線、総武本線にも拡大され、少しだけのリッチが味わえる。


2006年の汽車旅3-中編- [汽車旅2006]

2006年1月14日(土曜日)、臨時快速〈ゲレンデ蔵王〉山形行きは10番線のある駅(小山っぽい)で運転停車し、E231系近郊形タイプの普通電車小金井行きを先に通すのはいいとしても、客扱いして欲しかった(乗車券購入区間が大幅に短縮され、ここから青春18きっぷが使えるから)。

宇都宮までには眠りにつき、仙台付近で起きてみると、6番下段客(私はその上段)は大イビキ。上段は起き上がるのが困難で、腹筋もできないほど。但し、腕立て伏せはできる。

仙台は若干、積雪していたが、仙山線では“雪の都(仙台市は意外と広範囲)”と化している。

奥羽本線に入り、終点山形5番線に到着したが、ホーム6両分しかないため、レールファンは撮影に苦心。私は左沢線(Aterazawa Line)の気動車に乗り込んで、パチリンコ(フイルムカメラが恥ずかしく感じる時代になり、その後、コンパクトタイプのデジタルカメラを購入した)。

オープンカウンターの精算所で日付印を押してもらったあと、奥羽本線の普通電車米沢行き(クモハ701-5504)に乗り換え。ダイナミックな山々の雪景色は絶景。

赤湯で第3セクター山形鉄道フラワー長井線荒砥行き『FLOWER LINER & Netトレイン』(YR-882:ワンマン。乗務員は2人)に乗り換え。ちなみにNetトレインはドア上にあり、ない車両もあるため、意味はわからない。

2両運転の時は“1両につき乗務員1人”のようで、各車両から乗り降りできるのはいい。

白兎(Shiro-usagi)という珍しい駅を通り、最上川では白鳥と鴨がたたずみ、運転しない乗務員はカーテンを元通りにするなど、“愛社精神”を感じる。

終点荒砥に到着し、全線完乗達成!! そして、山形県の鉄道を完全制覇した。

下車したら、土休限定の1日乗車券を知り、350円の損。ホームは雪かきのおじいさんがいて、冷やかしに来た地元人と談笑。いい光景だ。

折り返し、赤湯行き『FLOWER LINER & Netトレイン』(YR-882:ワンマン。女性車掌乗務)に乗り、今泉でJR東日本米坂線に乗り換えるが、坂町-羽前椿間でなだれ発生の恐れがあるため、バス代行輸送。そのため、1時間遅れるハメに。すでにフラワー長井線の運賃を払ったため、1日乗車券を買っていたら、乗車続行だったが、JR東日本と“連携プレー”をしていないことにおかんむり(この日はスケジュールに余裕があるので、まだいいほう)。どうやら、山形県の辞書には「振替輸送」という言葉はないらしい。

駅舎を出たので、今泉は下車駅に認定し、定刻より、50分遅れで快速〈べにばな2号〉米沢行き(キハ47 1517)へ。

積雪量はハンパではなく、なかには2メートルもあり、一部の踏切は通行止めのような状態。

終点米沢は45分遅れで到着したものの、予定通り、奥羽本線の普通電車福島行き(クモハ719-5009)に乗り換え。

車中では1番線で購入した『米沢名物牛肉弁当 牛肉どまん中』とお茶で昼食。ちなみに駅弁は2005年1月のの京王百貨店以来である。

フタをあけた時から、イイ香り。米沢牛って、こんなにウマイんだな、これが。“B級グルメ”の私には衝撃的なおいしさである。

「力もちィー」

峠では『峠の力もち』を女性売り子2人で販売。食事中だったので、買わなかったが、ビックリした。停車時間も少しとっていたようである。

雪景色が圧巻だった勾配を下り、終点福島に到着した。


2006年の汽車旅3-前編- [汽車旅2006]

2006年1月13日(金曜日)、JR東日本大船から臨時快速〈ゲレンデ蔵王〉山形行き(4号車指定席モハネ582-100:ゴロンとシート)に乗っている。

実は2005年12月、旅行代理店に依頼したが、カスリもせず、あきらめて前回の『2006年の汽車旅2(2006年2月10~12日に掲載)』を組んだ。

ところが、2006年1月4日(水曜日)に入手の留守電が入り、翌日に行ってみたところ、“ゴロンとシート”の中段と上段の2枚チョイスし、私は後者を選んだ(希望の下段はかなわなかったけど、GETしただけでも“御の字”で、ゼータクは言えない)。まさに“果報は寝て待て”である。

583系の乗車は2005年夏以来、7回目で、初めての寝台利用。“ゴロンとシート”ではあるが、ついに24年来(たぶん)の念願がかなった!! 歌に例えると、こういう心境だ。

「♪えぇーいー、あー僕には嬉し泣き。ほろりィー、ほろりィー、ひとりーぼっち♪(最後は悲しい…)」

もし、一青窃(Yoh Hitoto)が見ていたら、たちまち『もらい泣き』するだろう。

余談だが、列車でヨコになるのは2001年9月、寝台特急〈北斗星4号〉上野行きのA個室ロイヤル以来、5回目。

トシガイもなく、ナイーブ過ぎてしまったが、先ほども述べたように臨時快速〈ゲレンデ蔵王〉山形行きはウフフ、初の“583系寝台体験”。

しかし、上段はよく揺れて、“のりもの酔い”状態に。また、大船発車待ち中と大船-横浜間で照明が切れるなど、波乱の幕開け。

ハシゴの昇降は思ったほどきつく、向かい側も使わないと転落事故を起こしそうだ。 空間がせまく、プレ個室みたいなものだが、幅が広く、荷物が置けたのは救いだった(スーツケースはムリ)。

寝台はややフカフカで、ささやかな小窓は位置をもうちょっと上じゃないと車窓は厳しい。

そういえば、3段式B寝台の時、どうやって浴衣に着替えるのだろう? ちなみにモハネ582の1・2・11~14番寝台は上段がないため、中段が“おトク”(仙台所属車は2・4号車に該当)。

新宿で10分停車したが、のりもの酔いが抜けず、ホームの撮影を回避。ちなみに池袋では運転停車があった。

大宮を発車し、車内検札。

「指定券拝見いたしまーす。御協力お願いしまーす」

むやみにカーテンをあけることができないため、任意性みたいな部分があるようだが、車掌を見下ろしながら検札を受ける珍しい体験をした。

余談だが、臨時快速〈ゲレンデ蔵王〉は東海道本線(横浜-大崎間は支線)、山手線、東北本線、仙山線、奥羽本線を走る。


2006年の汽車旅2-後編- [汽車旅2006]

2006年1月8日(日曜日)、金沢のインターネットカフェを出たあと、北陸鉄道浅野川線磯部駅へ向かうが、国道8号線の歩道で下半身が雪に埋もれる“遭難”に見舞われ、やむなくルート変更。手前の上諸江駅にたどり着いた。

9時51分発の各駅停車内灘行きワンマン電車(8901)に乗り、終点で下車。



内灘は近辺に郵便局が3局ありながら、休日のため、旅行貯金ができないのは残念だが、内灘海岸へ行き、雪の砂浜、日本海へ。

浜辺へたどり着いた時は晴れてきて、風が冷たい中、潮騒に耳を澄まし、冷た過ぎたのか、クラゲの死体もいくつかあった。

内灘駅へ戻り、各駅停車北鉄金沢行きワンマン電車(8812)に乗り、終点はJR西日本北陸新幹線に向けて作られた金沢駅の『もてなしドーム』の下にあるため、日差しを見ることが可能。“地下のようで、地下でない”ところだろう。

『もてなしドーム』とは逆方向にあるバスのりばから、北鉄金沢中央バス03系統野町駅行き(ノンステップバス)へ。

乗り遅れても『もてなしドーム』側にも停まる“ウラワザ”があり、香林坊で大量下車。私を含め、お客は4人。終点野町駅まで乗ったのは私だけー(だいたひかると化す?!)。

30分待って、北陸鉄道石川線の各駅停車加賀一の宮行きワンマン電車(7102)へ。

北陸鉄道の踏切は2005年3月31日(木曜日)でフォーエヴァーとなった日立電鉄と同じ、ブリキの音でなつかしさを感じるが、乗っている車両は元東京急行電鉄7000系だというのに、走行音は国鉄の抵抗制御とはブッたまげる。ちなみに東京急行電鉄7000系は、こどもの国線で乗ったことがある。

13時頃から再び激しくなり、車窓は“Warking Snow Bord”ができそうなほどの雪原一色!!

終点加賀一の宮に到着し、石川線全線完乗と共に北陸鉄道完全制覇達成!!

折り返し、各駅停車野町行きワンマン電車(7102)へ。

西鶴来(West Tsurugi)-鶴来間で信号トラブルが発生し、8分遅れとなり、ポイントのスプリンクラー攻撃が印象的な新西金沢でJR西日本北陸本線[西金沢駅]の普通電車金沢行き(クハ412-8:弱冷車)に乗り換え、終点で下車。



この日もダイヤが乱れており、改札は心配顔のお客ばかり。インターネットカフェを出る前にJR東日本とJR西日本のホームページにアクセスしたが、この時は上越線経由の夜汽車の運休情報はなく、特急〈はくたか〉の一部は長岡発着に変更するだけだったが、15時近くになると、前日以前と同じ結果になった。普通電車も運休がでるほど。

この日はいつもの青春18きっぷを温存し、みどりの窓口で、乗車券と自由席特急券を購入。ちなみに夕方までの特急〈サンダーバード〉、エル特急〈しらさぎ〉は指定席ならびにグリーン車はほぼ満席。

特急〈はくたか15号〉長岡行きの発車は定刻より50分遅れで、自由席は坐れないと予想し、回避。次の特急〈はくたか17号〉長岡行き“WHITE WING”(7号車自由席クハ680-504:中間車扱い)は定刻より30分遅れで、自由席は思惑通りのガラガラ。ちなみに前日、乗った神岡鉄道の利用客もいた。

681系は通算2回目の利用で、北陸では“ポンコツ鈍行”に比べると、アメ色の照明がモノをいって圧倒的に輝いている存在だ。

130㎞/h運転は新快速で慣れているが、雪のため、トンネル以外は控えめに走っている感じ。

糸魚川を発車し、交流から直流に変わるが、照明は消えなかった。いつしか、そういうふうに改良したらしい。

すっかりマックラになった直江津は定刻より35分遅れで到着し、4番線には快速〈くびき野5号〉新潟行きが停まっていたが、当然、先に発車させない!!

乗務員はJR東日本に変わり、信越本線へ。車販はオバサン1人増員(弁当担当?!)。そして、スピードはダウン…

今回は残念ながら、160㎞/hを味わうことはできなかったが、犀潟(Saigata)-長岡間は“古巣”を走る(年に何回かは試運転しているのだろうか?)。それに再び乗る可能性はあるかもしれない。

宮内で10分以上も長ーく止まり、高校生は見慣れぬ“来客”に手を振り、普通電車長岡行きに乗って、なんと先発!!

そのあと、急行〈能登〉で使うJR西日本489系の特急〈はくたか18号〉金沢行きが通過!!(15号に乗らなくて、正解)

やぁーっと、終点長岡に到着。上越新幹線〈とき346号〉東京行き(1号車自由席221-1501:リニューアル車)に乗り換え。ちなみに〈とき〉は初乗車で、上越新幹線は厳密に言ったら、2001年9月15日(土曜日)に〈あさま528号〉東京行きに乗って以来。おおまかに言えば、2000年5月5日にE2系の〈あさひ6号〉東京行きに乗って以来となる。

お客は特急〈はくたか17号〉の乗り継ぎ主体で、グリーン車と指定席はガラガラだったが、越後湯沢でスキーヤーがドッチャリ乗ってきた。指定席とグリーン車は満席だという。

もし、この日、青春18きっぷを使った場合、上越線がダメで上越新幹線による“振り替え輸送”をお願いしても聞き届けなかっただろう。なんせ、ここ数日連続で上越線は動かないのだから、“そういう客はありえない”からだ。

乗ってみると、本当にトンネルが多く、勾配を下っているのがよくわかる。ちなみにトンネルはケータイ圏外。また、テロ対策のため、ゴミ箱は使えない。

久しぶりの新幹線利用は新鮮な心地よさを体感し、帰京した。


2006年の汽車旅2−中編− [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

JR西日本富山から高山本線の普通列車越中八尾行きワンマンカー(For Ecchu-Yatsuo.キハ120 349:越中八尾-猪谷間は雪のため、運休)に乗り、これも発車時間は遅れた。

越中八尾で2000年3月以来(長万部-八雲間)の代行バスを利用(名鉄クレハ観光バス)。

踏切を渡ると、寒い中、除雪作業に精を出す人々に頭が下がる。

終点猪谷に到着し、第3セクター神岡鉄道神岡線http://www.hidawing.net/kamitetsu/の奥飛騨温泉口行き『おくひだ1号』(KM-101:ワンマン。非冷房車)へ。お客は私を含め、代行バス乗り継ぎの2人だけ。

新札が両替できない誤算(神岡鉄道は旧1000円札を用意)があったが、15時13分に発車し、あたり1面マッシロで、トンネルも多い。

先頭部はイロリつきの“だんらんシート”だが、火は普通の豆電球で、暖まらないが、ココロはポカポカ。なので、鉄瓶ヤカンで湯を沸かしていることもない。

トンネルが多く、途中駅乗降が誰も現れないまま、終点奥飛騨温泉口に到着。全線完乗を果たしたが、2006年内でフォーエヴァー。

駅舎は立派な建物で、イロリの待合室(?!)があるなど、駅名の奥飛騨温泉口にふさわしい風情ある設備だが、温泉地図とかがないのは残念なところ。なぜか石油ストーブがあり、もう1人のお客、すなわち、レールファンがつけちゃった(ちゃんと切ってから、復路に乗った模様)。また、駅舎を出た目の前には走ることがない青いディーゼル機関車が雪に埋もれようとしていた。

猪谷行き『おくひだ1号』(KM-101:ワンマン。非冷房車)に乗り、終点に着いたら、驚いた。

それは目の前にJR西日本高山本線の普通列車富山行きワンマンカー(キハ120 345:トイレつき)がいるのだ。どうやら隣りに止まっているラッセル車が雪を蹴散らした模様。

終点富山で、北陸本線の普通電車金沢行き(クハ455-42:近郊形改造車。弱冷車)に乗り換え、終点で下車。この日は金沢泊まりである。


2006年の汽車旅2−前編− [汽車旅2006]

2006年1月6日(金曜日)、JR東日本新宿から中央本線の臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(2号車指定席モハ188-37:旧ASAMAカラー)でスタート!! ちなみに山手線の遅れにより、発車は“シンデレラタイム”となった。

2006年1月7日(土曜日)、序盤はいつもの“スロースターター”ぶりを発揮。上越線経由の夜汽車は連日の運休で、大糸線も少々ヤバイのが気になる(前日のJR東日本ホームページによる)。

松本から入る大糸線は全線運行可能の知らせが入り、終点白馬に到着。上屋は50センチほど積もっており、ホームは“スノーアスファルト”と化し、雪も舞い散っている。また、極寒の影響か、運行終了後、方向幕の表示が異なる車両もあった。 白馬は指定席券を回収する徹底ぶりだが、何度も乗っているので、気にならない(ちなみに振替乗車票は“運行見合わせ鉄道”に運賃を請求するため、絶対回収)。

快速南小谷行きワンマンカー(クハE126-104)に乗り換え、終点で待機!!(気の早い人は2番線の自販機と禁煙マークに荷物を置いている)

南小谷駅の一角にはコタツがあり、カップルやグループはアツアツで、中にはノートパソコンを持参するところもある。ちなみに“シングルさん”はタタミの上に坐っており、読書に一意専心。

7時、駅員が最新の雪害による運転見合わせ情報ボードを持参し、9路線の一部区間(男鹿線のみ全線)で運行不能。

普通列車糸魚川行きワンマンカー(キハ52 125)に乗り、JR西日本エリアへ。 雪はギャグが言えないほど激しくなり、頸城大野(Kubiki-Ohno)で、「雪がかんだため」と運転士が言い、列車が動かなくなるアクシデントが発生!! 急きょ運転士と偶然いた保線係2人がスコップでスカート近辺を除雪。

いったんバックして、ギアチェンジしてから発車。次の姫川も同様。運転士も思い通りの走りができず、無線で遅れを連絡した。

完全たる吹雪の中、終点糸魚川に到着。北陸本線の普通電車直江津行き(419系)は接続も、乗り換える普通電車富山行きはヤッパリ行っちゃった…

ところが普通電車富山行きは入線できる状態ではないそうで、定刻より、だいぶ遅れて419系がやって来た。

直江津方面からの普通電車を接続してから発車とのことだったが、ポイントが動かなくなるアクシデントが発生し、数分後にしないこととなり、定刻より36分遅れの9時30分に発車。1番のりばには第3セクター、北越急行681系2000番台の特急〈はくたか3号〉長岡行きが1時間遅れで到着した。

親不知では特急〈はくたか5号〉長岡行きが急行〈能登〉の車両で代走(ヘッドマークも用意していた)。

富山県に入り、吹雪は消えたものの、泊発車時、普通電車富山行き(クハ418-1:弱冷車)は42分遅れ…

終点富山は50分ほど遅れて到着。高山本線は一部列車で運転区間の縮小もあり、ウカウカできない。ちなみに富山で455系“国鉄カラー”に遭遇した。

富山地方鉄道も車両が動かない、越中荏原-越中三郷(Ecchu-Sango)間の踏切で電車とクルマが衝突する事故が起こるなど、駅員の放送も動揺は隠せない。

富山地方鉄道[富山駅前]の“市内電車”と呼ばれる支線、安野屋線、呉羽線の2系統大学前行き(7018:ワンマン)に乗り、終点で下車。県営富山野球場がある。

2系統南富山駅前行き(7022:ワンマン。女性運転士乗務)は沖縄都市モノレール、のと鉄道以来、3回目の女性運転士に遭遇!! サングラスをかけて運転していた。ちなみに交通機関でサングラスを着用する乗務員は初めてだ。

富山駅前から富山市内軌道線本線に入り、終点南富山駅前はスプリンクラーが印象に残り、“市内電車”全線完乗を果たしたものの、肝心の“本場の電車”は本数が少なく、2系統大学前行き(7017:ワンマン)で富山駅前に戻る。ちなみに運賃は200円均一也。


2006年の汽車旅1-最終回 [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

大垣駅に戻り、JR東海東海道本線の快速豊橋行き(クハ312-17)に乗り、名古屋まで雪は完全に消えた。

名古屋のホームにある、おなじみの『名代きしめん』で鴨肉入りきしめん(500円)で昼メシ。

新快速豊橋行き(クハ312-21)に乗り、金山で名古屋鉄道名古屋本線、常滑線、空港線の特急中部国際空港行き『パノラマSuper』(6号車一般車1411)に乗り換え。ちなみに快速特急中部国際空港行き『ミュースカイ』を先に発車させた。

『パノラマSuper』の一般車(転換クロスシート)は初めての乗車。特急車のせいか、固定座席がないのがいい。ただ、ドア寄りの席は補助シートがあるせいで、足元がせまい難点がある。また、ドアにシール広告があるのはおかんむり(乗務員室うしろの2人掛けロングシート、吊り革と優先席があるのは仕方ない?!)。

車端部のLED情報案内装置にスピード表示があって、119㎞/hまで表示するようである。

終点中部国際空港に到着。進行方向左側ではホームの増設工事(あらかじめ準備をしていたので、レールを敷設するだけ?)を行なっており、年内には増発するようだ。

20分200円でインターネットをしたあと、常滑郵便局セントレア分室で旅行貯金。

中部国際空港駅に戻り、特急豊橋行き『パノラマSuper』(6号車一般車1532)に乗り、常滑で下車。徒歩3分の常滑郵便局で旅行貯金。ちなみに常滑駅周辺にはもう1局あるが、時間の都合で断念。

特急名鉄岐阜行き(①常滑-新舞子間は5号車一般車2353②新舞子-金山間は6号車一般車2303)へ。車内放送のチャイムがJR東日本みたいだ。

「扉が開きます。御注意下さい。扉が開きます。御注意下さい」

「扉が閉まります。御注意下さい。扉が閉まります。御注意下さい」

驚いたのは車内の自動放送でこういう音声があったことで、キメ細かいというか、ヤリ過ぎなのか…

一般車の車内は転換クロスシートとロングシートが半々で、JR東日本もそうして欲しかった。

金山に到着。JR東海の売店でコーヒーを購入し、東海道本線の新快速浜松行き(クハ312-10)に乗り換えるが、相変わらずの4両編成で、終点まで坐れず、JR東海は発足から20年近くたつのに、なにを考えているのだ。

313系シリーズを大量増備するそうだが、最低でも中京・静岡圏は基本6両にしてもらわないと困る。“必ず坐れる”ようにするのが「安全」の次に大切なサービスのはずだ。

終点浜松で普通電車静岡行き(モハ112-2687:リニューアル車)に乗り換え、豊田町でようやくボックスシートに坐れた(常滑から立ちんぼ)。

終点静岡で下車。晩メシを調達し、1・2番線に戻ると、東海道新幹線〈ひかり422号〉東京行きが雪で遅れているため、自社線の強味か、特急〈(ワイドビュー)ふじかわ13号〉甲府行きは“お付き合い”することになり、1番線に変更して、12分遅れで発車。

そのあと、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-13:中間車扱い。熱海まで女性車掌乗務)が入線し、こちらは定刻通りに発車し、帰京する。

平日のせいか、いつもより多かったが、うしろに坐っている“老練ハイキング軍団”の一角は373系がお気に入りの様子。特急としてはどうなんだろう?


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