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特急〈はくたか〉フォーエヴァー総集編 [汽車旅2006番外編]

2006年1月8日(日曜日)、この日もダイヤが乱れており、改札は心配顔のお客ばかり。インターネットカフェを出る前にJR東日本とJR西日本のホームページにアクセスしたときは、上越線経由の夜汽車の運休情報はなく、特急〈はくたか〉の一部は長岡発着に変更するだけだったが、15時近くになると、前日以前と同じ結果となった。普通電車も運休がでるほど。



この日はいつもの青春18きっぷを温存し、みどりの窓口で、乗車券と自由席特急券を購入。ちなみに夕方までの特急〈サンダーバード〉、エル特急〈しらさぎ〉は指定席ならびにグリーン車はほぼ満席だ。

ホームへ上がると、特急〈はくたか15号〉長岡行きの発車は定刻より50分遅れで発車するという。自由席は坐れないと予想し、回避した。

次の特急〈はくたか17号〉長岡行き“WHITE WING”(7号車自由席クハ680-504:中間車扱い)は定刻より30分遅れで発車するという。自由席は思惑通りのガラガラ。ちなみに前日、乗った神岡鉄道
の利用客もいた。

681系は通算2回目の利用で、北陸では鈍行に比べると、アメ色の照明が輝いている。

130㎞/h運転は新快速で慣れているが、雪のせいか、トンネル以外は控えめに走っている感じ。

糸魚川を発車し、交流から直流に変わると、室内灯は消えなかった。

すっかりマックラになった直江津は定刻より35分遅れで到着し、4番線には快速〈くびき野5号〉新潟行きが停まっていた。当然、先に発車するのは特急だ!!

乗務員はJR東日本に変わり、信越本線へ。車販はオバサン1人増員(弁当担当?!)。そして、スピードダウン……

今回は残念ながら、160㎞/hを味わうことはできなかったが、犀潟―長岡間は“古巣”を走る。それに再び特急〈はくたか〉に乗る可能性はあるかもしれない。

宮内で10分以上も長ーく止まり、高校生は見慣れぬ“来客”に手を振り、到着した普通電車長岡行きに乗る。なんとこの列車が先発するのだ!!

そのあと、急行〈能登〉で使うJR西日本489系の特急〈はくたか18号〉金沢行きが通過した。

やぁーっと、終点長岡に到着。


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JR東日本415系鋼製車フォーエヴァー [汽車旅2006番外編]

 2006年12月23日(土曜日・天皇誕生日)、JR東日本常磐線石岡から、13時03分発の普通電車(取手から快速)上野行き(3号車モハ415-113:弱冷房車)へ。11両編成の車内はすいており、ボックスシートを確保することができた。

フルスピードで、ありったけの力をふりしぼるように走る。国鉄の通勤形・近郊形電車は“悲鳴”をあげながら、めいいっぱい走っている印象がある。

土浦3番線に到着し、2番線から先に発車する特急〈フレッシュひたち32号〉上野行きと待ち合わせをする。

この日に利用した普通電車(取手から快速)上野行きは、うしろ4両がステンレス車体の415系1500番台。ツラが211系シリーズと同一なのがさいわいし、廃車はまぬがれ、2007年3月18日(日曜日)以降は上野-土浦間を走ることはなくなるものの、引き続き、“悲鳴”をあげながら、めいいっぱい走り続ける。

415系鋼製車がなくなることで、常磐線快速のロングシート率が増えることになる。ちなみにJR九州は415系鋼製車は健在ではあるものの、リニューアルしてロングシート化した車両が多く、もしかしたら、セミクロスシートはないのかもしれない。将来はオール転換クロスシートを装備した511系という、関門トンネル対応の交直流近郊形電車が誕生するだろう。

特急〈フレッシュひたち32号〉上野行きが2番線に到着したものの、自由席は全員坐れず、立客が発生。自由席特急料金を払っているのがバカバカしく感じる利用客もいると思うが、この日の特急〈フレッシュひたち〉は自由席満員御礼の状態。途中駅から乗り込む場合は指定席を確保したほうがよさそうだ。

13時29分、土浦を発車すると、川を渡る。川釣りを楽しむ人もいるが、なにが釣れるのだろうか?

少しずつ、着実に乗車客が増え、ひたち野うしく-牛久では高速道路の圏央道をくぐる。2007年春につくば牛久-阿見東間が開業する予定で、常磐線や成田線の利用客が減りそうな予感がする。

牛久で一気に相席となり、ボックスシートはすべて埋まった。

佐貫(Sanuki)は日本最北端の相撲部屋、式秀部屋の最寄り駅。初・夏・秋場所中、朝のラッシュ時にお相撲さんも乗ってくるという。ちなみに牛久出身の稀勢の里は鳴門部屋の所属である。

佐貫を発車すると、進行方向右側にはなにやら工事が行なわれていたが、なんなのかは不明。ほどなくして、藤代へ。

藤代を発車すると、一部の蛍光灯が消灯し、交流から直流へ。茨城県は交流電化が圧倒的に多く、ナマリでおしゃべりする人も多いせいか、関東地方なのに東北地方とよくカン違いされるとか。

進行方向右側にジャンボジェット機(ヒコーキ)を発見したが、おそらく新東京国際空港(成田空港)からどこかへ飛び立ったばかりなのだろう。

立客も発生し、すっかり首都圏の雰囲気となり、取手3番線へ。向かいの4番線はE231系通勤形タイプの快速上野行きが発車を待っており、坐れなかったお客は乗り換えてゆく。“10分のゆとり”があるという表れだが、空席だらけなので、取手発着の快速はありがたい存在だ。

取手から複々線となり、利根川を渡って千葉県へ。

天王台を発車し、進行方向右側は我孫子(Abiko)の広大な留置線にはE531系が留置するも、なぜか1・2・8・9・10号車の5両編成だった。2階建てグリーン車の連結と関係あるのだろうか?

柏で大半のお客が入れ替わる。柏周辺は人も多く、2003年秋には同じ日の同じ時間、東口では小泉純一郎総理大臣(2006年9月に総理大臣を勇退)が出馬議員の応援演説、西口では麻倉未稀が高島屋の主催によるミニライブを行なっていた。

複々線は進行方向左側が各駅停車、右側は快速以上という乗り換えが不便な構造。各駅停車の場合、取手-我孫子間は朝夕ラッシュ時のみ運転で、日中は12分おきの運転。快速は10分おきとなっているが、北千住で特別快速に抜かれる便がある。

さて、各駅停車は綾瀬から東京地下鉄(東京メトロ)千代田線に入るため、快速と各駅停車(多摩急行もある)は会社別複々線となる。これがややこしく、相互乗り入れ運転を開始した当初は利用客はかなり戸惑ったという。

複線に戻り、北千住で特急〈スーパーひたち34号〉上野行きの通過待ち。発車すると、進行方向左側に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス、その奥には東京メトロ日比谷線と並走。3社の共演はなかなか見られないが、つくばエクスプレスはいともカンタンに日比谷線と常磐線の電車を抜き去ってゆく。

私が坐るボックスシートは若手の男女2人と50代後半の男性と相席になっており、どうやら土曜日でも営業に出ていたようだ。若手の女性は我孫子を「Sogashi」「Sogako」と読むものと思っていたらしく、吹き出しそうになってしまった。

かつて、常磐線の普通電車は朝夕ラッシュ時は南千住、三河島を通過し、快速は終日停車という、種別にそぐわない停車パターンをとっていた。

現在は特別快速と特急以外、終日停車に改められ、2004年10月16日(土曜日)から普通電車は上野-取手間を快速に格上げ。取手から先は今まで通り、普通電車としたため、わかりやすくなっている。

東京都交通局が運営し、2007年度に開業する予定の日暮里・舎人ライナー(Nippori-Toneri Liner)をくぐり、日暮里へ。ここからは東北本線に入り、14時41分、終点上野10番線に到着した。

2006年3月17日(金曜日)に103系は常磐線から姿を消したが、その時はわずか10両編成1本と5両編成2本しかない状態だったものの、E531系の2階建てグリーン車連結にともない、意外と415系鋼製車に乗れるチャンスはまだまだある。しかし、2007年3月17日(土曜日)までに勢力は急速に縮小してゆくだろう。

快速(浜松町から各駅停車)磯子行き(1号車クハ208-44:京浜東北線)に乗り換えるが、209系は2007年秋からE233系への置き換えが開始されるという。平成4年(1992年)に901系として入団して以来、わずか14年。JR東日本が公約のように掲げていた「価格半分、重量半分、寿命半分」を果たそうとしている。もったいない。「カネのムダづかい」としか言いようがない。

東京に到着し、1・2番線へ。“中央線”の201系はE233系に置き換えられるため、少数のレールファンが撮影に精を出していた。

★お知らせ

2007年1月10日(水曜日)で、観客動員数は53,000人を突破しました。ありがとうございます。

★備考

①415系について、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

②JR東日本415系シリーズの号車札は車内だけ掲示しています。

「2007年の汽車旅1-1(JR東日本415系鋼製車フォーエヴァーⅡ)」も合わせて、御覧下さい。

★普通電車(取手から快速)上野行き編成表(アンダーラインは筆者が乗車した車両)

1号車クハ411-621:ロングシート
2号車モハ414-113
3号車モハ415-113:弱冷房車
4号車サハ411-4   :リニューアル車 
5号車モハ414-128:リニューアル車
6号車モハ415-128:リニューアル車
7号車クハ411-521:ロングシート
1号車クハ411-1602:ロングシート
2号車モハ414-1535:ロングシート
3号車モハ415-1535:ロングシート。弱冷房車
4号車クハ411-1502:ロングシート

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221系新快速リターンズ総集編 [汽車旅2006番外編]

今回は2006年最後の記事となります。日頃の御愛顧に感謝して、221系臨時新快速に乗車した模様を心ゆくまでお楽しみ下さい。

①2003年7月26日(土曜日)

終点姫路で新快速米原方面長浜行き(1号車クハ222-3038:弱冷車)に乗り換え。補助シート使用停止で、神戸まで乗車。そのあとの東海道本線は“秘密兵器”が登場!!

それは臨時新快速大阪行き!!

1本目は223系1000番台でハズレ!! 2本目はヤッタァー!! アーバンネットワークの大エース、221系だ!!(8号車クモハ221-49に乗車) 思わず興奮して、ガッツポーズをしてしまった。

221系新快速は2000年2月以来の乗車。花火大会の帰宅輸送で、臨時新快速大阪行きを運行しているが、こういう“リターンズ”は何度も続いて欲しいものだ。

②2003年12月20日(土曜日)

三ノ宮で思いがけない情報を入手!! 坐れないことを覚悟して、21時27分発まで待つ。

市販の時刻表に掲載されていなかったが、臨時新快速が2003年冬も運転!! 21時27分発の臨時新快速大阪行きはアーバンネットワークの大エース、221系!!(8号車クモハ221-47に乗車)

2003年7月以来、5か月ぶり2度目のリターンズ乗車で、相変わらず最高の走りを魅せてくれる。ちなみに207系シリーズも臨時新快速要員だとか。

③2004年12月19日(日曜日)

三ノ宮で221系の快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きにビックリし、興味をそそるが、こういう時期に乗る電車ではない。

まつこと1時間、この年もやって来ました221系新快速リターンズ2004!!(涙が出たくなるほど、思わずガッツポーズしてしまうほどすっごく嬉しい)

夏はみなと神戸花火大会の日程を間違えて乗れなかったが、“この冬は絶対乗るんだ!!”と心に決めていた。

臨時新快速大阪行き(8号車クモハ221-41)は21時12分の発車まで、珍しく時間があるので、思う存分シャッターを切る。少数精鋭のレールファン(神戸ルミナリエは行ってない可能性大)もお目当てで、バンバン撮りまくるも、乗ったのは私だけ。

最高の気分で、“超気持ちイイ”と言ってもいいだろう。

残念ながら、バッサリ抜いた電車の数が1本だけだったが、今度乗る時は“天敵”の223系1000・2000番台の快速を抜いて、アーバンネットワークのエースであることを魅せつけてくれたら“最高でーす”。

④2006年12月16日(土曜日)

JR西日本東海道本線を元町を下車し、神戸ルミナリエを見物して、晩メシを食べたあと、三ノ宮へ。

ホームにはレールファンが数人いて、ターゲットは臨時新快速。いずれも三ノ宮始発で、下りは西明石行き、上りは大阪行きとなっている。

貨物列車通過後、4番のりばに臨時新快速西明石行き(7号車モハ221-63)が入線。アーバンネットワークの大エース、221系に心が躍る。ヨッ、千両役者、待ってました!!

入線したのはいいものの、発車まで時間がなく、大いにあせったが、無事に撮影し、急いで乗り込む。

あわただしく、21時35分に発車。元町で221系の快速(明石から普通電車)姫路方面上郡行きを抜き、21時38分発の神戸では同時に発車し、山陽本線へ。

ジラしながら、快速(明石から普通電車)姫路方面上郡行きを引き離し、兵庫を通過。相変わらず、胸のすく走りである。

神戸ルミナリエで“降りそそぐ、光の彫刻”を大満喫した人は何気なく、221系新快速リターンズ2006に乗っているが、私は嬉しい!! たまらなく嬉しい!! 最高に嬉しい!! 涙が出るほど嬉しい!! 

これほど無邪気に嬉しいのは、2005年12月は多忙で旅にさえも行けず、くやしい思いをした。それだけに今回、2年ぶりに乗る221系新快速リターンズ2006は感慨深いのだ。

須磨で321系の各駅停車西明石行きを抜き、クルマを次から次へと牛蒡抜き!! アーバンネットワークのエース221系は王者の貫禄を魅せつける。1年に1度の晴れ舞台かつ大舞台。指定席以外では珍しく、モハに乗っているので、モーター音は魂を込めて、高らかに心地よく響く。

垂水を通過すると、ライトアップされた明石海峡大橋が見え、舞子を通過。ちなみに山陽本線の221系新快速に乗るのは平成10年(1998年)8月以来、8年ぶり2回目となる(東海道本線の大阪で降りることが多かった)。

思う存分、魂を込めた120㎞/h運転の221系新快速リターンズ2006は明石に到着。相席だった私は少々、不本意ながら進行方向左側の空いた席に移る。

明石発車後、207系シリーズの各駅停車西明石行きにあわや抜かれそうになる不覚をとるが、21時55分、終点西明石に到着。意外にも後続の新快速姫路行き(敦賀発、米原経由!!)に乗り換えるお客が多かった。“やって来た新快速に乗っただけ”のお客が多かったようである。ちなみに車掌はレールファンに“夢”をプレゼントした?!(画像を見れば、わかります)

実現する日を心待ちにしている。もちろん、221系で。

余談だが、国鉄時代、新快速は西明石で折り返す便が主流だった。これは当時、大半の便は複々線の内側を走っていたためである。そして、昭和61年(1986年)11月1日(土曜日)、国鉄最後のダイヤ改正で、新快速は複々線の外側に移ることが許された(草津-京都間、新大阪-大阪間は複々線の内側を走ることがある)。

これは国鉄のダイヤ構成は今まで本社で行なわれていたからで、分割・民営化により、本社以外の鉄道管理局でダイヤを作成することが許されたためである。

新快速の外側移動により、西明石では折り返しの設備がなかったため、やむなく姫路へ延伸。このため、117系100番台が入団し、合わせて、高速性が高まって、所要時間を短縮させることができた。

やがて、国鉄は分割民営化され、JR西日本になり、新快速は全盛の時代を築く。この大きな功績を作ったのは221系であるが、歴代の新快速№1車両を117系シリーズを好むレールファンも多いようだ。私は言うまでもなく、221系。特に新快速のフォントが気に入っており、パソコンにも入れて欲しいぐらいだ。

あわただしく、21時57分発の新快速京都方面野洲行き(①4号車クモハ223-2073:西明石-明石間乗車。②7号車サハ223-2081:明石-三ノ宮間乗車)へ。

三ノ宮は先ほどに比べ、レールファンの数が増え、22時31分発、221系の臨時新快速大阪行き(8号車クモハ221-63)が入線。もちろんのことだが、当然、乗る。

22時31分に発車し、相変わらず、胸のすく走り。221系は新快速がよく似合う。

甲南山手を通過すると、スピードを落とした。どうやら、次の芦屋では221系の快速(高槻から普通電車)京都方面米原行きに追いついてしまうらしい。

芦屋に到着したが、接続する電車はなく、臨時便の悲しさでもある。

芦屋を発車すると、更にヒートアップ!! 妥協をしない速さに心が躍る。スピードに酔いしれる。221系の本領発揮だ!!

尼崎では福知山線207系シリーズの快速大阪行きと同時到着。珍しい顔合わせとなる。さぁー、どっちが先に発車するのか?

答えは格上の221系新快速リターンズ2006だった。当然だ!!

尼崎を発車しても、快走は変わらないものの、運転士は“「タイフォン」という名のおたけび”を高々とあげる。

「このまま東京に直行してもいいんじゃない」

と言っていいほどのSpecial Speedで、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスより速いと思わせるほど。その走りっぷりはカール・ルイスやディープインパクトを彷彿させるほどで、“飛んでいる”という表現がピッタリだ。

進め、行け、飛べ、走れぇー!! 突き進めぇー!! 走り続けろぉー!!

とほかのお客は気づいていないが、私の心はボルテージ最高潮に達し、ヒートアップだ。なんで、新快速を223系1000・2000番台にチェンジさせ、更には増備でアーバンネットワークの大エース、221系の出番を減らすのが疑問なんだよ。ずーっと、地球が滅びるまで、221系を増備して欲しかったのに!!(221系はJR産の近郊形電車では唯一の鋼製車両である)

221系新快速リターンズ2006の刺激的な、ディープインパクトの走りっぷりは新淀川を渡り終えると、悲しいかな、スピードが落ちてゆく。大阪の街もこの時間になると、“イッツ・ショータイム”もオシマイだ。

22時54分、終点大阪9番のりばに到着。ほどなくして、207系シリーズの快速も10番のりばに到着した。

関西のレールファンの一部では、「221系新快速リターンズは2006年が最後になるのではないか?」という説があるようだ。確かに、2003年から223系2000番台の増備が再開され、221系の出番は減っているように思う。

221系は17年に渡る新快速の運行にピリオドが打たれ、この記事のサブタイトルが「221系新快速フォーエヴァー」と修正されることのないよう、2007年も運行継続を願う。

※2006年12月16日(土曜日)の動画はこちらにクリック!!

★221系新快速リターンズ2006編成表(アンダーラインは筆者が乗車した車両)

1号車ク ハ221-63:弱冷車
2号車サ ハ220-55:弱冷車
3号車モ ハ220-55
4号車サ ハ220-54
5号車モ ハ220-54
6号車サ ハ221-63
7号車モ ハ221-63:西明石行きに乗車
8号車クモハ221-63:大阪行きに乗車

⑤2008年12月13日(土曜日)  

三ノ宮駅に到着し、1番のりばに新快速京都方面野洲行きが発車しようとしていた。うしろ寄りの車両はラッシュなみの混雑に見舞われている。


P1360984.JPG
 
2
番のりばから、20時25分に221系の快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きが発車したあと、さぁー、いよいよ、オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイムの時間がやって来た。そう、1番のりばに臨時新快速大阪行き(8号車クモハ221-33)のお出ましだ。しかも、アーバンネットワークのエース、221系で、たまらずガッツポーズ(2009年大相撲初場所で23回目の優勝を果たした第68代横綱朝青龍ほどのオーバーアクションではない)。  

神戸ルミナリエ開催中、12月6・7・13・14日に三ノ宮始発の臨時便を運行。12月6・13日(土曜日)の東海道本線上りはすべて臨時新快速大阪行きを9本(そのうち1本は大阪から定期便で、京都方面野洲行きとなる)、下りはすべて山陽本線直通の臨時新快速西明石行き2本、臨時快速(西明石から臨時普通電車)大久保行きは1本、姫路行きは4本を運行。12月7・14日(日曜日)の東海道本線上りはすべて臨時新快速大阪行きを8本(そのうち1本は大阪から定期便で、京都方面野洲行きとなる)、下りはすべて山陽本線直通の臨時新快速西明石行き2本、臨時快速(西明石から臨時普通電車)神戸方面大久保行きは1本、姫路行きは3本を運行した。

 

1番のりばにはレールファンが10人もいなかったが、221系の晴れ姿を目に焼きつけるかの如く撮り、私は乗り込み、転換クロスシートにくつろぐことにしよう。

「♪ダン、ミファミシラミドレェー、ドレミファソラソファー、シーラシソー、シーラシドー、ドーラシドーレミラァー♪(ミとシは♭)」  

網干総合車両所から臨時新快速の“仕事人”をおおせつかった221系は20時30分に発車。出だしはこのメロディーのような感じだろう(『必殺仕事人』シリーズの中村主水のテーマより)。

臨時新快速大阪行きは興奮のボルテージが汗をかくほどあがってゆく。130㎞/hではないけど、最高のスピードは矢沢永吉のビールのCMでおなじみの最高金賞に値する。そして、207系シリーズの各駅停車JR東西線経由松井山手行きをキャッチ!!

 

灘で各駅停車JR東西線経由松井山手行きを追い抜く。昔はコイツをバッサリ追い抜くのは当たり前だったんだよなぁー。そして、快調かつ最高のペースで駆け抜ける。“このまま320㎞/hまであがるんじゃないか”と思わせるほどだ。まるで鳥取砂丘を白馬で駆け抜ける徳川吉宗を彷彿させる。

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ビュンビュンとカッ飛ばすように快適に走り、甲南山手を通過すると、勢いが落ち、ATSのなつかしい「キンコンキンコン(JR東日本首都圏はATSの音が違う)」の音が鳴って、20時38分、芦屋1番のりばに到着(JR東日本首都圏はATSの音が違う)。ところが、各駅停車高槻行きに接続をとらなかった。通常ダイヤをいじくるわけにはいかなかったようだ。  

20時39分に発車し、暗い夜道を臨時新快速大阪行きはブッ飛ばす。アーバンネットワークのエース、221系の新快速リターンズ2008の猛烈な勢いで、世界的な不況をブッ飛ばせぇー!!

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そういえば、2008年夏、JR東海は東海道新幹線のEX-ICの宣伝を大々的に行なわれていたが、面白いことに首都圏の電車広告ではこんな案内があった(画像はJR東日本203系の車内)。

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「新大阪駅から新快速へ」

このイラストがなんと、221系になっているのだ。2000年3月11日(土曜日)のダイヤ改正で、アーバンネットワークの新快速の定期便は223系1000・2000番台に統一されているが、これを見ると、「よくやったJR東海」、「アッパレ!!」と言いたくなる。ちなみにテレビのCMでは、京浜東北線の車両は209系が映っていた。どうやら、JR東海は最新の車両より、以前の車両がお好みらしい。それが本当かどうかはわからないが…

 

西宮で321系の各駅停車高槻行きを抜き、フルスピードで駆け抜ける。日頃のストレスが吹っ飛ぶぞ!! もし、薬師丸ひろ子が221系新快速リターンズ2008に乗っていたら、こう言うだろう。

「カ・イ・カ・ン」  

20時46分、尼崎8番のりばに到着。5番のりばの快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きに追いついたものの、先に行かれてしまった。  

20時47分に発車し、もうラストコースだ。このまま黒磯まで乗りたいよ。いけなくても京都まではと思いながら、神崎川を渡る。

「そうはい神崎」  

ある政治家がしゃべったセリフ、つまんないよね(なんで電車の中でふと思い出すのだろう?)。  

“豪快に年忘れ”という感じで、臨時新快速大阪行きは驀進!! 2006年12月16日(土曜日)以来に味わうこの気持ちよさ、何度でも味わいたい。


P1360995.JPG
 
阪神高速11号池田線と大阪環状線が見え、20時53分、終点大阪9番のりばに到着。隣りの8番のりばに停車中の快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きに再び追いついたが、すぐに発車されてしまった。

23分に渡るイッツ・ショータイムは終わったが、余韻は残り、久しぶりにスカッした。気分爽快だ。水谷豊の『カルフォルニア・コネクション』に例えると、221系新快速リターンズはこういうひとときだ。

「♪あぁーつく燃ぉーえるぅ、季ぃー節がぁー、ぼくらのぉー、あーこぉーがぁーれぇー、運んでゆくぅーよぉー♪」




20時59分に221系新快速リターンズ2008の回送が発車し、7・8番のりばへまわろう。

⑥2009年8月1日(土曜日) 

新快速京都方面野洲行きは、御着で221系の回送を抜く。もしかして、神戸みなと海上花火大会の臨時新快速大阪行きに使われるのだろうか? 楽しみだけど、入線から発車するまでの時間が切り詰めていないことを願いたい。神戸みなと海上花火大会が無事に開催できたのは、221系のおかげかもよ。  

20時20分、定刻より2分遅れて、神戸に到着した。

DSC_0196a.JPG


 

さぁー、いよいよ、臨時新快速大阪行きの登場となる。その1発目は「なんと」と言うよりも、予想通りであるが、アーバンネットワークのエース、221系だ(8号車クモハ221-8に乗車)。「マンモスうれぴー」と言いたくなるほどだ。白いボディーは輝かしい。221系は平成元年(1989年)に入団して、衝撃のデビューから20年たち、ベテランの域に入ったが、まだまだ色あせていないし、若々しい。  

発車時刻は20時48分だが、大雨の影響で、入線時刻が遅れた。ホームにレールファンが数人いるため、家族連れにきかれる。私は「この車両は臨時運行のときしか新快速で使われないんですよ」と説明すると、レールファンでないお父さんに火がついた。お父さんはカメラを持って、221系新快速リターンズ2009夏場所を激写!! すると、発車時刻がせまり、お母さんが呼び出し、急いで車内へ戻る。  

定刻より7分遅れの20時55分に発車し、ここから東海道本線へ。家族連れは221系という臨時新快速に使われないことに興味津々で、花火の余韻を楽しむ。私が大好きな221系新快速に乗れるのは、しあわせさぁー(“べしゃり”は琉球調)。  

20時58分、三ノ宮に到着。こちらでも花火が見えるのか、ドーッと乗ってきた。神戸ルミナリエは数日間の開催であることや、家路へ急ぐ時間が決まっていないこともあるだろう。ただ、花火は時間が決まっているので、集中的に混み合うようだ。  

20時59分、三ノ宮を発車。俊敏、機敏、颯爽、爽快。“アーバンネットワークの疾風”は、旋風を再び巻き起こすかのように駆け抜けてゆく。

「♪アーチィーチィーアーチッ、燃えてるんだろうがぁー。オーッ、アーチィーチィーアーチッ、感じたんだろうかぁー♪」  

という気分だよ。天候が怪しい中で、神戸みなと海上花火大会が開催できたのは、221系臨時新快速のおかげかもしれない。しかも、大阪行きの臨時新快速1番手である。ちなみに夏の221系新快速リターンズに乗るのは2003年7月26日(土曜日)以来、6年ぶり2回目となる。この当時は『JR時刻表』のイエローページに掲載し、所要時間が定期便に比べて若干かかっているため、“221系の運行あり”とにらんだら、その通りだった。



次は芦屋

意気揚々と走る221系の臨時新快速は、321系の臨時各駅停車大阪行き、221系の快速(高槻から普通電車)京都方面野洲行きをバッサリ抜く。久しぶりに221系が221系を抜くシーンを見た。  

21時06分、芦屋に到着。ここで321系の各駅停車松井山手行きに接続。ダイヤが乱れているので、臨時新快速が定期運行の各駅停車に接続するのは珍しく、本来は予定していなかったのかもしれない。



次は尼崎

21時07分、臨時新快速大阪行きが先に発車するものの、ほどなくして各駅停車松井山手行きに追い抜かれてしまうが、なぁーに、てめぇーは見せ場を作っているだけなんだよ。そして、本気を出せば、一気に襲い掛かるかのように追い抜く。何度も味わっているシーンだが、最高だね。レイザーラモンHGなら、こう言うだろう。

「フーッ!!」  

21時14分、尼崎8番のりばへ。7番のりばには、福知山線福知山からの快速大阪行きが停車。本来は21時14分に発車するが、快速大阪行きは113系体質改善車であるせいか、ここはアーバンネットワークのエース、221系の貫禄を魅せる。まるで顔でモノをいうかのように21時15分、臨時新快速大阪行きが先に発車。グッーレイトッ!!  

次は終点大阪かぁー、惜しいなぁー。できることなら、大阪から「臨時急行〈銀河〉東京行き」に変えて、走ってくれればいいじゃん!! トイレは1号車しかないし、洗面所もないため、キツイものはあるけど、ダメでも近畿日本鉄道の『アーバンライナーnext』『アーバンライナーplus』と張り合ってほしいなぁー(ムリなのはわかっているけど)。  

エーッ、時刻はもう21時18分!! もう塚本ぉーを通過かよ。あー、夢の時間はもうすぐ終わってしまう。お別れは悲しく、つらいけど、神戸ルミナリエがあるさ。この日は楽しかったよぉーっ!! これが心の底からいえる言葉だ。この興奮、感動、熱い心。大人にとって、“大人気(Otonage)ない日”や“大人気ない時間”があっていいじゃないか。乗車時は平静を装っているけどさ。

DSC_0202a.JPG




21時21分、終点大阪9番のりばに到着。全員の降車が完了すると同時に、向かいの10番のりばには、113系体質改善車の快速大阪止まりが到着した。気がつけば、バラストやレールが雨で濡れていたが、水谷豊の『カルフォルニア・コネクション』に例えると、221系新快速リターンズは、こういう乗り物だ。

「♪あぁーつく燃ぉーえるぅ、季ぃー節がぁー、ぼくらのぉー、あーこぉーがぁーれぇー、運んでゆくぅーよぉー♪」  

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本年はどうもありがとうございました。2007年もよろしくお願いします。

岸田法眼

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東武ファンフェスタ2006 [汽車旅2006番外編]

2006年11月19日(日曜日)、東武鉄道伊勢崎線北千住へ(次からは「東武」と略す)。9時頃に着いた時、2番線はすでに長蛇の列だった。駅員によると、気の早い1番乗りは6時に並んでいたそうだ(と私は盗み聞き)。

「みなさん、並んでお待ちです。途中からのワリコミ乗車はしないよう、お願いいたします」

と駅員が放送を流す。

9時10分、臨時電車南栗橋行き(5号車モハ1829)が入線。車両は2006年7月29日(土曜日)に臨時電車〈隅田川花火号〉浅草行きで、レールファンが殺到した1800系ラストナンバー車。今回も乗車券のみで乗れる大サービス!! また、特急スペーシア〈きぬ103号〉鬼怒川温泉行きと同時に現れ、偶然かもしれないが、イキな演出をする。

私は5号車に乗るが、残念ながら坐れなかった。ちなみに5号車の定員は68人。レールファンや小さな子供を連れた家族連れが多く、後者が早いうちから並んでいたのは当方の大きな誤算である。

9時14分に発車。グループ客は早くも座席を向かい合わせにする。通過駅では撮影隊が多く、1800系の勇姿をカメラに焼きつける。1800系の人気は健在だ。

さて、今回の1800系だが、ヘッドマークは団体専用の文字が見えるほどのシール式で、方向幕に「南栗橋」はインプットされておらず、白一色。特急〈きりふり283号〉南栗橋行きの使用予定もなさそう。また、自動放送装置も搭載していないため、車掌の肉声放送だが、東京急行電鉄(次からは「東急」と略す)8500系使用時の急行と区間急行と変わらぬ案内で、ワクワク感に欠ける。

草加を発車すると、特急〈しもつけ282号〉浅草行きとすれ違う。1800系の分身、350系で運行しているが、東武の大々的な種別改編にともない、特急に格上げしたものの、所要時間と料金は据え置きの“上げ底”にすぎない。

今回の臨時電車は急行・区間急行と同じ駅に停まり、なおかつ、全区間ホームは10両編成対応なのだから、1800系と350系を混結して、着席率を高めて欲しかった。史上初の“兄弟仁義”と宣伝すれば、話題性もより増すだろうが、かえってしないほうがよく、レールファンに“「思わぬ出会い」という名の衝撃”を与えてもよさそうだと私は思う。

新越谷に着く頃、雨はポツリ。前日から曇っており、この日は曇りのち雨の予報となっており、午後から本降りになるという。

ここで多くのお客が乗ってきた。デッキは朝の通勤電車と変わらぬ混雑ぶりで、客室はゆったり。越谷ではピンクのスタッフジャンパーを着た社員が“中ほどへ、中ほどへ!!”とホームから立客にジェスチャーを送る。その間、快速東武日光・会津田島行きに抜かれ、東京地下鉄03系の各駅停車北春日部行きに乗っている人、ホームで次の電車を待つ人は“見慣れない電車 or なつかしい電車”に開いた口がふさがらない。ちなみに快速東武日光・会津田島行きに立客は1人もいなかった(1800系に快速の通過待ちをさせるのは失礼だ)。

せんげん台ではとうとう、乗ることをあきらめるお客がいて、発車すると、武里を通過したあたりから、ノロノロ運転となり、春日部へ。

春日部はなんと4番線に到着。東急8500系の急行南栗橋行きを先に通す。1800系が先に発車すると、終点南栗橋で接続をとる各駅停車新栃木行きがホームに入れないらしい。1800系は営業運転で2度も屈辱を味わうこととなる。

3分停車なら、撮影タイムにもってこいだが、身動きがとれない。ここでもあとに着くのをわかっていながら、乗ってくる人がいて、ピンクのスタッフジャンパーを着た係員が“中ほどへ、中ほどへ!!”とホームから立客にジェスチャーを送る。新幹線に例えると、〈のぞみ〉ではなく、〈ひかり〉を選んでいるようなものである。

「『クレヨンしんちゃん』に出てくるイトーヨーカドーだよ」

春日部を発車すると、進行方向左側に坐る若い男が言い、ケータイカメラでiショット!!

相変わらずのノロノロ運転できた春日部を通過すると、進行方向右側には広大な車両基地が見え、一部のレールファンは気持ちが高ぶる。“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”の運用から外れるという、リストラを受けた30000系の数が増えているのは悲しく、腹立たしくもあるが…

東武動物公園に到着し、ここでも更に乗ってくる。もしかしたら、野田線柏から臨時電車南栗橋行き(春日部、北春日部、姫宮以外は各駅に停車。春日部は伊勢崎線にワープすることはできても、ホームはないので、たぶん、留置線に止まったと思う)から乗り継いだレールファンではないだろうか(後日、いくつかのトラバブログによると、各駅停車七光台行きを臨時延長したカタチとなっていた)。

ここから日光線へ。1800系は東武ファンフェスタと検査の時しか乗り入れず、貴重な走りといえる。ちなみに前回の東武ファンフェスタが行なわれた2005年10月2日(日曜日)は全車座席指定で、館林-南栗橋間を運行。東武動物公園で進行方向は変わるが、ホームではなく、杉戸工場があった時に使われていた“欄外線”に止まっていたことを思い出す。

杉戸高野台では東武ファンフェスタに行かない一般客が下車。急行南栗橋行きに乗り遅れたのだろう。

「あっ、『JOYFUL HONDA』だ!!」

発車して、しばらくたつと、進行方向右側に大型店舗があり、幼児の男の子が叫ぶ。幼児でも英語ができるのね…

幸手の下りホームはかつて、待避用も存在していたが、あとから開設した杉戸高野台と南栗橋にもあるせいか、不要になったようだ。この空間をチャリンコおきばにしたいぐらいだ。

発車すると、お客たちは身支度を整え始めた。

「東武ファンフェスタへお出かけのお客様は南栗橋東口下車、徒歩20分または無料のシャトルバスを御利用下さい」

ようやく車掌もワクワク感、ドキドキ感のある放送を流し、10時17分、終点南栗橋3番線に到着。吊り革、手すりのない道中だったが、あまり揺れなかった。

到着すると、ほどなくして特急スペーシア〈けごん7号〉東武日光行きが通過。1・6号車では撮影の嵐となったが、ゆとりを持って撮ることができた(画像下段は2005年開催時の1800系)。

臨時電車〈隅田川花火号〉浅草行きに比べると、1800系は“お化粧直し”をしており、赤いボディーは曇り空でも輝いていた。2007年も東武ファンフェスタを開催する時は北千住-南栗橋間をノンストップで運行してね(画像下段は前回開催時の臨時電車)。

階段を登って、自動改札へ向かうも大渋滞!! やっとこさ、抜け出したが、無料のシャトルバスは大行列。歩いたほうが早そうな気がしたので、“人生ラクありゃ、苦もあるさ”のような感じで歩く。ちなみに前回の東武ファンフェスタではシャトルバス片道100円だった。

徒歩の道中、JR東日本東北新幹線の高架をくぐるが、レールファンと小さな子供は興味倍増!! 〈はやて13号・こまち13号〉八戸・秋田行きがビューンと右へ行くと、〈はやて6号・こまち6号〉東京行きもキューンと左へ進む(画像の奥に写っているのは、〈はやて6号・こまち6号〉東京行き。見えますでしょうか?)。

「歩道をお歩き下さい」

東北新幹線の高架をくぐる直前、スタッフジャンパーの係員が呼びかける。そして、シャトルバスは東武ファンフェスタ会場の手前数百メートルでお客を降ろし、渋滞に遭遇。電車が10時17分に到着し、東武ファンフェスタ会場の南栗橋車両管理区に到着したのは10時54分であった。

入ると、まず目につくのは休憩用車両。前回に引き続き、30000系(4両車第2編成)だが、区間急行太田行きになっていた。先頭車の運行番号LEDと急行灯が撤去されているところを見ると、“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”のリストラにあってしまった(初期の車両は外幌も取り替えた)。ちなみに前回は4両車第13編成の通勤準急南栗橋行きだが、その直後に“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”のリストラ第1号となってしまっている(画像左側は前回開催時で、右側は今回開催の30000系休憩車両)。

余談だが、30000系は東急田園都市線の直通も前提としていたため、急行灯がついたが、点灯をやめたため、増備途中から省略している。また、東武でも使うことがなかったため、その姿を見たものは東武関係者ぐらいだろう。

2006年の30000系休憩用車両に入ると、中吊り広告は東武グループ一色だった。

30000系のリストラが腹立たしいのは、帝都交通度交通営団(2004年4月1日から「東京地下鉄」に改称)半蔵門線直通として、平成8年(1996年)に入団し、7年後の2003年3月19日(水曜日)にようやく本来の姿で活躍することが実現したのに、わずか3年で50050系に順次チェンジする姿勢である。これではカネのムダづかいで、輸送力増強というとらえ方をしていない。3社相互直通運転で、1番距離が長いのは東武で、たくさんの対応車両を用意すべきだが、1番少なく、日中は半蔵門線内で折り返し運転をしている便もある。

駅に備えつけの『声のたより』に投稿する気はないけど、なんとも情けない。30000系はフォーエヴァーするまで、“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”の運行をまっとうすべきである。

工場棟に入り、3000系6両車第14編成の4両が検査を受けており、展示。普段、見れない機器の中を見るが、驚くのは中間車の連結器はただ引っ掛けるだけだということ。運転時はホースでつないでいるので、万全の態勢であるが、あまりにも簡素な部品にビックリ!! ちなみに30000系第14編成も“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”のリストラ車両である。

なお、2005年は6050系が検査についていた。こちらの連結器は引っ掛けると言うより、つなぐほうだろう。

車体作業場では修繕を受けたばかりと思われるクハ81118とモハ82118がいた。このうち、クハ81118はクレーンによる車体上げと卸し作業の実演を務めた。宙に舞う電車にギャラリーはもの珍しいそうにカメラのフラッシュ!! その頃、私は別の場所で見ていたが、電車の“下半身”はどういったものなのか、見ればよかったのかもしれない。

私がいた場所はマスコン操作体験コーナーである。

マスコンはMaster Controllerの略で、5050系、8000系、6050系、100系、10030系、30000系、300系(椅子つき)を展示していたが、ブレーキと一体化しているワンマスコンハンドルの30000系が1番人気であった。

トシガイもなく、30000系のワンハンドルマスコンへ。キーをまわし、ブレーキを抜取(マスコンハンドルは基本的に外すことができない)から非常へ。そうしないと電車は走らない。

ノッチ(力行)は4速が最高で、ワンマスコンハンドルに握るボタンのようなものがあるが、これを離すとニュートラルになるという。つまり、ノッチを入れても常に握らないと加速しないということだ。

時刻が正午に近づき、ドア開閉操作体験コーナーへ。10030系のVVVFインバータ車だが、これが人気があり、最大40分待ちである。実際の電車のドアを開閉できるのだから、レールファンでなくとも、やってみたい。

事前に研修を受け、いざ本番。現役車両の乗務員室に入るのは昭和63年(1988年)夏の某鉄道のイベント以来、18年ぶり2度目。運転席は厳重に密封していたが、いざドアを開ける。

「プシューッ」

おーっ、開いた!!

鉄道のドアはひねって押し上げないと開かない仕組みとなっており、これも厳重だ。閉めるときは普通にボタンを押せば閉まる。ドアを閉め、側灯が消えた時、武者震いがした。

外へ出ると、雨は本降りになってきた。休憩車及び制服姿の子供を記念撮影する役も兼ねている30000系6両車第2編成は区間準急浅草行きとなっている。

けっこう並んだ宇都宮餃子購入後、撮影会場へ。13時までなので、急ごう。

展示車両は左から100系、200系、1800系、8000系、5050系、東急8500系夢塗装車である。

今回は初めて、他社の車両が展示されたが、東急5000系や東京地下鉄の車両(03系と08系の顔合わせを見たいのだろう)を希望する声もあった。また、前回に比べ、間近で撮影することができた。

2007年はそれに加え、JR東日本189系“彩野”も並べるといいだろう。ちなみに今回の展示車両で人気があったのは1800系である。300系に改造されなかったのは運がよく、東武でもっとも人気がある車両なのかもしれない。

余談だが、前回の展示車両は“〈りょうもう〉ファミリー”大集合だった。

撮影終了後、佐野ラーメンを購入。管理棟1階で宇都宮餃子と共に昼食。“栃木定食”にありつく。

食後、帰る前にもう1度、1800系の勇姿を見る。すると、ヘッドマークのシールははがされ、団体専用に戻っていた。

南栗橋駅行きのシャトルバスに乗り、急行中央林間行き(32610)へ。

30000系の運用で理解できないのは車両を通り抜けるドアが開けっぱなしにしていること。これだと付随車に乗っている場合、隣りの車両のモーター音がうるさいのだ。閉めていると静かだし、落ち着く。ちなみに乗車車両の優先席はビニールがかかっていて、利用できない状態になっていた。 

★東武鉄道関連の記事

①2005年11月22日(火曜日)
臨時電車〈フラワーエクスプレス号〉太田行き
(汽車旅2005番外編)

②2006年1月26日(木曜日)
東武鉄道野田線5070系フォーエヴァー
(汽車旅2004番外編)

③2006年3月18日(土曜日)
準急浅草発フォーエヴァー
(汽車旅2006番外編)

④2006年5月4~6日(木~土曜日)
臨時電車(渋谷から臨時急行)〈フラワーエクスプレス号〉長津田行き
(汽車旅2006番外編)

⑤2006年6月23日(金曜日)
特急〈スペーシアきぬがわ3号〉鬼怒川温泉行き
(汽車旅2006番外編)

⑥2006年7月23日(日曜日)
イーハー東武誕生&半蔵門線延伸
(汽車旅2003番外編)

⑦2006年7月30日(日曜日)
臨時電車〈隅田川花火号〉浅草行き
(汽車旅2006番外編)

⑧2006年9月29日(金曜日)
生まれたての春の色を見つけに
(汽車旅2003番外編)

⑨2006年10月9日(月曜日)
イーハー東武半ZONE門線NOBORU2003
(汽車旅2003番外編)

⑩2007年5月1日(火曜日)
まだまだ1800系2007(日光線臨時快速-前編-)
(汽車旅2007番外編)

⑪2007年5月2日(水曜日)
まだまだ1800系2007Ⅱ(日光線臨時快速-後編-)
(汽車旅2007番外編)

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多摩モノレール基地見学会2006 [汽車旅2006番外編]

2006年11月5日(日曜日)、JR東日本東京2番線から11時21分発の特別快速高尾行き(10号車クハ200-100)に乗る。久しぶりに乗った“中央線”の201系は心地よかった。ボディーは少々傷んでいたが、まだまだ活躍できるはずの車両だ。ちなみに201系は2005年12月から廃車が始まっており、2006年10月18日(水曜日)には中央線用にも飛び火し、E233系の世代交代は急速に進んでゆくだろう。JR西日本はまだまだ活躍するだけに残念だ(ぜーんぶJR西日本に譲渡して、体質改善車以外の103系を廃車したほうがいいように思える)。

中野を発車すると、E231系試作車(旧209系950番台)の各駅停車中野行きを抜く。この日は休日ダイヤなので、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪は終日通過となってはいるものの、荻窪-西荻窪間でE231系の各駅停車三鷹行きに抜かれるヘマをおかした。先行電車に接近するため、ノロノロ運転になっている。

西荻窪で抜き返し、三鷹から快走!! 進行方向左側には高架工事区間を走るが、完成すると東京-立川間は踏切が1つもないことになるものの、三鷹-立川間が複々線にならないのは疑問だ。

立川で下車して、昼食をとったあと、多摩都市モノレール(多摩都市モノレール線)[立川北駅]へ。上北台行き(1407:ワンマン)に乗るが、シートモケットは青から紅葉色に変わっていた。開業から8年しかたっていないが、次の高松(JR四国にも同じ駅があるので、まぎわらしい)を降りた時に中間車はセミクロスシート(ボックスシート&ロングシート)ロングシートに改造されていたことに気づいた。もったいない。

多摩都市モノレールの1000系は平成9年(1997年)に入団。モノレール初のVVVFインバータ制御を採用し、自動運転ができる。また、平成の東京を走る鉄道では“異例”ともいえるセミクロスシートを採用した。ちなみに第2・3・16編成はイベント対応車となっている。

平成10年(1998年)11月27日(金曜日)、立川北-上北台間が開業し、平成11年(1999年)4月28日(木曜日・みどりの日)に皇太子御夫妻がお乗りになった。

2000年1月10日(月曜日・成人の日)に多摩センター-立川北間が延伸し、全通。そのお祝いに“お染ブラザーズ”が営業に現れ、いつもの「おめでとうございまーす」で祝福した。ちなみに私は開業日に乗っており、今回の利用は2000年1月10日(月曜日・成人の日)以来、6年ぶりとなる。

2000年7月31日(月曜日)に乗客2000万人、2004年11月15日(月曜日)には1億人を突破。立川南で記念式典が行なわれている。

しかし、2004年8月5日(木曜日)から一部車両のロングシート化を開始。現在、展望席以外、ロングシートの車両は第2・3・11~13・16編成(第16編成は新製時からで、行先表示もLEDに変更)。中間車のみロングシートは第1・4~10編成。オリジナルのセミクロスシートは第14・15編成のみで、シートモケットはオリジナルの青である。これは今回、初めて知った。

歩いて10分ほどのところにある多摩都市モノレール運営基地へ。この日は『多摩モノレール基地見学会』が行なわれ、家族連れやレールファンでにぎわっていた。特に小学生以下のお子様向けのアトラクション(整理券が必要とするモノ、スタンプラリー、塗り絵など)が多く、レールファンはターゲットにしていないような雰囲気がある。レールファン以外の人にも乗ってもらいたいという意気込みがあるのだろう。ちなみに運営基地の一部はトミンハイム立川泉町の下にあるが、そこに在住している方の多くは“車両基地を駅にしてもいいじゃん”と思っているのではないだろうか。

多摩都市モノレールの制服で記念撮影をするアトラクションは人気のマトで、子供用を用意する周到ぶり。バックとなる車両は3種類用意され、レールファン向けの車両撮影会も兼ねている。そのトップバッターは第5編成“夢塗装車”である。

付近ではポイントの転換実演が行なわれる。モノレールはコンクリートの太いヤツが命綱。その動きを食い入るようにギャラリーは見ていた。私はモノレールの前面展望席に坐って、何度か見ているが、かなり大掛かりな作業で、クネクネ曲がるのが不思議なぐらいだ。初めて見た時、スプーン曲げを思い出した。

検修庫では車両の展示及び、床下機器の公開が行なわれた。特に台車の構造には関心があり、サイズは違えどタイヤを10本も使っていた。どれかパンクをしたら致命的なことを招くわけで、一般的な鉄道よりもかなりデリケートであることを実感する。ちなみに沖縄都市モノレールの運営基地には東京モノレールで廃車になった台車をケースに入れたうえで、屋外展示。その先を進むと、ゆいレール記念館がある。

本社棟へ移動。1階は物品販売が行なわれ、吊り革500円や案内板を販売。意外と吊り革や案内板は寿命が短いようである。また、大型商品は代金着払いの宅配便で送るサービスもあった。ちなみに私は自社制作のDVDを購入。普段、鉄道DVDは買わないが、500円というお安いお値段だから買った。ちなみに吊り革を見て、「どこへ飾ればいいんだろう?」と悩む保護者がいた。レールファンでもわかりません(洗濯ロープに吊るして、“おうち電車でGo!!”をする方法もあるんだろうが…)

5階は資料見学、塗り絵、ビデオ鑑賞など。資料見学ではホームドアの実演が行なわれたが、小さな子供が大騒ぎしてうるさい。また、資料見学の入口ではロングシート化にともない、撤去されたボックスシートやサイン色紙5枚を展示していた。ちなみにサイン色紙は平成10年(1998年)8月8日(土曜日)に間寛平(サイン色紙の右端)、9月に「ひとりよりふたり」と書いた中村さんという方だが、誰なのかはわからない(左から4つ目)。左側3つは2003年12月28日(日曜日)に大河ドラマ『新撰組』に出演した土方歳三、お琴、井上源三郎の役を演じた役者さんのサインである。

本社棟を出て、自販機へ。DyDoの自販機は面白く、ジュース(100円)、ペットボトル(WATER MIUは100円、それ以外は130円)のほかにChip Star(120円)やKit Kat(150円)も販売していた。また、この自販機で買うと、プレステ2が抽選で当たると言うクジ引きにもチャレンジすることができ、買ってやってみるが、ハズレ。爆笑問題田中裕二の大好物といわれる、うまい棒1個をもらう。ちなみに、うまい棒は株式会社やおきんの商品である。

車両撮影会、2番目の車両は第10編成。通常の車両で、しんがりは第15編成“夢塗装車”である。

撮影終了後、運営基地をあとにするが、出口では社員が記念の硬券をプレゼント。近代的なシステムを取り入れている鉄道の思わぬ“かくしダマ”であった。ちなみに多摩都市モノレール線の駅では使えない。

多摩都市モノレールは延伸の構想はあるというが、“夢”で終わる可能性もある。新たな“顧客”確保のためにも、2005年から始まったこのイベントを毎年開催し、延伸の構想を実現してもらいたいものである。

 ◆多摩都市モノレールホームページ…http://www.tama-monorail.co.jp/

◆株式会社やおきんホームページ…http://www.yaokin.com

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急行武蔵小杉行き(ワンマン運転) [汽車旅2006番外編]

2006年10月8日(日曜日)、日比谷公園で行なわれた『第13回鉄道フェスティバル』へ。JRグループではJR西日本が福知山線事故の影響がまだ強いようで、参加を自粛。JR四国のブースでさぬきうどんと『アンパンマン列車』のオレンジカードを購入し、昼食後、東京急行電鉄(次からは「東急」と略す)目黒(N01・I01)へ(ちなみにオレンジカードは特急券やグリーン券の購入にあてる予定)。

東急は9月25日(月曜日)に東横線と目黒線でダイヤ改正を行ない、前者は特急と急行の所要時間短縮。後者は急行を新設した。以前の「目蒲線」時代なら、考えられないことである。

目黒に到着する電車を見ると、驚くことがある。

それは東京地下鉄南北線及び埼玉高速鉄道(路線名は「埼玉高速鉄道線」で、“彩の国スタジアム線”という路線愛称がある) 、東京都交通局(都営地下鉄)都営三田線からの武蔵小杉行き(ワンマン運転)が到着すると、方向LED(「方向幕」が死語になる日も近いようだ)は「武蔵小杉」から「各停武蔵小杉」に変わるのである。以前は各駅停車しかなかったため、行先表示だけでよかったのだ。それならば、田園都市線の各駅停車も「各停」と表示し、統一性を持って欲しいものである。

地下鉄方面へ向かう2番線は電車が着くと、東急運転士がヘッドライトつけっぱなしのまま、テールランプもつける。そして、地下鉄の運転士が方向LEDの種別表示を消して、行先のみにしたあと、テールランプを消して、あわただしく発車する。これは“儀式”と言っていいだろう(1番線は見ていないが、同じことをするだろう)。

14時52分発の各駅停車武蔵小杉行き(ワンマン運転)は東急5080系だった。“5000系シリーズ”では唯一、乗っていない車両だが、2006年に増備した第3編成で、5050系や5000系第7編成以降と同様、フルカラーLEDにしたのが特長。ドア上の情報案内装置はLEDから音声なしの液晶テレビ2台に変わった。個人的には3000系にこだわって欲しかったが…

並走する東横線と誤乗を防止するためなのか、フルカラーLEDの5080系第3編成でも、各駅停車の種別色は緑だった。ちなみに東横線の各駅停車の種別色は青だが、8000系LED車だけは緑である(オレンジ、緑、赤の3色しか出ないから)。

5080系第3編成の各駅停車武蔵小杉行き(ワンマン運転)が発車後、1番線に折り返し、東急3000系の各駅停車武蔵小杉行き(ワンマン運転)が入線した。目新しい光景だが、駅の時刻表を見ると、次の電車は急行武蔵小杉行き(ワンマン運転)なので、“通過駅を救済する”電車のようだ。ちなみに3000系は世田谷線以外の東急車と違い、種別幕はなく、英語表示に切り替える時は上段が「LOCAL」、下段は「MUSASHI-KOSUGI」となっており、苦心の表示である。急行の設定を前提としていなかったようなフシがあるように思えるが、デビューしたのはまだ特急が走っていない頃の東横線である。意外でしょ?

目黒線は事実上の増発ということになるが、目黒は1面2線しかなく、目蒲線時代に地下化の際、2面4線にして、ホームに“ゆとり”を持たせるべきだったのではないか(あるいは白金高輪方に留置線を設ける)。遅延した時、大いに足を引っ張る存在になりそうだ。

3000系の各駅停車武蔵小杉行き(ワンマン運転)が発車してほどなく、急行武蔵小杉行き(ワンマン運転)が到着。地下鉄始発時から方向LEDは「急行武蔵小杉」になっていたのは予想通りだが、埼玉高速鉄道2000系なのは意外だった(4号車2602:弱冷房車。埼玉高速鉄道車)。ちなみに目黒は1号車寄りが撮りやすい。

あわただしく、14時58分に発車。地上に出るも、急行というほどのスピードはあがらず、不動前を通過。ものものしい鉄の柱をゆき、地下化された区間へもぐる。以前、タモリの番組で、本人じきじきに工事中の現場をロケしていたことを思い出す(テレビ朝日で放送したが、最初から見ていたわけではないので、番組名がわからない)。

武蔵小山に到着。早々と3000系の各駅停車武蔵小杉行き(ワンマン運転)に接続。ムリヤリ緩急接続させたような感じだが、目黒の発車ダイヤを急行のあとに始発の各駅停車にしたほうが、よっぽどいいのではないかと思う。

15時01分に発車すると、急行らしい走りっぷりを魅せるものの、西小山を過ぎて、地上に戻ると、鈍くなる。

大岡山1番線に到着。向かいの2番線は大井町線8590系の各駅停車二子玉川行きと接続(方向幕に「各停」の文字はなく、二子玉川のみ。また、8500系の方向LEDは明朝体となっている)。ほぼ同時にドアが閉まり、各駅停車二子玉川行きがワンテンポ早く発車したあと、追走。乗り換え時間15~30秒前後であわただしい。まるでJR西日本の新快速と各駅停車の接続劇を見ているようだ。

埼玉高速鉄道2000系は2000年に入団。南北線の赤羽岩淵を起点に埼玉スタジアム2001の最寄り駅、浦和美園(Urawa-Misono)を終点とする路線で、2001年3月28日(水曜日)に開業。浦和美園以外は地下駅となっている。

アルミ車体でも、ドアはステンレス。ドア上のLEDによる情報案内装置は千鳥配置となっているものの、2005年あたりから、ついてないところに音声なしの液晶テレビを設けたが、自社の宣伝がほとんどである。

座席はロングシートだが、1990年代から当たり前のようになっている、着席区分が明確なバケット式でないのが理解できない。

なお、埼玉高速鉄道も急行の運転を検討しているらしい。「高速鉄道」という社名なのだし、やって欲しいものだが、停車駅は鳩ヶ谷と東川口に絞られるだろう。但し、鳩ヶ谷以外のホームは1面2線なのがネックである。

東横線に合流し、田園調布へ。ここから東横線と並走する路線別複々線となり、多摩川に停車。かつては巨人軍多摩川グラウンドの最寄り駅であった(当時の駅名は「多摩川園」だった)。

あっというまに終点武蔵小杉2番線に到着。向かいの1番線には東京地下鉄03系の各駅停車日吉行きが発車を待っているのかと思ったら、ドアが開く直前に発車してしまった。

次にやって来たのは5050系の特急元町・中華街行きで、久しぶりに東横線の電車を見るが、8000系の置き換えは着実に進んでいることを実感した。

一方、田園都市線も5000系が11編成に増えたものの、8500系をフルカラーLEDにチェンジした車両があるので、スローペースになりそうだ。おまけに8590系が2003年以来、3年ぶりに田園都市線に戻ってきた(東武鉄道には直通しない)。

5050系はJR東日本湘南新宿ラインの対抗や地下鉄13号線の直通を視野に入れた車両であろう。だから、8000系が急激に消えてゆくのである。

さて、目黒線の急行は日中30分おきとなっているが、利用客の要望が多ければ、今後は20分おきか15分おきが“終日の基本ダイヤ”になることが予想される。

もしかしたら、試験的に運行しているのかもしれないが、「急行」というより、“隔駅停車”に乗っているような感じだった。

余談だが、目黒線は2007年に日吉まで延長する予定で、全通することになっている。あとは6両編成から8両編成になるのはいつになるのだろうか?


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ゆりかもめ豊洲延伸 [汽車旅2006番外編]

2006年9月30日(土曜日)、ゆりかもめ (路線名は「ゆりかもめ臨海線」)豊洲(U16)へ。

3月27日(月曜日)に有明-豊洲間が延伸開業したが、本来は新橋(U01)から乗りたかった。既存の開業区間から乗り、延伸区間を先の楽しみにしておくのがレールファンとしての“鉄則”のように思っていたからである。

しかし、この日、前回のブログで御紹介した『新型車両10000系車両撮影会』で東京地下鉄新木場検車区へ行っていたため、帰りに寄り道をすることにし、自分自身に妥協したのである。妥協したもう1つの理由は新橋からだと先頭車の前面展望席に坐れないだろうと思ったからである。なんせ、ゆりかもめはカップルのデートで利用することが多い路線なため、1人で乗るのはうしろめたい気持ちになってしまうからだ。

東京地下鉄有楽町線で豊州(Y22)入りしたが、中間のホームは線路がしかれておらず、サクがかかっている。

構想では路線を建設し、住吉で半蔵門線に直結。亀有か松戸へ延伸する構想があるというが、このままだと着工すらない可能性が高くなってきている。ちなみに住吉のホームは豊洲からの電車を待っている構造になっているが、こちらもサクがかかっているものの、レールは敷いてある。夜間や土休は8000系か08系の“宿泊所”になっており、鷺沼検車区の容量が足らないのかもしれない。

初めて豊州で下車するが、こちらも都会的な街づくりが進んでいる印象を受ける。ゆりかもめの高架はブッツリ途切れており、まだまだ延伸する可能性があると見たが、どこへ向かうのだろう? まさか、2007年度開業予定の東京都地下鉄建設日暮里・舎人線(Nippori-Toneri Line.仮称)と相互直通運転を行なう構想を持っているのだろうか?(やるにしても、遠過ぎる気がするので、実現しないだろう)

券売機では沖縄都市モノレールみたいに区間ごとに色分けしている。新橋(U01)-芝浦ふ頭(U05)間はグリーン、お台場海浜公園(U06)-テレコムセンター(U09)間はピンク、青海(U10)-有明(U12)間はオレンジ、有明テニスの森(U13)-豊州(U16)間はイエローとなっている。

土曜日の日中でも4分おきの運行で、待たずに乗れるのがいい。また、思惑通り、豊州(U16)は各乗車口に列ができほどのガラガラで、これなら前面展望席をGETすることができる。

1番線に15時36分発の新橋行き(7176:無人運転)が入線。到着すると係員が乗り込み、終点での折り返し乗車を阻止している。

前面展望席は進行方向左側は1人掛け、右側は2人掛けになっており、迷わず前者をGET!! ちなみに後者は運転台があり、運転士が乗り込んだら、明け渡さなければならないことになっている。

7000系は初期の車両はプラグドアを採用していたが、現在の増備車は外吊りドアに変えているという(ゆりかもめのホームページによる)。

そういえば、JR東日本はACトレインのE993系で外吊りドアを試験的に設置していたが、それを踏まえて入団したE331系は従来の“ノーマルドア”としたことを思い出す。安全性の問題があったのだろう。

座席はボックスシートとロングシートのセミクロスシートで、観光に配慮したものだろうが、関東地方は転換クロスシートが“禁令”のような感じがしてならない。京浜急行電鉄の2100系は関東では唯一の転換クロスシート車両だが、残念ながら座席の向きを変えられるのは乗務員だけという、少々、使い勝手が悪い。

外吊りドアとホームドアが閉まり、15時36分に発車。次の新豊洲(U15)は豊洲(U16)からでもよく見える。

新豊洲(U15)、市場前(U14)は空き地が多く、5年以内には都会的な建物が姿を現しているだろう。

市場前(U14)を発車すると、目の前にはレインボーブリッジがあるものの、左へ曲がる。

ゆりかもめはレインボーブリッジを渡るのが最大の目玉だが、“お楽しみはまだ先”といったところだろう。

有明テニスの森(U13)も駅周辺は空地だが、2016年のオリンピック選手村予定地(ちなみに2016年は東京でやるかどうかは未定)。また、右側には有明コロシアムというテニス場がある。

東京臨海高速鉄道臨海副都心線[国際展示場駅]乗り換え駅の有明(U12)に到着する頃、首都高速なのだろうか、道路の建設が進んでいた。どうやら、大型ジャンクションになるようだ。

有明(U12)に到着して、ゆりかもめ全線完乗を果たし、ここからは既存区間へ。車両基地への分岐線と分かれ、右へ曲がる。だんだん、臨海副都心らしくなってゆくが、進行方向左側は埠頭、右側は街というのはミスマッチ。更に東京国際空港(羽田空港)へ着陸するヒコーキが大きく見える。“誤って、テレコムセンターというガラス張りのビルにぶつからなければいいな”とヒヤヒヤする。

青函連絡船羊蹄丸がいつのまにか臨海副都心に移籍し、船の科学館別館となっていたことに驚くと、船の科学館(U08)に到着。羊蹄丸は最後まで運航していた青函連絡船である。ちなみに八甲田丸は青森、摩周丸は函館で静かな余生を過ごしている。

台場(U07)はフジテレビのあるところで、以前は新宿区河田町に在籍していた。普段は「お台場」と言っているのに、駅名が「台場」というのも妙な感じを受ける。駅名も「お台場(U07)」にすればいいのに。

発車すると、進行方向右側はフジテレビ、左側はなぜか自由の女神。日本用として、大幅に縮小したサイズがある。お台場のシンボルか?

そして、進んでゆくとマンションが見えてくる。遊び場と居住地が一体化しているようだが、夜は“若者のたまり場”になっているため、住み心地はよくないだろう。

ついにゆりかもめの目玉、レインボーブリッジを渡る。

上段は首都高速、下段は歩道、一般道路、ゆりかもめとなっている。上段の首都高速が片側2車線なのが理解できないが、下段の一般道路は次から次へとクルマに抜かれる。また、レインボーブリッジ経由の都営バス(東京都交通局の路線バス)がある。歩道を利用する人もいたが、私は歩道を完歩すれば“レインボーブリッジ完全制覇”となるのだけど、いったい、いつになるのやら…

レインボーブリッジを渡り終えると、グルグル曲がって、レインボーブリッジにつながっている首都高速や、ゆりかもめをくぐることになり、これが圧巻のシーンであろう。

残り区間はいつもの殺伐とした街をゆく。臨海副都心はまさしく“夢の島”なのだ。

JR東日本東海道本線、JR東海東海道新幹線と合流し、新橋へ直行するかと思いきや、汐留(U02)へ寄り道。「日本テレビの最寄り駅」と言いたいだが、実は終点新橋(U01)のほうが近い。

汐留(U02)は昭和61年(1986年)10月31日をもって、国鉄が営業をやめた貨物駅だが、2000年12月12日(火曜日)、東京都交通局(都営地下鉄)都営大江戸線が全通したことにより、14年ぶりに復活(旅客営業は初めてとなる)。また、駅設備はすでにできていたものの、都営大江戸線の全通を待っていた、ゆりかもめも営業を開始した。

汐留(U02)を発車すると、あっというまに終点新橋(U01)に到着。意外と混雑しておらず、ゆとりのある混み具合だった。4分間隔のダイヤのおかげだろう。


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新型車両10000系車両撮影会 [汽車旅2006番外編]

2006年9月30日(土曜日)の12時20分過ぎ、東京地下鉄有楽町線新木場(Y24)に到着した。隣りは東京臨海高速鉄道臨海副都心線、頭上には先日、変電所のボヤで国土交通省に大目玉をくらったJR東日本京葉線があり、ジャンクション的な役割がある。

東京都交通局の都営バス木11新木場循環へ。この日、新木場検車区で『新型車両10000系車両撮影会』が行なわれており、応援の職員を配置して、臨時便も走っていた。

普段、路線バスには乗らないが、近年はノンステップバスが標準となっているようで、長蛇の列となっている新木場循環臨時便はちょうど、私のところで乗車客を区切ることになった。ただ、運賃前払いで、なおかつ、職員が応援に駆けつけているのだから、下車専用の中ドアでも運賃徴収ができたと思うが、詰め込み過ぎで事故を起こされてはたまったものではないのだろう。

バスは安全運転で、新木場検車区最寄り停留所の東千石橋に到着。ここでは運転士が前ドアでも降りれるようフレキシブルな対応。普段は終点以外、こういうことはやらず、途中の停留所では異例なのだ。また、ここから乗ってくるお客も多い。臨時便がボコボコ走っているようなので、“「時間通りの運行」という名の宿命”にしばられることもないだろう。

最寄り停留所と言っても、ここから更に7分歩くが、無事に新木場検車区に到着。ここでも列があるが、事前にスタンプラリーを行なっており、指定の6駅でスタンプを押せば、先着10,000名様に景品がもらえるのであった。ちなみに私はスケジュールの都合でできず景品はもらっていない。

中へ入ると、進行方向左側から7000系、07系、10000系の順に並んでいる。しかも、トップナンバー勢ぞろいという配慮ぶりで、撮影会場はこの先なのに、心がうずいて待ちきれないレールファンの面々はシャッターを切りまくる。ちなみにデジカメ全盛の世の中でも、一眼レフカメラで撮影した方の多くは意外にもフイルム式だった。

13時10分、長蛇の列に並ぶ。係員は待ち人を数えるが、なんと110人だった。てっきり、撮影会場かと思って並んだ私だが、のちに弁当を求めている人の長蛇の列と判明。あえなく離脱する。

弁当は『13号線10000系車両導入記念特別弁当』だけで、ほかはお茶とジュース系のみ。

『13号線10000系車両導入記念特別弁当』は10000系のハーフカットの容器に焼きそば、チキンピラフ、からあげのどちらかが入っているだけで、お値段は600円。3種類とも欲しければ1,800円を投資しなければならず、高過ぎる。

翌日発売の10000系のSFメトロカードを先行販売。迷わず購入し、もれなく東京地下鉄各線の車両シールがもらえる。私は迷わず銀座線01系をGET!!

10000系は東京地下鉄初の新型車両で、6000系以降は先頭車のデザインを左右非対称にして、運転台を広くとって、ゆとりを持たせていたが、5000系以前のような中央に貫通扉があるタイプに戻し、時代に反してボルスタレスじゃない台車をはいたり、電気笛ではなく空気笛を採用するなど、“東京レトロ” というような車両である。ちなみに阪急電鉄9000系もボルスタレスではない台車をはいているが、よく揺れて利用客には不評なのだろう。

車体の側面を見て気になったのは、号車札がないことである。“東京地下鉄の標準設備だというのに、ないとは思い切ったことをしたものだな”と思った矢先、意外なところに号車札があった。

それは行先LEDに「和光市」と「x号車」が交互に表示していたのである。これは東武鉄道50000系・50050系と同じ方式なのである。個人的にこのようなやり方は気に食わず、やるのであればJR西日本221系みたいに行先と号車のLEDは別個にすべきである。そのほうがわかりやすい。

撮影会場を並行して、チビッコ向けのミニ電車が好評だ。先頭車は10000系、最後尾は7000系という組み合わせ。07系がないのが残念かな。

ミニ電車の隣りの建物は検車場で、7000系第29編成が検査を受けていたが、イベントが終わるまではお休みのようである。

ようやく、撮影会場に着いた。10000系は和光市行き、07系は新線池袋行き、7000系は新木場行きとなっており、意外にもゆとりを持って、撮影することができた。その隣りには東武鉄道9000系と西武鉄道6000系が“友情出演”していた。

さて、ケータイからアクセスしている方にはもれなく、撮影会の主役3車種の待ち受け画像をプレゼント!!(但し、写真コンテストなどの応募で、「私が撮りました」と言わないように。また、プリントすると、画像が粗くなるので、御注意下さい)

 7000系トップナンバー車の6・8号車はシュミレーション大会となっていて、『電車でGo!!』の実写版が子供たちにウケているようだが、待ち時間40分から1時間待ちなので、回避。不法侵入防止の壁のつもりなのか、7000系第19編成の豊洲行きも6・8号車ではDVD鑑賞会が行なわれ、最前部は家族連れで占拠。8号車では銀座線の前面展望映像が流れていたが、窓は黒いカバーで覆っていたせいか、立ちんぼだったため、発車すると、ついつり革を握りそうになってしまった。これは普段、ラッシュの電車に乗っている“習慣病”あるいは“職業病”ということなのだろう?!

14時01分、10号車の運転席ではスタッフが10000系のウリとしている空気笛を鳴らすサービス。10000系は2006年9月1日(金曜日)にデビューしているので、聞いたことがある方がいるかもしれないが、いい音色。ただ、何回も聞かないと覚えられない(その点、大阪市交通局の御堂筋線は駅の到着時と発車時はタイフォンを鳴らしているので、覚えられる?!)。

10000系を見た印象は7000系・07系に比べると、先頭車が進化したなと感心する。アルミやステンレスはデザインの柔軟性が鋼製車に劣ると言われているが、そんなことを払拭させる技術の進化を肌で感じる。アルミ車体でも丸みのある先頭車が作れ、“21世紀のカタチ”としていきたいところだ。

先ほども述べたように、10000系は2006年9月1日(金曜日)にデビューしたが、これにより、一部の07系が東西線にコンバートするという。これには納得がいかないが、どうして05系にこだわらなかったのだろう?

10000系の帯は有楽町線新線と同じ茶色を主体としているので、東京急行電鉄東横線に直通することを前提としている、地下鉄13号線(有楽町線新線も路線名が改称されるだろう)の専用車両と見ていい。東武鉄道も50000系量産車は地下鉄13号線に乗り入れることを前提にしているだろうし、9000系・9050系は乗り入れないものと考えていいが、西武鉄道はどうなるのかは予測がつかない。

7000系や07系は有楽町線として引き続きの活躍となるだろう。ただ、7000系が老朽化して置き換える場合は07系の増備にこだわって欲しい。

なお、地下鉄13号線は2008年6月の開業を目指している。


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<中央ライナー3号>八王子行き [汽車旅2006番外編]

2006年6月9日(金曜日)、17時50分頃にJR東日本東京1・2番線へ。以前は中央本線のホームだったが、JR東日本の方針により、東京-神田間は東北本線、代々木-新宿間は山手線に吸収された。しかし、レールファンやそうでない人々は“中央線”と認識しているので、ここではそういうふうに記そう。

ライナー券売機へ行くものの、すでに700円のグリーン車は売り切れており、やむなく、500円の指定席券を購入。近距離乗車券と同じサイズの指定席券に拍子抜け。旅をするワケじゃないから、まぁーいいか。

17時58分、<中央ライナー3号>八王子行き(10号車指定席モハE257-111)が入線。特急<あずさ><かいじ>と同じE257系である。ちなみにE257系は2002年鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している。

中央線は本数が多く、なおかつ、1・2番線しか使えないため、18時00分にすぐさま発車。<湘南ライナー>などのように、乗車前のライナー券を係員が拝見をする時間はないのである。

東京を発車してすぐにJR東日本特急用チャイムが鳴り、堺正幸フジテレビアナウンサーの自動放送で御案内。まさか通勤ライナーのアナウンスをしているとは想像もしていなかったが、特急に乗っているような気分だ。

神田を通過すると、進行方向左側には2006年5月14日(日曜日)で歴史を終えた交通博物館で、事務室はまだまだ営業している。また、進行方向右側には停止信号以外、永遠に停まることのない万世橋ホームがある(2006年5月14日に掲載した「交通博物館フォーエヴァー」参照)。

私は10号車指定席に坐っているが、なぜか東京から乗ってきたお客はみな、進行方向右側の席に坐っている。進行方向左側はガラ空きで、新宿からのお客を待っているようだ。なので、東京では相席になることが当たり前らしい。

新宿までカーブが多く、しかも、過密ダイヤなので、速く走れない。同じスピードでも201系はウンウンうなっているのに対し、<中央ライナー 3号>八王子行きは落ち着いている。

四ツ谷を通過すると、デッキのタッチ式自動ドアの上にあるLED情報案内装置はもう、「まもなく新宿」となっていた。早過ぎる!! お降りのお客様はお早目の支度をお願いしているのであろう。

18時14分、新宿9番線に到着。向かいの10番線は快速(中野から各駅停車)青梅行きが先に発車し、逃げてゆく。

18時15分に発車。新宿では進行方向左側の座席が埋まってゆくも、10号車1~10番C通路側は埋まったが、11~16番C通路側は誰も坐らなかった。

ここからは勢いよく走り、特急形電車の本領発揮といきたいところだが、先に発車した快速(中野から各駅停車)青梅行きがモタモタしたため、すぐにへばる。中野の中央線下りホームには追い抜き設備がなく、中野-三鷹間は総武線(正式路線名は「中央本線」だが、“黄色い電車は総武線”というのが一般的な認識)のホームもあるため、スピードアップができない。

複々線高架の周囲はどこもかしこも家だらけ。老朽化しても、取り壊し不能という感じだ。屋根がドUPで、よく見える。下手にスピードアップすると、騒音苦情が鳴りやまなそうだ。

のんびり進んでいるものの、特急形のリクライニングシートを満喫するにはちょうどいい。グリーン車に乗れなかったのは残念だが、乗る機会はいくらでもある。

指定席は座面を前に動かせるJR東日本独自の“ファミコンシート”で、足をより前に伸ばせる効能があり、長時間乗車による疲労の低減になるだろう。但し、背面のテーブルは硬くて引き出しづらい難点がある。

三鷹でようやく、各駅停車青梅行きを抜く。三鷹電車区を過ぎると、進行方向左側は大規模な高架工事現場をゆく。高架の支柱は中央にあるのが一般的に思えるが、中央線は耐震強化対策なのか、左右に建てた。

納得がいかないのは複々線で建設していないことで、そうすれば運行体系を全面的に見直すことができ、所要時間の大幅な短縮ができただけに大変残念だ。また、高架化区間は201系が走る可能性は低いようだ。通勤形電車では名車であるだけにE233系入団と引き換えに廃車になるとは残念だ。京葉線の201系もE331系が量産されると、消える運命にあるだろう。

武蔵小金井電車区を通過すると、高架工事区間がなくなり、スピードに勢いが出て、国分寺を通過。各駅停車高尾行きを抜く。

ようやく、本来の力を出したかに思えるが、国立(Kunitachi)付近で減速し、次は立川。ちなみに立川は降車のみで、乗車不可能。

立川は青梅線、南武線、多摩都市モノレール[立川北駅と立川南駅]の乗り換え駅や東京都西部では“ナンバーワン地域”ということもあってか、大量に降りていった。ちなみに私が乗車する10号車は、新宿から乗車したお客の半分以上がここで離脱した。

立川を発車すると、ラストスパート!! 100㎞/h程度だと思うが、心地よく走るものの、豊田を通過する頃にはスピードがにぶる。スピードは物足りなくても、500円を投資すればリクライニングシートに必ず坐れるのだから、有意義に過ごせる。

暗い曇り空に覆われつつ、わずかに見える夕焼け空は翌日の晴れを予感させ、18時55分、終点八王子4番線に到着した。

「ドアが開きます」

E257系はドアチャイムと同時に“ドアボイス”があることを初めて知った。ちなみにこの電車は折り返し、19時21分発、<中央ライナー4号>新宿行きとなる。

余談だが、八高線ホームに先頭車だけ元東京臨海高速鉄道70-000系の209系3100番台を初めて見た。この車両は“最後の209系シリーズ”となったが、70-000系はそれをベースとしているため、違和感はまったくなかった。

 


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交通博物館フォーエヴァー [汽車旅2006番外編]

2006年5月13日(土曜日)正午過ぎ、涙雨が降りしきる中、多くのレールファン、カップル、家族連れなどが神田、秋葉原、御茶ノ水、新御茶ノ水、小川町(Ogawamachi)、淡路町(Awajicho)が最寄り駅の交通博物館http://www.kouhaku.or.jpに集結していた。

入場券うりばは国鉄の券売機を彷彿させるが、臨時コーナーで現金310円を支払う。

大混雑の館内は迷子の御案内が多く、朝ラッシュさながらの混雑ぶりだ。

ガラスばりの模型運転運転場は国鉄とJRの車両があちこちに散らばり、まさにオールスター大集合。背景には高層ビル、山、城、観覧車があるものの、海があれば完ペキだったかも…

照明を朝焼けに設定して、信号機も点灯し、いよいよスタート!!

まず先陣を切ったのは中央本線201系。オレンジのボディーは201系のイメージカラー。そして、ささやかな設置されている液晶テレビでは前面展望を生中継している。

このあと、山手線E231系500番台、埼京線205系、常磐線E531系が次々に目覚める。

特急<スーパービュー踊り子>の251系はリニューアル塗装で登場し、埼京線と相互直通運転をしている東京臨海高速鉄道臨海副都心線70-000系も登場。更にE257系の特急<あずさ>、京浜東北線209系、JR貨物M250系(貨物電車で、『スーパーレールカーゴ』と呼ばれる)、特急<スーパーひたち>の651系も駆け抜ける。

夕焼けとなり、JR西日本・JR東海が共同開発した285系7両の臨時寝台特急<サンライズゆめ>(とみなさざるえない)、寝台特急<カシオペア>のE26系という“JR世代の夜汽車”が夢の共演。

すっかり暗くなり、ドラマは翌日へ(2006年5月14日のことではありませんよ)。

北越急行681系2000番台の特急<はくたか>、新幹線は<はやて・こまち>(ちなみに前者はE2系1000番台)、(ちなみに前者はE4系、後者はE3系1000番台)、JR西日本の“怪物”500系<のぞみ>も舞った。

動かなかったものの、他に0系(今ではJR西日本の<こだま>専用となり、オリジナルカラーが“ハイ、消えた”)、24系25形、キハ110系、165系(2003年にフォーエヴァー)などもあり、約25分で“夢のオールスター大集合共演”は好評のうちに幕を閉じた。

大盛況の館内では運転コーナーが最大2時間待ち。家族写真以外は撮影許可がない限り、そのような行為は禁止なのだが、そうとも知らずに没頭する人も多いものの、とがめられることはない。ちなみに名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)は撮影禁止なのだという(許可されたら、腕章をつけることが義務づけられているようだ)。

1階の休憩コーナーでは万世橋の“ちょっとだけよ”公開があり、昭和とローカル線を合わせたような雰囲気のする階段を撮る人も多かった。

交通博物館は初代鉄道博物館として、大正10年(1921年)、東京の高架下にオープン。昭和11年(1936年)、万世橋に移転して、併設されていたが、秋葉原の開業や戦争激化のため、駅としての役目を終えざるえなかった。ちなみに平成7年(1995年)秋、『風の刑事東京発!』で、主演の柴田恭兵が万世橋のホームに立っている。

その後、昭和21年(1946年)に交通文化博物館、昭和23年(1948年)に交通博物館と2度も改名して、現在に至る。

さて、エスカレーターやエレベーターがないため、やむなく階段へ。2階は連絡船、バス、自動車のコーナーで、三輪駆動車の展示に「懐かしいー」と言いそうになった。幼少の頃、“ヘンなクルマだな”と強烈なインパクトが忘れられず、鮮明に思い出した。

3階は土休公開の映画ホールと航空機が中心。4階は<こだま>食堂で、在来線電車特急時代の食堂車を4階に設置。カレー中心で、お値段はいささか高め。そして、休日のみ開館の図書室を過ぎると、屋上。万世橋を通過する中央本線201系を見下ろす。

別館は幼児向けの遊び場で、のりものおもちゃが中心。また、休憩コーナーではサンドイッチを600円で販売していた。

階段を下りると、『開拓使』という名の客車、『弁慶号』『善光号』という名のSLを展示していた。

交通博物館という名の通り、鉄道を中心に様々なのりものを展示し、紹介していたが、2006年5月14日(日曜日)で、上野セントラル(松竹系の映画館)と共に幕を閉じる。

そして、2007年10月14日(日曜日・鉄道の日)、埼玉新都市交通伊奈線“ニューシャトル”大成駅(Ohnari Sta)最寄りの2代目鉄道博物館http://www.railway-museum.jp/として、新たなスタートを切る。交通博物館の展示物は新たな地でも健在であろう。

さて、“家族写真以外は撮影に許可がいる”ことから、掲載する画像は“無許可でも撮れる”0系で御勘弁を(2006年5月12日撮影)。

◆追記

2006年5月14日(日曜日)、中には入らなかったものの、交通博物館へ寄った。前日よりお客は多く、休業のガソリンスタンドはベビーカーおきばになるなど、相当にぎわった模様。

ニュースで見たが、19時過ぎまでかなり人が集中していたようだ。

2006年5月16日(火曜日)の夜、閉館後、初めて交通博物館に寄ったが、0系とSLは鉄柵に囲われていた。2代目鉄道博物館に移籍して、“まだまだ”展示物のエースで輝くと信じたい。


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準急浅草発フォーエヴァー [汽車旅2006番外編]

2006年3月17日(金曜日)、22時過ぎ、東武鉄道伊勢崎線浅草に着いたら、翌日のダイヤ改正に備え、準備が着々と進んでいた。有料電車はすべて特急化されるので、料金表のチェンジ。また、案内表示盤も新装していた。

浅草1番線には10030系の準急館林行きが先に発車し、3番線には快速用の6050系で運行する準急新栃木行き終電が発車を待っている。お客は少なく、空席があるほど。

22時20分、浅草を発車。すぐさま右へ曲がり、レールをきしませ、ナイトリバー隅田川を渡る。毎年夏は隅田川花火大会が行なわれ、風流な夜を彩る。

曳舟(Hikifune)で東京急行電鉄田園都市線の中央林間を発車し、東京地下鉄半蔵門線を経て、押上から東武鉄道伊勢崎線の支線に入り、本線に合流した30000系の区間準急南栗橋行きに接続。先に発車させる。ちなみに押上-曳舟間は“イーハー東武”という名がある。その名をつけたのは当然、私でーす。

2006年3月18日(土曜日)にレールがつながっていない東上本線と越生線以外、ダイヤ改正を行なうが、急行は特急、区間準急は準急、通勤準急は急行へ。そして、準急は区間急行に種別が変わる。

これにより、東京地下鉄半蔵門線直通電車が大増発され、通勤準急改め、急行主体のダイヤとなる。また、10両編成なので、日中の着席率が向上する。つまり、浅草から準急がなくなり、“地盤沈下”されるのだ。ちなみに区間準急は存続され、浅草-北千住間と新越谷以遠を各駅停車させるダイヤに変更する。

曳舟の上りホームでは各駅停車浅草行きがあれっ?! 30000系第13編成が6両で到着。東京急行電鉄8500系フルカラーLED車の区間準急(押上から各駅停車)長津田行きに接続をとる。

30000系は10両固定編成がないのがアダとなり、一部が50050系にチェンジされ、地上のみの運行となる。

北千住で大量乗車があり、乗り切れないほど。6050系は2ドアのため、扉付近にお客が集中するのである。そのため、6050系の準急運用に不満を持つお客は少なくないようで、区間急行でも使うことになっている。

ウォーミングアップを終えたかの如く、北千住を発車。北越谷までは複々線となり、勢いよく荒川を渡る。

西新井を発車し、竹ノ塚を通過。2005年3月15日(火曜日)に発生した手動式踏切事故は自動式に変わり、先ごろ、エレベーターつきの歩道橋が完成し、使用開始。その代わり、浅草寄りにある歩道橋を撤去するようだ(予想は見事に外れ、存続)。

草加、新越谷、越谷と停まるごとにお客は少しずつ減り、せんげん台では曳舟を先に発車させた区間準急南栗橋行きと接続し、今度は準急新栃木行きが先に発車。

このあと、春日部、東武動物公園から日光線に入り、各駅に停まる。

日付が変わり、2006年3月18日(土曜日)、0時01分、終点新栃木へは“午前様”に到着し、長きに渡る浅草発の準急はフォーエヴァー。区間急行として、再出発する。


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