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巨人木村拓也コーチ追悼試合 [波瀾万丈伝]

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2010年4月24日(土曜日)、東京ドームへ。この日は讀賣ジャイアンツ(通称、「巨人」)-広島東洋カープ戦が行なわれるが、40・41番ゲート付近では、すでにカープ、巨人、それぞれのファンが階段に坐りこんで開門を待っている。この日は4月7日(水曜日)に永眠してしまった木村拓也コーチの追悼試合である。そのため、22番ゲート近くにあるNPBの旗と巨人の球団旗は半旗である。

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黄泉の国へ旅立ったあと、この日に追悼試合が行なわれ、特別献花台は22番ゲート付近に設置し、10時から20時まで献花を受け付けている。また、都内のホテルでは球界関係者が約550人集まり、お別れの会が行なわれた(テレビ局やラジオ局に所属するプロ野球解説者のほとんどが参列したという)。

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特別献花台の左上にあるスクリーンには、木村コーチの輝かしい野球人生を5分間繰り返し放映し、ファンや通行人は足を止め、食い入るように見つめる。巨人ファンとカープファン、普段は“敵同士”だが、木村コーチが倒れた翌日の試合では、双方の応援団が「拓也ぁー」という盛大なコールを送り、生還を信じあった。巨人もカープもこの日はなんとしてでも勝ちたいところだろう。

木村コーチは平成2年(1990年)、ドラフト外で日本ハムファイターズに入団。当時は東京ドームを本拠地にしており、宮崎から上京した。ちなみに「ドラフト外」は逆指名制度の適用により、ドラフト会議制度が変わったため、今では日本人選手獲得が禁止されている(外国人選手は、よほどのことがない限り、ドラフト会議にかけられることはない)。

平成7年(1995年)からカープのユニホームを身にまとい、11年間に渡りチームを支えた。カープではユーティリティープレーヤーを確立し、球団の看板選手に上り詰めた。そして、2006年シーズン途中に巨人へ。ここでもユーティリティープレーヤーを発揮し、2009年9月4日(金曜日)の試合では、延長11回ウラに捕手不在の大ピンチを迎え、12回表にマスクをかぶった。10年ぶりの捕手起用はナイスリードで、巨人に黒星をつけさせなかった(試合は引き分け)。

日本一が決まった直後に引退し、1軍の内野守備走塁コーチに就任。開幕したばかりの2010年4月2日(金曜日)、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島のグラウンドで倒れ、ただちに救急車で病院へ搬送された。診断の結果、くも膜下出血と診断され、予断を許さぬ状況になり、誰もが奇跡と生還を信じた。しかし、5日後に鬼籍に入ってしまった。

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特別献花台には木村コーチの元気な姿のパネルが4枚掲出され、1枚はカープ時代のもの。映像やパネルはカープファンも納得するだろう。“ハムの木村であり、カープの木村でもあり、巨人の木村でもある”のだと。

いよいよ、特別献花台へ。巨人のホームページでは花輪、供物、香典の辞退を明言しており、球団は白い菊の花を用意している。お悔やみの花束を持つファンもおり、木村コーチの偉大さを物語っている。
 
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白い菊を一輪取り、4人1列に整列する。そして、特別献花台にそっと白い菊を置き、合掌。目が少し潤んだ。どうして、37歳の若さであの世へ旅立たせてしまったのだろう? 野球の神様は、どうして助けてくれなかったの? それと共に“煙草を吸っていなければ、こうならなかったのでは?”と考えてしまい、いろいろな思いが交錯する。

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14時30分を過ぎると、長蛇の列となり、最後尾のプラカードがあがるほど人の数が増えた。あと3時間30分で試合が始まるのだから、増えるのはごく自然の流れだ。

両チームのファンの一部は、レプリカのユニホームを着ているが、現役時代の背番号0がそろい踏みする光景があり、脳腫瘍のため、平成5年(1993年)7月20日(火曜日)に32歳の若さで黄泉の国へ旅立ってしまった津田恒美投手(1991年に退団するものの、最期まで現役復帰をあきらめていなかった)の背番号14(昭和末期のビジター用)を着るカープファンも見られた。

津田氏は今年で生誕半世紀を迎え、33歳の誕生日が近づいた頃に息を引き取った。私は今33歳だから、背番号14のレプリカユニホームを見ると、感慨深いものがある。“津田氏の人生は、あっという間に駆け抜けていった”のだと。そして、4年後に38歳を迎えると、同じことを感じるに違いない。木村コーチは、38歳の誕生日が近づいた頃に逝ってしまったのだから。

両球団の選手、首脳陣のほか、ボールボーイも喪章をつけ、試合前に追悼セレモニーが行なわれる。そのあと、木村コーチの長男(10歳)が背番号0のユニホームを着て、始球式を行なう。見事なストライクで試合が始まり、手に汗握る攻防で熱戦を展開する。

巨人1点のビハインドで迎えた8回ウラ、木村コーチと同級生の代打谷佳知選手が逆転満塁本塁打を放ち、7-4で勝利。カープは巨人戦未勝利のため、特別な日の試合は勝ちたかったに違いない。

試合後、谷選手がヒーローインタビューを受け、インタビュアーが木村コーチについてきかれると、感極まり、ファンの声援があと押しして胸中を明かした。私も目が潤み、この日は巨人が勝った嬉しさよりも木村コーチを失った悲しみを改めて身にしみた。そして、木村コーチの偉大さを再認識した。ちなみに、特別献花台は11,789人が訪れ、追悼試合の観客動員数は東京ドーム今季最多の46,673人を記録した。

今、自殺を考えている人に言いたい。世の中には生きたくても、志半ばで人生の幕を閉じてしまう人が多い。木村コーチはその中の1人なんだよ。なんで、人生を謳歌していない人があの世へ行かなきゃいけないわけ? 理解できないよ。

自殺する人の多くは健康なんだろ、倒れたわけじゃないんだろ。自分だけが苦しんでいると勝手に思い込んで、死ねば苦しみから逃れると思っているんだろ。甘ったれるんじゃねぇーよ。どんなにつらくても、親から授かった命を大切にしろ。そして、周囲を見返して、後悔させろよ。それが人の生きる道ってもんだろう。自殺っつーのは、多くの人々に迷惑をかけているし、「殺人」という犯罪行為も同然なんだよ。冥福にもならねぇーんだよ。心臓の鼓動が最後の最後まで鳴りやむまで、歯を食いしばって粘り強く生きることが、人間のみならず、すべての生物において大切なことなんだよ。

今回の木村コーチの悲報を胸に刻み、自殺者が1人もいなくなる世の中にしていかなければならない。木村コーチの悲報は受け入れたくない現実だけど、全身に深く刻んで、風化させないことが自殺者ゼロをつながるのではないだろうか。

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改めまして、心より御冥福をお祈りいたします。そして、両軍の選手や首脳陣の皆様、素晴らしい試合でした。ありがとうございました。

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komo

すばらしい木村拓也コーチの記事ありがとうございます。
by komo (2010-04-25 21:03) 

岸田法眼

komoさん、どうもありがとうございます。

木村コーチは素晴らしい方でしたね。早過ぎる旅立ちが残念でなりません。

またのお越しをお待ちしております。
by 岸田法眼 (2010-04-26 20:03) 

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