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『波瀾万丈の車両』、2018年9月7日(金曜日)発売!!

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さすらいの諸国漫遊記57-5日目 [汽車旅2004]

◆下記の記事をまだ御覧になっていない方は、下記のURLへクリックしてください。

・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20

・さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27

・さすらいの諸国漫遊記57-4日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29
台風15号の影響で、8時間14分遅れで日本完全制覇を達成した翌日の2004年8月23日(月曜日)、天候は曇り気味。台風16号はすでに南の島へ猛威をふるっており、気にしながら宿を出る。諸国漫遊史上初の同一宿3連泊のため、ザックに必要最小限なモノを入れ、この日は那覇市内を散策することにする。

前島交差点で国道58号線に遭遇するが、クルマの量は都心と錯覚するほど、メチャクチャ多い。すぐそこには『とまりん』というフェリーターミナルがあり、いくつかの離島便のきっぷを売っている。泊港と直結しているものの、大半の便は休航だろう。ちなみに『とまりん』は『かりゆしアーバンリゾート那覇』というホテルも兼ねており、もちろん泊まれるが、宿泊料金はとびっきり高い。

前島交差点を渡り、ファミリーマートというコンビニで、モーニングのミルクティーを購入。朝はこれを飲まないと気分が落ち着かず、ホッとひと安心すると、雨が降ってきた。さいわい、折りたたみのカサをしのばせているが、自宅近くの100円ショップで購入したため、少々ヤワなのが難点である。

少々歩き、頭上注意のような感じで見上げると、沖縄都市モノレールが那覇空港に向けて、ヒューンと通る。国道58号線の交通量とは対照的に、たった2両で運行。まるで地方のローカル線みたいな感じだが、ほどなくして首里行きが滑るように通る。

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宿最寄り駅となる美栄橋から沖縄都市モノレールに乗る。エスカレーターは1人乗りで、センサーが感知すると動く省エネ方式。1人乗りのエスカレーターは珍しいが、琉球の人は“あわてず、騒がず”なのか、建設費用抑制のためなのかどうかはわからない。ほかにエレベーターもあり、身障者が気軽に利用できるなど、万全だ。

それもそのはず、沖縄都市モノレールは2003年8月10日(日曜日)に開業。バリアフリー(もちろん、和製英語)はぬかりなしで、おまけに券売機は東京モノレールと京急線の乗車券も発売している。1日どのくらい利用するのかは知らないけど、東京近郊にお住まいや勤務している方には便利だ。ちなみに沖縄都市モノレールは、「ゆいレール」と呼ばれており、以後はそのように記す。

事前調査では1~3日乗車券を販売しているとのことで、3日乗車券を購入しようとするものの、券売機にそれがなく、有人改札で尋ねたところ、ここで発売していたので、買う。ちなみにお値段は1,500円(2日乗車券は1200円)。1日乗車券が800円なので、ウチナンチュ(琉球の人)は1日乗車券、“「ヤマトンチュ(琉球以外の人)」という名の観光客”は2・3日乗車券を使うといいだろう。

ゆいレールの職員はブルーの半そでシャツを着用し、夏とスーパークールビズを演出。さわやかで、すがすがしい。

雨は本降りになってしまい、ゆいレールで那覇空港へ向かう。“早くも帰京か?”と思う人もいるだろうが、那覇空港に郵便局がある情報を入手しているということ。それに今回の旅は15年ぶりに、“悪魔”のような存在であるヒコーキに乗ることもあり、予習をする必要性がある。ちなみに、たいていの空港に郵便局は存在する。

ゆいレールに乗ると、最前列が“「特等席」という名の展望席”になっており、あとは東京の通勤電車でおなじみの横並びシート。これは意外な気がするものの、長いこと鉄道がなかったので、“利用客が戸惑わない座席”を選んだのであろう。

県庁前に近づくと、土砂降りとなってしまう。展望席があいたので、さっそく坐ってみるが、電車の運転席にしては珍しく、右側にある。日本のクルマに例えると、後部座席に乗っているような感じだ。

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美栄橋から乗った時は席に坐れなかったが、終点那覇空港に到着する頃にはガラガラ。意外な気もするが、朝早くの便で帰る人はいないのだろう。それにホームでも乗る人は少なく、本州便が到着する頃、にぎわうに違いない。また、土砂降りの雨もやんで、持ち直してきた。天気雨だったのはさいわいだが、風が強いので、予断が許されないことに変わりはない。



時刻はちょうど9時になり、那覇空港1階にある那覇空港内郵便局で、琉球初貯金をする。但し、長崎、佐賀、広島、新潟、福島、青森の6県は、まだ旅行貯金をしておらず、そちらの“日本完全制覇”はまだ先となる。



ゆいレール那覇空港の自動改札前に“日本最西端の駅”という記念碑を見つけた。東経127度39分8秒のところに、この駅が設けられており、この記録を破られる可能性は低い。離島に鉄道を建設したとしても、人口は少ないので、採算が合わないのは確実だろう。

“日本最西端の駅”があるということは、“日本最南端の駅”もあるはず。3日乗車券なので、各駅に乗り降りして、旅行貯金をすることが、この日のテーマだ。



ゆいレールの首里行きに乗って、次の赤嶺で下車。階段を下りたところにある駅前広場に“日本最南端の駅”の記念碑があった。記念碑は那覇空港よりも誇らしげで、北緯26度11分36秒のところに、この駅を設けている。いずれの記念碑も2004年夏に設置したばかりで、琉球の石材、勝連トラバーチンを使用し、台風に耐えられる強度で作ったというが、建立早々、幾度も台風が訪れたので、早くも“試練”を味わったことになる?!



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郵便局を探している途中、全国どこにでもあるライオンズマンションに遭遇。玄関にはビックなシーサーが待ち構えていた。ライオンズマンションにシーサーがあるのは琉球だけであろう。そこを過ぎて、すぐのところに小禄郵便局を見つけ、旅行貯金。カウンターの下にはNHK衛星第2放送で、2004年3月から半年間、再放送した『ちゅらさん』のポスターに出くわす。これは『ちゅらさん3』の宣伝もかねていたが、NHK沖縄放送局のオリジナルで、東京では見たことがない。

小禄郵便局を出て、赤嶺駅に戻る。交通量の少ない道路だが、クルマはゆっくり走っている。まさに安全運転で、歩行者にとってはありがたい。

ゆいレールに乗り、次の小禄で下車。駅の通路はジャスコと直結しており、周辺はマンションが多く、団地のようだ。建物はいささか古そうだが、つくりは琉球独特という感じを受ける。まるで、外国に来たような雰囲気のある建物なのだ。



ここでは小禄金城郵便局(Oroku-Kanagusuku Postoffice)で旅行貯金をする。実に難読な名前の郵便局である。



再び、ゆいレールに乗り、次の奥武山公園(Ohnoyama Park)で下車。これも難読だ。琉球と北海道は“あて字”に思えるような地名が多い。ここでは小禄鏡原郵便局で旅行貯金。通帳の切り替えが近づいていたので、局員は通帳の切り替えを勧めるが、まだ印字できるので、丁重に辞退したものの、ある不安がいよいよ現実になろうとしていた。それはのちほど述べる。

こちらもクルマのスピードはノロイが、路線バスの排気ガスがあまりにもひどく、黒い煙がモクモクと出ていた。関東地方のバス会社から移籍した中古車だと思われるが、新車を購入する余裕はないようだ。2002年9月に根室へ渡った時、横浜市営バスのおフルに出くわしたことを思い出す(シートモケットが横浜ベイブリッジの図柄だったため、すぐ見抜いた)。

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奥武山公園は規模がデカい公園のようで、ゆいレールのホームからは野球場が見える。メジャーリーグスタイルのグラウンドだが、ナイター設備はない。

毎年2月、プロ野球のキャンプでにぎわう琉球だが、ナイター設備がほとんどない球場が多い。将来は琉球に那覇ドームをつくり、プロ野球やプロサッカーの誘致を働きかける日が来るかもしれない。



再び、ゆいレールに乗り、国場川を渡って、壺川に到着し、下車。那覇中央郵便局で旅行貯金をする。たいてい、「中央郵便局」の名がつくところは、18時まで貯金や振替を受け付けており、午前中に旅行貯金をする必要はないのだが、せっかく下車したのだから、する。ちなみに局名印はパイナップルつきで、南国の情緒をかもしだしていた。

那覇中央郵便局沿いの道路の案内板を見て驚いたが、左折すると、「古波蔵」という地名に行ける。興味のあるところだが、時間的な余裕はなく、今回の旅では地名の古波蔵来訪は見送った。古波蔵をわざわざカギカッコした意味は“わっかるかなぁー? わかんねぇーだろうなぁー?”とイミシンに書いておこうね(おしゃべりは琉球調になってるさぁー)。

壺川もマンションが多く、現代的なつくり。新興住宅街なのかもしれない。近年は年間25,000人がヤマト(琉球以外のこと)から移住していると言われるが、那覇市の人口は増加しておらず、現状維持のままだとか。これはウチナンチュも若者を中心にヤマトへ移住しているためだという。しかし、半数以上はなじめない、あるいはその地の学校を卒業したという理由で、どちらも元のサヤに戻っているという。もったいない話だ。

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壺川駅沿いにある国場川は東シナ海に直結しており、水を見た感じでは川というより海の雰囲気があり、今回の旅で1番印象に残った。

再び、ゆいレールに乗り、いよいよ“真の那覇”と言うべき部分に突入し、次の旭橋で下車。交通量も大都市なみで、付近には那覇バスターミナルがある。道路は堂々たる片側3車線ずつで、クルマ社会を象徴する都道府県ナンバー1ではないだろうか。



東町郵便局で旅行貯金及び、通帳をチェンジするが、恐るべきことが起こった。

それは通帳。今までのゆうちょ通帳は主務者印を押す欄があったが、ATMが普及したことにともない、21世紀に入ってからか、銀行と同じ様式にチェンジしてしまった。これにより、主務者印を押す欄がなくなり、一部の郵便局では押印拒否をするなど、トラブルもあるという。私もそういうメにあい、一旦解約して、もう1度作り直すカタチで、この時は解決した。それが那覇中央郵便局まで使っていた通帳である。

今回はスムーズにいった。旅行貯金を続ける意志があることと、熟年女性局員が主務者印押印を確約したからだ。2003年4月から郵政公社となり、“真っ向サービス”をキャッチフレーズとしているだけに、旧式通帳の復活をお願いしたい。各郵便局に新式と旧式の通帳を置いて欲しい。これならば、トラブルを防ぐことはできるだろう。

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通帳の切り替え作業を待っているあいだ、私は『ちゅらさん』ポスターを撮影。大半の郵便局はガクブチに入れており、保護しているが、撮影すると蛍光灯の光が反射した状態で写るため、“ナマポスター”でないとイイ写真が撮れず、うずうずしていた。

ゆいレールに戻り、次の県庁前で下車。那覇の中心地という感じで、人も多い。時刻は正午をまわったせいもあるだろう。

曇天となり、気温は生暖かいものの、風が強く、“台風16号の影響なのかなぁー”と気にする。昼メシにしたい時間帯で、私の場合、コンビニで菓子パンを買うのが一般的だが、せっかく琉球の地に足を踏み入れているのだから、有名料理を食べたい。ってことで、ガマンする。



県庁前駅から徒歩15分のところにある、那覇久米郵便局で旅行貯金。局内にあるテレビはNHK総合テレビの『お昼ですよ! ふれあいホール』という番組を放送しているが、画面の上段は琉球の台風情報を流していた。離島へのヒコーキや船は終日欠航で、もう少し予算があったら、小浜島を目指していたが、足止めを食らい、野宿せざるをえなかっただろう。

さて、『お昼ですよ! ふれあいホール』で、ゲストのMEGUMIは小学生と格闘技対決。あっけなく負けたところを見届け、那覇久米郵便局をあとにする。

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沖縄県庁へ向かう途中、創立100周年を向かえる那覇商業高校で足を止める。関係者ではないので、中へ入ることはなかったが、春夏連続で高校野球の甲子園出場を果たした名門校だった。校舎にはその記念碑がそびえたち、生徒を見守っている。ちなみに2005年10月8日(土曜日)、記念式典と祝賀会を開催している。




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無数のシーサーがあちこちに散らばった沖縄県庁に到着。そこの1階にある沖縄県庁内郵便局で旅行貯金。少々わかりにくいところにあるが、都道府県庁で旅行貯金をするのは東京都と秋田県以来、3局目。局名印は「ハイサイ! 沖縄県庁内郵便局」と記していた。ちなみに「ハイサイ」は“こんにちは”という意味で、女性があいさつする場合は「ハイタイ」と言う。



さらに県庁前駅すぐのところに美栄橋郵便局を見つけ、もちろん、旅行貯金。県庁前の次の駅が美栄橋なので、違和感はあるが、先にできているのは郵便局なので仕方のないところ。お客様の要望が多ければ、「県庁前駅前郵便局」に改称するだろう。



宿最寄り駅の美栄橋に戻り、徒歩1分のところにある那覇久茂地郵便局で旅行貯金。そのあと、那覇のメインストリート、国際通りへ。『ちゅらさん』で見た通り、クルマの行列だ。



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国際通り郵便局に入るが、郵便局という雰囲気はまったくない。玄関は『地酒横丁 泡盛蔵元直売店』の楷書のカンバンが強烈なインパクトを与え、右下のスミに『〒国際通り郵便局』と控えめ。郵便局と泡盛販売店、三線(Sanshin)店(三味線に似た弦楽器)が一体となっており、おそらく、その店で購入したおみやげをゆうパックで送ってもらおうという意図があるのだろう。2階はエフエム那覇で、もし、誰かが私の日本完全制覇を“密告”していたら、出演していた可能性があったかもしれない。

さぞ、にぎわっているかと思いきや、ガラガラ。おみやげ屋があちこちに点在していることや、郵便局が目立っていないこともある。でも、こういう“変わりダネ郵便局”は末永く、残して欲しい。ちなみに局名印は「奇跡の1マイル国際通り郵便局」である。

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さて、ようやく昼メシ。美栄橋駅近くの食堂で、念願の沖縄そばを食べる。以前から食べたかった。大盛りの食券を店員に渡すと、この日はサービスデーだったようで、炊き込みごはんと汁モノがついた。

沖縄そばは、そば粉を使わないのが特長。以前、『どっちの料理ショー』で、沖縄ソーキそばが圧勝しているのだから、おいしいはず。まずはかつおだしのスープを飲む。かつおだしはあっさりしていて、うまい。そして、そばを食べると、味はしないものの、コシとボリュームはある。

ソーキはブタのあばら肉ことで、琉球の肉はポークが主流。コシがあり、プリプリ感がするほどやわらかく、骨まで食える。ほかに卵とカマボコが入っているが、かなりのボリュームとサービスの炊き込みごはんで、おなかパンパン。これなら、普通盛りで十分であるが、大満足して、店を出る。



ゆいレールに戻り、牧志へ。下車したら、そこは国際通りで、近くに牧志郵便局があり、旅行貯金。琉球の花、赤いハイビスカスのスタンプを押したあと、「南国沖縄 牧志郵便局」の局名印を押す。ちなみに主務者印はあいているスペースに押してもらっている。

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そして、来訪記念なのか、黒糖をいただく。近年(2003年以前)、黒糖はミネラルやビタミンが豊富で、長寿食として、クローズアップされている。いただいた黒糖は加工品のお菓子で、さっそく食べてみるが、ほどよい甘さで、すぐ口に溶けた。

私が砂糖を使う時は自宅でアイスコーヒーを作るぐらいだが、“今後は黒糖を入れて、もっと健康管理に努めるべきかな”と思った。スーパーマーケットで売っている黒砂糖ではなく、琉球の黒糖だ。お値段が気になるところだが、不思議なことに砂糖や塩に賞味期限はない。

ゆいレールに戻り、安里(Asato)へ。ここも難読で、下車すると、道路はクルマで埋めつくされている。ちなみに琉球の人口は190萬人で、100萬人近くは本島に在住しているという(2004年当時)。



ここでは徒歩7分のところにある大道郵便局で旅行貯金。安里駅へ戻り、向かいのホームに回送電車が現れた。ところが、回送電車であるにもかかわらず、人が乗っている。なんかおかしい。その直後である。

「ウッ、ウソ?!」

と私は思わず、声をあげた。後部車両には、なっ、なっ、なんと、クッ、クッ、国仲涼子が乗っていたのである。どうやら、回送電車は“貸切電車”で、『ちゅらさん3』のロケをしていたのだ。

その隣には子役の女の子が乗っていた。このシーンは第3回に放送され、わずか5秒ほどのシーンだったが、撮影した地点には国場川が見えた。

実は8月に琉球でロケをやるというウワサ話を入手していたが、まさか遭遇するとは想像もしていなかった。



さて、『ちゅらさん3』のロケ電車は15秒ほど停車したあと、発車。わたしは、おもろまちへ向かい、那覇真嘉比郵便局で旅行貯金。探すのに苦労した。

ゆいレールに戻り、次の古島で下車するも、近辺に郵便局はなく、時刻も締め切りの16時になろうとしていたため、この日の旅行貯金は14局で終了。ゆいレール全駅に下車して、16時までに旅行貯金ができるだろうと思っていたが、郵便局以外にも寄っていたため、意外と時間がかかってしまった。

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終点首里まで乗り、下車すると、2,000円札の利用促進を求める貼り紙が目につく。当初から“不評になるだろう”と懸念されていたが、その通りとなっている。銀行のATMでも入っていないようだし、琉球で2,000円札を使っている人を見ることは、今回の旅ではなかった。それどころか、2004年11月1日(月曜日)から登場した野口英世の1,000円札、樋口一葉の5,000円札は都内で早くも姿を見せており、2,000円札はますます影が薄くなっている。

それを打開するには、銀行や郵便局のATMは意図的に2,000円札を入れ、自販機(煙草、アルコール、公序良俗に反するモノは除く)も2,000円札対応に改造し、それを使用した人には品物1本無料サービスするなど、国が総力をあげてバックアップしないとダメだろう。コレクターにとっては、2,000円札が普及すると、値打ちがなくなり、“お宝”にもならないが……

さて、次なる目的地は首里城。ここから首里城公園までは1キロほどだが、首里駅前にはタクシーの列があり、観光客に利用を勧める。いわゆる1つの“客引き”だが、よくない行為だ。まだまだ若いモンには負けない自信と、歩くことが好きなので、前日みたいに緊急措置以外、タクシーを使うことはないが、100円均一なら、考えただろう。だが、客引きをするのではなく、運転席でじっと待つべきだ。“果報は寝て待て”で、お客様を迎えるのが基本精神ではないのか。

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クネクネした坂道を登り、首里城公園へ。まずは歓会門をくぐる。1500年前後に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。昭和49年(1974年)に復元されている。

周囲は石垣となっているが、日本の城とはひと味もふた味も違う。「中国4000年の歴史」という言葉が当てはまるほど、日本的ではない。とりあえず、ケータイのカメラで撮ったあと、首里城正殿へと急ぐ。

余談だが、歓会門は別名、『あまへ御門(Ujoh)』と言う。「あまへ」は琉球の古い言葉で“喜んで迎える”を意味しており、「歓会」はその漢訳である。

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試練を与えるかのように、石段を登り、瑞泉門へ。石門の上に櫓(Yagura)が乗っており、門前はシーサーが門番の如く、2つある。大相撲にたとえると、櫓が横綱、シーサーは太刀持ちと露払いである。

「瑞泉」とは、“立派な、めでたい泉”という意味で、瑞泉門は別名、『ひかわ御門』と言う。「ひ」は樋(Toi)のことで、「かわ」は琉球の井戸や泉をさす。ちなみに1470年頃に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。平成4年(1992年)に復元された。

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続いて、漏刻門(Rohkokumon)をくぐる。「漏刻」とは中国語で“水時計”という意味。櫓の中に水で時間をはかる水槽が設置され、漏刻門を過ぎた広場に日影台(Nichikagedai)があり、そこの日時計の2つで時刻をはかり、たいこをたたいて、現在時刻を知らせたという。また、漏刻門は別名、『かご居せ御門』と言われ、駕籠で登城することを許されていた高貴な役人も、国王に敬意を表し、ここで下りたという。15世紀に創建され、昭和初期に老朽化で撤去。平成4年(1992年)に復元された。

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漏刻門をくぐったあとは、先ほど述べた日影台。日時計で正午及び、その前後の時刻をはかり、漏刻でくわしい時刻をはかっていたという。カンタンに言えば、日時計は水時計の補助的な役割ってワケ。ちなみに昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で破壊されたが、2000年に復元している。

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石門2つをくぐったあとは、広福門(Kohfukumon)といって、木造の建物。首里城はすべて朱色となっているので、もし、琉球にプロ野球やJリーグの本拠地を置いた場合、チームカラーは朱色になるだろう。

それはともかく、「広福」は“福を行き渡らせる”という意味で、広福門を抜けると、ここから先は800円(30人以上の団体は640円)払わないとは入れない。ちなみに高校生は600円(30人以上の団体は480円)、小・中学生は300円(30人以上の団体は240円)で、6歳未満はタダである。また、年間パスポートもあり、大人1,600円、高校生1,200円、小・中学生600円である。首里城は言わば、“琉球のディズニーランド”なのであろう。

800円を払って、奉神門をくぐると、いよいよ、待ちに待った琉球のシンボル、首里城正殿である。

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首里城正殿を見て、誰もが衝撃を受けている様子。子供以外は誰も近づくことはできない。優雅で、綺麗な建造物に圧倒されていることもあるが、大半は記念撮影で夢中になっている。

首里城は14世紀に創建され、2000年に世界遺産へ登録されたが、その歴史は波瀾万丈で、3度の焼失を乗り越え、平成4年(1992年)11月3日(火曜日・文化の日)に復元された(現在の首里城は4代目になる)。今も色あせていない様子だ。

首里城正殿は3階建ての木造建築物で、タイワンヒノキを使用。柱の数は1階101本、2階92本、3階60本で、瓦は57,900枚も使用している。

さて、観覧順序に従い、南殿・番所へ。ここは展示コーナーで、いよいよ首里城正殿へ。ここから先は土足現金となっており、靴を脱ぎ、巫女さんが1人1人にスーパーマーケットでよく見るレジ袋を渡す。世界遺産であることや、往時の面影を再現していることが理由(推測)のようだが、4代目の首里城正殿はハヤリのバリアフリー対応となっていて、車椅子昇降装置を設けていた。再建された現在の大阪城は鉄筋コンクリートで、エレベーターもついていた記憶があるので、“そっくりそのまま”の再現とはいかないようだ。

これは時代の流れなので、“進化した首里城”と思えばよく、周囲の人々に違和感のないよう、車椅子昇降装置も朱色が主体。首里城は中も外も朱色が主役だ。

首里城正殿の見学を終え、再び靴をはく。ちなみに首里城正殿は3階を見学することはできない。

北殿へ移動し、パネル展示や映像による首里城の解説を行なっている。売店やトイレもあり、見学コースはここで終わる。

似たような門ばかりで、この時は気に留めず、帰京してから気づいたが、“琉球の凱旋門”で、2,000円札のモデルとなった守礼門を通過。そのあと、琉装をしたお姉ちゃんが数人いて、記念撮影を売り込んでいるようだ。

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道を間違え、首里高校の裏門へ。首里高校は翌日、正門へ寄ったので、この時の模様は別の機会で述べるとしよう。

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軌道修正に成功し、金城町石畳道に。起点の交差点(信号機はない)にはマイクロバスが止まっている。ちょっと進むと(と言うより、下る)、どう見ても、ドラマのロケ隊としか考えられず、前方はスタッフが散らばっており、ハイビスカスのドライフラワーをかざりつけている。その家の表札を見ると、エッ、「古波蔵」だ(スタッフがマジックで記入)。

「ゆいレールの駅で国仲さん見ましたよ」

「どこの駅でですか?」

とNHKのスタッフに声をかけてみると、ビックリした様子。私はたまたま見かけただけだが……

「えーと、アサトだったかなぁー?」

私は答えるのに苦労した。駅名の漢字は覚えていたが、よみがなはすっかり忘れていた。完全に覚えたのは帰京してからだ。

そのあと、古波蔵邸から40代後半から50代前半であろう、男性1人が出てきた。

「ここにお住まいの方ですか?」

「いえ、違います」

とあっさり否定。古波蔵邸は現在、誰も住んでいないという。NHK沖縄放送局が買い取って、いつでもロケに使えるようにしたらどうだろうか。

私は首里駅を下車し、首里城を経由して、こちらにいるが、あることに気づいた。

それは、えりぃーが那覇北高校卒業後、実家を家出して、上京するため、那覇空港に向かった(であろう)というシーンがあったが、坂を下っている。そして、実家に戻る時は坂を登っていることになるのだか、これも“てーげー”だった。実際は登らないと那覇空港には行けないのである。但し、その当時、ゆいレールはなく、坂を下ったところに那覇空港へ向かう停留所があれば、“てーげー”にはならないだろう。

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さて、金城町石畳道の坂を下るが、傾斜がきつかった。3往復すれば、足腰が鍛えられ、地面が石なので、“土ふまず”がより強化されるだろう。ちなみに私は1往復したが、時間の都合でロケシーンは見なかった。

首里駅に戻り、那覇空港へ向かう。日が暮れる頃に着いたが、夜はどのくらい観光客が来るかなと注目したところ、やっぱりいた。

そのあと、再び旭橋へ。那覇バスターミナルを視察した。翌日、糸満市の平和の礎(Ishiji)へ行こうかと思ったが、時刻表がない。また、1日では那覇市をまわり切れず、翌日も続行することに決めた。

そのあと、美栄橋へ戻り、第1牧志公設市場へ。時刻は20時を過ぎたせいか、店じまい。だが、国際通りはにぎわっていた。

私は宿へ戻り、晩メシを食って、休むとしよう。

★備考

①今回の記事は、2004年11月に執筆したもので、一部加筆・修正をしています。

②岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-3」 

③岸田法眼のRailway Blog.「2002年の汽車旅9-4」 

④コメントで御指摘を受けた部分があり、本文の一部を修正しています。

★おまけ

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『ちゅらさん』のおばぁー。

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ガチマヤーアンマー

素敵な旅行記、楽しく拝見させていただきました。
1点だけ訂正させてください。
ソーキは「ブタ」ではなく、ブタのあばら肉(スペアリブ)のことです。
沖縄県民は豚肉料理が大好きで、部位や食し方によって様々な名称があります。
たとえばラフテーはブタの角煮、スーチキはブタばら肉の塩漬け。
テビチは豚足、ミミガーは豚耳。
豚自体はウワァーといいます。
機会がございましたら、是非他の食べ方や部位も召し上がってみてくださいませ。

ガチマヤーアンマー(沖縄言葉で食いしん坊なお母さん)

by ガチマヤーアンマー (2011-06-08 01:15) 

岸田法眼

ガチマヤーアンマーさん、どうもありがとうございます。

当時、いろいろな情報を詰め込んで出かけたのですが、まだまだ勉強不足ですね。御指摘ありがとうございます。のちほど、修正いたします。

那覇の旅はまだまだ続きますので、続きもぜひ御覧いただければ、さいわいです。
by 岸田法眼 (2011-06-08 20:07) 

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